【第一集】異世界クッキング、始めました。
最初のきっかけはパロムの何気無い一言だった。
「なぁ!イグニスにーちゃん!」
食堂で夕食の後片付けをしていたイグニスの元へ今にも突撃せんばかりの勢いでパロムが駆け寄ってきた。
その小さな手には真っ赤なリンゴが握りしめられている。
「どうしたパロム。何かあったのか?」
「あったよ、あった!リンゴの木があったんだ!たくさん実がなっててさ!みんなで遊んでるときに見つけたんだ!」
そう言うとパロムは得意気にリンゴをイグニスの方へと差し出して、ニカッと笑った。
「リンゴか。これは美味しそうだな」
「そうだろ!なぁ、明日これエーコやビビ達とたくさん取ってくるからさ!」
パロムの顔が何かを期待するようにワクワクとほころんでいる。
「このリンゴで何か美味しいもの作ってよ!」
「――あっ、パロム!こらっ!」
今度はパロムの双子の姉のポロムが食堂の中へとやってきて、すぐさまパロムの頭に拳骨を落とした。
「――いっ!…っだーーー!なにすんだよー!」
「いつも人様に迷惑かけちゃダメだって言ってるでしょ!…イグニス様すいません、弟が無理を言って」
パロムの頭を押さえつけながらポロムがイグニスに向かって丁寧な謝罪をする。
まだ小さいのに、良く出来た子どもだ。…少々手荒なのが引っかかるが。
「いや、いいんだポロム。料理を作って欲しいと頼まれただけだから。そうだな…」
イグニスはパロムからリンゴを受け取るとその重さと匂いを確かめる。
実は程よく全体的に熟れていてお菓子を作るのにはちょうど良さそうだった。
「たくさん取ってきてくれたらこれでアップルパイでも作ろう」
「「アップルパイ!」」
パロムとポロムの歓喜の声が食堂中に響き渡る。声がピッタリ重なっているのはさすが双子だ。
まだ食堂に残っていた者達は何事かと不思議そうな顔をしてこちらの様子を窺っている。
「任せて!根こそぎ全部取ってきてやるよ!」
「私も手伝いますわ!」
いつの間にかパロムを嗜めていたハズのポロムまでやる気になっていた。どうやら子どもがお菓子を好きなのは何処の世界でも共通の理のようである。
自分にとって料理とは出来て当たり前のものだ。もはや趣味と言っても良い。
それを特別凄いことだとは思わないし、『美味い』と感想を貰うことはあっても『凄い』と誉められることはあまりない。
仕えるべき主のため、健康管理という名目のもとに一通りの食材の調理法とレシピを教え込まれていただけで、まさかその知識が異世界に来てからこんなにも役に立つとは思わなかった。
大した苦労もせず異世界の仲間たちと自然に打ち解けられたのも、ここまで子ども達に慕われるようになったのも、食堂で料理番をするようになってからのことのように思う。
「じゃあ、にーちゃん!約束したからな!絶対に忘れるなよ!」
「明日、楽しみにしてますわ。おやすみなさいませ、イグニス様」
「ああ、おやすみ」
元気良く食堂から駆け出していく二人の後ろ姿にイグニスは軽く手を振る。
「――案外優しいのね」
クス…、とやや大人びた笑い声が背後から聞こえてきて振り向くとヤ・シュトラが面白そうにこちらを見ていた。
「子どもは苦手なのかと思ってたわ」
「子どもの扱いは心得ているつもりだ。子どもに近い奴が仲間にいるからな」
溜め息まじりに、ふと、イグニスは自分の主君の顔を思い出す。
「ふふっ、それは何処の王子様のことかしら?」
「さあな。誰のことだろうか。…珈琲を飲みに来たんだろ?」
「ええ、お願いできるかしら」
「すぐに淹れるからそこに座っててくれ」
そう言うとイグニスはカウンターキッチンに備え付けてある椅子を指差した。
キッチンの中の様子が良く見えるこの席は給仕を受ける側にとっては最高の場所だ。
慣れた手つきで珈琲の準備をするここの食堂の主は、幼い頃から執事としての教育を受けただけのことはある優雅さと気品をその仕草の中に持っていた。
所作の一つ一つの丁寧さと美しさに思わず見惚れる程である。
「貴方ってホント良い男よね」
「――は?」
ヤ・シュトラの言葉にイグニスは怪訝そうな顔をしたが、それ以上は特に気にする様子もなくお湯を沸かし始める。
(自覚がないのも面白いわね)
珈琲の薫りが辺りにふんわりと立ち込めると、少ししてからヤ・シュトラの前には温かい珈琲の入った白いカップが置かれた。
注ぎ口の付いている小さな陶器と籠に盛られた角砂糖のセットもすぐに隣へ添えられる。
珈琲はブラック派なので別に出さなくても良いと何度か断ったこともあるが、『いつもブラックが飲みたいとは限らないから』と言ってご丁寧に毎度ミルクと砂糖を出してくる妙な真面目さには不思議と好感が持てた。
そういう細やかな気遣いが出来る彼は老若男女みんなから慕われているのだが、本人は単に料理が出来るおかげだと思っている節がある。
どうやら相手から持たれる感情に対しては少々鈍いらしい。
「飲み終わったらそのままにしておいてくれ。後で片付けておくから」
「ありがとう。お言葉に甘えるわ」
やりかけだった食堂の後片付けをイグニスは再開させる。
今やるべき事を出来るだけ早めに終わらせて明日の食材の準備をしたかった。
約束したからには変なものを作るわけにはいかない。レシピ本も書庫で一度しっかりと確認しておきたいところではある。
そう考えながらてきぱきと手際よく動き回る男の姿をヤ・シュトラはお茶請け代わりに暫く楽しそうに眺めていた。
「なぁ!イグニスにーちゃん!」
食堂で夕食の後片付けをしていたイグニスの元へ今にも突撃せんばかりの勢いでパロムが駆け寄ってきた。
その小さな手には真っ赤なリンゴが握りしめられている。
「どうしたパロム。何かあったのか?」
「あったよ、あった!リンゴの木があったんだ!たくさん実がなっててさ!みんなで遊んでるときに見つけたんだ!」
そう言うとパロムは得意気にリンゴをイグニスの方へと差し出して、ニカッと笑った。
「リンゴか。これは美味しそうだな」
「そうだろ!なぁ、明日これエーコやビビ達とたくさん取ってくるからさ!」
パロムの顔が何かを期待するようにワクワクとほころんでいる。
「このリンゴで何か美味しいもの作ってよ!」
「――あっ、パロム!こらっ!」
今度はパロムの双子の姉のポロムが食堂の中へとやってきて、すぐさまパロムの頭に拳骨を落とした。
「――いっ!…っだーーー!なにすんだよー!」
「いつも人様に迷惑かけちゃダメだって言ってるでしょ!…イグニス様すいません、弟が無理を言って」
パロムの頭を押さえつけながらポロムがイグニスに向かって丁寧な謝罪をする。
まだ小さいのに、良く出来た子どもだ。…少々手荒なのが引っかかるが。
「いや、いいんだポロム。料理を作って欲しいと頼まれただけだから。そうだな…」
イグニスはパロムからリンゴを受け取るとその重さと匂いを確かめる。
実は程よく全体的に熟れていてお菓子を作るのにはちょうど良さそうだった。
「たくさん取ってきてくれたらこれでアップルパイでも作ろう」
「「アップルパイ!」」
パロムとポロムの歓喜の声が食堂中に響き渡る。声がピッタリ重なっているのはさすが双子だ。
まだ食堂に残っていた者達は何事かと不思議そうな顔をしてこちらの様子を窺っている。
「任せて!根こそぎ全部取ってきてやるよ!」
「私も手伝いますわ!」
いつの間にかパロムを嗜めていたハズのポロムまでやる気になっていた。どうやら子どもがお菓子を好きなのは何処の世界でも共通の理のようである。
自分にとって料理とは出来て当たり前のものだ。もはや趣味と言っても良い。
それを特別凄いことだとは思わないし、『美味い』と感想を貰うことはあっても『凄い』と誉められることはあまりない。
仕えるべき主のため、健康管理という名目のもとに一通りの食材の調理法とレシピを教え込まれていただけで、まさかその知識が異世界に来てからこんなにも役に立つとは思わなかった。
大した苦労もせず異世界の仲間たちと自然に打ち解けられたのも、ここまで子ども達に慕われるようになったのも、食堂で料理番をするようになってからのことのように思う。
「じゃあ、にーちゃん!約束したからな!絶対に忘れるなよ!」
「明日、楽しみにしてますわ。おやすみなさいませ、イグニス様」
「ああ、おやすみ」
元気良く食堂から駆け出していく二人の後ろ姿にイグニスは軽く手を振る。
「――案外優しいのね」
クス…、とやや大人びた笑い声が背後から聞こえてきて振り向くとヤ・シュトラが面白そうにこちらを見ていた。
「子どもは苦手なのかと思ってたわ」
「子どもの扱いは心得ているつもりだ。子どもに近い奴が仲間にいるからな」
溜め息まじりに、ふと、イグニスは自分の主君の顔を思い出す。
「ふふっ、それは何処の王子様のことかしら?」
「さあな。誰のことだろうか。…珈琲を飲みに来たんだろ?」
「ええ、お願いできるかしら」
「すぐに淹れるからそこに座っててくれ」
そう言うとイグニスはカウンターキッチンに備え付けてある椅子を指差した。
キッチンの中の様子が良く見えるこの席は給仕を受ける側にとっては最高の場所だ。
慣れた手つきで珈琲の準備をするここの食堂の主は、幼い頃から執事としての教育を受けただけのことはある優雅さと気品をその仕草の中に持っていた。
所作の一つ一つの丁寧さと美しさに思わず見惚れる程である。
「貴方ってホント良い男よね」
「――は?」
ヤ・シュトラの言葉にイグニスは怪訝そうな顔をしたが、それ以上は特に気にする様子もなくお湯を沸かし始める。
(自覚がないのも面白いわね)
珈琲の薫りが辺りにふんわりと立ち込めると、少ししてからヤ・シュトラの前には温かい珈琲の入った白いカップが置かれた。
注ぎ口の付いている小さな陶器と籠に盛られた角砂糖のセットもすぐに隣へ添えられる。
珈琲はブラック派なので別に出さなくても良いと何度か断ったこともあるが、『いつもブラックが飲みたいとは限らないから』と言ってご丁寧に毎度ミルクと砂糖を出してくる妙な真面目さには不思議と好感が持てた。
そういう細やかな気遣いが出来る彼は老若男女みんなから慕われているのだが、本人は単に料理が出来るおかげだと思っている節がある。
どうやら相手から持たれる感情に対しては少々鈍いらしい。
「飲み終わったらそのままにしておいてくれ。後で片付けておくから」
「ありがとう。お言葉に甘えるわ」
やりかけだった食堂の後片付けをイグニスは再開させる。
今やるべき事を出来るだけ早めに終わらせて明日の食材の準備をしたかった。
約束したからには変なものを作るわけにはいかない。レシピ本も書庫で一度しっかりと確認しておきたいところではある。
そう考えながらてきぱきと手際よく動き回る男の姿をヤ・シュトラはお茶請け代わりに暫く楽しそうに眺めていた。