日々のつぶやき

〝読み切り裏話〟について

2024/02/25 17:45
〝読み切り裏話〟について

 こんにちは。


 いきなりですが、

〝あれ〟をどう受け止めるか。


 そのことについて書いてみたいと思います。



 ◇



 昨日(2024/02/24)、原作者先生(以下、先生)と奥様によるYouTubeでの配信がありました。1月末にジャンプ本誌に掲載されたアイシの特別読み切りについて語るというテーマでした。
 配信開始まで獺祭でいっぱいやっておられたという先生。奥様と丁丁発止の掛け合いを見せながら様々な裏話を聞かせてくださいました。

 以下、「」内は先生のお言葉です。

「21周年記念をやろうという話は1年くらい前からしていた」
「やるならファンへの感謝として」
「ではファンが何を見たいと思っているか」
「マスの部分がそれ! と思ってくれるのはやはりセナとヒル魔の対決だろう」

 先生は担当さんとそんな話をしていらしたようです。

 お話は次第にコミックスの最終巻、最終話の話題に移ります。

「大学のトップと社会人のトップがぶつかるのがライスボウル」

 そうですね。
 栗田とヒル魔とムサシ、別々の道を行くことで〝これからは三国志だ〟ということになりました。

 ところが。

 2021年度にライスボウルはルールに大きな変更がありました。
 〝社会人対学生〟ではなく、
 〝社会人対社会人〟の試合へ、という転換です。
 ここに先生の言及は続きます。

「ではアイシはどうなるの(という問題がある)」
「作中の世界ではどうなるの」
「読み切りだとこの点が説明しきれない」

 そして。

「ムサシが顔を出すとこの問題が出てくる」

「この問題、(すなわち)ノイズが出てくる」



 そこで、先生はムサシを



「ややこしいから出せなかった」



 とおっしゃいます。



 そうおっしゃいました。



 言うまでもなくムサシは泥門高校を卒業後、武蔵工バベルズというクラブチームを創立しています。キッドや峨王とともに。
 そのキッドや峨王は、読み切りではスタンドにいる場面が描かれていました。
 これについて先生がおっしゃるには

「(彼らは)読み手にとって、どういう進路を選んだかよく分からないだろう。だから出しても大丈夫だろう」(ムサシや社会人チームを読み手に連想させるようなキャラではない。従って出しても問題はない、ということのようです。)

 そしてなおも先生は続けます。

「赤羽、コータローはキックチームのシンボル」

「彼らを出してしまうとどうしてもそこからムサシへと(読み手の)連想が行ってしまう。だから(ムサシだけでなく赤羽もコータローも)出さなかった」



 上記のまとめとして、先生は言っておられます。
「(ライスボウルのルールが変わったことで)社会人リーグを出すと色んな問題がある。だから(ムサシたちは)出さなかった」



 この後、ある方の質問に先生は答えておられました。読み切りに登場しなかったデビルバッツのメンバーはどうしているの? というご質問でした。

「小結はバベルズ。読み切りの最後のプレーで(炎馬の一員として)出てきたのはよく似た別人」

「雪光は医大」

「黒木と戸叶はバベルズ」

「十文字にしゃべらせると黒木戸叶はどうなのということになる(だからしゃべらせなかった)」

 そう話してくださいました。

「コミックス1冊分書けたら良かったんだけど……」
 とも。



 奥様からも質問がありました。
 結局、読み切りではセナとヒル魔どっちが勝ったの? と。

 それに対する先生の答えは。

「あはは。対決することが大事だからね笑」
「(完成画を見たら)いい感じに分かんない感じで良かった」
「6:4でセナが抜いた……かな?笑」

 先生のお話は上記のように進んでいきました。





 以前の日記で、私はこの特別読み切りについて自分なりの思いを書きました。
 ひとつはセナとヒル魔の対決について。
 これはセナの勝利に終わったのだろうなと。
 そしてもうひとつがムサシの不在についてです。
 ネタバレ配慮やその他に何か理由があったのだろうとこの日記に書いたことを覚えています。



 ただ。



 ムサシの不在。それが上に記したような先生のお考えからだとは全く、予想だにしておりませんでした。



 えっ……?



 ルールが変わった……から……??



 「これが読みたかった、そうファンから言われるようなものを作ろう」

 この先生のお気持ちは理解できます。
 それならまずセナとヒル魔の対決だろう、そう考えるお気持ちもわかります。

 だけどムサシについては、つまるところ



〝現実(リアル)と照らし合わせた時に不自然になるから出せなかった〟



 ということですよね。

 ある意味、これはこだわるところにこだわり抜く先生らしい部分なのかもしれません。

 理屈は分かります。理屈は。でも。





 正直に言います。



 私は寂しいです。



 私はとても寂しいです。



 あの場にムサシがいなかったことが。
 とてもとても寂しくてたまりません。



 これは私だけが感じる寂しさでしょうか。

 私にはそうは思えません。
 X(Twitter)やあの配信の視聴者の方々、私と同じような寂しさを持つ方は少なくはないのではないかと感じます。

 先生のおっしゃる理屈は分かる、でも感情がついていけていない。

 そんな心持ちです。



 ただ、配信の中で先生はこんなことも言っておられました。
「好きな漫画の最終回が昔からすごく悲しかった」
「(好きな)キャラクターたちにもう会えないんだというのが嫌だった」
「(だからアイシでも、連載が終わって)キャラがなくなったわけじゃない。生きて動いていくんだよと昔話した」
「カメラに映ってないだけで生きてるよ」



 このうちの最後のお言葉。

「カメラに映ってないだけ。生きているよ」

 先生の思いはまさにこれに凝縮されているのではないかと思います。



〝たまたま〟映らなかった。

 でも「生きてる」。



 このお言葉を今噛み締めています。これからもずっとそうしようと思います。



 先の日記に書いたように、セナだけでなくヒル魔もムサシも、栗田も他のキャラクターたちもみな生きている。
 この空の下。いのちを持って暮らしている。

 無論、ムサシだってそうです。

 きっと生きて動いて暮らしていくのだと思います。



 


 描かれなかったムサシ。

 やっばり生きてる。

 生きて、あの読み切りの中のどこかでヒル魔の勝利を信じてる。

 そんな風に思います。




 正直なところを言いますと、配信を聴きながら非常にモヤモヤした思いを抱えていました。
 が、聞き書きしたメモを読み返して整理してみると、(当たり前ですが)先生はアイシという作品を心から愛しているのだと感じます。
 その思いが読み手と食い違うこともあるかもしれない。でも作品を愛する気持ちは読み手だとて同じ。
 だから、読み手としての私は今抱いているこの寂しさを飲み込もうと思います。
 あの場に居ないムサシを思うと寂しい。けれどムサシは生きている。ヒル魔や栗田やセナと同じように。

 生きている。

 そう思います。



 寂しいけど信じる!!!!




 理屈はどうあれ、お時間を作って語ってくださった先生には感謝しております。
 そして、ここまでお読み下さったレディにもお礼を申し上げます。ありがとうございました。
 今日の日記はこのあたりでおしまいです。

 最後に私から先生へひとつだけ。





 ネームやりながら泣いてた場面トップ3、二つは語ってくださりありがとうございました。

 あとひとつはどの場面なんですか!!!!

 せんせいーー!!!!



[了]

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