バレンタインデイ・キッス
「おはよう」「行ってくる」「ただいま」「おやすみ」
毎日毎日、ムサシとヒル魔の間でキスとともに交わされる言葉である。同じ屋根の下に住むようになってもう随分の年月が経つ。いつの間にか始まった挨拶のキスはいつの間にか欠かすことのない習慣となった。もしかしたら年とともに熱くなっているかもしれない。
ムサシは相変わらず家業に精を出し、ヒル魔はヒル魔でアメフトばかりでなく様々な競技の教え子たちを抱え、メンタルからフィジカルまでのケアに余念がない。お互いに忙しい日々ではある。それでも毎日、帰宅すると水入らずでくつろぐ時間をふたりはとても大切にしている。最近、時折話題になるのは家の話だ。ヒル魔は一生を現在のような賃貸暮らしでも良いと考えているが、ムサシは違う。職業も職業だし、何よりヒル魔と住むための家を自分で建てることができたらいいと漠然と考えるようになった。そのための資金も、少しずつでも貯めようという気になってきたところである。
世間は今月に入って急に寒さが厳しくなった。アメフトはオフシーズンであるため、ムサシはもちろんのこと他のメンバーも黙々と自主トレに励む日々だ。年齢やその他の事情から退団を決める選手もいれば、月末のトライアウトには入団を志望する選手も集まるだろう。家を建てるという夢はできたが、まだそれは先の話だ。当面の課題──武蔵工務店とそしてバベルズの飛躍に、ムサシは励まなければならない。そして2月上旬の近頃、ムサシが抱えている”課題”がもう一つあった。それにも、どこまでも真面目に誠実にムサシは取り組もうとしていた。
の、であるが。
武蔵工務店にはヒル魔の”手の者”がいる。耕平という営業部の若者だ。去年入社した耕平に、ムサシはヒル魔を俺の連れ合い、パートナーだ、と紹介した。いつものことではあるが、さてこいつはどんな顔をするだろう。そうヒル魔が思ったら、耕平はにこりと笑った。何のてらいもなく、よろしくヒル魔さん、と人懐こい笑顔を見せたのだった。戸惑いも何も耕平からは感じられなかった。ずいぶん大らかな性格らしいとヒル魔は思い、そしてそんな若者に好感を持った。だが耕平の欠点はそのすぐ後に見つかったのだ。
競馬にパチンコ。いわゆる賭け事、ギャンブルに耕平は目がなかったのだ。さすがに前借りを要求するようなことはなかったが、給料日前には泣かんばかりの哀れさで昼飯を抜いていたこともあるようだ。それを知ってからムサシの母は差し入れなどを持たせてやったこともあるようだが、ムサシが母に言ってきっぱりとやめさせた。本人のためにならないと考えたからだ。すると今度は耕平はヒル魔にも泣きついてくるようになった。ヒル魔とて性格が性格であるから、おいそれと融通する気はない。だが初対面の時の笑顔。そして店に顔を出すと嬉しそうにヒル魔さんヒル魔さんと懐っこくくっついてくる愛嬌。ムサシにはくれぐれも内緒にしろと言い含めて、ヒル魔は耕平に数度貸しを作った。無論、返済はさせたのであるが。
そんなことをしているうちに、耕平はすっかりヒル魔の”手下”になってしまった。まめにLINEを寄越し、店の情報を事細かに報告してくる。そればかりではなく、ムサシの仕事ぶりまでも。ヒル魔の名誉のために言っておくがこれは決してヒル魔がそうしろと命じたからではない。あくまでも耕平が勝手にしていることである。
教師に何でもかんでもしゃべるガキみてェだな、と半ばヒル魔は呆れながら耕平の相手をしていた。そして今月、そろそろ2月も二週目に入ろうかという時分。その耕平からまたLINEが飛んできた。
ムサシがデザイン部の女性社員とこそこそ話し合っていたという。ただの会話なら別段どうということもないが、様子が変だった。聞き耳を立てていた耕平に聞こえたのは、じゃあ12日の6時に東口で、というムサシの言葉だった。
これに対するヒル魔の反応はというと、別に何も思わなかった。仕事の相談か、私生活の悩みででもあるか。ムサシとの同棲生活はすでに随分と長くなり、ふたりは人生のパートナーとして周囲から認められている。職場の女性と会うなどという細かいことでいちいち目くじらをたてるほどヒル魔も子供ではない。いかにもご注進、という口調で来た”手の者”からのLINEも、何してんだろうな糞ジジイ、と思っただけである。
折しも世間はバレンタインで少し浮かれ気味だ。今年のバレンタインは金曜日にあたる。ムサシと職場の女性はその前々日に約束をしたらしい。何か訳があるんだろう、それなら当然ヒル魔の恋人はヒル魔に話すはずだ。だから別に心配も懸念も抱かなかった。
ところがである。
耕平からの知らせがあった日、帰宅したムサシをヒル魔は何食わぬ顔で出迎えた。何だか浮かない顔をしてるなとは思ったが、あえて指摘せずにおいた。
様子をうかがいつつ普段通りに接するヒル魔。そのヒル魔に対して、ムサシも普段通りだった。何か報告するだろうかとヒル魔が想像していた案件について、ムサシは何も話さなかった。まあおそらく件の女性のプライベートに関わる何かだろうとヒル魔は考え、放っておくことにした、だがしかし。
その日からムサシはどうも様子がおかしくなった。まず、やたらとヒル魔の予定を気にする。繰り返すがムサシとヒル魔はもう長い年月をふたりで暮らしているのだ。ヒル魔の仕事も当然ムサシは心得ている。そのはずなのに、今日はどこへ行く、何時にどうやって帰ってくる、としつこく訊く。どこへ行くも何も、ヒル魔は勤めに出るだけだ。ウィザーズの指導、そして兼任しているジュニアスクールでの指導。確かに日によって職場は違うし帰路も異なる。気が向けば帰りがてらにふらりとムサシの店に立ち寄ることもある。なぜか、そうしたヒル魔の行動を逐一ムサシは気にするようになった。
それと同時に携帯電話の扱いも変わった。普段、帰宅するとその辺に放り出している通信機器。小さなそれを、肌身離さずムサシは置いておく。ヒル魔が先に風呂に入って、あがったぞと言いに行くと、居間のソファで眉間に皺を寄せて一心不乱にスマホを操作している。そんな恋人の姿も度々見るようになった。
何をしてんだこいつは、とやがてヒル魔は呆れた。これでは、バレたら困るような怪しげなことをしていると思われても仕方ないではないか。
そうしているうちに中旬を迎えた水曜日。バレンタインの前々日である。行ってくるのキスをした後に、ムサシは言った。
「今日は遅くなる。先に飯、食っててくれ」
「わかった」
何気なくヒル魔は飲み会か? と訊いた。するとムサシは妙な生返事を口の中で呟いただけで出かけてしまった。ヒル魔の顔を見ずに、である。
あの男は一体何やってんだ? ヒル魔は何度目か、また呆れた。まさか浮気など、あの無骨で不器用な男にできるわけがない。──いや、でも。
自身も出勤の支度をしながら、ヒル魔は考えた。まさかとは思うが、このところのムサシの様子はおかしい。おかし過ぎる。浮気などできる性分の男ではない、それは分かっている。でも、それでも。
あまりにムサシの様子が変なので、何か伝染したのかもしれない。ヒル魔もおかしくなった。疑心暗鬼になったのである。だが愛しい男の妙な変化をくよくよと思い悩むなどヒル魔らしくない。ヒル魔はヒル魔なりに問題の解決を図ろうと考えた。そして、それを実行に移したのである。
「ただいま」
バシュッ。
銃弾がめり込んだのはムサシの顔の横の壁だ。音には驚いたがこんなことには慣れている。ムサシは落ち着いて受け止めた。今度は何だ、と思っただけだ。
目の前にはムサシの恋人がサプレッサー付きのコルト・ガバメントを構えて立っている。銃口はぴたり、ムサシの眉間を向いて。
「さあ吐け糞ジジイ」
「? 何をだ」
「テメーなんか隠してやがるだろう」
「? だから何をだ」
「そりゃ俺が聞いてんだふざけんな」
「隠し事って、俺が? お前にか」
「そうだ」
ムサシにはわけが分からない。こいつは何を言ってるんだ、と訝しく恋人を眺める。
ハンドガンを構えたまま、ムサシの恋人は言った。
「俺が気がついてないとでも思ってやがるのか。なら言ってやる、最近のテメーはおかしなとこだらけだ。何か企んでやがるだろう。さあ吐け、吐かねえと次はテメーの額にブチ込むぞ」
「ヒル魔」
「何だよ」
「お前、なあ……」
ムサシはため息をついた。隠し事などしていない。だが確かに、おかしいと言われれば心当たりがムサシにはある。それはヒル魔の思っているようなこととは全く違う。が、それをどう説明すればいいのかムサシには分からない。
「とにかく俺はやましいことなんかしてない。疲れたから先に寝るぞ」
恋人を相手にせず、ムサシは玄関からさっさと家の奥に入ってしまった。
残されたヒル魔。
せっかくの、ありとあらゆる銃器類を持ち出して締め上げるチャンスを逃してしまった。口を割らねえ気だな、それなら俺にも考えがある。ヒル魔はむくれた。ああ、つまんね、と思いながら用意しておいた大小さまざまの銃器、拷問具を片付ける。ついでムサシ同様、自室に早々とこもってしまった。
そうしてひと騒ぎした挙句、水曜日の夜は不気味に静かに終わったのである。
明けた次の日。
おはようと挨拶したムサシに、ヒル魔は返事をしなかった。ははあ、と思ったが朝の忙しい時間帯、可愛い恋人のことではあるがムサシにもかまっている時間はない。粛々と支度して出勤して、淡々と仕事をして終業を迎えたので帰宅した。ヒル魔は先に帰っていたがムサシを迎えるでもない。もちろん、おかえりのキスもない。困ったことだな、と思いながら無言の行のようにムサシは過ごした。
ヒル魔はヒル魔でもちろん、口を割らないムサシに腹を立てていたのだが、そればかりではない。本人は指摘されても決して認めようとしなかったのであろうが、ヒル魔の心にあったのは少しばかりの寂しさだった。恋人のことを何もかも全て知りたいなどとは思っていない。だが問い詰めた時のムサシのつれなさ。以前ならぎゃあぎゃあと騒がしく揉めたはずである。それがもう出来なくなったということなのか、どうなのか。ムサシの気持ちが、心が分からない。素っ気なくムサシを避けながらも、ある心許なさのようなものを抱えてヒル魔はこの日を過ごし、終えた。
毎日毎日、ムサシとヒル魔の間でキスとともに交わされる言葉である。同じ屋根の下に住むようになってもう随分の年月が経つ。いつの間にか始まった挨拶のキスはいつの間にか欠かすことのない習慣となった。もしかしたら年とともに熱くなっているかもしれない。
ムサシは相変わらず家業に精を出し、ヒル魔はヒル魔でアメフトばかりでなく様々な競技の教え子たちを抱え、メンタルからフィジカルまでのケアに余念がない。お互いに忙しい日々ではある。それでも毎日、帰宅すると水入らずでくつろぐ時間をふたりはとても大切にしている。最近、時折話題になるのは家の話だ。ヒル魔は一生を現在のような賃貸暮らしでも良いと考えているが、ムサシは違う。職業も職業だし、何よりヒル魔と住むための家を自分で建てることができたらいいと漠然と考えるようになった。そのための資金も、少しずつでも貯めようという気になってきたところである。
世間は今月に入って急に寒さが厳しくなった。アメフトはオフシーズンであるため、ムサシはもちろんのこと他のメンバーも黙々と自主トレに励む日々だ。年齢やその他の事情から退団を決める選手もいれば、月末のトライアウトには入団を志望する選手も集まるだろう。家を建てるという夢はできたが、まだそれは先の話だ。当面の課題──武蔵工務店とそしてバベルズの飛躍に、ムサシは励まなければならない。そして2月上旬の近頃、ムサシが抱えている”課題”がもう一つあった。それにも、どこまでも真面目に誠実にムサシは取り組もうとしていた。
の、であるが。
武蔵工務店にはヒル魔の”手の者”がいる。耕平という営業部の若者だ。去年入社した耕平に、ムサシはヒル魔を俺の連れ合い、パートナーだ、と紹介した。いつものことではあるが、さてこいつはどんな顔をするだろう。そうヒル魔が思ったら、耕平はにこりと笑った。何のてらいもなく、よろしくヒル魔さん、と人懐こい笑顔を見せたのだった。戸惑いも何も耕平からは感じられなかった。ずいぶん大らかな性格らしいとヒル魔は思い、そしてそんな若者に好感を持った。だが耕平の欠点はそのすぐ後に見つかったのだ。
競馬にパチンコ。いわゆる賭け事、ギャンブルに耕平は目がなかったのだ。さすがに前借りを要求するようなことはなかったが、給料日前には泣かんばかりの哀れさで昼飯を抜いていたこともあるようだ。それを知ってからムサシの母は差し入れなどを持たせてやったこともあるようだが、ムサシが母に言ってきっぱりとやめさせた。本人のためにならないと考えたからだ。すると今度は耕平はヒル魔にも泣きついてくるようになった。ヒル魔とて性格が性格であるから、おいそれと融通する気はない。だが初対面の時の笑顔。そして店に顔を出すと嬉しそうにヒル魔さんヒル魔さんと懐っこくくっついてくる愛嬌。ムサシにはくれぐれも内緒にしろと言い含めて、ヒル魔は耕平に数度貸しを作った。無論、返済はさせたのであるが。
そんなことをしているうちに、耕平はすっかりヒル魔の”手下”になってしまった。まめにLINEを寄越し、店の情報を事細かに報告してくる。そればかりではなく、ムサシの仕事ぶりまでも。ヒル魔の名誉のために言っておくがこれは決してヒル魔がそうしろと命じたからではない。あくまでも耕平が勝手にしていることである。
教師に何でもかんでもしゃべるガキみてェだな、と半ばヒル魔は呆れながら耕平の相手をしていた。そして今月、そろそろ2月も二週目に入ろうかという時分。その耕平からまたLINEが飛んできた。
ムサシがデザイン部の女性社員とこそこそ話し合っていたという。ただの会話なら別段どうということもないが、様子が変だった。聞き耳を立てていた耕平に聞こえたのは、じゃあ12日の6時に東口で、というムサシの言葉だった。
これに対するヒル魔の反応はというと、別に何も思わなかった。仕事の相談か、私生活の悩みででもあるか。ムサシとの同棲生活はすでに随分と長くなり、ふたりは人生のパートナーとして周囲から認められている。職場の女性と会うなどという細かいことでいちいち目くじらをたてるほどヒル魔も子供ではない。いかにもご注進、という口調で来た”手の者”からのLINEも、何してんだろうな糞ジジイ、と思っただけである。
折しも世間はバレンタインで少し浮かれ気味だ。今年のバレンタインは金曜日にあたる。ムサシと職場の女性はその前々日に約束をしたらしい。何か訳があるんだろう、それなら当然ヒル魔の恋人はヒル魔に話すはずだ。だから別に心配も懸念も抱かなかった。
ところがである。
耕平からの知らせがあった日、帰宅したムサシをヒル魔は何食わぬ顔で出迎えた。何だか浮かない顔をしてるなとは思ったが、あえて指摘せずにおいた。
様子をうかがいつつ普段通りに接するヒル魔。そのヒル魔に対して、ムサシも普段通りだった。何か報告するだろうかとヒル魔が想像していた案件について、ムサシは何も話さなかった。まあおそらく件の女性のプライベートに関わる何かだろうとヒル魔は考え、放っておくことにした、だがしかし。
その日からムサシはどうも様子がおかしくなった。まず、やたらとヒル魔の予定を気にする。繰り返すがムサシとヒル魔はもう長い年月をふたりで暮らしているのだ。ヒル魔の仕事も当然ムサシは心得ている。そのはずなのに、今日はどこへ行く、何時にどうやって帰ってくる、としつこく訊く。どこへ行くも何も、ヒル魔は勤めに出るだけだ。ウィザーズの指導、そして兼任しているジュニアスクールでの指導。確かに日によって職場は違うし帰路も異なる。気が向けば帰りがてらにふらりとムサシの店に立ち寄ることもある。なぜか、そうしたヒル魔の行動を逐一ムサシは気にするようになった。
それと同時に携帯電話の扱いも変わった。普段、帰宅するとその辺に放り出している通信機器。小さなそれを、肌身離さずムサシは置いておく。ヒル魔が先に風呂に入って、あがったぞと言いに行くと、居間のソファで眉間に皺を寄せて一心不乱にスマホを操作している。そんな恋人の姿も度々見るようになった。
何をしてんだこいつは、とやがてヒル魔は呆れた。これでは、バレたら困るような怪しげなことをしていると思われても仕方ないではないか。
そうしているうちに中旬を迎えた水曜日。バレンタインの前々日である。行ってくるのキスをした後に、ムサシは言った。
「今日は遅くなる。先に飯、食っててくれ」
「わかった」
何気なくヒル魔は飲み会か? と訊いた。するとムサシは妙な生返事を口の中で呟いただけで出かけてしまった。ヒル魔の顔を見ずに、である。
あの男は一体何やってんだ? ヒル魔は何度目か、また呆れた。まさか浮気など、あの無骨で不器用な男にできるわけがない。──いや、でも。
自身も出勤の支度をしながら、ヒル魔は考えた。まさかとは思うが、このところのムサシの様子はおかしい。おかし過ぎる。浮気などできる性分の男ではない、それは分かっている。でも、それでも。
あまりにムサシの様子が変なので、何か伝染したのかもしれない。ヒル魔もおかしくなった。疑心暗鬼になったのである。だが愛しい男の妙な変化をくよくよと思い悩むなどヒル魔らしくない。ヒル魔はヒル魔なりに問題の解決を図ろうと考えた。そして、それを実行に移したのである。
「ただいま」
バシュッ。
銃弾がめり込んだのはムサシの顔の横の壁だ。音には驚いたがこんなことには慣れている。ムサシは落ち着いて受け止めた。今度は何だ、と思っただけだ。
目の前にはムサシの恋人がサプレッサー付きのコルト・ガバメントを構えて立っている。銃口はぴたり、ムサシの眉間を向いて。
「さあ吐け糞ジジイ」
「? 何をだ」
「テメーなんか隠してやがるだろう」
「? だから何をだ」
「そりゃ俺が聞いてんだふざけんな」
「隠し事って、俺が? お前にか」
「そうだ」
ムサシにはわけが分からない。こいつは何を言ってるんだ、と訝しく恋人を眺める。
ハンドガンを構えたまま、ムサシの恋人は言った。
「俺が気がついてないとでも思ってやがるのか。なら言ってやる、最近のテメーはおかしなとこだらけだ。何か企んでやがるだろう。さあ吐け、吐かねえと次はテメーの額にブチ込むぞ」
「ヒル魔」
「何だよ」
「お前、なあ……」
ムサシはため息をついた。隠し事などしていない。だが確かに、おかしいと言われれば心当たりがムサシにはある。それはヒル魔の思っているようなこととは全く違う。が、それをどう説明すればいいのかムサシには分からない。
「とにかく俺はやましいことなんかしてない。疲れたから先に寝るぞ」
恋人を相手にせず、ムサシは玄関からさっさと家の奥に入ってしまった。
残されたヒル魔。
せっかくの、ありとあらゆる銃器類を持ち出して締め上げるチャンスを逃してしまった。口を割らねえ気だな、それなら俺にも考えがある。ヒル魔はむくれた。ああ、つまんね、と思いながら用意しておいた大小さまざまの銃器、拷問具を片付ける。ついでムサシ同様、自室に早々とこもってしまった。
そうしてひと騒ぎした挙句、水曜日の夜は不気味に静かに終わったのである。
明けた次の日。
おはようと挨拶したムサシに、ヒル魔は返事をしなかった。ははあ、と思ったが朝の忙しい時間帯、可愛い恋人のことではあるがムサシにもかまっている時間はない。粛々と支度して出勤して、淡々と仕事をして終業を迎えたので帰宅した。ヒル魔は先に帰っていたがムサシを迎えるでもない。もちろん、おかえりのキスもない。困ったことだな、と思いながら無言の行のようにムサシは過ごした。
ヒル魔はヒル魔でもちろん、口を割らないムサシに腹を立てていたのだが、そればかりではない。本人は指摘されても決して認めようとしなかったのであろうが、ヒル魔の心にあったのは少しばかりの寂しさだった。恋人のことを何もかも全て知りたいなどとは思っていない。だが問い詰めた時のムサシのつれなさ。以前ならぎゃあぎゃあと騒がしく揉めたはずである。それがもう出来なくなったということなのか、どうなのか。ムサシの気持ちが、心が分からない。素っ気なくムサシを避けながらも、ある心許なさのようなものを抱えてヒル魔はこの日を過ごし、終えた。
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