はじめての
いつ頃から惹かれあい、想いあっていたのだろう。
初めてのキスはコーヒーの味だった。
外は日が暮れかけたグラウンド。デビルバッツの部室にはムサシとヒル魔。
対米戦の当日だった。
ムサシとヒル魔はコーヒーを飲んでいた。
話題はムサシがセナたちとした"約束"だ。試合に勝ったらチームに戻るという、"約束"。ヒル魔は甲高い悪魔笑いをひびかせた。面白ぇ、と。
いい加減新しいキッカーを育てろ。そんなムサシにヒル魔は言い返した。テメーが戻るからな、と。
ムサシは取り合わなかった。ヒル魔の言葉を聞き流して漆黒の香り高い液体を飲み終えた。
ごっそうさん、とカップを置いて立ち上がる。ヒル魔も続いて立ち上がった。出入口に向かって歩く。引き戸に手をかけようとしたところでムサシはヒル魔に呼び止められた。
「糞ジジイ」
「?」
何か用か、とヒル魔の顔を見る。見て、ムサシは胸を打たれた。
ヒル魔の表情。先ほどの悪魔笑いと打って変わった、静かな表情。澄んだ、真摯なまなざし。そのまなざしでヒル魔は言った。
「勝つからな」
「…………」
「テメーがいなきゃチームは成り立たねえ。俺らにはテメーが必要だ」
「…………」
「俺らは勝つ。勝ってテメーをチームに引き戻す」
ムサシは黙ってヒル魔を見つめた。澄んだ切長の瞳。
「待っててくれ。俺らには──」
ふとヒル魔は言い淀んだ。それから思い切ったように言葉を紡いだ。
「俺には──テメーが必要だ」
「…………」
ヒル魔の言葉。心からのヒル魔の言葉。ムサシの胸にせまる。
何か言いたい、言わなければならない。でも何も言えない。胸が熱い。ムサシにできたのは腕を伸ばしてヒル魔を抱き寄せることだった。目の前に金髪悪魔の顔。悪魔は逆らわなかった。静かにムサシの腕の中におさまる。
見つめあう。無言で、静穏なまなざしで。その目の奥にあるもの。ムサシの目にも、ヒル魔の目にも浮かぶ。
その意味するものを確かに理解したとムサシは感じた。胸がいっそう熱くなる。じわりとこみあげる想い。愛しさ。確かな──愛情。
ムサシはヒル魔にくちづけた。ヒル魔も静かに受け止めた。軽いキス、すぐに唇は離れた。微かなコーヒーの香り。互いの息に混じる。
唇が離れると今度はヒル魔が顔を寄せてきた。ムサシも受け止める。静かなキス。唇から唇へ、コーヒーの味。
「……苦ェ」
「我慢しろ……」
部室の片隅。ひそやかな。ここにはムサシとヒル魔しかいない。外からは他の運動部員たちの賑やかな気配。みんみんと蝉の音。だがここだけは切りとられたかのような静寂。
ふたりはキスを繰り返す。胸が燃えるようだ。手も震えているのかもしれない。でもそんなことはどうでもいい。ヒル魔、お前が好きだ。糞ジジイ、テメーが好きだ。好きで、好きでたまらない。燃えるような恋情。ムサシからのキス。ヒル魔からのキス。今まで抑えてきたものが堰を切ったようにあふれて。
ムサシがヒル魔を導いた。壁に寄り掛からせる。ヒル魔の両脇に手をついて、顔中にキスの雨を降らせ始めた。
目を閉じてヒル魔は受け止める。震える唇に。頬に、額に恋しい男がくちづけをくれる。もっと触れあいたい。ムサシを、もっと自分の体で。もっと近しくこの男を感じたい。
ヒル魔は腕を伸ばしてムサシに抱きついた。ムサシも抱き返す、その強い腕で。ぴったりと体を合わせて、ふたりは抱き合った。ムサシはヒル魔を想い、ヒル魔はムサシを想って。
どれくらいそうしていたか分からない。我に帰ったのはヒル魔が先だった。これからの、試合のことを思い出したのだ。ゆっくりとムサシの背に当てていた腕を離す。ムサシから身を離す。
「……もう行かねえと」
ムサシは黙って頷いた。
荷物をまとめて出て行こうとするヒル魔。ムサシが呼び止めた。
「ヒル魔」
引き戸を開けかけていたヒル魔は振り返った。
ムサシはまっすぐにヒル魔を見つめる。まっすぐな、強い意志を秘めた瞳。
「……頑張れよ」
「ああ、分かってる。──じゃあな」
「ヒル魔」
「──?」
「お前が好きだ」
ヒル魔の手が止まった。
「…………」
「…………」
ふたりは見つめあう。強いまなざし。透徹なまなざし。
ふとヒル魔が視線を外した。うつむきがちに、ケケ、と低く笑う。
「……そうかよ」
「…………」
「そんなら俺も言う。俺も──テメーが好きだ」
「勝ってこいよ」
「ケケケ、当然だ」
がらりと勢いよく引き戸を開けて、ムサシの想い人──金髪悪魔は出て行った。
外はもう夕闇が濃くなっている。キックオフまでもう時間がない。ヒル魔は足を速めて部室から遠ざかる。先ほどまで胸を占めていた想い、ムサシへの思慕。一時にせよ忘れなければならない。目の前の大試合に集中しなければ。必ず勝つ。勝って、想い続けていたあの男を取り戻すのだ。
残されたムサシも部室を出た。まだ今日の仕事は終わっていない、仲間の待つ車に戻らなければ。薄闇の迫る空。蝉の音。ヒル魔と同じようにムサシも歩いて行った。ヒル魔への想い。大試合への思い。胸にせまるいくつもの思いを抱えて。
校庭を歩きながらヒル魔は振り返った。立ち止まって、いま出てきたばかりの部室を眺める。
それから思い切ったようにまた歩き始めた。
胸を張って。
金髪を風になびかせて。
ムサシも歩いて行った。
胸を張って。
吹く風を肩で切りながら。
"好きだ"
"好きだ"
"どこまでも一緒に"
"どこまでも、ともに"
"一緒に"
"一緒に"
“またキスをしよう。何度でも”
“またキスをしよう。何度でも、くり返し”
“お前と、キスを”
“テメーと、キスを”
“好きだ””好きだ”
──“好きだ”……
初めてのキスはコーヒーの味だった。
外は日が暮れかけたグラウンド。デビルバッツの部室にはムサシとヒル魔。
対米戦の当日だった。
ムサシとヒル魔はコーヒーを飲んでいた。
話題はムサシがセナたちとした"約束"だ。試合に勝ったらチームに戻るという、"約束"。ヒル魔は甲高い悪魔笑いをひびかせた。面白ぇ、と。
いい加減新しいキッカーを育てろ。そんなムサシにヒル魔は言い返した。テメーが戻るからな、と。
ムサシは取り合わなかった。ヒル魔の言葉を聞き流して漆黒の香り高い液体を飲み終えた。
ごっそうさん、とカップを置いて立ち上がる。ヒル魔も続いて立ち上がった。出入口に向かって歩く。引き戸に手をかけようとしたところでムサシはヒル魔に呼び止められた。
「糞ジジイ」
「?」
何か用か、とヒル魔の顔を見る。見て、ムサシは胸を打たれた。
ヒル魔の表情。先ほどの悪魔笑いと打って変わった、静かな表情。澄んだ、真摯なまなざし。そのまなざしでヒル魔は言った。
「勝つからな」
「…………」
「テメーがいなきゃチームは成り立たねえ。俺らにはテメーが必要だ」
「…………」
「俺らは勝つ。勝ってテメーをチームに引き戻す」
ムサシは黙ってヒル魔を見つめた。澄んだ切長の瞳。
「待っててくれ。俺らには──」
ふとヒル魔は言い淀んだ。それから思い切ったように言葉を紡いだ。
「俺には──テメーが必要だ」
「…………」
ヒル魔の言葉。心からのヒル魔の言葉。ムサシの胸にせまる。
何か言いたい、言わなければならない。でも何も言えない。胸が熱い。ムサシにできたのは腕を伸ばしてヒル魔を抱き寄せることだった。目の前に金髪悪魔の顔。悪魔は逆らわなかった。静かにムサシの腕の中におさまる。
見つめあう。無言で、静穏なまなざしで。その目の奥にあるもの。ムサシの目にも、ヒル魔の目にも浮かぶ。
その意味するものを確かに理解したとムサシは感じた。胸がいっそう熱くなる。じわりとこみあげる想い。愛しさ。確かな──愛情。
ムサシはヒル魔にくちづけた。ヒル魔も静かに受け止めた。軽いキス、すぐに唇は離れた。微かなコーヒーの香り。互いの息に混じる。
唇が離れると今度はヒル魔が顔を寄せてきた。ムサシも受け止める。静かなキス。唇から唇へ、コーヒーの味。
「……苦ェ」
「我慢しろ……」
部室の片隅。ひそやかな。ここにはムサシとヒル魔しかいない。外からは他の運動部員たちの賑やかな気配。みんみんと蝉の音。だがここだけは切りとられたかのような静寂。
ふたりはキスを繰り返す。胸が燃えるようだ。手も震えているのかもしれない。でもそんなことはどうでもいい。ヒル魔、お前が好きだ。糞ジジイ、テメーが好きだ。好きで、好きでたまらない。燃えるような恋情。ムサシからのキス。ヒル魔からのキス。今まで抑えてきたものが堰を切ったようにあふれて。
ムサシがヒル魔を導いた。壁に寄り掛からせる。ヒル魔の両脇に手をついて、顔中にキスの雨を降らせ始めた。
目を閉じてヒル魔は受け止める。震える唇に。頬に、額に恋しい男がくちづけをくれる。もっと触れあいたい。ムサシを、もっと自分の体で。もっと近しくこの男を感じたい。
ヒル魔は腕を伸ばしてムサシに抱きついた。ムサシも抱き返す、その強い腕で。ぴったりと体を合わせて、ふたりは抱き合った。ムサシはヒル魔を想い、ヒル魔はムサシを想って。
どれくらいそうしていたか分からない。我に帰ったのはヒル魔が先だった。これからの、試合のことを思い出したのだ。ゆっくりとムサシの背に当てていた腕を離す。ムサシから身を離す。
「……もう行かねえと」
ムサシは黙って頷いた。
荷物をまとめて出て行こうとするヒル魔。ムサシが呼び止めた。
「ヒル魔」
引き戸を開けかけていたヒル魔は振り返った。
ムサシはまっすぐにヒル魔を見つめる。まっすぐな、強い意志を秘めた瞳。
「……頑張れよ」
「ああ、分かってる。──じゃあな」
「ヒル魔」
「──?」
「お前が好きだ」
ヒル魔の手が止まった。
「…………」
「…………」
ふたりは見つめあう。強いまなざし。透徹なまなざし。
ふとヒル魔が視線を外した。うつむきがちに、ケケ、と低く笑う。
「……そうかよ」
「…………」
「そんなら俺も言う。俺も──テメーが好きだ」
「勝ってこいよ」
「ケケケ、当然だ」
がらりと勢いよく引き戸を開けて、ムサシの想い人──金髪悪魔は出て行った。
外はもう夕闇が濃くなっている。キックオフまでもう時間がない。ヒル魔は足を速めて部室から遠ざかる。先ほどまで胸を占めていた想い、ムサシへの思慕。一時にせよ忘れなければならない。目の前の大試合に集中しなければ。必ず勝つ。勝って、想い続けていたあの男を取り戻すのだ。
残されたムサシも部室を出た。まだ今日の仕事は終わっていない、仲間の待つ車に戻らなければ。薄闇の迫る空。蝉の音。ヒル魔と同じようにムサシも歩いて行った。ヒル魔への想い。大試合への思い。胸にせまるいくつもの思いを抱えて。
校庭を歩きながらヒル魔は振り返った。立ち止まって、いま出てきたばかりの部室を眺める。
それから思い切ったようにまた歩き始めた。
胸を張って。
金髪を風になびかせて。
ムサシも歩いて行った。
胸を張って。
吹く風を肩で切りながら。
"好きだ"
"好きだ"
"どこまでも一緒に"
"どこまでも、ともに"
"一緒に"
"一緒に"
“またキスをしよう。何度でも”
“またキスをしよう。何度でも、くり返し”
“お前と、キスを”
“テメーと、キスを”
“好きだ””好きだ”
──“好きだ”……
【END】
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