金木犀の記憶

 その日、武蔵工バベルズは多くの関係者を招いて結成15周年の記念パーティーを催した。

 会場はホテルの宴会場を借りた。食事はブッフェ形式。誰もが楽しめるような親しみやすい空気、そういう集まりにしようと代表のムサシも、そして出資者でありムサシのパートナーであるヒル魔も心がけた。
 ゲストの入場時にはスーツ姿の団員たちがみなで出迎えて、歓迎と感謝の意を表した。小さな舞台の上で開会の挨拶をムサシが行い、主賓であるアメフト連盟理事のスピーチ。そしてスポンサー企業の紹介と式次第は続いた。それから主だった団員が壇上に並んでそれぞれ簡潔に抱負を述べる。みな一様に口にするのは勝利への執念だ。仲間から良い意味で茶々も入って笑い声も起こり、それで雰囲気はぐっとくつろいだ。そのあと場内は歓談のひとときに入った。
 招かれた関係者はアメフト連盟や社会人リーグ、各スポンサー企業の代表などだ。無論チームのファンクラブの幹部たちも。ムサシは地元の商店街や商工会議所からもゲストを招いた。付き合いのある近隣の学校のアメフト部スタッフなども。少しでもチームに親しみを感じて欲しいと考えたからだ。最京大からはヒル魔の同僚のコーチ陣、泥門高校からは現在のチーム監督とディフェンスコーチがやってきた。
 開会からムサシもヒル魔も挨拶回りにやや慌ただしい。尤も、そうして人脈を広げたり作ったりするのは元々ヒル魔の得意技だ。グラスを片手にしばらく会場内を飛び回る。途中にはチームの記念動画の鑑賞やちょっとした懸賞付きの謎解き大会も行って、パーティーが中弛みにならないよう工夫した。とにかく全員が楽しみ参加できるようにと。
 あちこちへ行き来しながらも開会当初からヒル魔の頭の片隅にはある〝たくらみ〟があった。
 たくらみ。
 それはチーム代表であるムサシへ、ヒル魔と団員たちが計画したいわばサプライズだった。
 この集まりの開かれたのは4月2日。つまりはムサシの誕生日である。

 ──若棟梁……いや、うちの団長に仕掛けたいんスけど

 そうこっそりと黒木が連絡を入れてきたのが日程の決まって間もなく。聞けば普段世話になっている苦労人の代表にチームから礼と誕生祝いがしたい。せっかくだからパーティー当日、何か本人を驚かせるようなことができないだろうかと言う。無論ヒル魔に否やはない。そいつは面白ェなと賛成した。当日が恋人の誕生日であることは当然意識していた。それにどうせ行う記念会なら何か派手な企画でも盛り込みてェ、かねてからそう考えていたのだ。黒木の申し出はある意味渡りに船だった。恋人の目を盗んでヒル魔は団員たちと相談し、計画を練った。チームとヒル魔との連絡役は馴染みの深い黒木、戸叶が務めてくれた。
 花束を手配するのは容易だが、問題は誕生祝いの品である。話し合った結果、それはムサシと切っても切り離すことのできないキックティーに決まった。プレゼンターはムサシのパートナーであるヒル魔に頼みたいと言われ、ヒル魔は了承した。
 ──ケケケ、どうせなら花火でもブチ上げて景気良く行きてェな
 ──気持ちはよーく分かるんスが室内なんで
 ──そう言われッと無茶のひとつもしてェがな
 ──いやお客さんもいるんでくれぐれも自重っつーか、そういうのをオネシャス
 打ち合わせは何だか黒木にひたすら宥められて一段落ついた。花束は団員が見つくろい、キックティーはヒル魔が選んだものをチームで秘密裏に用意した。ムサシには目につかぬよう会場に運び込んで、もう別室に隠してある。あとは頃合いを見計らってそれを取りに行き、ムサシに渡すだけの手はずとなっている。
 和やかなパーティーが宴たけなわ、ヒル魔はちらりと腕時計を覗いた。タイムテーブルを頭の中で反芻する。閉会の挨拶の予定時刻まであと半時間ほどだ。
 ──そろそろだな
 ムサシは何も知らぬ顔でファンクラブの会長と話し込んでおり、他の団員たちも歓談を楽しんでいる。自分は裏手に向かった方がいいだろう。会場の隅でそう考えた。いよいよとなったら合図するから来てくれと黒木たちに言われているが、あいつらはもう裏方で準備しているらしい。そんなら俺も。
 目立たないように動き出そうとしたまさにその時。

 場内を流れていたBGMがふっと止んだ。
 代わりにピアノの音色が流れ出す。

 思わず舞台の隣を見た。そこには黒いピアノがある。いつの間にか座って奏でているのはチームのDLの一員、髭面の大男だ。悪戯を思いついた男児のような顔。弾き始めているのは誰もが耳にしたことがあるだろう祝祭曲だ。ヒル魔の脳裏に古い記憶がよみがえる。そういえばこの男には意外な特技があるとどこかで耳にしたことがあるような。聞いてはいないが、タイミングから見てこれもムサシに仕掛けたサプライズの一環なんだろう。
 それならますます別室に行かなければならない。気を切り替えて再びヒル魔は出入り口へ、ドアの方へ向かいかけた。するといきなり場内が暗くなった。
 おお? とざわめき。

「えー、みなさま」

 舞台の隅にスポットライト。
 チームの副将、鬼兵がマイクを握っている。

 ──どういうこった

 ヒル魔はいぶかる。整えた手はずと違う。打ち合わせでは音頭を取るのが黒木の役のはず。鬼兵はムサシを舞台へ導くことになっていたはずだ。準備万端、予定通りでよろしく頼むと開会前に耳打ちしてきた。
 予定にないピアノ。
 この場にいないらしい黒木と戸叶。
 何かがおかしい。
 周りに散らばる団員たちを素早く窺う。何も動揺する気配は感じられない。暗さに乗じて移動するか、この場で動きを見守るか。
 少し様子を見るかと思った。舞台の鬼兵を見つめる。

 鬼兵は濃茶のスーツを着用に及んでいる。任侠映画から抜け出して来たようだとよく言われる渋い風貌。軽く微笑む。
 流れるように鬼兵は語り始めた。何度も練習したことででもあるかのように、すらすらと。張りのある声が文字通り流れる。

「みなさま、本日はお集まり下さいまして誠にありがとうございます。ご存じの通り、本日は我らが武蔵工バベルズの結成15周年を記念するパーティーを開催させていただきました。まさに宴たけなわではございますが」

「実はこの場をお借りして、みなさまにお伝えしたいことがございます」

 ふっと一息を鬼兵はついた。
 少しくだけた調子で続ける。

「本日は4月2日。この大切なパーティーの日、そして実は我らが代表、武蔵の誕生日でもあるのです」

「そこで我々は普段から世話になっている代表へお祝いを、贈り物をしたいと考えました」

 再び一息。
 ヒル魔はそろりと体を出入り口へ向けた。

「それだけではありません」

「本年は代表にとってより一層大切な年です。なぜなら」

「代表がめでたく結婚の儀を執り行いましてから本年は5年目となるのです。まさに、節目の年であります」

 何かがヒル魔の心をかすめた。

 まさか。

「そこで先にも申しましたがこの場をお借りしまして──」

 にやり。
 ヒル魔もかくやという笑みを鬼兵は浮かべた。
 胸を反らせて声を張り上げる。

「武蔵工バベルズの代表武蔵厳くん、そしてそのパートナーであるヒル魔妖一くんに!」

「チームから心ばかりの記念品を差し上げたいと思います!」

 ──!

 ヒル魔の目が眩んだ。ライトを当てられたのだ。
「ヒル魔さん、ほらあっち」
「ヒル魔氏、行って行って」
「こっちだ、ヒル魔」
 あっという間に周り中から伸びる手と手、それに押されて舞台へ導かれる。珍しくあっけに取られた顔のムサシも押し出されて来た。場内には拍手が満ちる。照明はついたが全体はまだ薄暗い。

 ──こいつはまた

 少々驚いた。

 やられたな。

 してみると黒木のあれはフェイクか。野郎、この俺をハメやがって。
 おそらくフェイクによって本当のたくらみの隠蔽および円滑な進行を図ったのだろう。常套だし王道だ。本当のサプライズはこっちだったか。
 つい先日ヒル魔はバベルズの練習に顔を出した。別に珍しいことではないから団員たちは誰も驚かなかったし黙々と励んでいた。何も変わった空気は感じられなかった。ただキッドがやって来て少し立ち話をしたがいま思うとあれは俺の偵察だったか。あの野郎。
 今日までチームには厳重な箝口令が敷かれていただろう。黒木と戸叶が率先して計画を練り上げて。多分あの二人の知恵だけではない。頭脳と言えばチームではキッド。あいつがあの頭脳を働かせて一役買う、まさに入れ知恵するということもあったかもしれない。
 平たく言えばいっぱい食わされたわけだが、腹は立たない。むしろ愉快だ。そうか、5年目。俺としたことが迂闊にもすっかり忘れていた。糞ジジイも同じだろう、今まで話題にもしてねェしな。それにしてもやられた。
 ヒル魔はにやりと笑った。いつもの笑みを浮かべた。気を取り直してスーツの前を合わせ直す。さてじゃあ記念品とやらを待つことにするか。糞ジジイには用意したキックティーだろう。俺には何を寄越すのか知らねえが。
 再び鬼兵が声を張り上げた。

「ブレゼンターはこちらです!」

 今度は会場のドアにライトが当たる。

 ヒル魔はムサシと顔を見合わせた。どこのどいつが現れるんだと思った。まぁおそらく今日招いたお偉いさんか、もしくは団員かもしれない。姿を隠している黒木たちででもあるか。誰であろうがいつもの余裕で応える自信はある。ただ何だか登場の仕方がやけに勿体ぶっちゃいねえか。

「どうぞ!」

 高くなるピアノの音。ドアがさあっと左右いっぱいに開く。



 立っていたのは。

 ──…………

 ヒル魔の頬から笑みが消えた。

 スポットライトに浮かび上がるその姿は。

 いっぱいの笑顔でたたずむ懐かしいその二人は。



 ──栗田



 唖然とヒル魔は眺めた。

 たたずむ旧友とその子を。



 栗田はここにいるはずがない。誰よりも栗田は。ヒル魔は頭からそう決めてかかっていた。というより、栗田のことそのものがここでは全くヒル魔の念頭になかった。
 ムサシ、ヒル魔と栗田は中学からの長い付き合いであり親友だ。深い縁で結ばれている。またそのことはバベルズの団員たち誰もが知っている。ふたりが栗田とは家族ぐるみの付き合いだということも心得ている者がほとんどだ。従ってこのような場でこのような役目に栗田は最適格であるし、団員たちが栗田に依頼するだろうこともヒル魔には容易に推測ができたはずだった。だがそれは栗田がこの場に居たら・・・の話だ。
 この時ばかりはヒル魔は予測ができなかった。いつもの深読みもできなかった。なぜなら。
 なぜなら栗田からはずっと以前、ひと月以上も前に欠席の連絡が送られてきていたからだ。

 今日の催しを栗田には真っ先に知らせて、招待の意を伝えてあった。すると残念ではあるけれど仕事で出席することができない、ごめんねと丁寧な詫びが来たのだ。
 〝本当にごめんね〜〟
 〝すごく残念だけど……〟
 それなら仕方ない、そうヒル魔は思ったしムサシもそう言った。目の前の光景から考えるに栗田はこの〝たくらみ〟に加わっていて敢えて欠席と装ったのだろう。つまりあの時点ですでに〝たくらみ〟は始まっていた。あざむくではないがまさかこの心優しい旧友がムサシと自分への一計に与するとは。それもかなり前から。
 半月ほど前にも栗田とは会って食事した。ムサシと三人で。栗田はいつもの顔でよく笑いよく喋った。チーム練習を見に行ったのもその頃だ。黙々と体を動かしていた団員たち。特に変わった空気はなかった。唯一立ち話をしたのがキッドだ。脳裏によみがえる記憶。あいつの見せた笑み、虫も殺さぬ笑みとはあのことか。野郎。団員たちも栗田もたくらみの気配すら見せなかった。毛筋ほども。
 はかりごと。そんなものと親友はまるで無縁だと思っていた。嘘も方便と言うがそれすらこの優しく誠実な巨漢には似つかわしくない。隠しごとなど栗田と自分とムサシの間には存在しない、長年ヒル魔はそう考えていた。欠席の返事を見てからヒル魔の思考の中で栗田とこのパーティーは完全に無縁となっていた。まるきり、完全に切り離していた。いわばそれがこの〝たくらみ〟を看破できなかった要因だ。ここにこの愛すべき巨漢が居るなどまるでヒル魔の予想の外だった。そういう〝油断〟に団員たちは乗じたのだ。



 ──このヤローども

 やられた。
 団員たちと、そして栗田に。深読みも先読みも自分の手であったはずなのに。
 それに。
 親友は満面の笑み。暗灰色のスーツ、胸のあたりで花いっぱいのトレーを支えて。そのトレーの真ん中には手はず通りのキックティーが鎮座しているはずだ。では自分へは。用意したはずの花束は。
 ヒル魔は目をやる。栗田の隣の姿。小さな姿へ。
 小さな、可憐なその姿へ。もう一人の〝プレゼンター〟へ。

 ──弥生

 父とそっくりな目もとをいっぱいに笑わせて。
 弥生が立っていた。
 腕にはいっぱいの花。
 上気した頰。
 ここがどこかも一瞬ヒル魔は忘れた。言葉を失って見とれた。
 いつもとまるで違う女児の姿に。
 ムサシやヒル魔が見慣れている弥生は身軽な出で立ちで活発に飛び回る子供だ。だが今日は精一杯の可愛らしい正装を身にまとう。
 小学校に進学して少し背が伸びた。それでも隣に立つ父と比すれば小さな女児。
 髪はポニーテールに結っているらしい。後頭部から白いリボンが覗く。ほっそりした体に身につけているのは紺のワンピース。細い首もとをぐるりと白いレースの衿が囲む。袖口にも真っ白なカフス。紺のハイソックスに黒の靴。無論子供は子供だ、でもこのあらたまった席とあらたまった役目を健気に背負って少し大人びた風な。
 弥生は胸元で花束を抱える。二つのブーケ。開場前にヒル魔が恋人に隠れてチェックした品とはまったく違う。つまりはそれもヒル魔に勘付かれぬように用意されていたということだ。そのブーケを、弥生は小さな手でまるで守るようにしっかりと抱えている。

 旧友とそしてその子。
 思いもかけない二人。

 らしくもなく立ち尽くすムサシとヒル魔の耳に、鬼兵の言葉が響く。

「このお二人は武蔵くんとヒル魔くんにとってかけがえのない大切な友人です」

「中学から高校にかけて苦楽をともにしてきた栗田良寛くん。そしてその愛娘である栗田弥生ちゃん」

「武蔵くんヒル魔くんにとって、栗田くんは戦友であり親友。そういう友人です」

「ふたりは栗田家と家族ぐるみの付き合いをしております。弥生ちゃんとも一方ならぬ親交を結んでいるようです」

「この栗田くんと弥生ちゃんこそ、記念品を運んでいただくにふさわしい。そう我々は考えました」

「そこで本日まで栗田くんとも協議を重ね、内密にことを運んで参りました。記念品の贈呈とプレゼンター、この二点において代表とヒル魔くんを驚かせられるように」

「最も苦労したのは今この瞬間までヒル魔くんに・・・・・・悟られないようにすることでした。サプライズですから露見しては意味がありません」

 鬼兵は悪戯っぽく微笑んだ。

「多分、この苦労はヒル魔くんをよくご存じのここの皆さんにならお分かりいただけると思います」

 会場は静かな笑い声に包まれる。
 鬼兵に促されて栗田と弥生は歩を運び始めた。
 しずしずと、でも晴れやかに。そんな様子で歩いてくる父娘をムサシとヒル魔は見守る。
 やがて父娘はふたりの目の前に立ち止まった。
 弥生が一歩進み出た。両手にはいっぱいの花。いっぱいの笑顔。
 すう……と息を吸い込む。
 鬼兵が腰をかがめて女児の口もとへマイクを近づける。
 愛らしい口もとからゆっくりと紡がれる言葉。



「おめでとう」

ムサシさん・・・・・

「おめでとう」

「ヒル魔さん・・



 祝福の言葉。

 初めて弥生が口にした言葉。

 ──ムサシさん・・・・・

 ──ヒル魔さん・・

 初めて。
 ムサシさん、ヒル魔さん。と。
 しっかりと弥生は口にした。ふたりを見上げながら。

 じわりとヒル魔の胸が熱くなる。

 初めてだ。こんな言葉を弥生の口から聞いたのは。こんな一人前の大人のような呼び方ができるほどこの子は大きくなったのか。こんな立派に祝いの言葉を口にできるほど。
 きっと何度も練習したのだろう言葉。
 祝福の言葉。
 ゆっくりと、でもはっきりと。
 ムサシとヒル魔を祝う言葉を弥生は口にした。
 隣ではその父が笑みながらも鼻をすする。
 唐突にヒル魔は思い出した。5年前の式のことを。この弥生の言葉は聞いたことがあるような気がする、けれどそれは単なる気のせいだ。なぜならあの時まだ弥生はほんの幼子、わずか2歳だったのだ。回らぬ舌で会話らしいものがやっと成立するかしないか、そんな子に祝いなど言えようはずもない。なのに強い既視感をヒル魔は感じる。

 おそらくは。

 おそらくはそれは、ここにいる女児の父のためかもしれない。

 何よりも、誰よりもムサシと自分を祝ってくれた優しい巨漢。

 ──おめでとう
 ──ムサシ
 ──おめでとう
 ──ヒル魔

 うっすらと涙を浮かべて、いっぱいの笑顔でこの心優しい旧友は何度もそう繰り返してくれた。
 挙式から5年。自分はすっかり忘れていた。あれから5年も経つのか。あの時心をこめて祝ってくれた親友、そして今度はその娘が。

 祝ってくれるのか。
 恋人と自分を。
 同じ言葉で。
 父と同じ満面の笑みを浮かべて。

 生まれた時から見守って来た。やがて赤子は這い這いをするようになり、立ち上がって歩き始めた。自分らの名を覚え、呼んでくれた。何度も一緒に遊んだ。公園で、寺の境内で、家で。誕生パーティーにも呼ばれた。競走馬を見に牧場に出かけたこともある。試合を見に行ったことも。あのスタジアムでは一緒に階段をおりた。間違っても踏み外さぬよう、ヒル魔は女児の足元に細心の注意を払った。しっかりと手を繋いで。

 もう手を繋がなくとも弥生は階段をおりられるだろう。

 ひとりでも、しっかりと。

 祝福の言葉。
 きっと何度も練習したのだろう言葉。
 
 胸が熱い。
 手が震えそうだ。



 チームと親友。その愛娘。
 ひそかにはたらいて今日この日を迎えた。
 この仕掛けのために。
 水面下で動いていた工夫、そして心。



 ──ヤローども



 認めてやる。

 サプライズは成功だ。

 糞ヤローども。

 このどうしようもねえ糞ヤローども。


 
 どこかから拍手が聞こえた。同じ音がそこここから上がる。重なる音。派手なクラッカーが打ち上がる。照明が灯る。光にあふれた会場全てが盛大な拍手の音に包まれる。

 ──…………

 やっとヒル魔は我を取り戻した。息を呑むようだったムサシも。
 胸にあるのは深い感慨。そして深い感動。さまざまな思いが交差して喉が、目が熱い。
 まっすぐに自分と恋人を見上げる女児。輝くような笑顔。

 その女児から花束を受け取ろうと、ムサシもヒル魔も足を踏み出した。





 途中から姿を消した黒木たちは照明、おもにスポットライトを当てる役に志願して回っていたのだという。裏方に消えるのと鬼兵の語り始め、うまく呼吸を合わせればヒル魔に異変を嗅ぎつけられても何とかなると考えたらしい。万が一ヒル魔が独断で会場から抜け出そうとしたらキッドが話しかけて時間稼ぎをすることになっていた。ムサシとヒル魔にライトを浴びせた時は〝サイコーの気分〟だったと口を揃えた。あんたたちのあんな顔が見られて、ことを運んできた甲斐があった、とも。ムサシもそしてヒル魔も苦笑するしかなかった。尤もヒル魔は、テメーらリベンジって知ってっかと一言添えておいたのだが(そう言ったら黒木と戸叶は悪戯っ子のように首をすくめて逃げていった)。
 栗田はこのたくらみを大いに申し訳ないと感じていたようだ。大切なふたりをだますようで、と。お祝いの気持ちがあればいいのだと、そう黒木やキッドが説得したとあとで聞いた。ムサシにもヒル魔にも旧友に感謝こそすれ、だましたと責める気などありはしない。

 あの時ムサシには予定通りキックティー、そしてヒル魔にはキックティーとともに飾られていた名入りのテリータオルが贈られた。それは今もふたりの家のテレビボードに鎮座する。
 花束を受け取ったふたりは弥生を抱擁した。無論その父をも。黙っててごめんねえと優しい巨漢は泣き笑い、マイクを握ったムサシは滅多にないことに声を詰まらせた。ヒル魔は親友と恋人に笑ってみせた。記念日が来るたびにめそめそしてたら命が持たねえぞ、ケケケと。胸にせまるものを懸命に抑えながら。それはまざまざと記憶にある。そして何よりも記憶に刻みつけられたのは女児の姿。
 あの時の弥生の笑顔。父に似た目もとをいっぱいに笑わせて。少し恥じらうような風情でもあり少し大人びてもいた。少女らしくなってきたとヒル魔は感じたものだ。この姿をいつまでも忘れないだろうとも。
 思い出すたびにヒル魔はしみじみとあたたかさを覚える。喜び。愛情。感謝。もろもろのあたたかい感情で心が満ちる。
 きっと忘れることはない。
 その父との友情と同じように。
 かけがえのない恋人への愛情と同じように。
 女児の姿もこの気持ちも忘れることはないだろうと思う。
 アメフトという競技。
 いくつものきずなを与えてくれた競技。
 そのきずなも愛情もいつまでも、どこまでも続くのだ。
 日々の暮らしの中。そして人生という航路の中で。



 よみがえる愛おしい声。



 ──むしゃしゃん。ひるましゃん。



 晴れやかな拍手の中で。



 ──ムサシさん。ヒル魔さん。

 ──おめでとう



 ──おめでとう



 ──大好……


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