Wonderful World ──おれのまくら

「何だ、随分でかい祭りだな」
「そうだね、随分賑やかだねえ」
 ヒル魔が調べたところによると、それは施餓鬼に合わせた縁日であるらしかった。だがこんなに規模の大きなものだったとは。人通りの比較的少ない一角に立っていても、賑やかな雰囲気は一目で見てとれる。おどけたような、物悲しいようなお囃子の調べと人混みの中を、2人は歩き出した。
「で、あいつはどこら辺の店にいるんだ」
「どことは決まってないみたいだよ、あっちこっち手伝ってるみたい」
「それじゃ会えるかどうか分かんねえだろ」
「うーん、でも歩いてればどっかで見つかるんじゃないかな」
「適当なこと言うなテメー」
「だってムサシがそう言ってたし……あ! たこ焼き!」
「おい待て糞デブ」
 さっそく食うのか、と少し慌ててヒル魔は制止したが、栗田はあっという間に人混みをかき分けて行ってしまった。しょうがねえな、と苦笑して歩みをゆるめる。あとから追ってくるだろうから少しゆっくり歩いて、とりあえず参道の突き当たり、寺の境内まで行ってみよう。
 ヒル魔も栗田も普段着のTシャツ姿だが、夏のことで浴衣の客も多い。ゲームや食べ物、さまざまな屋台を見て歩くうちにヒル魔は射的の露店を見つけた。
 紅白の垂れ幕の中、上から白熱球。昔ながらの店構えで、ついでに景品もいつから使い回しているのか分からないような時代がかったものだった。モノには興味はないが何しろ遊戯が遊戯だ。あっという間に3等から1等までを総なめにして、口を開けて見ていた近くの幼児に景品を投げてやった。わっとあがる歓声を背後に、また歩き出す。
 小腹が空いたな、と思いながらあらためて沿道の店を見て回る。ありとあらゆる日本中の屋台がここに集結したかのような賑やかさだ。ヒル魔が目をとめた射的だけでなく、ゲームは輪投げ、金魚すくいやヨーヨー釣り、おもちゃや菓子のつかみ取りのようなものまである。さっき栗田がつかまってしまったたこ焼きの屋台も何軒もあるし、焼きそば、ホットドック、フランクフルトやお好み焼きといった屋台の定番、イカ焼きやじゃがバター、綿菓子にかき氷。ちょっと変わったところでは異国風のケバブやシャーピン。
 ラムネを買って喉を潤し、さて糞ジジイを見つけるまでこの先歩くか。それとも糞デブを待つかと思案しているところに栗田が追いついてきた。
「遅ェぞ」
「ヒル魔」
「? どうした」
 すぐにヒル魔は異変に気づいた。大切な友人。焼き鳥串やらとうもろこしやら、両手にいっぱいの食べ物を抱えた愛すべき友人が顔色を変えている。
「ち、ちょっと来て」
 黙ってヒル魔は栗田のあとを追う。何かあったな、糞ジジイに関わることか。そうでなきゃいいが。
 人混みをかき分けるようにして栗田とヒル魔は進む。来た道を少し戻るような形だな、と思いつつヒル魔は栗田に従った。友人の巨体のせいと、人混みもあって前が見えない。どうなってんだ糞デブ、と口を開こうとしたら栗田が急に立ち止まったため、ヒル魔は顔面をもろにその背中にぶつけた。
「急に止まんな!」
「…………」
 ヒル魔の悪態にかまわず、栗田は気遣わしげな視線をヒル魔へ、そして少し離れた屋台へと向けた。つられてヒル魔もその方向を見る。
「…………」
 ガムを噛んでいた口元が止まった。
 栗田の視線の先にいたのは、やはりムサシだった。焼きそばの屋台の隣に立つTシャツ姿。だがムサシは1人ではなかった。見るからに柄の悪い数人の少年に囲まれている。
「ヒル魔……どうしよう」
「…………」
 咄嗟にヒル魔はありとあらゆる可能性を──最悪のケースも含めて──考えた。じわりと手のひらに汗がにじむ。だがムサシは栗田の心配も、ヒル魔の懸念をも吹き飛ばしてくれたのだ。
 栗田とヒル魔が見ている目の前で、少年たちのうちの一人がムサシの胸ぐらに手を伸ばした。一瞬のうちにムサシはその手を掴み、静かにひねりあげる。声にならない悲鳴を少年があげた。一言、二言ムサシが何かを告げて手を離す。少年たちは慌ててその場を離れた。
「……ムサシ〜!」
 ほっとしたような泣き声をあげて栗田が駆け寄っていく。声に気付いたムサシは栗田を見て、続いてヒル魔にも視線を向けた。
「おう。来たのか」
 落ち着き払った声。
「良かった〜、大丈夫かい?」
「見てたのか」
「絡まれてたみてェだな」
 ヒル魔が言うと、ムサシはあっさりと答えた。
「まあな。釣り銭がどうとか因縁つけてきやがった」
「なんて言って追い払ったんだい? 僕びっくりしたよ〜」
「別に何も言ってない。こんなとこでアヤつけるな、てな」
「ケケケ、なかなかやるなテメー。さすが老成してんな」
「何言ってんだ」
 ヒル魔の軽口にムサシは苦笑する。
「そんなことよりここの焼きそば食っていけ。うまいぞ」
「ほんとだ、おいしそうだね。すごくいい匂い」
「テメーはまだすることあんのか」
「ああ、さっきみたいなのがまたどっかで悪さするかもしれないからな。あちこち巡って手伝わないといけない」
「……そうか」
「ねえ、ちょっと僕、焼きそばの前にあっちでりんご飴買ってくる!」
 おい待て、とヒル魔もムサシもほぼ同時に口にした。だが栗田はもう、少し戻ったところにある屋台をしか見ていない。つやつやのりんご飴やチョコバナナを綺麗に並べた露店へどすどすと向かって行ってしまった。
「…………」
「…………」
 どこか気詰まりな沈黙。
 しょうがねえなあいつ、と口を開きかけたヒル魔に、押しかぶせるようにムサシが言った。
「ヒル魔」
「なんだ」
「──すまなかった」
「……? 何がだ」
「ちょっと前、お前を呼び出した時のことだ」
 ヒル魔の胸が大きく鼓動を打った。
 ムサシは穏やかに言葉を続ける。
「俺が何か無神経なことを言ったんだろう。傷つけて、すまない」
「…………」
「俺はこの通りの人間だから気が利かないし、他のやつなら気が付きそうなことも気づかないでいたりする」
「…………」
「でもお前は大切な友達ダチだ。だから力になりたい」
 苦くヒル魔の胸にせまる思い。
「何かあったら言ってくれ。俺はいつでもお前のために動く」
 ムサシはヒル魔を見つめる。まっすぐな、強い意志を秘めたその瞳。
 物悲しいお囃子の音色。
 絡み合うふたつの視線。
 ふ、とヒル魔の肩から力が抜けた。同時に視線は外れる。
「……わかった」
「…………」
「そんなら糞ジジイ。とりあえずここの焼きそば奢れ」
 にやりと笑って口にすると、ムサシはほっとしたように破顔した。
「そんなわけに行くか。自分で買え」
「なんだよ俺のためってのはどうした」
「うるさい」
「言った端から忘れてやがるな耄碌ジジイ」
「減らず口叩くな」
「ケケケ、俺から減らず口取ったら何も残らねえよ」
「そりゃ随分薄っぺらなことだな」
「QBは軽くなきゃ務まらねえからな」
「吹けば飛ぶようなQBなんて聞いたことがねえぞ」
「抜かせ糞ジジイ」
 顔を見合わせて、ふっと同時に笑い出す。
 2人は歩き出した。肩を並べて、栗田のいる店の方へ。りんご飴を手にした優しい巨漢が2人に気づいて手を振ってくる。ムサシが手をあげて合図する。
 人混みとざわめき。祭囃子の音。その中を3人は消えていった。



 ──どうしようもなかったもんな。
 10年も前のことを思い出すと今でも胸が痛む。ムサシへの想い。3人の友情。ヒル魔の”道”が決まった瞬間だった。
 だが、とヒル魔は回想する。ただの友人──いや唯一無二の親友として生きる、そう決めたはずだった。ヒル魔の記憶は飛ぶ。次のヒル魔の脳裏に浮かぶのはその数年後だ。泥門の、デビルバッツの部室だった。
 どうしてそんなことになったのか分からない。試合の打ち合わせをしていたはずだった。だが気がついたらヒル魔は部室の壁に押しつけられていた。正面にはムサシ。両手を壁について、まるでヒル魔を逃すまいとするかのように。
「…………」
「…………」
 ヒル魔は無言だった。いや、何も言えなかったのだ。口を開いたらその瞬間に心臓が飛び出してしまうのではないか。それに──それに、間近にあるムサシの顔、ムサシの瞳。強い意志を物語る、まっすぐにヒル魔を見つめる強い瞳。その瞳で、でもムサシも何も言わなかった。ただ長い時間、そうしてふたりは見つめあった。互いの息を、熱を間近に感じていた。そうして──それから。
 それから、ヒル魔はムサシにキスをされた。
 ムサシの唇を感じた時、無意識にヒル魔は目を閉じていた。一瞬触れ合って、すぐにそれは離れた。だが続けてムサシは唇を押しつけてくる。ヒル魔は黙って受け入れた。今にも爆発しそうなほど脈打つ胸を感じながら。そうしながら、ヒル魔の心にあったのは不思議なことにある種の懐かしさのようなものだった。
 キスなど初めてのことだ。だがムサシと唇を合わせてみてヒル魔は感じた。この感触。ずっと前から知っていたような気がする、と。ムサシの唇は温かかった。ずっと前から、何年も前から自分は何度も、繰り返し、夢にまでみていたのだ。恋しい男、どうしようもないほど好きでたまらない男──ムサシ。そのムサシと、こうすることを。
 熱い息遣い。互いに感じながらムサシとヒル魔はキスを繰り返した。最初の衝撃が少し薄れ、不思議な懐かしさのあとにヒル魔の心には狂おしい熱がやってきた。狂おしいまでの、慕わしさが。しゃにむにヒル魔はムサシに抱きついた。ムサシもヒル魔を抱きしめてくれた、力強いその腕で。
 どれだけ抱き合っていたか分からない。夕闇に沈む泥門の部室。その一角で、いつまでもムサシとヒル魔は抱き合っていた。燃えるような、互いへの想いを抱えて。

 **********

 思えばこの時からの腐れ縁だ、と現在のヒル魔は考える。クリスマスボウルの夢を叶え、卒業して栗田、ヒル魔、ムサシの道は分かれた。栗田とヒル魔はそれぞれ大学で、ムサシは社会人として今度はライスボウルをめざす。親友たちより一足先に、数年前のヒル魔はそれを実現させた。ヒル魔を含め、最京大ウィザーズは大学日本一に輝き、ライスボウルへの出場を果たしたのだ。
 結果は満足のいくものでは決してなかった。だがアメリカンフットボールというこの競技を通して、ヒル魔は親友を、そして数多くの友人を得た。ムサシという恋人も。これからはこの競技から得たものを人生の指針として生きる。そのようにヒル魔は考えている。
 栗田は大学を卒業すると同時にアメフトをやめた。僧籍に入って父の跡を継ぐと決めたためだ。だが今もヒル魔とムサシの親友であることに変わりはない。特に、ムサシの率いる武蔵工バベルズの試合は大切な法要でもない限りはまめに足を運び、熱心に声援を送ってくれている。
 社会人リーグは群雄割拠の様相を呈しており、バベルズはそこから今一つ抜きん出ることができずにいる。特に春シーズンなどは観客席に空席が目立つこともある。暑くなってくると日傘をさして見物するような女性客もいるため、当面のチームの目標は”日傘をささせない”、すなわちギャラリーを満席にすることだ。当然、強くならなければいけない。そうしたバベルズの成長に、ゆくゆくはヒル魔も手を貸すつもりでいる。まだこれは恋人には内緒にしてあるが。
「ヒル魔」
 声のした方を見ると、ムサシがお盆を手に部屋の入り口に立っていた。
「飯、作ったぞ。少しでも食べろ」
「ああ」
 ゆっくりとヒル魔は布団を退けて起き上がった。さて、この恋人は何を持ってきてくれたのだろう。
「……こりゃすげェな」
 ムサシがひざまずいて大きなお盆を枕元に置く。その上のものを見て、ヒル魔は目を見張った。
 飯茶碗には、ほかほかと湯気をたてるお粥。それを取り巻くように、たくさんの付け合わせが並ぶ。どれも小皿や小鉢に美しく、少量ずつ盛られていて、何とも旨そうな風情だ。定番の、梅干しに昆布の佃煮。しらすと大根おろし。ヒル魔の好物の、葉も使った大根の浅漬け。生姜の千切り、おかか。ほうれん草のおひたし。賽の目に切った豆腐に温かい出汁あんをかけたもの。焼きネギの煮浸し。艶やかなだし巻き卵。そして最後に、りんごのすりおろし。
「うちにある皿、全部使ったんじゃね?」
「まあ色々、棚の奥からも引っ張り出してきたけどな」
 箸を取りながらヒル魔はふと言ってみた。
「おい糞ジジイ」
「なんだ」
「テメーなんでチューしたよ」
「は?」
 ムサシが訝しげな顔をする。
「泥門の時。テメーがチューして来たろ」
「いきなり、何言い出しやがる」
 怪訝な顔から、ヒル魔の恋人はくしゃりと笑顔になった。ヒル魔の好きな表情だ。
「なんでもいいから答えろ。なんでだよ」
「さあ。したかったからだろ」
「ふーん」
 熱い飯腕を持ち上げてから気がついた。気色の悪いえずきが消えている。
「食えそうか」
「うん」
「熱いから気をつけてな」
「ん」
「何か他に欲しいものあるか」
「ある」
「? なんだ」
「うでまくら」
 ムサシの目が優しくなる。
 ヒル魔はくしゃりと頭を撫でられた。
「食い終わったらな」
「んー」
 ムサシは立ち上がりかけた。ついでにヒル魔の頬にキスを一つ。
「終わったら呼べよ」
 言うなり、なんだかそそくさと出ていってしまった。自分のしたことに自分で照れたらしい。
 ──カワイイやつ。
 ヒル魔は吹き出しかけながらお粥を口に運ぶ。そういえばムサシの指にちょっと血がにじんでいた。りんごをすりおろした時の傷だろう。でもここは見て見ぬ振りをするのが情けというものだ。
 腐れ縁だが、あいつはどこまでも変わらねえな。でも俺たちは──変わったのかもしれない。
 長い年月をともに過ごした。良いことも悪いことも、幸せも嫌な思いも経験した。そしていまのふたりは互いを大切な恋人として、暮らしている。これからも、このようでありたい。ずっと、どこまでも。
 どこまでも、ムサシとともに。

 しんと身の引き締まるような。でもどこかあたたかな気持ちで、ヒル魔は静かに箸を口に運んだ。



 
【END】

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