この佳き日【キリリク】

 迷いのない瞳。
 まっすぐな瞳。
 昔から僕はムサシの、ヒル魔のそんな目が大好きだった。
 そのふたりの瞳が同じ方向を向いた瞬間。
 そこに立ち会えたことは心から幸せなことだったと思う。
 僕は本当に幸せ者だ。

 **********

 ──結婚することにした。相手はな、聞いて驚け。糞ジジイだ

 ヒル魔からそういうLINEが来た時、僕は大して驚かなかった。とうとうその気になったんだ、とは思ったけれど。もうずいぶん前から、僕はふたりの仲を知っていたから。

 ムサシとヒル魔の結婚式は、僕たちの住む市の隣町で静かに行われた。郊外の、一軒家のレストランを借り切って。地図を見ながら教えられた場所に着くと、広大な和風の庭園。その奥に茅葺き屋根の一軒家。県外の古民家を移築して、リノベーションしたものだという。ここにこんな素敵な場所があったんだなあとびっくりした。季節は春、ぽかぽかと暖かい日差しの下でレストランはのどかな風情を見せて佇んでいる。どんなお式になるんだろう。何だか胸が躍る思いで僕は駐車場に車を停めて、正面の門に回った。
 門からレストランまで続く道。その周囲は広いお庭だ。よく手入れされた木々が緑の葉を茂らせ、瑞々しく苔むした手水鉢、鹿威しも見られる。気温は暑くもなく寒くもなく、ふりそそぐ日の光が肩に優しい。
「わあ……」
 お店に一歩入ったところで思わず低い感嘆の声が出てしまった。高い天井。綺麗に手入れされた土間。ここから靴を脱いで上がる形式になっているらしい。奥を見ると、すでに集まっている数人の人たち。テーブルではなく、広間の周囲に並べられた椅子に座って談笑している。親族らしい人と話していたムサシとヒル魔が僕に気づいて、こっちにやってきた。
「やあ、来てくれてありがとう」
 黒の紋付袴を着たムサシが笑顔を見せた。
「迷わなかったか、ここまで」
 ヒル魔がそう言ってくれて、僕は大丈夫だよ、すぐに分かったよと答えた。白のタキシードがとてもよく似合っている。
 上がってくれ、とふたりに促されて、草履を係の人に預けて会場に足を踏み入れる。また僕は感心した。黒光りのする床、広い空間。建築のことはよく分からないけど、和モダンというのだろうか。黒とシックなブラウンが壁やインテリアにも使われて、どことなく懐かしいような、でも洗練された雰囲気だ。いくつか置かれている、お花で飾られたテーブルも木製だ。ゆったりと座り心地の良さそうな椅子も茶色。もうすぐ始まるから、ここで待っていてくれ。ふたりにそう勧められて、まずは周囲の椅子に座って開式を待つことにした。
 古民家というものに入ったのは僕は初めてだ。中は現代風に改装されてるわけだけど、それでも古くから受け継がれてきた建築技法をそこここで見ることができる。興味深く辺りを眺めているうちにゲストも揃ってきた。その様子を見て、僕の知らない司会の人が──この人はムサシとヒル魔が依頼して来てもらったらしい──ゲストにテーブルへの着席を促す。それから開会を宣言して、お式は始まったのだった。
 運ばれてくる料理はお箸で食べる形だ。フレンチでもイタリアンでもなく、かと言って日本料理というわけでもない。創作和食って言うんですってよ、と隣席のムサシのお母さんがあとで教えてくれた。
 おいしい料理をいただきながら、上座のふたり──ムサシとヒル魔を見る。何だか少しまぶしい思いで。ムサシは黒の袴、ヒル魔は白のタキシード。ふたりとも、とても凛々しくて様子がいい。和装か洋装か、どちらかに揃えようとは思わなかったらしい。あとで聞いたら、ふたりとも笑っていた。衣装合わせの時、お互いに似合うもの、好きなものを選んだらこうなった。まあ無理に揃えることもないしな、とふたりとも言っていた。何だかとてもふたりらしくて、僕も笑って、うん、そうだねと自然に同意してしまった。
 式は終始和やかに進んだ。ゲストは20人ほどだろうか、ふたりの家族と親族が中心だ。それと、武蔵工務店の社員の人たちが数人。僕の知ってる、玉八さんも礼服姿で出席している。ヒル魔の側のゲストはとても少なかった。ヒル魔のお父さん。それと女性──ちょっとドキリとしたけどお母さんじゃなかった。叔母にあたる人なのだそうだ。みんな最初は緊張があったみたいだけど、料理とお酒が進むにつれて会場は賑わってきた。と言っても浮ついた感じでは決してない。誰もが落ち着いた風情で、でもにこやかに和やかに談笑している。時折、誰かが冗談を言って賑やかな笑い声。静かで朗らかで、いい結婚式だなあと感じた。
 こういう形のお式は人前式というのだそうだ。僕は今まで経験はなかったけれど、ムサシとヒル魔の門出にはとてもふさわしい、素敵なお式だと思った。
 ケーキカットやお色直し、キャンドルサービス。そんな華やかな演出とは縁のない、落ち着いたお式。式典らしいところと言えば、ムサシとヒル魔が行った”結婚の誓い”がそれだった。

 ──私、武蔵厳と
 ──私、蛭魔妖一は

 そんな言葉から始まった、ふたりの誓い。
 用意してあった書面を、ふたりが声を合わせて読み上げていく。
 最初は感謝の言葉から始まった。ふたりの結婚を認めてくれた周りの人たちへの、大きな感謝。そして、それから、ふたりの──決意。思いやり、支えあい、愛しあっていく、と。
 読み終わったふたりは列席者へと深々とお辞儀をする。静かだが暖かい拍手。誰からも。ムサシのお母さんはちょっと涙ぐんでいたようだ。
 それから式は指輪の交換に移った。スタッフが運んできた指輪。互いの、名入りなのだそうだ。シンプルな銀の指輪であることは僕の席からも分かった。リングケースから取り出して、互いの指に嵌める。さすがのふたりも少し緊張気味の表情をしているのが、おかしくも微笑ましい。
 指輪の交換が済むと、儀式らしいことはこれで終わりなのかなと僕は思っていた。でもそうじゃなかった。司会の男性が穏やかに話を始めたからだ。ふたりはもともと、強いきずなで結ばれた親友だったということ(僕の名も挙げられてみんなに見つめられて、少し照れた)。そして、僕を含めて──そのきずながアメリカンフットボールという競技で作られたこと。ムサシとヒル魔、ふたりを愛しあい支えあう関係に導いてくれたのがアメフトなのだということ。
 そこで、と司会の男性は話を続けた。今日ここでのふたりの誓い、約束。そのあかしとして、指輪の他にもうひとつ。アメリカンフットボール用のボールにも一役買ってもらいましょう。
 列席者の拍手。それを背景に、今度は花で飾られた楕円球が運ばれてきた。ふたりは受け取り、それぞれ自分の名をその場で書き込んでいく。ふたりとも、とても真剣な表情だ。
 それぞれの名を入れた、アメフトボールの交換。ムサシの手からヒル魔の手へ。そしてヒル魔の手からムサシの手へ。見ていたら胸に暖かい、熱いものが込み上げてきて、僕はツンと鼻の奥が熱くなってしまった。おめでとう、ムサシ。おめでとう、ヒル魔。
 儀式らしいものが終わり、するとこの店のシェフが挨拶に現れた。新郎たちに対する祝福の言葉、お店を利用してくれたことに対する感謝。それから料理の説明。これからデザートまで、コースをごゆっくりお楽しみくださいと言う。会場はそれから和やかな歓談のひとときに入った。

「やあ、栗田」
「おめでとう、ふたりとも!」
 旺盛に料理を平らげていた僕のところにも、ふたりは挨拶に来てくれた。ふたりとも晴れやかな笑みだ。心から嬉しく迎える。
「一人で来てもらってすまなかったな」
「いいんだよそんなこと。他の人たちは送迎バス?」
「そうだ」
 ムサシが答えると、今度はヒル魔が口を開いた。
「なあ、ファッ……栗田」
 いつも通りの呼び方がつい出そうになったらしい。栗田、と呼び直してくれたけどヒル魔の顔は照れ臭そうだ。
「なんだい、ヒル魔」
「お前、俺がLINEした時あんまり驚かなかっただろう。なんでだ」
 いかにも直截な、ヒル魔の言葉。
「あー……うん」
 曖昧に笑って、誤魔化そうと思った。僕は昔からムサシとヒル魔は好きあってるんだろうなと思っていたのだ。そう思うきっかけのようなものはあったけど、それは今こんな場所で話すべきことでもない。
 困ったな、どうやって切り抜けよう。そう思っていたら、ムサシが助け舟を出してくれた。まあいい、今度ゆっくり問い詰めてやる、と笑いながら。うん、そうだねと僕は答えた。
「今日じゃないんだが、あとでバベルズの連中が祝いの席を設けてくれるらしい。お前も来てくれるか」
「もちろんだよ!」
「ありがとう。じゃあまた、あとでな」
 ふたりはそれを機に離れていった。僕はムサシのお父さん、お母さんと再び話を始める。離れていくふたりを、お父さんはどこか照れ臭そうに、お母さんは惚れ惚れと見送る。ふたりとも衣装がよく似合っていますね、と話しかけると、お母さんが嬉しそうにありがとうと言った。
「厳はともかく、妖ちゃんは絶対タキシードがいいと思ってたのよ。とても似合ってて、嬉しいわ」
「ほんとにそうですね」
「栗田くんは? もうご結婚されてるのよね」
「はい、2年前」
「確か、去年お子さんが生まれたんじゃなかったかしら」
「はい、そうです。女の子が」
「遅ればせながら、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
 お母さんと僕が会話している横で、ムサシのお父さんはヒル魔の父さんと静かに話をしていた。僕もあとで挨拶しに行って分かったけど、物静かそうな落ち着いた雰囲気の人だった。もとは将棋の棋士だった、と言う。お仕事柄なんだろうか、静かな口ぶりとヒル魔によく似た切長の目が印象的な人だった。
 宴たけなわ、ゲストの中には席を離れて庭を散策しにいく人もいた。僕はしばらく、ムサシのお母さんと昔話に花を咲かせた。中学時代の思い出、高校時代の思い出。お母さんが話し上手なこともあって、話題は尽きない。そうしているうちに、お店のシェフがやってきた。新郎たちを探しているようだけど、ふたりはここにいない。お母さんが気がついて立とうとするのを柔らかくさえぎって、僕が連れてきますよと立ち上がった。きっと、庭にでもいるのだろう。
 土間に降りて草履を履いて、外に出た。建物の周りは広い庭だ。でもムサシとヒル魔はすぐに見つかった。門の近くに立っている。近づきながら、おーいと声をかけようとした。

「…………」

 僕の声は途中で止まってしまった。
 何だか──目の前の光景にしんと心を打たれてしまったからだ。

 おそらくだけど、中途で帰らざるを得ないゲストを見送ったのかな、と僕は思った。門の内側に立つムサシとヒル魔。穏やかに、何か話してる。ムサシは──親友の僕でも今までに見たことのない表情だ。溶けるような柔らかいまなざし。まっすぐにヒル魔を見つめて。ヒル魔は少しうつむいている。でも柔らかい笑顔なのはムサシと同じだ。穏やかな優しい春の陽気。ふたりにふりそそぐ。暖かな空気の中で──まるで、ふたりのいる場所だけ優しい光に包まれているみたいだ。
 静かに語らう、ムサシとヒル魔。僕の親友たち。愛しあい、支えあうと誓いを立てた。きりりと凛々しく、雄々しい正装姿で。近くには満開の枝垂れ桜。ふたりを祝福するかのように咲き誇る。
 まぶしくも優しい光。暖かな光。──なんだか、そういうものを僕は僕の見ている光景から受け取った。黙って見ていたらふたりがふと気がついたらしい。僕の方を向いた。ああなんて綺麗な笑顔。こんなところで涙ぐんでちゃいけない。僕も一生懸命、明るい笑顔で手を振った。

 おめでとう、ムサシ。
 おめでとう、ヒル魔。
 僕の親友。
 ふたりの上に大いなる幸があるように。
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