ハニートラップ ──まんまるな天使【ACT2】
ある年バベルズに入団した新人。その新人からムサシはつもる話を聞いたことがある。飲み会の席の片隅、宝物の話だ。
新人の宝物。それはアメフトを始めてから今までに出会った「人」そのものだという。
高校時代の部の仲間、大学のチームメイトたち。それにトレーナーやスカウティング、監督。そういう人たち全てと出会ってよかったと思っているし、それが自分の宝物なのだと新人は少しはにかみながら話してくれた。だからアメフトをやっていてよかったと心から思っている、と。
練習熱心だが普段は控えめ。そんな新人が酒の席とはいえ率直にこんな話をしてくれたことをムサシは嬉しいと思った。そして帰宅した後にしみじみと考えた。
出会い。出会った人々。アメフトという縁で結ばれた人々。そういう人々が宝物であるのはムサシも全く同様だ。
先の新人ばかりでなく、アメフトという競技はムサシにもかけがえのないえにしを与えてくれた。部の仲間、バベルズの仲間。そして何よりも。
二人の親友。──”天使”と”悪魔”。
出会いは単なる偶然だった。あの時金網の修理に出かけなかったら同じ学校というだけで今でも赤の他人だっただろう。偶然というものの不思議さをあとあとムサシは噛み締めることになる。
栗田とヒル魔の勧誘。最初は驚いたし第一アメフトなどというスポーツにムサシはまるで興味も関心もなかった。ところがその心情が変わった。この巨漢と金髪は本気だ。チームを、アメフト部を作ろうとするその情熱はまごうことなきほんものだ。なりふり構わない強引な勧誘にムサシはそれを見た。そしてこの二人のいわば心意気に感じた。だから仲間になったのだ。
三人だけの部活動。始めてみてすぐにムサシは見抜いた。悪評高い金髪頭、ヒル魔妖一。ヒル魔は筋の通らないことはしない。脅迫手帳は部活動のためだしアメフト以外の場でそれが使われることはない。プレーヤーとしてはまるで凡庸、けれどそれを補うためチームを勝利に導くための地味でひたむきな努力。
物騒な外見、怪しげな評判。そうしたものに隠された金髪頭の、言ってみれば魂の高潔さのようなものにムサシはすぐに気づいた。そして惹かれた。
中学、高校。
休学。
タイムアウトの夜明け。
クリスマスボウル。
ほっと息をつく暇もなく世界戦へ。
全て終わった高2の冬、ムサシは考えた。
家のこと、おのれのこと。ヒル魔のこと、栗田のこと。
さまざまを考えてある結論を出した。
そしてふらりとヒル魔を訪ねた。
ヒル魔の住まい。それは自宅ではなくホテルの一室だ。中学時代のヒル魔が支配人を脅して入り込み、それからずっと居座り続けていた地味なビジネスホテル。
そこでムサシは今後の計画をヒル魔に語った。卒業後の進路、新たな社会人チームの創建。栗田ともヒル魔とも別々の道を行くつもりであること。だがそれを二人とも歓迎してくれると自分は信じていること。
まずはお前に聞きたい。ヒル魔、どう思う。
ヒル魔は──口から先に生まれてきたようなこの男が──珍しく黙ってムサシの話に耳を傾けていた。
ムサシが語り終えて口をつぐむ。するとヒル魔は目を伏せてにやりと笑みを見せた。いつもの甲高い悪魔笑いとは違う、抑えたような笑い方だ。だがムサシは確かに伝わったと思った。ヒル魔の心が。
そうしてみるとほっと息をつきたいような気持ちがムサシの胸にやってきた。同時に、何か物足りないというような相反する感情も。
──ヒル魔
思わず呼んだムサシを、ヒル魔は相変わらず黙って見つめた。どこか透徹な、不思議なまなざしで。
ムサシも見つめ返した。
ムサシの目、ヒル魔の目。
どうしてかごく自然に寄り添うふたつの体。
不思議だなと少し頭の片隅で思いながら、ムサシはヒル魔とくちづけを交わした。
初めてのくちづけを。
高3に進級してクラスは別々となった。ムサシは普通科、ヒル魔と栗田は進学科だ。だが別に寂しいとはムサシは思わなかった。想いが通じたことは分かっていたし、放課後の部活動では毎日顔を合わせるのだ。
春から夏。新入部員やその他の後輩たちを育てながらムサシは励んだ。そして夏には二人の親友や雪光と揃って部を引退した。
ヒル魔とは時々ふたりで会った。もっとも、栗田も一緒ということも無論あったのだが。
夏休みが終わり、二学期が始まる。そのわずか数日後、ムサシの身に一つの事件が起こった。
「ちょっと、ムサシ」
5限用の教科書とノートを広げていたら声をかけられた。顔を上げるとやはり愛すべき巨漢。何だかせかせかと教室に入ってきたようだ。
「どうした」
「どうもこうもないよ」
なせだか栗田はあたふたしている。そのくせ声量は抑えているようだ。
ムサシの前の席が空いているのを見て、ちょっといいかな、と呟いて腰を下ろした。
身を乗り出すようにして口を開く。
「あのさ」
「なんだ」
「驚くかもしれないけど」
「だからなんだ」
声をひそめて、重大そうな口ぶりで栗田は告げた。
「ヒル魔がさ、いま告白されてるんだよ」
「……あ?」
ぽかんとムサシの口が開く。なんだって?
「だからヒル魔だよ。クラスの女子に告白されてるんだよ、屋上のドアのとこで」
「ほお」
少し意表を突かれたが、気を取り直してムサシは笑った。
「あいつに告白か。また変わった女 がいるな、いやよっぽど度胸があるのか」
「そんなのんきなこと言ってる場合じゃないよ!」
「何でだ」
「心配だよ、ヒル魔あれですごく純情なところがあるから」
「あいつが純情?」
思わず吹き出しそうになるのをムサシはこらえた。
「またずいぶん買い被ってるな、お前は」
「だってさ……」
「一体全体どこを見ればあいつが純情なんだ」
からかうように口にしたムサシに、巨漢は当然といった顔で言い返した。
「だってヒル魔はずっとムサシを待ってたんだから。ずっと好きだったんだからさ、ムサシが」
「…………」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。理解がやってきたのはそのあとだ。
衝撃。
胸が破れるような鼓動がムサシを襲った、大量の発汗も。
「な……」
何か言わなければならない、だが言葉にならない。脳が沸騰したようでまともな思考も返答もできない。そんなムサシに巨漢は噛んで含めるようだ。
「ムサシだってそうでしょ。それでつきあってるでしょ、今。それならちゃんと焼きもち焼いてあげないとだめだよ」
「…………」
「気にしてあげてね、そういうとこちょっとムサシは鈍いからそれも心配だよ」
「…………」
「あ、僕のことなら気にしないでいいよ。知ってるから、全部」
「く、くり、くり」
「え、何だい」
「おま、お前いつから」
「いつから? あ、いつから知ってたかってこと?」
巨漢は愛らしく首をかしげる。全く悪気はないようだ。
「さあ、いつからかなあ。とにかく昔から」
「…………」
ムサシは二の句が告げられない。なんと言えばいいんだ、こういうとき。そんな思いばかりがぐるぐる回る。
巨漢は立ち上がった。
「とにかく、あとでうまくやってね。ムサシに話したよって言っておくから、ヒル魔に」
「…………」
「じゃあ授業がんばってね!」
笑って手を振って、またせかせかと栗田は教室を出て行った。
残されたムサシ。
呆然と。
まさに呆然とするしかない。
──…………
ヒル魔とのことを、別にあの愛すべき巨漢に隠していたつもりはない。いずれ話そうとは思っていたが、まさかこんな形になるとは。
全部知っていると栗田は言った。ではムサシの想いやヒル魔のそれや、あれもこれもそれも全部分かっていたということか。
青天の霹靂だ。
それに栗田の助言によればどうやら焼きもちを焼いた方がいいらしい。そんなものを焼くのは生まれて初めてのことで、一体どうしたらいいのか。
いやそれより重大なのは──栗田だ。
とっくにバレていたということだ。
このことをヒル魔になんて言おう。そしてこのあとどんな顔で栗田と顔を合わせたらいいんだろう。
考えすぎると熱が出ることもあるらしいが、今のムサシは本当に発熱しそうだ。
──……参ったな
廊下から授業の始まりを告げる鐘の音。
どういうわけか鐘を鳴らす天使が脳裏に浮かんだ。
にこにこと笑顔のまんまるな天使。
新人の宝物。それはアメフトを始めてから今までに出会った「人」そのものだという。
高校時代の部の仲間、大学のチームメイトたち。それにトレーナーやスカウティング、監督。そういう人たち全てと出会ってよかったと思っているし、それが自分の宝物なのだと新人は少しはにかみながら話してくれた。だからアメフトをやっていてよかったと心から思っている、と。
練習熱心だが普段は控えめ。そんな新人が酒の席とはいえ率直にこんな話をしてくれたことをムサシは嬉しいと思った。そして帰宅した後にしみじみと考えた。
出会い。出会った人々。アメフトという縁で結ばれた人々。そういう人々が宝物であるのはムサシも全く同様だ。
先の新人ばかりでなく、アメフトという競技はムサシにもかけがえのないえにしを与えてくれた。部の仲間、バベルズの仲間。そして何よりも。
二人の親友。──”天使”と”悪魔”。
出会いは単なる偶然だった。あの時金網の修理に出かけなかったら同じ学校というだけで今でも赤の他人だっただろう。偶然というものの不思議さをあとあとムサシは噛み締めることになる。
栗田とヒル魔の勧誘。最初は驚いたし第一アメフトなどというスポーツにムサシはまるで興味も関心もなかった。ところがその心情が変わった。この巨漢と金髪は本気だ。チームを、アメフト部を作ろうとするその情熱はまごうことなきほんものだ。なりふり構わない強引な勧誘にムサシはそれを見た。そしてこの二人のいわば心意気に感じた。だから仲間になったのだ。
三人だけの部活動。始めてみてすぐにムサシは見抜いた。悪評高い金髪頭、ヒル魔妖一。ヒル魔は筋の通らないことはしない。脅迫手帳は部活動のためだしアメフト以外の場でそれが使われることはない。プレーヤーとしてはまるで凡庸、けれどそれを補うためチームを勝利に導くための地味でひたむきな努力。
物騒な外見、怪しげな評判。そうしたものに隠された金髪頭の、言ってみれば魂の高潔さのようなものにムサシはすぐに気づいた。そして惹かれた。
中学、高校。
休学。
タイムアウトの夜明け。
クリスマスボウル。
ほっと息をつく暇もなく世界戦へ。
全て終わった高2の冬、ムサシは考えた。
家のこと、おのれのこと。ヒル魔のこと、栗田のこと。
さまざまを考えてある結論を出した。
そしてふらりとヒル魔を訪ねた。
ヒル魔の住まい。それは自宅ではなくホテルの一室だ。中学時代のヒル魔が支配人を脅して入り込み、それからずっと居座り続けていた地味なビジネスホテル。
そこでムサシは今後の計画をヒル魔に語った。卒業後の進路、新たな社会人チームの創建。栗田ともヒル魔とも別々の道を行くつもりであること。だがそれを二人とも歓迎してくれると自分は信じていること。
まずはお前に聞きたい。ヒル魔、どう思う。
ヒル魔は──口から先に生まれてきたようなこの男が──珍しく黙ってムサシの話に耳を傾けていた。
ムサシが語り終えて口をつぐむ。するとヒル魔は目を伏せてにやりと笑みを見せた。いつもの甲高い悪魔笑いとは違う、抑えたような笑い方だ。だがムサシは確かに伝わったと思った。ヒル魔の心が。
そうしてみるとほっと息をつきたいような気持ちがムサシの胸にやってきた。同時に、何か物足りないというような相反する感情も。
──ヒル魔
思わず呼んだムサシを、ヒル魔は相変わらず黙って見つめた。どこか透徹な、不思議なまなざしで。
ムサシも見つめ返した。
ムサシの目、ヒル魔の目。
どうしてかごく自然に寄り添うふたつの体。
不思議だなと少し頭の片隅で思いながら、ムサシはヒル魔とくちづけを交わした。
初めてのくちづけを。
高3に進級してクラスは別々となった。ムサシは普通科、ヒル魔と栗田は進学科だ。だが別に寂しいとはムサシは思わなかった。想いが通じたことは分かっていたし、放課後の部活動では毎日顔を合わせるのだ。
春から夏。新入部員やその他の後輩たちを育てながらムサシは励んだ。そして夏には二人の親友や雪光と揃って部を引退した。
ヒル魔とは時々ふたりで会った。もっとも、栗田も一緒ということも無論あったのだが。
夏休みが終わり、二学期が始まる。そのわずか数日後、ムサシの身に一つの事件が起こった。
「ちょっと、ムサシ」
5限用の教科書とノートを広げていたら声をかけられた。顔を上げるとやはり愛すべき巨漢。何だかせかせかと教室に入ってきたようだ。
「どうした」
「どうもこうもないよ」
なせだか栗田はあたふたしている。そのくせ声量は抑えているようだ。
ムサシの前の席が空いているのを見て、ちょっといいかな、と呟いて腰を下ろした。
身を乗り出すようにして口を開く。
「あのさ」
「なんだ」
「驚くかもしれないけど」
「だからなんだ」
声をひそめて、重大そうな口ぶりで栗田は告げた。
「ヒル魔がさ、いま告白されてるんだよ」
「……あ?」
ぽかんとムサシの口が開く。なんだって?
「だからヒル魔だよ。クラスの女子に告白されてるんだよ、屋上のドアのとこで」
「ほお」
少し意表を突かれたが、気を取り直してムサシは笑った。
「あいつに告白か。また変わった
「そんなのんきなこと言ってる場合じゃないよ!」
「何でだ」
「心配だよ、ヒル魔あれですごく純情なところがあるから」
「あいつが純情?」
思わず吹き出しそうになるのをムサシはこらえた。
「またずいぶん買い被ってるな、お前は」
「だってさ……」
「一体全体どこを見ればあいつが純情なんだ」
からかうように口にしたムサシに、巨漢は当然といった顔で言い返した。
「だってヒル魔はずっとムサシを待ってたんだから。ずっと好きだったんだからさ、ムサシが」
「…………」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。理解がやってきたのはそのあとだ。
衝撃。
胸が破れるような鼓動がムサシを襲った、大量の発汗も。
「な……」
何か言わなければならない、だが言葉にならない。脳が沸騰したようでまともな思考も返答もできない。そんなムサシに巨漢は噛んで含めるようだ。
「ムサシだってそうでしょ。それでつきあってるでしょ、今。それならちゃんと焼きもち焼いてあげないとだめだよ」
「…………」
「気にしてあげてね、そういうとこちょっとムサシは鈍いからそれも心配だよ」
「…………」
「あ、僕のことなら気にしないでいいよ。知ってるから、全部」
「く、くり、くり」
「え、何だい」
「おま、お前いつから」
「いつから? あ、いつから知ってたかってこと?」
巨漢は愛らしく首をかしげる。全く悪気はないようだ。
「さあ、いつからかなあ。とにかく昔から」
「…………」
ムサシは二の句が告げられない。なんと言えばいいんだ、こういうとき。そんな思いばかりがぐるぐる回る。
巨漢は立ち上がった。
「とにかく、あとでうまくやってね。ムサシに話したよって言っておくから、ヒル魔に」
「…………」
「じゃあ授業がんばってね!」
笑って手を振って、またせかせかと栗田は教室を出て行った。
残されたムサシ。
呆然と。
まさに呆然とするしかない。
──…………
ヒル魔とのことを、別にあの愛すべき巨漢に隠していたつもりはない。いずれ話そうとは思っていたが、まさかこんな形になるとは。
全部知っていると栗田は言った。ではムサシの想いやヒル魔のそれや、あれもこれもそれも全部分かっていたということか。
青天の霹靂だ。
それに栗田の助言によればどうやら焼きもちを焼いた方がいいらしい。そんなものを焼くのは生まれて初めてのことで、一体どうしたらいいのか。
いやそれより重大なのは──栗田だ。
とっくにバレていたということだ。
このことをヒル魔になんて言おう。そしてこのあとどんな顔で栗田と顔を合わせたらいいんだろう。
考えすぎると熱が出ることもあるらしいが、今のムサシは本当に発熱しそうだ。
──……参ったな
廊下から授業の始まりを告げる鐘の音。
どういうわけか鐘を鳴らす天使が脳裏に浮かんだ。
にこにこと笑顔のまんまるな天使。
【END】
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