【第三集】イケナイ思惑。
ある日の夕食後の事だ。
イグニスがいつものように食堂で後片付けをしているとリーダーであるウォーリアーオブライトに突然声をかけられた。
「イグニス。今、少しだけ話をしても大丈夫か」
「ああ構わない。どうした?」
汚れたテーブルの上を水に濡れた布巾で丁寧に端から端へと拭き上げながらイグニスは視線だけをウォーリアーオブライトの方へと向けた。
「君はまだこの異世界に来てそう日が経っていないが、そろそろ慣れてきた頃かと思ってな。今の君の現状を教えて欲しいんだ」
突然そんな事を言われてイグニスは不可解そうに眉根を寄せたが、すぐにこれは新入りに対するリーダーからのメンタルサポートの一環なのだと思い当たって真面目に返答を考えてみる。
「そうだな…。元の世界と全く同じとまではいかなくともあまり大差なく過ごせるようになってきたとは思う」
その答えにウォーリアーオブライトは満足そうに大きく頷いた。
「君は要領が良いから元からあまり心配はしていなかった。どうやらそれはあながち間違いでもなかったようだな。…良かった」
「気遣い感謝する」
「なに、リーダーとして当然の務めさ。現時点で生活や任務に不満や不安などはあるか?」
「いや、今のところ特にはないな」
そうか、と安堵したようにウォーリアーオブライトは呟くと急に真剣な顔つきになる。
「…ところで、イグニス。突然で申し訳ないが君に一つ提案がある」
「提案?」
「明日からメンバー全員と哨戒や探索の任務に出てみないか?」
ウォーリアーオブライトのその言葉を聞いて直ぐ様イグニスはテーブルを拭く手を止めて顔を上げ、パチパチと目をしばたたく。
「全員、とは。…これまた随分な人数だな。百人以上だぞ。"新入り"にはいつもそうなのか?」
「いや。今回は特別だ。実は君の事をヤ・シュトラが高く評価していてな」
「…ヤ・シュトラが?」
「貴方の戦略的思考と冷静な判断力はきっと私達リーダーの役に立つと思うのよ」
いつの間にか二人の背後に立っていたヤ・シュトラがウォーリアーオブライトに代わって説明を始める。
「作戦を立案する為にはまずみんなの戦力や相性を知る必要があるでしょう?だから最低一回以上は全員と任務に出て貰って実際に貴方の目で確かめて欲しいの。…正直なところ毎日五十人以上のパーティー編成を考えるのは楽じゃないのよ。貴方にも手伝って貰えると非常に助かるのだけど」
「それは構わないが…」
肯定的な言葉とは裏腹にイグニスの表情はほんの少しだけ険しかった。
「何か心配事でも?」
「俺は一応"新入り"の立場だからな。やるのは良いが、恐らく他から反発が出るぞ」
「貴方はその程度で怯むようなタイプではないでしょう。多少の"衝突"は許すわ。安心して。致命的な怪我を負ったとしても私が直ぐに治してあげるから」
にこやかに軍師としての懸念を切って捨てた賢人にはやはり敵わない。どうやら一ミリも断る隙を与えてはくれないようだ。
「…分かった。やるだけのことはやってみよう」
「有り難う。助かるわ。……ああ、それと」
思惑通りに事が進んで満足そうな表情を浮かべたヤ・シュトラは急に柔らかな声を出した。
「後で珈琲をお願い出来るかしら。貴方のおこぼれで構わないから」
「……了解」
ウォーリアーオブライトとヤ・シュトラがその場から離れたあと、すぐにイグニスは何事もなかったかのように食堂の後片付けを再開する。
(…厄介なことになったな)
出来れば大人しくしておきたかったのだが、軍師という肩書きを最初に明かしたのが裏目に出たようだ。
ただ、都合が良かったとも思う。
記憶を奪われた元の世界の仲間達と長く一緒に居るのは正直、精神的に堪える。
例え片時の間だとしてもノクティスの側に居られるのは嬉しい。
…でも。この異世界に初めて降り立ったとき。最初に出会ったスピリタス側の戦士である執政官の男の言葉が今になって雑音のように耳に響いてくる。
『君の主君は本当に記憶を失っているだけか?』
自分は知っている。恐らくあの男も知っている。本来もう、ノクティスという人間は"この世に存在しない"ということを。
だからこそノクティスがこの異世界で無邪気に振る舞えば振る舞うほど、自分の心は重く苦しくなっていく。
その姿を少しの間だけでも見ないで済むのなら、敢えて何か別の役割を持つのも決して悪いことではない。
自分が目立った動きをすることで反発を受けた場合の"衝突"が起こらないことを願いつつ、鍛練だけは怠らぬよう、今日の夜は外へ走りに行こうとイグニスは思うのだった。