購買部にて

 くああ、とあくびが出た。
 昼休みの教室。ほとんどが昼食を終えてほっと、あるいは賑やかにくつろぐ時間帯だ。
 泥門高校は進学校ではなく、いわゆるガリ勉タイプはそう多くない。昼下がりのこの時間もめいめいがのんびりと楽しんでいる。
「ムサシ、眠いの?」
「ちっとな」
 愛すべき巨漢の問い。指で目をこすりながらムサシは答える。どうもこのところ睡眠時間が足りていないかもしれない。
「ちゃんと寝てンのかテメー」
 まるでムサシの思考を読み取ったかのようにヒル魔が口にする。まあなといい加減に答えながらムサシは立ち上がった。
「あれ、どうしたの」
「コーヒー買ってくる」
「眠気覚ましってこと? いってらっしゃい〜」
 手を振る巨漢とムサシを見守るヒル魔。その二人に聞いてみた。
「お前らもなんか飲むか」
「んー、僕は平気」
「俺も要らね」
「わかった」
 教室の最後部。いつもの3人一緒の居場所から出入り口へ。
 廊下に出るとそこも教室と同じように賑やかだ。立ち話中の者、用がありげに早足で歩いていく者。ムサシのそばを駆け抜けていく者。
 制服のポケットに手を突っ込んで購買部を目指す。飲料の自動販売機は購買部の脇に何台かある。コーヒーぐらいあるだろうと考えている。
 急ぐでもなく歩みながらまたあくびが出た。歩いて体を動かせば少しは紛れるだろうと思っていたのだが、今日の眠気は少ししつこい。頭の中の霞のようなものが取れない。
 刈り込んだ側頭部をがりりと掻いて刺激する。あの試合、盤戸戦。あのあとヒル魔の言いなりにしたのはいいがどうもこのあたまは手入れが面倒だ。毎朝逆立てるのに手間がかかるしその時間を確保しなければならない。
 部と学業に復帰してそろそろひと月が経とうとしている。“休学“していた間も朝型の生活だったから生活サイクルの面では何の問題もない。ただ何しろムサシには1年半ものブランクがあるのだ。単位を取り戻すため、授業と部活に加えて山のような課題と補習が課せられている。
 ──ま
 仕方ねえなと思いながらまたあくび。
 購買部はカウンター形式だ。毎日、4限の終了直後はパンを求める生徒たちで人だかりがするが、それももう落ち着いたらしい。その脇の自販機を眺めると端の一台は牛乳など乳飲料が中心だ。残り二台が清涼飲料水のもの。ムサシは尻のポケットから小銭を探った。
 ガコン、という音とともに選んだものが取り出し口に落ちてくる。無糖の冷えたコーヒー。
 教室に持ってくか、とちらと思ったがすぐに思い直した。ゴミ箱があるしここで飲んじまおう。
 缶を開けて、あたりをざっと見た。購買部のカウンターに肘をついて重心をかける。
 ぐびり。
 一口ですぐに旨いなと感じた。苦味が喉に、頭と体に染み渡るようだ。
 またぐびり。
 視線の先はただの通路。ちらほらと生徒の姿があるが特にムサシの目を引くようなものはない。
 午後の授業は何だったかなと考える。数学だか歴史だか、どっちが先だったかいつも混同するのだ。ただどっちにしても船を漕ぐようではまずい。
 大きく飲んでゆっくりと飲み下ろしていく。冷たさも苦味も今の自分にはいい刺激だ。頭の中の霧が晴れていくような感覚。
「糞ジジイ」
「?」
 ほぼ反射的に顔を向けた。向こうからヒル魔が歩いてくる。こいつは教室にいたはずだが。
「? どうした」
 缶を口にやりながら尋ねるとヒル魔は先ほどのムサシと同様の仕草をした。尻ポケットから小銭。
 自販機を眺めてヒル魔も並ぶ飲料類を吟味するようだ。だがムサシには見えるような気がした。この金髪頭の選択が。
「俺も飲む」
「要らないんじゃなかったのか」
「うるせえな、飲みたくなったんだよ」
「そうか」
 ボタンを押すヒル魔。
 落ちてきた缶に手を伸ばして低く悪態をついた。熱いらしい。
 ムサシの隣に来てプルタブを引く。黙って缶を口につける。
 ムサシも同じようにした。
 二つの缶。
 冷たいのと温かいの。
 温度の違いはあってもコーヒー、それもブラックであることはおんなじだ。
 ふとムサシの中に悪戯めいた心が起こった。にやりと笑いたいような気持ちも。
「ヒル魔」
「あ?」
 缶を口につけたままのヒル魔が顔を向ける。
 思いついたことをムサシはそのまま言った。からかうように。
「いい子で“待て”はできなかったみてえだな」
「…………」
 カッとヒル魔の顔に血がのぼった。長い足がムサシを蹴る真似をする。真似だけだ、ヒル魔は決してムサシを蹴らない。それを知っているからムサシもわざわざ避けたりはしない。
「…………」
 にやにやとムサシは缶を口に運ぶ。
 ぐびり。
 隣のヒル魔は心なしか顔が赤い。
 そのヒル魔もぐびり。
 またぐびり。
 昼休みはもうすぐ終わる。
 束の間のコーヒータイム。


【END】
 

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