【第一集】異世界クッキング、始めました。

 次の日の朝。子ども達は元気に食堂へとやってきた。

「イグニスにーちゃん!おはよう!」
「おはようございます、イグニス様」
「イグニスおにーちゃん、おはよ〜」
「イグニス、おっはよー!」

 パロム、ポロム、ビビ、エーコのいつものメンバーが仲良く揃って食堂の主へと挨拶をする。
 食堂にはチラホラとまばらに人が居たが、まだ早い時間帯ということもあって朝食の給仕はそこまで忙しくはない。
 カウンターの椅子で本を読みながら珈琲を飲んでいたイグニスは、賑やかな子ども達を快く出迎えた。

「おはよう。さすがに今日はみんな早いな。いま朝食を持ってくるから席に座っててくれ」
「「「「はーい!」」」」

 四人は元気良く返事をすると、大体決まったいつもの場所へと各々席を取る。
 三人分のパンとスープ、四人分の飲み物が運ばれてくるとみんなは食事の前の挨拶も早々にすぐに食べ始めた。

「アップルパイ、楽しみだねぇ」
「エーコ、アップルパイ大好きだからたくさん作ってね!約束よ!」
「じゃあ頑張ってみんながリンゴをたくさん取って来ないとな」

 そう言ってから、ふと懸念すべき事項に気が付く。

「四人いるとはいえかなり重くなると思うが…お前達だけで持って帰ってこれるか?」

 仲間の人数分のアップルパイを焼くとなると最低でも四十個から五十個ほどのリンゴが必要になるだろう。
 子ども四人で手分けして持ったとしても、かなりの量と重さだ。

「大丈夫!ちゃんと助っ人を頼んだからさ!」
「喜んで引き受けてくれましたわ」

 パロムとポロムが顔を見合わせてニンマリと笑う。

「そうか。それなら俺はここで出来るだけ準備を進めておくから、帰ってきたらすぐにリンゴを持ってきてくれ」
「うん、分かったよ」

 食事をしている三人に代わってビビが返事をする。
 子ども達と話をしているうちに食堂には徐々に人が集まり始めていた。本格的に朝食の準備をする時間である。
 食事が終わると子ども達は一目散に外へと飛び出していった。その後ろ姿をしっかり見送ってからイグニスもキッチンへと戻っていく。

 そこから暫くは忙しい時間が続いた。夕食ほどではないとはいえ、百人近い仲間の食事を一人で用意するのは大変な作業だ。
 時々手伝いを申し出てくれる者も居たが自分の作りたい料理が他の世界にはそもそも存在しないことも良くあり、指示よりも説明の方が長くなってしまうので調理の手伝いは次第に断るようになってしまった。
 そこは結局、一人でやる方が気楽だと思うことにしている。

「ふぁ…っ…、…朝からホント良くやるよな…、お前…」
「ノクトか。おはよう」

 欠伸をしながらやってきたノクティスがキッチンの方へと顔を出す。

「眠そうだな。睡眠は足りてるのか?」
「ん…、昨日はちょっと…。プロンプトと話してたら寝るのが遅くなって。…わりぃ、珈琲淹れて」
「任務がないとはいえ夜更かしはあまり感心しないな」

 イグニスは呆れた顔で珈琲の入ったカップをノクティスへと手渡した。

「分かってるって…。ああ…、そういや今日お前暇だろ。これからノエル達と一緒に釣りに行くんだけど、来るか?」
「生憎…、今日は子ども達との約束が入ってる。アップルパイを焼く予定だ。たくさん作るからお前たちも後で来ると良い」
「へぇ、アップルパイか」

 一瞬だけノクティスの顔が明るくなった。

「なら後で顔出すわ」

 そう言うと珈琲を飲みながらノクティスはプロンプトの居る席の方へと戻っていく。
 イグニスも落ち着き始めた食堂の様子を眺めながら、まだ残っていた冷めた珈琲を飲み干した。


 朝食の片付けが一段落する頃。食堂には誰も居なくなっていた。

 基本的に昼間はみんな何処かへ出払っているのが普通だ。半分くらいの仲間達はリーダーであるウォーリアーオブライトからの指示を受け、哨戒や探索の任務で飛空艇を降り外へと出て行く。
 残った者達の行動にも特に縛りはなく、自己鍛練をする者、休息を取る者、他の仲間との交流を深める者など各々が好きに時間を使っていた。

 そんな感じで昼間はみんなバラバラに行動をしているので基本的に食事を作らない。
 そもそもこの世界では何故か空腹を感じないので本当は何も食べなくても平気で何日も過ごせるのだ。
 ここでの食事は生きるための"手段"ではない。ただの"娯楽"だ。娯楽以外の何ものでもない。
 実は全く食べなくても死ぬことはないと神が言っていた。
 死ぬことはないが、しかし食べることが好きな者にとって食事のない生活はある意味で死活問題だった。お菓子を食べるのが好きな者もお茶をするのが好きな者も、その想いは同じだった。

 だからこの飛空艇には食堂がある。異世界での数少ない娯楽を求めて、朝と夜だけみんなは食堂へと集うのだ。
 そういう娯楽に付き合うのもたまには悪くない。…自分も随分と異世界の理に毒されてきたのだろう。

 子ども達が帰ってくるまでの間、イグニスはいつものカウンターの所で本の続きを読むことにする。
 淹れ直した珈琲からはまだ湯気が幾分か出ていた。
 食事と同じでこの世界に"季節"という概念は存在しない。気候というものは存在するので晴れや雨、暑さや寒さなどの違いはあれど、それはある一定の地域だけに限られる。
 雪の場所ではずっと雪が降っているし、夏のような暑さの場所ではずっと暑いままだ。

 ちょうど今、飛空艇の停泊している場所は穏やかな春のような気候の地域だったので、日中予定のない者は特にやることがなくても外に出て周辺を散策していることが多い。
 今日のように予定さえなければイグニスも外へ出て気の赴くままに食材探しに出掛けていたことだろう。

 本のページを捲る音だけが、規則的に響く。
 静まり返った食堂の中には暖かな陽の光が注がれていた。
 それだけで、イグニスの眠気を誘うには十分だった。


――子ども達が出ていってからどれくらい経っただろうか?


 はっきりしない頭で考えてみるが、答えは出ない。

 少しだけ、と目を瞑る。



 …意識が落ちるまでにそう時間はかからなかった。
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