【第一集】異世界クッキング、始めました。
とん、とん、とん、と包丁の音がする。
リンゴの甘酸っぱい匂いと、砂糖の甘ったるい匂い。 そこに少しだけ、シナモンの香りが混じる。
アップルパイの中に入れるフィリングを作るのとリンゴを切るのを同時進行で器用にこなしていたイグニスは、自分に向けられている真っ直ぐな視線に気が気じゃなかった。
食堂のキッチンがカウンターキッチンだったことをこれほどまでに恨んだことはない。
正直言って彼女に見られているのはやりづらかった。
ニコニコと楽しそうに調理の様子を眺めている少女は、時折自分と目が合うと『スゴいね』と誉めてくれる。
その度に一瞬、本当にわずかだが包丁の動きが止まる。
――ああ、やりづらい。
何か彼女の視線を逸らせるものはないだろうか、と考える。
考えた末に、イグニスは少女の前に小皿を一枚置いた。
「?」
皿の上に切ったリンゴを乗せる。
リンゴには少しだけ皮が残っていて、まるで長い耳のように見えた。
「…もしかしてこれ、うさぎ?」
少女はそれに気が付くとキラキラとした目でイグニスに聞いた。
自分が思っていたのとやや違う反応が返ってきて、少々返答に困る。
"懐かしい"
そういう言葉を想定していたはずなのに。
「食べたことないのか?」
「ない…、かな?」
随分と曖昧な返事だった。
リンゴで作ったうさぎなんて誰しも一度は小さい頃に食べてるものだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
「食べていいの?」
「どうぞ」
そう言ってあと2つほど彼女の皿にうさぎリンゴを乗せる。
「たくさん切ったから」
ボウルの中には確かにたくさんのうさぎリンゴが入っていた。それを見て彼女は朗らかに笑う。
少女は嬉しそうにリンゴを頬張った。齧る度にシャクシャクと小気味いい音がする。
リンゴよりも、彼女の方がよっぽどうさぎのように見えた。
リンゴを置いた皿の隣にイグニスは花柄のティーカップを置く。薄く切ったリンゴと蜂蜜を入れた紅茶だ。
それもまた彼女は嬉しそうに見つめている。彼女の意識がリンゴと紅茶に向いてる間に、イグニスは黙々とアップルパイを仕上げていった。
成形したものを順番にオーブンへと入れてスタートボタンを押す。
あとは無事に焼ければ完成だ。
キッチンの片付けを始めた途端にバタバタと騒がしい足音が外から聞こえてきた。
「へっへーん!僕が1番だよー!」
「あーっ!ズルいぞ、オニオンナイトー!!忍者になるのは反則だってー!」
オニオンナイトとパロムが勢い良く食堂の中へと駆け込んでくる。
それに続いてエーコ、ポロム、少し遅れてビビがやってきた。
「ちょっ、…!二人、とも、…!速すぎっ…、だから…!!」
「もっ、もう…!ダメっ…!息がっ…!」
「ううぅ…みんな…置いてかないでよ…」
子ども達は雪崩れ込むようにしてカウンターの前まで来ると、少女の足元の辺りに座り込んだ。
「…あれっ、ティナおねーちゃん、もうリンゴ食べてるの?」
目敏くビビがカウンターの上の皿に気付く。
「うん、イグニスから貰ったの。うさぎの形をしてるんだよ」
少女は――ティナは、そう言うと楽しそうにニッコリと微笑んだ。
瞬間、オニオンナイトの目が鋭くイグニスを睨み付ける。これは何だか嫌な予感がした。
「みんなの分も用意してある」
特別な意味はないのだと、まるで言い訳をするかのような言葉が自然と口をついて出る。
もちろん本当に変な意味はないのだが――。
イグニスは人数分のうさぎリンゴを取り分けて、労いのリンゴジュースを配る。
「あのねぇ、いつも言ってることだけどさ、ティナ?知らない人とすぐに打ち解けちゃダメだってば。もっと警戒心を持ってよね。相手が男なら尚更!男はみんな狼なんだよ?」
「オオカミ?」
幼い子どもに諭すかのような口調でオニオンナイトはティナに説教のようなものをし始める。
内容は若干、いや大分おかしいのだが。
「イグニスは狼なの?」
「…。それを俺に聞くのか?」
「本人に聞くのが一番だと思って。違うの?」
心底意味が分からない、という表情でティナは首を傾げている。
堪らずにエーコが話に割って入ってきた。
「もう!オニオンナイトはいつになったら乙女心が分かるのよ!っていうか、ティナの心がいつになったら分かるのよ!本当にニブチンなんだから!」
「にぶっ…!」
自分よりも年下のエーコに鈍いと言われてオニオンナイトは相当へこんでいるようだ。
「ティナ、にーちゃんなら大丈夫だよ。優しいしさ、何でも出来るからな!」
何が大丈夫なんだろうかと問いかけたい気持ちをイグニスはグッと堪えた。
説教されている当の本人は、狼じゃなかったら何なんだろう、キツネかな、うーん、でも猫っぽいかも、と一人でブツブツ呟いている。
…成程、何となくこの少女がどういう扱いを皆から受けてるのか想像がついてきた。
「イグニスにーちゃん、ティナは色んなこと何にも知らないんだ。にーちゃんは色んなことたくさん知ってるだろ?」
「さぁ。どうだろうな」
「少なくともオニオンナイトよりは上手く物事をティナに教えられると思いますわ」
「は?僕だってちゃんと出来るよ!」
パロムとポロムの言葉にオニオンナイトがすぐさま反論をする。
そんな三人を見てビビがまぁまぁ、と宥めていた。
「そんな訳で、にーちゃん!ティナと仲良くしてあげてよ」
「仲良く、って」
急にそんなことを言われても…、と困ったようにイグニスは腕組みをして不思議な少女を見やる。
ティナと目が合うと、彼女はニッコリと人懐っこく笑った。
「やっぱり犬かな」
「…。とりあえず狼の話は一旦忘れてくれないか」
「うん?」
ちょうどその時、オーブンの終わりを告げる音が甲高く鳴った。食堂にはアップルパイの甘い匂いが充満している。
「焼けたみたいだな」
キッチンの中へと戻ろうとするイグニスの手を、エーコがグイッと引っ張って無理矢理かがませた。
「イグニス、あのね。ティナは恋を知らないんだって。…人を好きになることを知らないの。だから、イグニスが教えてあげて。絶対よ!」
耳元で小さく囁かれた言葉に、イグニスは思いがけず瞬きをする。
エーコは何事もなかったかのようにパッと離れて食堂の椅子に座った。
「エーコ、お腹空いた!早くアップルパイ食べようよ」
その声を待っていたかのように子ども達が一斉におやつの催促をし始める。
オーブンから取り出した焼きたてのアップルパイをどう切り分けようか、と考えつつ、イグニスはエーコに言われた言葉をどう捉えていいのか分からず人知れず溜め息をついたのだった。
リンゴの甘酸っぱい匂いと、砂糖の甘ったるい匂い。 そこに少しだけ、シナモンの香りが混じる。
アップルパイの中に入れるフィリングを作るのとリンゴを切るのを同時進行で器用にこなしていたイグニスは、自分に向けられている真っ直ぐな視線に気が気じゃなかった。
食堂のキッチンがカウンターキッチンだったことをこれほどまでに恨んだことはない。
正直言って彼女に見られているのはやりづらかった。
ニコニコと楽しそうに調理の様子を眺めている少女は、時折自分と目が合うと『スゴいね』と誉めてくれる。
その度に一瞬、本当にわずかだが包丁の動きが止まる。
――ああ、やりづらい。
何か彼女の視線を逸らせるものはないだろうか、と考える。
考えた末に、イグニスは少女の前に小皿を一枚置いた。
「?」
皿の上に切ったリンゴを乗せる。
リンゴには少しだけ皮が残っていて、まるで長い耳のように見えた。
「…もしかしてこれ、うさぎ?」
少女はそれに気が付くとキラキラとした目でイグニスに聞いた。
自分が思っていたのとやや違う反応が返ってきて、少々返答に困る。
"懐かしい"
そういう言葉を想定していたはずなのに。
「食べたことないのか?」
「ない…、かな?」
随分と曖昧な返事だった。
リンゴで作ったうさぎなんて誰しも一度は小さい頃に食べてるものだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
「食べていいの?」
「どうぞ」
そう言ってあと2つほど彼女の皿にうさぎリンゴを乗せる。
「たくさん切ったから」
ボウルの中には確かにたくさんのうさぎリンゴが入っていた。それを見て彼女は朗らかに笑う。
少女は嬉しそうにリンゴを頬張った。齧る度にシャクシャクと小気味いい音がする。
リンゴよりも、彼女の方がよっぽどうさぎのように見えた。
リンゴを置いた皿の隣にイグニスは花柄のティーカップを置く。薄く切ったリンゴと蜂蜜を入れた紅茶だ。
それもまた彼女は嬉しそうに見つめている。彼女の意識がリンゴと紅茶に向いてる間に、イグニスは黙々とアップルパイを仕上げていった。
成形したものを順番にオーブンへと入れてスタートボタンを押す。
あとは無事に焼ければ完成だ。
キッチンの片付けを始めた途端にバタバタと騒がしい足音が外から聞こえてきた。
「へっへーん!僕が1番だよー!」
「あーっ!ズルいぞ、オニオンナイトー!!忍者になるのは反則だってー!」
オニオンナイトとパロムが勢い良く食堂の中へと駆け込んでくる。
それに続いてエーコ、ポロム、少し遅れてビビがやってきた。
「ちょっ、…!二人、とも、…!速すぎっ…、だから…!!」
「もっ、もう…!ダメっ…!息がっ…!」
「ううぅ…みんな…置いてかないでよ…」
子ども達は雪崩れ込むようにしてカウンターの前まで来ると、少女の足元の辺りに座り込んだ。
「…あれっ、ティナおねーちゃん、もうリンゴ食べてるの?」
目敏くビビがカウンターの上の皿に気付く。
「うん、イグニスから貰ったの。うさぎの形をしてるんだよ」
少女は――ティナは、そう言うと楽しそうにニッコリと微笑んだ。
瞬間、オニオンナイトの目が鋭くイグニスを睨み付ける。これは何だか嫌な予感がした。
「みんなの分も用意してある」
特別な意味はないのだと、まるで言い訳をするかのような言葉が自然と口をついて出る。
もちろん本当に変な意味はないのだが――。
イグニスは人数分のうさぎリンゴを取り分けて、労いのリンゴジュースを配る。
「あのねぇ、いつも言ってることだけどさ、ティナ?知らない人とすぐに打ち解けちゃダメだってば。もっと警戒心を持ってよね。相手が男なら尚更!男はみんな狼なんだよ?」
「オオカミ?」
幼い子どもに諭すかのような口調でオニオンナイトはティナに説教のようなものをし始める。
内容は若干、いや大分おかしいのだが。
「イグニスは狼なの?」
「…。それを俺に聞くのか?」
「本人に聞くのが一番だと思って。違うの?」
心底意味が分からない、という表情でティナは首を傾げている。
堪らずにエーコが話に割って入ってきた。
「もう!オニオンナイトはいつになったら乙女心が分かるのよ!っていうか、ティナの心がいつになったら分かるのよ!本当にニブチンなんだから!」
「にぶっ…!」
自分よりも年下のエーコに鈍いと言われてオニオンナイトは相当へこんでいるようだ。
「ティナ、にーちゃんなら大丈夫だよ。優しいしさ、何でも出来るからな!」
何が大丈夫なんだろうかと問いかけたい気持ちをイグニスはグッと堪えた。
説教されている当の本人は、狼じゃなかったら何なんだろう、キツネかな、うーん、でも猫っぽいかも、と一人でブツブツ呟いている。
…成程、何となくこの少女がどういう扱いを皆から受けてるのか想像がついてきた。
「イグニスにーちゃん、ティナは色んなこと何にも知らないんだ。にーちゃんは色んなことたくさん知ってるだろ?」
「さぁ。どうだろうな」
「少なくともオニオンナイトよりは上手く物事をティナに教えられると思いますわ」
「は?僕だってちゃんと出来るよ!」
パロムとポロムの言葉にオニオンナイトがすぐさま反論をする。
そんな三人を見てビビがまぁまぁ、と宥めていた。
「そんな訳で、にーちゃん!ティナと仲良くしてあげてよ」
「仲良く、って」
急にそんなことを言われても…、と困ったようにイグニスは腕組みをして不思議な少女を見やる。
ティナと目が合うと、彼女はニッコリと人懐っこく笑った。
「やっぱり犬かな」
「…。とりあえず狼の話は一旦忘れてくれないか」
「うん?」
ちょうどその時、オーブンの終わりを告げる音が甲高く鳴った。食堂にはアップルパイの甘い匂いが充満している。
「焼けたみたいだな」
キッチンの中へと戻ろうとするイグニスの手を、エーコがグイッと引っ張って無理矢理かがませた。
「イグニス、あのね。ティナは恋を知らないんだって。…人を好きになることを知らないの。だから、イグニスが教えてあげて。絶対よ!」
耳元で小さく囁かれた言葉に、イグニスは思いがけず瞬きをする。
エーコは何事もなかったかのようにパッと離れて食堂の椅子に座った。
「エーコ、お腹空いた!早くアップルパイ食べようよ」
その声を待っていたかのように子ども達が一斉におやつの催促をし始める。
オーブンから取り出した焼きたてのアップルパイをどう切り分けようか、と考えつつ、イグニスはエーコに言われた言葉をどう捉えていいのか分からず人知れず溜め息をついたのだった。