もう雨は降らない

 春になって店にあいつから電話があった。部室の工事を頼みたいという。仕事は当然欲しかったから引き受けたんだが、俺はしばらく悩んだ。どんな顔であいつに会えばいいんだと思ってな。
 でも校舎で待ち構えていたあいつは素知らぬ顔だ。あの日のことなど覚えていない、何もなかった。まるでそんなように振る舞いやがる。だから俺もそうした。
 あの依頼はあいつの思いやりとそして顕示だろう。諦めてなどいない、という。
 俺が戻るのをな。
 ……俺には俺の葛藤があったが多分それはあいつも同じだろう。とにかく俺は依頼された通り仕事はやった。感情に蓋をして、あいつと同じ素知らぬ顔をして。ロッカーに置かれた俺のキックティーも見て見ぬふりをした。
 だが俺は見ていた。
 工事を続けながら。
 あいつを。栗田を、お前たちを。みなを見ていた。
 ……諦めていたはずなのにな。そうしていると殺していたはずの渇望が自分の中でよみがえる。それはお前たちへの羨望にも似ていたと思う。
 願望。渇望。身体を蝕まれるような焦燥感。来る日も来る日もそういうものが代わる代わるに俺を訪れた。
 夏前にあいつにまた言われた。俺が戻るとな。部室で、確かあれはNASA戦の直前だったと思う。いい加減新しいキッカーを育てろ。そう口にしたら、あいつは俺が戻るから問題ねえと抜かしやがった。
 ……相変わらず勝手なヤローだ。
 そうとしか俺は思わなかった。本当に──仕方のねえやつだ。
 あいつは諦めてなどいない。でもそういうあいつの執拗さが俺には少し嬉しいような気持ちもあった。心のどこかで安堵していた。あいつとの繋がりはまだ切れていない。そう感じて安堵する気持ちがあった。

 ……そういう安堵や、お前たちを目にすると押し寄せる焦り。じっと心を殺すしかない苦しさ。
 さまざまな感情が俺の中で入り乱れた。
 特に……お前たちのいなかった夏はな。
 あの夏は特に暑かった。暑くて息苦しいほどだった。チームを離れて二度目の夏。
 暑さと、そして烈しい孤独感に俺は苛まれた。
 お前たちを引き連れてあいつはアメリカへ渡った。すぐに連絡を寄越してな、先生と再会したと言う。恩師が元気だということが分かって俺は少しほっとした。同時に、あいつとお前たちの無事を祈る気持ちももちろんあった。無事で戻ってくるように、と。
 だが俺は恩師に合わせる顔がない。
 お前たちに合流できるはずもない。
 こんなことを感じるのはとてつもなく子供じみてるが……まるで置き去りにされたような感覚があった。
 毎日毎日、うだるような暑さだった。暑いし、わざときつい身体の使い方をして疲れ果てれば余計なことを考えずに済むだろう。そう思ってがむしゃらに働いたが、しょっちゅう夢を見た。
 試合の夢。部活の夢。そしてまた試合の夢。それから……。
 あいつの夢。
 あいつがいつもの笑い方をする。鋭いパスを放つ。歯を食いしばり鍛錬を積む。
 ……雨の中にあいつの姿が浮かぶ。
 そういう夢ってのはやりきれないもんでな。目が覚めなくても覚めても、いたたまれない思いをする。
 あいつに俺は届かない。お前たちに俺は届かない。どうあってもここから動くことはできない。
 四六時中そういう思いが頭にあってな。俺はこんな未練がましい男だったかと我ながら思った。
 未練。
 ……そうだな、未練としか言いようのない思いを俺は抱えていた。
 部活に、学校に。
 アメフトに。
 あいつに。
 いっそ何もかも投げ捨ててあいつとお前たちのもとへ駆けつけたいと何度思ったかしれない。
 あの夏、空だけは底抜けに明るかったけどな。その下で悶々と……のたうち回るような心境だった。今となっては過去のことだが。



 
 弱いチームはつまんねえ。
 俺があいつらを見捨てた。
 そんなせりふをお前たちに吐くたびに心から血が流れた。
 隠して隠して、殺していた心。本心。
 それを、お前たちにも俺はとうとう晒してしまった。今でもアメフトをやりたいのかとセナに聞かれて……当たり前だと叫んじまったからな。秋大会が始まってチームはもう一刻も猶予はならない。そしてあいつは俺に代わるキッカーを育てなかった。俺のすべきことはたった一つだった。
 そのたった一つが思いがけない形で叶った。
 思いがけない形で俺は復学した。
 チームに戻って、高校に戻って。俺はまた学生としてアメフトに打ち込むことができるようになった。
 もちろん、だからと言ってあいつにすぐさま打ち明けようなどとは思わなかった。好いた惚れたなんてことはな、だから何もなかった。
 ……とにかくここに戻れたということでいっぱいでな。遅れを取った学業、それに何より試合。そういうもので精一杯だった。
 ……俺は栗田とあいつに大きな借りがある。けじめをつけるというか、それにかたをつけなければならない。でなければ俺はあいつに触れてはいけないと思っていた。だから、黙ってあいつのかたわらにいた。
 それに、栗田が本当に嬉しそうでな……。
 俺とあいつと自分が揃ったこと、昔と同じように三人でいることを、栗田は心から嬉しみ、喜んでいるようだった。俺もそういう栗田の様子に、同じような嬉しさと安堵を覚えた。それもあって、今は勝つことが何より優先だ。勝ちを積み上げていくことだという思いを新たにした。

 ……ひとつ、またひとつと俺たちは勝ちを重ねたな。俺もみなもその中で成長した。ただそれでもやはりチームのブレーンはあいつだ。QB、攻撃の司令塔。なくてはならない存在だった。あいつへの想い、そしてあいつの重責を思うたび俺は胸が締めつけられた。……特にあいつが……負傷した時は。
 腕を吊ったあいつを、俺はいたわるようなことはしなかった。黙って、酸素カプセルに行くというあいつを見送った。
 ……本当は担いででも連れて行ってやりたかったけどな。
 でもそんなものをあいつは必要としていない。あいつをいたわり、あいつに触れる資格は俺にはない。……今は、まだ。それにあいつの中にも何か頑なな、鎧のように硬いものがあって俺を寄せつけない。
 今はまだ。
 そう俺は感じていた。



 成功するかどうか分からないフィールドゴールキック。
 60ヤードもの。
 あの時俺が言ったこと覚えてるか。俺は無理だと判断した。練習でも55ヤードまでしか決めたことがなかったからな。だが同時にやるしかないということもまた分かっていた。栗田とあいつと俺の、全てを賭けた最後のプレー。やり遂げなければならないと、ただそれだけを念じていた。
 あれが決まったあとな。やっとかたをつけることができた、なんて実感はずっとあとにやってきた。夢を叶えた興奮があまりに大きかったし、それに世界杯が続いたからな。
 俺たちは……フィールドは歓喜に包まれた。アメフト部に入ってよかったとセナは泣いたが俺もそんな気持ちだった。これまでのこと何もかもがこのためにあったのだ。
 セナも俺も、みなも同じ気持ちだっただろう。お前も。
 歓喜の極みにいたのはあいつも同じだ。あいつは──あいつも嬉しそうだった。宿願を果たしたんだからな。
 あいつは嬉しそうだった。ただそこで終わらないとこがいかにもあいつらしい。すぐに世界杯の準備を始めた。だから気持ちを伝えるも何も、あいつはそれどころじゃないだろうと俺は考えた。
 ……そうやって駆けめぐるあいつはまるで旺盛な生命力のかたまりだ。そしてそんなあいつを見ることが俺はたまらなく好きだ。アメフトに心をささげるあいつを見ることが。

 超のつく理論屋のくせして夢想家で、知恵も悪知恵も回る割にアメフトさえしてりゃ楽しい。 
 あいつはそういう男だ。
 アメフトという競技そのものがあいつを支えていた。
 けどもう一つ、あいつを支えていたものがある。
 チームだ。
 栗田や俺や仲間。何よりもどんどん育っていくお前たち後輩の存在。

 最後のあのゲームであいつは信じるという言葉を使った。
 俺らを信じると。
 あれはお前たちのおかげだと俺は思ってる。
 俺はいつもあいつを見ていた。忘れよう、目を背けようと思ってもいつも心にあいつがいた。だから分かることもある。
 お前は脅されてアメフトを始めただろう。嫌々、渋々と。セナだって自分の意志で始めたわけじゃない。でも栗田の、あいつの熱意があったからこそ続いた。栗田やあいつの懸命さ、ひたむきさが理屈や損得抜きでみなを動かした。
 そしてお前たちを引っ張っているようでいて、あいつはお前たちに支えられてもいたんだと思う。
 俺たちはみななりふり構わず進んだ。あいつに従って。
 いや……従うというのはちょっと違うな。あいつの周りで肩を並べて、という方が正確だ。俺だけではなくお前たち後輩もな。そうしてどんどん育っていった。アメフトを、チームを愛するあいつにとってそれはどんなにか心震える出来事だっただろう。
 あいつに俺は言ったこともある。セナと中坊は似てる。いいのが育ってるな、と。俺らが抜けたあともデビルバッツはやっていける。嬉しいんだろ、と。
 ……本当にあいつはお前たちを引っ張っているようでいてお前たちに支えられてもいた。
 あいつは幸福なやつだと思う。
 そしてあいつの幸福は俺の幸せでもある。
 デビルバッツは俺ら三人で始めたチームだ。だけど栗田が守り、あいつが守り、セナが加わった。みなが加わって守って続いた。
 そういうみなに俺はいくら感謝しても足りない。
 本心からそう思う。
 心から。



 たまりかねて十文字は口を挟んだ。
「そう言われるとくすぐったいけどよ」
「うん?」
「本題はそっちじゃねえだろ」
「…………」
「俺らのことよりあんたらのことだ。いつ通じたんだよ。あんたの気持ちは」
「…………」
 ムサシは明らかに口ごもった。次に礼服の襟から覗く首が赤くなった。その血の気は次第に上へ、力強い骨格を持つ頬へも広がる。参ったなというように、ムサシは片手でおのれの頬をこすった。
 頼り甲斐のあるキッカー。チームの縁の下の力持ち。そういう男の赤面を十文字は初めて目にした。この男でもこんな風に戸惑い、困惑し、純情を見せることがあるのだなと感慨深い。
 さてこれはどのように誘導してやればいいだろう。そう頭を働かせ始めた後輩に、ムサシはらしくもなく言い訳めいた口を聞いた。
「いや、その……それはある意味お前たちのおかげでもあるから俺は」
 十文字はしびれを切らしてさえぎった。もごもごとつぶやく男を。
「俺らのことはいい。おかげとかそういうんじゃなく肝心のとこをとっとと白状しやがれ。じゃねえとこっから出してやらねえぞ」
「…………」
 赤い顔でムサシはためらう。また頬を手でこすった。
 それから、最後まで話すことにやっと腹を決めたらしい。ぎこちなく口を開いた。
「……ひ」
「あ?」
「……飛行機でな」
「いつ、どの飛行機だよ」
「いや……」




 世界杯の……帰りの飛行機でな。
 晩飯のあと灯りが消されて、みんなたちまち寝入っちまっただろう。
 俺はあいつと隣り合わせで一番後ろの席にいた。みなと同じようにやはり毛布をかぶってぐっすり眠っていた。そのはずだったんだが、興奮冷めやらぬというか……どうも眠りが浅かったらしい。
 静かだが絶え間なく聞こえる音の気配で目が覚めた。キーボードの音だ。見るとあいつがPCを叩いてる。一心に画面を見つめて。
 ──寝ないのか
 毛布をめくって、俺はひそりとささやいた。
 あいつは画面から目を離さない。俺を見もせずに全く別のことを言った。
 ──糞ジジイ
 ──なんだ
 ──帰ったらキャプテン交代だ
 これは無論俺にキャプテンをやれという意味じゃない。俺らの引退後のことだろうとはすぐに察せられた。あいつは相変わらず画面を見つめながら言葉を続けた。
 ──糞チビにやらせる
 ──……そうか
 ──あとは引き継ぎだ。あいつに覚え込ませなきゃならねえことが山ほどある
 ──そうだな
 ケケ、と低くあいつは笑った。
 ──来年も勝つぞ
 ──…………
 ──もっと強くなる。デビルバッツはな
 ──…………
 俺は黙ってあいつの横顔を眺めていた。
 ……読書灯とPCがあいつの頬をほの白く照らす。引き締まった頰。顎から耳に続く線をたどるとピアスがうっすら光る。細い鼻筋。ガムを膨らませる口もと。
 その眸はどこまでも前を見据える眸だ。先を、前を。未来を。今までもそうだったしこれからもそうだろう。そしてそんなあいつを見るのが俺はたまらなく好きだ。今までも、これからもこいつのかたわらに俺はいたい。
 肩を並べて、ずっと。
 それだけが俺の願いだ。
 ……そんな思いが胸に広がった。
 黙って眺めているとあいつがちらと視線だけ俺に向けた。俺が見ていることに気づいたらしい。
 俺は……何も考えてなかった。体が勝手に動いた。それでも気配を殺すように静かに、ゆっくりと動いた。
 片手を伸ばした。あいつの頬へ。あいつが不審に思うかもしれないとか、そういうことは一切浮かばなかった。心臓が口から飛び出しそうに脈打ち始めていたが……それでもどうにもたまらなかった。
 あいつは逆らわない。黙って俺を見ている。俺がそっと体を寄せても逆らわない。あいつの眸。静かな眸だ。俺の目の方がよほど熱を帯びていたんじゃないかと思う。薄い唇は軽く閉じていていつもの笑い方も悪口も出ない。その唇を俺は見つめ、あいつの眸を見つめ──また唇を見つめた。あいつの息遣いが俺に伝わる。あいつの体温を感じさせるあたたかな息が。
 この息遣いをもっと感じたい。もっと近くに。もっと触れたい。俺の中にあったのは求めるとしか言いようのない気持ちだ。あいつの口もとを俺は求めた。まぶたを半ば閉ざしながら。

 あいつもまぶたを閉ざそうとしているのが分かった。
 ふたりして同じように目を閉じて──。

 唇を重ねた。

 ……あたたかくやわらかな唇だった。

 目を薄く開けると今触れたあいつの唇が見えた。あいつの鼻梁も。次に眸が見えた。
 真摯な目だ。揶揄も悪態もない。真摯で、静謐な眸だった。
 ──……いきなり手ぇ出しやがって
 そうあいつはつぶやいた。
 俺もささやき返した。
 ──お前だっていきなりだっただろう
 あいつの眸は僅かに動いた。それから理解の色が落ちた。俺の含ませた意味を悟ったんだろう。あの雨の日。
 俺たちはうつむきがちに顔を寄せあった。目と目を交わした。
 そうして、口もとを笑みの形にした。
 あいつも。俺も。
 顔を見合わせて。
 微笑みを交わしあった。
 ……そうしながら俺の胸にあったのは……、この上なくあたたかな思いだ。ようやく手が届いた、という。
 俺はようやく手が届いた。あいつの心に。あいつの中の鎧はもうない。それはみなとあいつと俺と、これまで力を合わせて闘い抜いてきたことで溶けていったのだ。だから俺は手を伸ばすことができた。だからさっき言おうとした、俺の気持ちが通じたのはお前たちのおかげのようなものだとな。
 大切な、大切なあいつの心。ようやく俺はそれに届いた。
 あの冷たい雨。
 あの雨はもう降らない。
 俺たちの間に。
 あいつの頰が濡れることももうない。

 それから俺たちは毛布をかけて眠りについた。隣り合わせで、満ち足りて。
 次に目を覚ますとあいつはもう起きていて、何事もなかったような顔でまたPCをいじってた。それを見ながら、俺は何だか生まれ変わったような気持ちだったことを覚えている。
 ……好いた惚れたというようなことは相変わらずどちらの口からも出なかったのにな。
 昨日までの自分とはもう違う。
 そんな、気力がみなぎるような心持ちだった。


 あいつは大学を出てから渡米した。だが俺は何年だろうが待つことに何の懸念もなかった。そして帰国したあいつは俺の前でにやりと笑った。待たせたな、と。今度はこの国からアメフト旋風を巻き起こすのだと言う。糞ジジイ、テメーも協力しやがれと。
 もうすぐ試合だ。日米戦という晴れ舞台がすぐそこに迫っている。こっちは俺たち社会人から学生までの選抜チームが迎え撃つ。こんな大試合は数年前までなら到底できなかったことだ。だけどあいつが時間をかけて力を尽くして、多くの協力を得て実現させた。
 俺はあいつの采配を信じる。
 かつてあいつが俺らを信じたように。
 俺たちは米国代表に勝つ。勝って、栄光の杯を上げる。
 うちのチームもそうだ。社会人リーグ随一の地位を守り抜く。ライバルは多いし、何より油断ならないのがあいつの旗下のチームだ。だが負けるつもりはない。
 ……俺はどこまでもあいつと一緒にやって行くつもりだ。
 アメフトを。
 人生を。
 あいつと肩を並べて。
 どこまでも。

 ……俺の話はざっとこんなところだ。




 語り終えて、ムサシはまぶしげに目を細めた。頬には上気の色。
 ムサシの微笑を、十文字は胸の深いところで受け止めた。目の前の男の心。想い人への愛情。細やかな、真摯な心。それが自分の心の深いところへもしんと響く。しみじみと、感じたことを口にした。
「……あんたは不器用な男だな」
「何だ急に」
 わざと明るく口調を変えて、十文字は両腕で伸びをして見せた。
「どうやってモノにしたんだって聞いたろ。最初」
「ああ」
「あんたのことだからもっと天然に片付けるかと思ってた」
「どういうことだ」
「分かんねえなら分かんなくていい。それより具体的なとこはよかったが、もうちょっと手短かに喋れよな。端的に」
 十文字の胸にあるのは包み隠さず語ってくれた男への感謝である。ただ、ムサシはこのおのれの行為に照れや恥じらいを感じているようだ。ゆえにできるだけムサシの気を紛らわせようと後輩は計った。故意に文句をつけるような口調を使った。
「要領よくまとめりゃいいのに、くどくどとまあ惚気話を聞かせやがって。不器用だってのはそういうことだ」
「聞かせろってごねたのはお前だろう」
「こんな回りくどく聞かせろとは言ってねえよ」
「何だ」
 ムサシは当てが外れたような顔をした。
「俺は話し損か」
「そうかもな」
「こいつ」
 二人は笑い出した。なおも笑いながら十文字は冷やかした。
「ま、あんたの弱みを握った。覚悟しとけ」
 ムサシも笑って応えた。
「お前、だんだんヒル魔あいつに似てきたな」
 ムサシの目尻。しわを含んだ目尻を十文字は眺める。いい顔だと思った。幸せそうだ。
「次会う時までにきちっとまとめといてくれよ」
「何をだ」
「20代のあんたら。今聞いたのは10代だろ」
「馬鹿も休み休み言え、これ以上知られてたまるか」
「なんか後ろ暗いことでもあんのか」
「そういうわけじゃないが」
「じゃいいじゃねえか」
「要領よくなんかできねえぞ」
「てことは次もまたぐだぐだとのろける気かよ。懲りねえなあんたも」
「別にのろけてるつもりはないが、そう見えるなら俺があいつを愛してるからだな」
 ぬけぬけとムサシが言い放ち、十文字は一瞬ぽかんとした。次に腹を抱えて笑った。隣の男も声を上げて笑った。
「あっ、見つけたー!」
 賑やかな声がして、二人は顔をそちらに向けた。手を振る栗田とそれにヒル魔が近づいてくる。
「何だよこんなとこで」
 ヒル魔の問いにムサシが答えた。
「ああ、ちょっと一息な。それより」
「おう。あれやるから来い」
「分かった」
 ムサシは身軽く腰を上げた。十文字も続いた。
「あれって、なんかやるのか」
「テメーも出んぞ、糞長男」
「なんかヒル魔の秘蔵映像集だって。楽しみだねえ」
「はア!?」
 十文字は慌てた。宴会の余興に映像を視聴すると言うのは定番であるが、よりによってヒル魔の隠し財産だとは。何が映るやら分からない。スクリーンに張り付いて、自分のおかしな姿でもあれば何としても邪魔しなければ。これだからヒル魔という男は油断ならないのだ。全く、本当に。
 栗田にムサシにヒル魔。宴会場に戻ろうとする三人に、急いで十文字も続いた。ちらとヒル魔の後ろ姿が目に入った。
 金の髪。
 十文字の心にある光景が降りた。
 雨にけむる金髪。雫に濡れる肩が目に浮かぶ。けれどムサシの言葉もまた十文字の胸によみがえる。

 ──俺たちの間に

 十文字の歩みが止まった。勘良く気づいたのはヒル魔だった。
 ポケットに手を突っ込んだまま、ヒル魔が声を投げた。
「何してんだ。来いよ」
「……あ、ああ」
 ネクタイを締め直しながら、十文字はまた足を踏み出した。
 目に映るのはふたつの背中。
 ぴんと伸びた細身の背中、がっしりと丈夫な背中。
 
 心の内で十文字は語りかけた。

 ──よかったな
 ──本当に

 よかった。


 
 あのふたりの間に。

 あの金色に、あの肩に。

 もう雨が降ることはない。



 ふたりの上に。



 ──もう雨は降らない。





【Fin.】
  
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