【第三集】イケナイ思惑。

「…5秒数えたら走り出せ。良いな?」


――5、4。

 エーコが深呼吸をする。


――3、2。

 イグニスは眼鏡をスッ、と片手で直した。


―…1。


 エーコが走り出すのと、イグニスが召喚した槍でスケルトン達を五体まとめて地面へと薙ぎ倒したのはほとんど同時だった。
 無事に開けた道を走り去っていくエーコの後ろ姿を見てホッとするのも束の間、スケルトンの身体はみるみる内に形を成してその数は一気に十四体にまで膨れ上がる。

 こちら側から敵意を露にした途端、スケルトン達の動きが急に機敏になって容赦なく斬撃を繰り出してくる。
 槍で幾つもの剣を一度に受け止め、それを跳ね返し、間違っても身体をバラバラにしないよう槍を振るう際の風圧だけでスケルトン達との間合いを取った。

 何処かに攻撃の隙はないかと探しているうちにスケルトン同士がもつれ合って倒れ込み、勝手にバラバラになった二体が四体に増える。

(…これで十六体…!)

 背後に迫っていたスケルトンの一閃をかわした刹那、真正面から斬り込んできた斬撃を避けきれずに剣はイグニスの右頬を掠めて鮮血が地面へと飛び散った。


 エーコとティナはちゃんと合流出来ただろうか?少しは遠くへ逃げられただろうか?


 槍を握る手にググッ、と力を込める。
 相手からの次の一閃で、全力を出す――そう決めた。増殖は覚悟の上だ。

 振り切って逃げれるだけの隙さえ生まれれば良い。遺跡の近くまで走れば他の仲間が居るだろう。後の事はその時考えればいい。
 斜め後方からスケルトンが斬りかかってくる気配がする。…これが合図だ。この攻撃を防いだ後に反撃に出る――そう決めたとき。

 視界の端にチカチカと煌めく"何か"が見えた。


――光だ。


 薄い紫色のような光が周辺一帯を包み込んで行く。肌にピリピリとした不思議な痛みを感じてそちらに気を取られていると、スケルトンの斬り込みに対して反応がやや遅れてしまった。

(…マズイ…!)

 今更槍を構えても遅い程の間合いへの侵入を相手に許してしまう。
 勢い良く振り下ろされた剣はもはや眼前まで迫っていた。咄嗟に顔を庇おうとして腕を前に出す。


 "星よ"


――声が聞こえた。


 "降り注いで"


――凛とした美しい声だった。


 激しい光と音――衝撃――そして、大きな振動。

 突如として無数の隕石の欠片が空から降り注ぎ、スケルトン達は次々に地面へと倒れていく。
 バラバラに散らばった骨までをも砕き潰す強大な魔力が一気に放出されて突風が巻き起こり、砂塵のように砕けた骨は散り散りに空へと舞い上がって霧散する。

 呆然と立ち尽くしているイグニスの周りにはもはや骨の欠片一つ残ってはいない。
 魔力の風が静かにそよいでいるだけだった。

 ふふ…、と小さく笑う声がして、イグニスはすぐに振り返る。

「イグニス、大丈夫よ。あなたのことは私が守るわ」

 …そう言われて思わず息を飲んだ。
 ニコリと優しく微笑んでいる少女は自分より遥かに年下なのに、まるで慈愛に満ちた美しい天使のように穏やかな顔をしている。

 何処か頼りたくなるような、すがり付きたくなるような奇妙な焦燥感に駆られてイグニスはほんの少しだけ苦しげな表情を浮かべた。

「……ああ、その顔は」

 この間もしてたね、と心配そうにティナが呟く。

「…この間?」
「ほら、アップルパイを食べたとき。ノクトがお菓子を作って欲しいって言ったときかな…?」

 何となく心当たりがあってイグニスは『ああ…』と小さな声を上げる。
 続けて何か言おうとしたが、その前にパタパタと駆けてくる足音が聞こえてきたので開きかけた口をそのまま閉じた。

「―…イグニスっ!!」

 エーコがやって来て自分の身体にギュッとしがみついてくる。
 優しくポンポンと頭を撫でてやればますます腕の力を強くされて少々苦しかった。

「エーコ……頼む。少し加減してくれ」

 こほん、とわざとらしく咳き込んでやると、バッ、とエーコは顔を上げてそれからやや表情を強張らせた。

「イグニス…その頬の傷…大変じゃない!」
「え?……ああそういえば」

 確認の為に頬を撫でようとしたら服の裾をエーコに突然引っ張られて『うぐっ』と間抜けな声が出る。

「早くしゃがんで!エーコがケアルしてあげる!」
「分かった、分かったから」

 イグニスがエーコの前に膝を付いて屈むとすぐに両頬を小さな手で包まれてケアルをかけられた。
 そんな二人の微笑ましいやり取りを見てティナはクスクスと笑っている。
 そういえば助けてくれたお礼をまだ言ってなかったことに気が付いたイグニスは、視線だけをティナの方へと向けた。

「ティナ…、さっきは本当に助かった。ありがとう。君は命の恩人だな」
「ううん、どういたしまして。守るって約束したしね」

 そう言ってティナはやんわり笑うと、イグニスの元へと近付いていって膝を付き、左手をギュッと握り締めてくる。

「…てぃ、…ティナ?何を…」

 少女の突然の行動に動揺して少し声が上擦る。

「こっちの手、怪我してるでしょ?私もケアルするね」

 掌から伝わってくるじわじわとした温かな熱はケアルから発する魔力の熱か――それとも彼女自身の熱か。
 その光景を直視することに堪えきれなくなって視線を右側に逸らすと、不意にエーコと目が合った。
 エーコはにんまりと笑ってこの間のように耳打ちをしてくる。

「イグニスもティナのこと好きになった?」
「これは………違うんだ」
「でもティナ可愛いでしょ?」
「………それは。…………まぁ、そうだな」

 例えそうでなくても"可愛くない"とは言えないが。

「イグニスとティナ、良いと思うけどなぁ」
「…そういうことは安易に言うもんじゃない。プロンプトのような奴ならすぐ本気にするぞ」
「プロンプトがどうかしたの?」

 どうやら治療を終えたらしい彼女がニコニコとこちらを見ていた。何でもない、と慌てて誤魔化す前にエーコが突然立ち上がる。

「ねぇ!帰りはみんなで手を繋いで帰ろうよ!エーコ、一度で良いからやってみたかったの」

 エーコはそう言うと右手でイグニスの手を、左手でティナの手を握ってとびっきりの笑顔を浮かべた。

 …もちろん、その笑顔の裏側には二人をくっつけてやろうというイケナイ思惑があったのだが。

「エーコ、パパもママも知らないから…。今だけ二人がパパとママになって、お願い!」

 小さな子どもにそう言われたら無下には断れない性分の二人は、顔を見合わせてお互いに困ったように肩を竦めた。

「ふふ、甘えん坊さん」
「…今だけだからな」

 それぞれ立ち上がり、エーコに向かって二人が笑いかける。

「……あ…」


(何か…今……)


 一瞬、本当に二人がパパとママに見えた。
 じんわりと小さな視界が滲んでくる。


 右の手は、大きくて力強くて安心感があった。

 左の手は、小さいけど優しくてとても温かい。

 
 もし、エーコのパパとママが生きていたら。こんな風に三人で仲良く手を繋ぐことも出来たのだろうか。
 自分が一人ぼっちになることもなかったのだろうか。

 この二人が本当にパパとママになってくれたら良いのに、と幼い少女は密かに想う。


 帰り道は少しだけ遠回りをして三人で手を繋ぎながら遺跡までの道程をゆっくり帰った。
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