【鉄キ】新人は見た

 その新人のポジションはWRである。高校でアメフトという競技を知って部活に入り、大学でも続けていた。ただ無名校のことで部もそれほど強くはなく、地区大会も運の悪いことにいつも一回戦で敗退。それでも持ち前の楽観的な性格で新人はこの競技を愛していた。
 大学4年時の就職活動で、何とかあるIT企業に採用されることになった。ほっとするような気持ちは当然あった。ただ同時にアメフトをどうしようと思った。
 通学の電車の中。吊り革に掴まって自分と対話してみる。7年続けた競技。もう過去のことと割り切ってすっぱりやめるべきだろうか。
 年明け、卒業間近になってようやく答えが見つかった。続けたい、という希望。やっぱり自分はこの競技が好きだ。社会人になっても、忙しくても、泥まみれ雨雪まみれになってもアメフトを続けたい。
 シビアに自分を見つめれば、選手としてはまるきり平凡だ。それでもどこかのチームに入れたら。レギュラーになれるか、試合に出られるかどうか分からない。でも、やっぱり。
 そんな気持ちで情報を集め始めたら、偶然良いことを知った。武蔵工バベルズというチームだ。ホームページのトップ画面に、でかでかと派手な文字。「新人大歓迎! 未経験者大歓迎! 来たれ我らがチーム!」
 本当かなと最初は思った。どこのチームでも似たようなことは言っているが実際に入団すれば経験者とそうでない者とでは格段の差があるだろう。ただよそのチームと違うのは、この武蔵工バベルズが比較的規模が小さいこと。それにホームページに載せられた数々の画像からは、メンバーが本当に気持ち良さそうにプレーしている様子が窺える。
 ──やってみるか
 そう新人は思った。そして卒業式を間近に控えた2月末、武蔵工バベルズが催したトライアウトに参加したのである。
 入団試験という意味のトライアウト。会場はバベルズが借りたのであろうスポーツ施設だった。体育館での体力測定やトレーニングルームでの筋力チェック。それから屋外のフィールドに出て、40ヤード走やラダー、パスやラン、タックルなど基礎的な技術を吟味される。
 フィールドには自分と同じ入団希望者が数人、バベルズの主将やスタッフ。それに何人かの現役選手が見に来ていた。その中にテンガロンハット姿のひょろりと長身の男。ええと、と新人は思った。あの顔はホームページに載っていた人だ。確か、キッドという変わった名前。多分通称なのだろう。ポジションはQBだったはず。それならレシーバーの自分はこの人の前で何とかアピールしなくては。
 フィールドの外に立っている長身を少し意識しながら、新人は張り切って40ヤード走を何本か終えた。息が切れたし汗もかいた。体を冷やしては良くないと、タオルを取りにベンチへ。すると件の長身のもとへマネージャーらしい女性が近づくのが見えた。
 ──キッドさん
 そう女性は声をかけた。やはりあれが一番手QBなのだなと新人は思った。
 汗を拭いていると聞こえる会話。
 ──なんだい、今井さん
 ──お礼遅くなってすみません。アップルパイ、美味しかったです
 ──ああ
 ──手作りなんて、嬉しいです。ありがとうございます
 少し離れたところから耳に入る会話。それとなくそちらを見ると2人とも笑顔だ。特にキッドは何だか照れたような笑みを浮かべている。嬉しそうな、少し気恥かしげな笑顔。
 ──よかった、あれ鉄馬と作ったんだよ。うまくいってよかったよ
 ──また来年もお願いしますね
 マネージャーの女性はいたずらっぽく笑って離れて行った。キッドは笑顔で見送る。
 その笑顔になんだか新人は好感を持った。



 新人にとってトライアウトは良い結果をもたらした。希望通り、入団を認められたからだ。最初は練習生という位置づけ、それでも嬉しかった。またアメフトができるのだ。
 冬から春へ季節は移り変わって行く。新人の生活も。4年間を過ごした大学との別れ、そして入社式という新しい門出。平日は仕事、週末にはフットボーラーとして練習とトレーニングに臨む。
 忙しいことは忙しいが、充実してるなと思った。職場でもアメフトでも先達の世話になりっぱなしだ。いつか恩返しができるように励もう。そんな気持ちだった。
 バベルズのチーム練習はほぼ毎週末に行われる。入団して感じたが団員たちは仲がとても良いようだ。汗を流したあとに、いっぱいやろうという風な方向に盛り上がることもある。

 ある日、新人もそれに誘われて行った。

 そこでなんともおかしな光景を見ることになった。

 

「おっちゃん、こんちはー!」
「おう、いらっしゃい!」
 どやどやと皆で入った居酒屋は馴染みであるらしい。誰かの挨拶に、店主らしい中年男が威勢よく答えた。
 気取らない店だなと新人は思った。配管がむきだしの高い天井。木のテーブルに背もたれのない椅子。バイトらしい若いのに案内されたのは8人掛けとその後ろの6人掛けの席だ。そこに銘々腰掛けて、チームの──皆からはムサシまたはムサシさんと呼ばれている──主将がとりあえずビールでいいなと言った。
 この主将は新人の目から見てなんとも思い切りが良さそうだ。店員と少し話しててきぱきと飲み放題、それに肴のコースを決めていく。それからメニューを取り寄せて、お前たちあとは勝手に頼めと一言。慣れたものなのか、皆がそれに従うといった寸法だ。
 その主将は気を使ってくれたのか、新人の隣に席を定めた。反対側の隣にはどこか渋みのある団員、覚えたばかりの名を新人は胸の中でなぞる。皆から鬼兵と呼ばれている副主将だ。
 この二人とはトライアウトの時から会話を重ねて、ある程度は慣れている。少しほっとするような気持ちも湧いた。

「乾杯!」

 賑やかに皆で声を合わせて、酒宴は始まった。

 チームに馴染んだとはまだ言えない。そういう新人をムサシも鬼兵も理解しており、何かと話題を振ってくれる。新人自身のこと、チームのこと。そして自分らのこと。自身を語り、また話を聞いて新人はいろいろと感心した。主将は見るからに剛毅な男だが中高、特にはじめのころは弱小チームで苦労したらしい。別に自分の苦労話を主将が語ったわけではなく、副主将が教えてくれたのだ。その話の間、当の本人は間が悪そうに黙っていた。きっと照れ屋なんだなと新人は少し微笑ましく思った。
 バベルズのホームページには団員の経歴も載っている。それをたどって新人が自分で得た情報もある。ムサシと鬼兵、それぞれ高2高3の秋から冬。地区大会も全国大会も文字通りの死闘だったという。それをくぐり抜けてムサシがキッカーを務めていたチーム──泥門デビルバッツは優勝したのだ。全国大会決勝クリスマスボウルで。
 きっとここでは語られない色々な苦労もあったことだろう。やはりネット上の情報だけでは分からない。もっとたくさんのことを知りたい。団員について、チームについて。新人はそう思った。
「やあ、遅れて済まなかったね」
 少し離れたところでそういう声が聞こえた。見るとキッドだ、いつものテンガロンハット。隣にはいつも一緒の鉄馬というWR。新人と同じテーブル、斜め前の隅に二人で腰を下ろそうとしている。ふと新人は思った。
 キッドの後ろは壁だ。くり抜かれたようになっていてそこに銘々が荷物を置いている。キッドはテンガロンハットを頭から取った。なぜかそれを鉄馬に渡したのだ。
 ──……?
 ムサシと鬼兵の話に耳を傾けながら。どういうわけか新人の目はキッドと鉄馬に向いた。何も言わず帽子を受け取る鉄馬。どうも寡黙な男のようで、まだ入団して日が浅いとは言え新人はこの男の声をろくに聞いたことがない。
 その寡黙な男は受け取ったハットを軽く叩くようにした。ほこりを払うような仕草だ。いや実際そうなのだろう。そして黙って自分のものらしい黒いリュックの上に置いた。キッドはもう何事もないように腰を下ろしている。その隣にやはり何事もないように鉄馬も腰掛ける。
 ──……えーと……
 軽い疑問。あの帽子はいつも被っているからキッドのものなのだろう。なのにキッドは鉄馬に渡した。鉄馬も何も言わずに受け取って、しかも綺麗にしてやるようだった。
 ──どうしてキッドさんは
 そう新人は思った。どうして自分でしないんだろう、と。
 ただ自分でもそう思うが新人はあまりものにこだわらないたちだ。それに今は飲み会の最中で、話したいことも聞きたいことも山ほどある。
 ──ま、いいか
 そんな風に思い直して会話に集中することにした。

 主将と副主将に挟まれた新人のところには、気の良い仲間たちが乾杯しに来てくれる。嬉しいからこちらからも改めて挨拶に行って、誰とも会話を交わす。賑やかに、和やかに。
 チームの代表であるムサシは新人のそんな姿を頼もしく思ったようだ。同時に、これなら少し放っておいても大丈夫だと思ったのかもしれない。後ろのテーブルに行って、これも入団したばかりのCBと話を始めた。
「どうだ、うちのチームは」
 席に残っていた鬼兵に笑顔で聞かれた。片手にレモンサワー。
「はい、楽しいです。みんな親切ですし」
「はは、そうか」
「俺も頑張らなきゃって気になりますよ」
 新人はまだ練習生の立場だ。正式に契約を交わして団員となるためには、とにかく試合に出て自分をアピールしなければならない。鬼兵もそれはよく分かっていて、今後のチームのスケジュールを説明し始めた。新人も杯を傾けながら聞き入る。
 人の話を聞いている最中なのに申し訳ないようだが、新人はさっきからやはりキッドと鉄馬が気になっている。自分のポジジョンのこともあるし、もっとこの二人と近づきになりたいのだ。ただ当の二人は賑やかな会話のど真ん中にいて、きっかけを掴めずにいる。
 二人とも酒は強いようだ。それほど速いペースではないが、ビールや酎ハイなどを次から次へ空けている。そうしているうちに、二人の前に甘そうな酒が運ばれてきた。
 細めのグラスが二つ。店員から受け取ったのは鉄馬だ。乳白色のカクテルだがオレンジ色がかったものと緑色のもの。同時に空のコップも二つ。あのコップは何だろうと新人は思った。
「ちょっと待っててくれ」
 ちょうど話の合間になって、鬼兵が席を立った。トイレらしい。一人になって、新人はグラスを傾けながらそれとなくキッドと鉄馬の観察を始めた。
 甘そうなカクテル。色から考えてカルピスサワーか何かなんだろうなと思った。見た目のままのオレンジ味のと、緑のは……メロンかもしれない。でもあのコップは空なんだよな。水は入っていない。
 どうするんだろうと見ていると。
 キッドがグラスを二つ手に取った。と思う間もなく中身をコップに開けてしまった。半分ほども。そして次に取った行動は。
 オレンジのグラスに緑色、緑のグラスにオレンジを混ぜ始めたのだ。ご丁寧にピッチャーから取ったマドラーでくるくるとかき混ぜて。
「はい、鉄馬」
「…………」
 キッドが目の前に移動させたグラスを鉄馬は取る。キッドも自分のグラスを取って一口含む。
「ん、ちょっと今日のは濃いめだね」
 鉄馬は黙って頷く。
「でもやっぱり混ぜると美味しいね」
 キッドはにこにこ顔だ。
 隣の鉄馬も無言ではあるが満更でもなさそうな。

 ──…………

 ──えーと……

 新人の脳内。
 いくつもの「?」マークが浮かんだ。
 半分こ。
 仲良きことは美しき哉。昔の言葉が思い出される。こういう飲み方が二人とも好きなのだろうが、でもそれにしてもわざわざこんなふうにしなくても。
 混ぜてくれと最初から店員に頼むとか、一人ずつ2種類の酒を持ってきてもらうようにするとか、やりようがあるのではないだろうか。
 半分こ。
 この二人は幼馴染で、今は一緒に暮らしていると人づてに聞いた。そうしていると誰もがこんなふうに仲良くなるものなんだろうか。
 半分こ。
 ふと周りを見ると誰も特に何も突っ込みを入れるわけでもない。当たり前な顔をして賑やかに酒盛りしているだけだ。
 ──気にする俺が悪いのかな
 そんな妙な気持ちもやってきた。
 その時。

 ト、ト。

 後ろから肩をつつかれて、我に返った。
 はっと振り向くとそれまで自分に背を向けて座っていた団員。新人に何か言いたげな顔だ。ええと、と新人は思った。愛嬌のある顔、ちょっと厚めの唇。ラインマンの、確か黒木さんだ。隣の明るい茶髪、サングラス。こっちは戸叶さん。二人とも自分を見ている。どうしたんだろう。
 黒木と戸叶はどちらも妙な笑みを浮かべている。少しおどけるような。その視線をちらと新人の斜め前方──キッドと鉄馬に走らせた。
 視線を戻して頷いてみせる。うん、うんと言いたげに。二人して同じ仕草だ。
 分かるぞと言いたいのかなと新人は察した。次に、黒木が笑いをこらえるような顔で首を振った。ぽんと新人の肩を叩く。
 言いたいことが何となく分かって、新人も笑みが浮かんだ。

 なるほど。

 黒木と戸叶の"フォロー"。どうも、あれ──あの二人はああいうもんだから気にするなということらしい。きっとそうなのだろう。
 ──そうか
 何とも言えないおかしさが新人の胸にやってくる。距離感のおかしな二人。何とも微笑ましいというか、ユーモラスにも見える。それに、戸惑う自分にさりげなく合図してくれた茶目っ気のあるラインマンたち。
 楽しいな。
 そう思った。
 このチームに入ってよかった。
 もしまた何か困ったことがあったらその時は黒木さんと戸叶さんに聞いてみよう。そう新人は思った。それに何かあったら遠慮なく主将も頼ろう。そしていつかはこのチームに試合で貢献できる日が来るまで精一杯に励もう。
 まだ若いチーム。でも雰囲気は何とも心地よい。
 酒盛りは盛況だ。
 鬼兵はまだ戻って来ないし、ちょっと席を立ってあの二人に話しかけてみようかな。
 昔々、漫画で読んだようなせりふが急によみがえる。
 黒木と戸叶に笑顔で目礼をした。それから、思い切って新人は立ち上がった。



 "オラ何だかわくわくすっぞ!"



 
【END】
 
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