【第二集】アップルパイと思い出のお菓子。

 目の前のテーブルの上にコトン、と真っ白な皿が置かれるとティナは不思議そうに首を傾げながら目を丸くした。

 その皿の上にはちんまりと奇妙な形をした食べ物が乗っかっている。
 一見するとケーキのようだがその表面には生クリームの類いなどはなく、網目状のパイ生地の間からは黄金色に煮詰められたリンゴが顔を覗かせていた。

(何だろう…コレ?)

 鼻を近付けてすんすんと匂いをかいでみるとリンゴの甘酸っぱい香りとスパイスの不思議な香り、パイ生地から漂う芳醇なバターの香りと色んな匂いがする。
 どうして良いのか分からずにチラリとみんなの様子を窺っていると、大きめのトレーの上に同じような皿を幾つも乗せて子ども達にアップルパイを配膳していた眼鏡の男の人――イグニスと不意に目が合った。

「どうした。食べないのか?…心配しなくとも別に毒なんか入ってないぞ」
「あ…ごめんなさい…。初めて見る食べ物だったから食べ方が良く分からなくて、つい…」
「初めて?」

 自分の言葉に対してイグニスは怪訝そうな顔をしながら小さく首を傾げている。

「何だよティナ、アップルパイも知らないのかよ!こんな美味しいものを知らないで生きてきただなんて今までの人生相当損してるぜ!」

 生意気な5歳児に人生のダメ出しをされて普通の大人なら怒るところだが、ティナは困ったようにニコリと淡く微笑むだけだった。

「こらパロム!そんな言い方するんじゃありません!ティナにはティナなりの理由がちゃんと――」
「いいのよ、ポロム。パロムの言ってることは全部本当のことだから。…ところでこれ、どうやって食べれば良いかな?」

 首を傾げながらティナはイグニスのことを見やる。
 やや上目遣いで煌めく水晶のような可憐な瞳には表も裏もなく、ただ本当に純粋にアップルパイの食べ方を知りたいようだった。

 アップルパイの食べ方なんて普通聞くことか?と不思議に思うが、敢えてそれを言葉に出すような無粋な真似はしない。
 ポロムの言う"彼女なりの理由"とやらがほんの少し気になりはすれど聞けば面倒なことになる気がして、イグニスはうわべだけの言葉を述べた。

「フォークでも手掴みでも好きに食べたらいい。アップルパイの食べ方に正解も不正解もないさ」
「そっか」

 ティナは納得したようにコクリと深く頷くと、大胆にも手掴みで食べることを選んだようだった。
 ピザを食べるときのような要領でアップルパイを掴むとパクリと一口齧りつく。

「ん…!」

 彼女はすぐに目を見開いて驚いたような声を上げた。

「……これ、スゴく美味しい…!」
「だろ?兄ちゃんの作るお菓子は何だって美味いんだぜ!」
「料理が出来る男の人って良いわよねっ!」

 配膳したアップルパイを子ども達もすぐに食べ始める。

 皆、満足そうで良かった。自分が提供した料理を美味いと言って食べて貰うことほど嬉しいことはない。
 思わず和らいだイグニスの表情をティナは目敏く見つけて、ふふ、と笑う。

「イグニス嬉しそう」
「えっ?…ああ、まぁ…その」

 見られていたことに戸惑ってイグニスが視線を泳がせていると、急に食堂の入り口の方から賑やかな声が聞こえてきた。

「イグニスー、いるー?アップルパイ食べに来たよー」

 ブンブンと手を振りながらやって来たのはプロンプトとノクティスだった。
 テーブルの上のアップルパイを見つけるといつも気怠そうな王子の目がキラリと子どものように輝き始める。

「おお。マジでアップルパイじゃん。美味そうだな」
「美味いぞ」
「わぉ、すっげー自信満々!」
「皆が美味いと太鼓判を押してくれたからな」

 そう言ってイグニスが子ども達の方を見るとうんうん、と子ども達とティナは大きく頷いて『美味しいよ!』と元気良く答えた。
 ノクティスは早速手掴みで切り分けられていたおかわり用のアップルパイを食べようとしたがイグニスに"待った"をかけられる。

「ノクト。外から帰ってきたときにちゃんと手洗いとうがいはしたのか?」
「はぁ?!」 
「どうなんだ?」
「うっせぇーな!したよ!ちゃんと!二回もな!」
「そうか。なら、食べても良いぞ」
「っこの…!!お前は俺の母親か?!」
「今のは単純に一臣下としての言葉だがお前がそう望むのなら俺はお前の母親にもなろう、ノクト」

 苛立ち紛れにノクティスが溢した悪態をイグニスはあっさりと横に受け流す。
 ギャーギャーと騒いでいるノクティスとは対照的にプロンプトは神妙そうな顔でちょいちょいとイグニスの肩を指先でつつくと、声を出来るだけ潜めて耳打ちをしてきた。

「…イグニス、いつからそんなにティナと仲良くなったの?あ、もしかして狙ってたりする?」
「……狙うも何も彼女とはさっき初めて会ったばかりなんだが」
「ええっ、嘘でしょ?超仲良さそうじゃん!俺何回もデート誘ってるのに全っ然相手にされないんですけど?」
「それは…デートに誘うこと自体が間違いなんじゃないか?」
「だって可愛いでしょ、彼女!隙あらば仲良くなりたいでしょー!」
「……そうか」

 でも流石に十代は若過ぎないか、という言葉が喉元まで出かかってイグニスは珈琲と一緒にそれを無理矢理飲み込んだ。
 自分の見た目と中身の年齢が釣り合っていないことはマーテリアしか知らないことだ。

「…へぇ?ティナはアップルパイ初めて食べたのか?」
「うん。とっても美味しいのね、コレ」
「イグニスが作ったヤツだから特に美味いんだけどな。店で買うとたまにあるんだよ、不味いやつが。何が違うんだろうな」
「そうなんだ。イグニスってスゴいのね」
「まぁな。アイツはマジで何でも出来るからな」

 いつの間にやらノクティスとティナはアップルパイを手掴みで食べながら仲良く話をしている。

「…あー、そうだイグニス。お前今度アレ作れよ。いつも俺に作ってくれるヤツ。アレもすっげー美味いんだ。何か、昔食べたのとはちょっと違うんだけど」

 アレ、とは恐らく幼い頃にノクティスがテネブラエで食べて美味しかったという思い出のお菓子のことだろう。

 ノクティスの為にそのレシピを再現しようとして何度も試行錯誤を繰り返していたが、それも随分と昔の話だ。
 とっくに同じもののレシピを習得して何度も食べさせたことがあるのだが、どうやらこの異世界のノクティスの記憶では未だにお菓子は完成されていないらしい。

 自分達の大切な思い出が間違いなく損なわれていることを再確認するようで何処となく虚しさが胸に広がった。

「……ああ、そうだな。今度作ろう」

 完成されたレシピで作ろうか、それともわざと違うレシピで作ろうか。
 眼鏡を直すフリをしてイグニスは複雑な顔で苦笑いをする。

 ほんの少しだけ垣間見せた苦しげな表情をティナに見られていたと知るのは、次に彼女と会ったときのことだった。
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