【鉄キ】で『元旦』
よく晴れた新年最初の朝。
鶏肉で出汁を取った澄まし汁に焼いた餅を入れ、少しの小松菜を浮かべた簡素な雑煮を正座して向かい合って食べた。
片付けのあと、ふたりでアパートを出て少し遠く、最寄り駅の反対側の神社へ歩いて向かう。
駅から離れた商店街の中に位置しているそれは、調べてみたらやはり商売繁盛の神を祀っていた。
毎年詣でていたけれど、今年の初詣には特にぴったりだねえ、と歩きながらキッドは笑う。
年末最後の通帳記帳をしたのはキッドだった。
ふたりの巣に帰ってきた彼が、家で窓拭きをしていた鉄馬に発した第一声。
「鉄馬ぁ。見て、見てこれ」
「お帰り。紫苑」
鉄馬は窓拭きの手を止めてキッドを迎えようとした。狭いアパートの部屋の中、玄関から急いで近づいてきたキッドとは台所と和室の境目でちょうど向かい合う形になった。
「ね。ほら」
差し出された通帳のページ。
ずらりと並んだ数字の最後の行を見て、もの堅い鉄馬の顔もさすがにほころんだ。
「……目標額だ」
「ね、そうだね」
「やったな」
「やったね」
ふたりの夢。スタント会社を立ち上げる。そのための貯金。
ようやくその一歩を踏み出せた。
キッドは朗らかに笑いながら鉄馬に抱きついてきた。鉄馬も抱き返す。背中を軽く叩きあい、さすりあい、それからぎゅっと抱きしめあう。
「鉄馬」
「ああ。紫苑」
「……来年は忙しくなるね」
「そうだな」
「がんばろうね」
「ああ。頑張ろう」
そうして迎えた新年最初の朝は寒さ厳しく。だが幸福に神社までの道をふたりは歩いた。
人混みと華やかな賑わいの中で参拝の行列に並び、数十分ほどでふたりの番が来る。
神前に立つとますます強くなる厳粛な気持ち。鉄馬は普段から良い姿勢をさらにぴん、と伸ばす。
あらかじめ用意しておいた賽銭を静かに入れて、古い大きな鈴の綱を握った。
力を込めて振ったあと、様々な願いを胸に心から手を合わせる。
型通りの礼と柏手をしていると続いてキッドが鈴を鳴らす。
力強い音。鉄馬に負けず劣らず。キッドの思いもまた伝わってくるようだ。
続く人々の邪魔にならないよう、脇にずれてキッドを待ってから一緒に階段を下りる。
鳥居を出ながら、はあ、とキッドが息をついた。
明るい横顔。
この先の道を。希望を、じっと見据えるような明るいまなざし。
鉄馬は眩しくその表情を見る。
眩しく。
愛しく。
「鉄馬」
「…………」
「がんばろうね」
黙って鉄馬は頷く。それだけでもキッドにはちゃんと伝わると知っているから。
なんということもなく浮き立った気持ち。
ふたりでそんな気持ちを抱えて、黙って歩く。
商店街を抜けるとしばらくは住宅の並ぶ家路。そこを抜けると最寄駅。駅の構内を通って逆側に出ると、その前は複数のホテルが軒を連ねる一角だ。通常の、一般の宿泊施設ではない。けばけばしい看板を立てる、いわゆる色めいたホテルばかりが並んでいる。
引っ越してきた当時、キッドは駅前の一等地にこのようなホテル街があるのをさかんに不思議がった。地元の人たちから反対とかは出なかったのかな、どうしてこんな駅前の、目立つところにこんなのがあるんだろう。ねえ、鉄馬。
知るすべも、(キッドには申し訳ないが)あまり興味もなかったので鉄馬は黙っていたが、好奇心の旺盛なキッドはいろいろ調べてみたりしたらしい。それでも結局のところ、由来は分からなかったようだ。
高校を卒業して、ほとんど身一つで始めたふたりの暮らし。長かったような、短かったような。
考えながら歩いていたら突然鉄馬は腕を引っ張られた。
「し、紫苑」
何かあったのかと思う間もなく、半ばキッドの膂力で威勢よく引きずり込まれた。……ホテル街の、その中の一軒へ。
強引に玄関をくぐらせられながら、慌てて交わす会話。
「し、紫苑」
「なあに」
「まずいだろう」
「なにが」
「なにがって、だから」
「いいから、いいから」
キッドは涼しい顔でずんずん奥へ進んでいく。ここは何度か利用したことがあるから勝手知ったるものだ。
困ったな、と鉄馬は思う。
キッドが明るく、楽しそうな様子でいるのは良いことだしそれは鉄馬も嬉しい。でも厳かな元旦の、それも初詣の直後にその、あの、これはさすがにどうなんだろう。さらに言えば、こういうところはいまは正月料金とかで高いんじゃないだろうか。
口下手な鉄馬が何とかそう説明しようとする隙も与えずに、キッドは受付の男と話し始める。悪びれず、屈託もなく。
男が申し訳なさそうに告げた言葉に思わず鉄馬はほっとした(全くキッドには申し訳ないが)。
数分前に入った玄関をふたりで出た。だが立ち並ぶホテルをこのまま片っ端からキッドが巡り出したらたまらない。内心、鉄馬は戦々恐々としていたが、運良くそれは諦めてくれたようだ。
再び歩き出す。今度こそ家に向けて。
「満室かあ」
残念そうな声。
「……仕方ないな」
声音に気をつけながら鉄馬は発言した。
「ま、そうだよね。みんなお休みなんだし。することは一緒だねえ」
「……そうだな」
鉄馬にとっては普段より長く感じられたホテル街の出入り口。そこを抜ける直前にキッドが顔を寄せてきた。
「ね、鉄馬」
今度は何だ、と鉄馬はその顔を見る。
「帰ったらね」
キッドの目。
きらきらと悪戯めいた、愛しいキッドの目。
「……×××、してあげる」
今度こそ鉄馬は真っ赤になった。たしなめようとしても口が回らない。
「し、し、しえん」
「なあに。鉄馬」
「だ、だからこんなところで、その、おおっぴらに、あの」
キッドは身体を折って笑い声をあげた。そしていきなり走り出した。
「先に行くよ」
「し、紫苑!」
こんなところで、こんな状況で置いて行かれたらたまったものではない。あたふたと鉄馬も走り出す。
質素なふたりの住むアパート。駅前から徒歩20分強と少し歩くから、家賃も安く済ませることができた。
そのアパートまでの道をふたりで走る。
キッドの背中。全身で喜びを表しているような。
その背を見ながら走る鉄馬も何だか楽しくなってきた。
通行人の怪訝な目。いまのふたりにはちっとも気にならない他人の目。
鉄馬が追いついてもキッドは速度を緩めない。
肩を並べてふたりで走る。
寒さの厳しい、よく晴れた元旦の朝。
ほかほかと暖かいものを心に抱いて、ふたりは走る。
さて、帰ったらどうしよう、と鉄馬は少し考える。
厳粛な元旦の、それも初詣のあと。
……でも。やっぱり紫苑のしたいようにさせてやりたい、とも思う。
鉄馬は思う。恋人とともに走りながら。
新年おめでとう。
キッド。
……いや。
紫苑。
俺の、紫苑。
今までも。これからも。
ずっと一緒に歩いて行こう。
ずっと一緒に走って行こう。
愛しいお前と。
どこまでも。
【END】
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