ハニートラップ ──まんまるな天使

「かんぱーい! ムサシお疲れさま〜!」
「おう、お疲れ」
「ケケケ、勝って良かったな」
 ウーロン茶とオレンジジュースで3人は祝杯をあげる。
 試合の行われた街の中心部、とある商業ビルの中の店だ。白木作りの明るいテーブルと椅子、天井は高く広い。開放的な雰囲気の串揚げ店である。
 ここは食べ放題の店だが最初は栗田が遠慮した。僕が入っていいのかな、と。たくさん食べたらお店に悪いんじゃないかという意味だ。それをヒル魔が説得した。もともと割引券を持ってるし、どうせ仲間と来るつもりだったんだ。なんも構わねえ、と。少し迷う風だったが栗田は頷いた。じゃあ、その券に甘えちゃおうかなと笑顔を見せた。
 ムサシは社会人1年目、栗田とヒル魔は大学1年。未成年だからアルコールなど頼むわけにはいかない。それでもバベルズの試合は勝利に終わった。そう思うと3人がみな嬉しい気持ちでいっぱいに胸がふくらむ。少しはしゃぎ気味に乾杯した。
 持ってきていた料理や串揚げの具材にさっそく手を伸ばす。テーブルの真ん中が四角に深く掘られていてフライヤーになっている。そこに衣をつけた具材を入れて好きなだけ揚げられるように、というシステムだ。
 テーブルにはカレーライス、それに衣と多種多様の揚げ具。肉類、野菜類、魚介類に練り物。変わったところではだし巻き玉子やアボカド。こんなのもあるんだねえ、と感心しながら皿に大盛りに盛ってきたものだ。
「勝って良かったねえ、すごく嬉しいよ」
 顔じゅうを笑顔にして栗田が笑う。ひょいひょいとその手は華麗に動く。あっという間に揚げ鍋は具材でいっぱいになる。
「ああ、まだまだ課題だらけだけどな」
「ンなこと今日は気にすんな」
「そうだよ!」
 カレーライスを頬張って皆で笑いあう。四人掛けの奥の席に栗田、隣がムサシ。ヒル魔はその向かいという位置だ。
「僕あいさつしてないけど、あのRBの人すごかったね。33番の人」
「あいつは今日のMVPだ。今度紹介する」
「うん、頼むよ」
 武蔵工バベルズはムサシが泥門高校の卒業後創ったクラブチームである。オフェンスにはもと西部高校のキッドに鉄馬、ディフェンスには柱谷高校の生徒だった鬼兵が名を連ねる。
 そういった、いわば名だたるプレーヤーがいるとは言えリーグの中ではまだ無名に近い。それでも今日の試合でも選手たちは善戦した。
 秋の初戦で、運の悪いことに主力レシーバーの鉄馬が負傷した。そのため2戦目の今日は鉄馬不在のゲームだった。無論レシーバーが他にいないわけではない。ただQBのキッドは高校時代、鉄馬とのコンビで無敵を誇っていたプレーヤーである。他のレシーバーとも十分に息が合っていると言えば嘘になる。
 天才型のパッシングQB、それがキッドである。どんな苦境でも慌てず、自分のタイミングやスタイルで投じることはできる。しかしそれにレシーバーがついていくことができるかというとそれはまた別の問題だ。敵はその点を巧妙に突いてきた。キッドがどれだけパスを投じようがDBがぴったりカバーしてしまう。万が一成功したとしてもセカンドエフォートは出ない。結果、1stダウンの更新には繋がらない。
 バベルズはほぼ完全にパスプレーを封じられた。しかしメンバーは諦めなかった。とりわけ活躍したのはOLと、栗田の言った33番のRBだった。
 バベルズの33番はムサシたちと同い年である。高校でアメフト部に所属していた点も同じだが、無名校の出身だ。さしものヒル魔も知らなかったらしい。RBとしてのタイプは例えばセナとはまるで違う。ずんぐり、がっしりした体形でパワー型だ。
 その33番がOLの力を借りて今日は試合のドライブに活躍した。どれだけタックルされても相手を引きずり進むパワープレイ。何度も10ヤード以上を稼いで攻撃場面の継続、そして得点に貢献した。
「あんなにゴリゴリ進める人ってそう居ないよね。ほんとに凄かった」
「セナとはまるで違うからな。どっちかと言えば大和に近いかもしれねえ」
「糞チビにあのパワーがありゃいいな、そしたら化け物だ」
「無理言うな」
「あはは、そうだよヒル魔」
 ディフェンスが必死になったこともあって、バベルズはそう大量得点されずに済んだ。むしろロースコアで試合は終わった。17─7という結果で勝ち星をあげられたことにムサシはほっとしている。
 目の前にはじゅうじゅうと揚がる串がいくつも。はふり、揚げたての豚ももを頬張りながら思った。やはり、課題は山積みだ、と。
 鉄馬の不在はやはり痛かった。それに見ていたところDBもまだ甘い。自分もそうだが、各ポジションいずれもプレーの精度が高いとはとても言えない。得点できたのは半ばRBの個人技のようなものだ。もっと励まなければ。
「ムサシ」
「あ?」
 串を片手に顔をあげると栗田が見ている。3本もいっぺんにくわえた笑顔。
「なんか考え事してるでしょ。ダメだよ、勝ったんだから今日は喜ばないと」
「ケケケケケ!」
 同じく串を手にしたヒル魔が笑う。心底愉快そうだ。
「見透かされてんな、糞ジジイ。そこの糞デブの言う通りだぞ、ケケケ」
「……そうだな」
 思わず苦笑してしまう。そうだな、栗田やヒル魔の言う通りだ。
「それより、来年だけどさ。黒木くんも戸叶くんも入ってくれるんでしょ」
「ああ、そうらしい」
 ムサシは顔をほころばせた。十文字に黒木、戸叶。口の悪い恋人が3兄弟と呼んでいた後輩たちの顔が目に浮かぶ。
 十文字は進学組だが残る二人は就職を希望している。できたら雇ってほしいんスけど、と言われた時の驚きをムサシは忘れない。そしてムサシのチームでアメフトを続けたいと告げられた喜び。無論トライアウトは行うつもりだがそれをもあの二人は乗り越えるだろう。あの二人なら。
「楽しみだねえ、ムサシもそうでしょ。あんな強いラインマンたちが入ってくれるなんて!」
「ああ、そうだ。それにな、ラインと言えば」
「?」
 不思議そうに自分を見る親友。ムサシはにやりと笑ってみせた。
「あのな。──峨王をスカウトしようと思ってる」
「ええ!?」
 あんぐりと口を開ける栗田。手から串がこぼれたが気づかない。
「峨王くん……て、あの峨王くん? わあ、ほんとかい!」
「ああ、ほんとだ」
「なんだ、テメーまだ栗田には言ってなかったのか」
「わああ、すごい! すごいことだね!」
 よほど興奮したらしく、栗田はぶんぶんと両手を振り回す。愛らしくもおかしくて、ムサシもヒル魔も笑った。
「おいこぼれてるぞ糞デブ」
「あ、ごめん。でも何だかすごく嬉しいし楽しいよ!」
「ケケケ、俺らも負けてられねえな」
「ほんとにそうだよ、頑張らなくちゃって思うよ」
「俺もそうだ。来年は楽しみだし、それに今年も頑張らねえとな」
「うん、うん!」
「目指すは日本一だからな」
「ね、離れても目標は一緒だもんね!」
「差し当たって糞ジジイんとこが勝たねえとな」
「なに言ってる、お前のとこだってそうじゃないか」
「僕のとこだってそうだよ、負けないよ。頑張るからね」
「先が楽しみだな、ケケ」
「うん!」
「そうだな」
 はしゃぎつつも次から次へと平らげる巨漢。ムサシもヒル魔も腹ぺこだったから食は進む。ほくほくと揚げたての豚肉やら鶏肉。えびやホタテ、ウィンナーにしいたけ。長芋、なすに玉ねぎ。どれも旨味が歯と舌に心地よい。厚切りのベーコンは噛むとじゅわっと脂が乗っている。えびしゅうまいにサーモン、ブロッコリーにさつまいも。アスパラガス、つくねに軟骨。旨い旨いと若い3人は片付けていく。
 ほどなくテーブルの隅には食べ終えた串が山になった。一息ついて、また持ってこようと銘々が腰を上げる。二人に断って、ムサシは手洗いに立った。

「なんだ、なんの話だ」
 席に戻るとテーブルには再び具材の山。ヒル魔と栗田は熱心に話していたようだ。
「あ、お帰りムサシ〜」
「メニューの話してた。食いもんじゃなくウェイトのな」
 部活で行っているトレーニングの話題らしい。そうか、と答えながらまた栗田の隣に座る。ふと自分の前を見て、どうしようと少し思った。
 ムサシの前の皿。揚げたてらしい串が3本、きっと栗田が取ってくれたのだろう。具材はどれもうずらの卵。やや苦手としている食材だ。
 ムサシの逡巡を恋人は気づいたらしい。流れるように喋りつつ前からひょいと手を伸ばした。串を取って自分の皿へ。良かったとムサシは思った。
 皿が空になったのでムサシは次に揚げる具材を取ろうと思った。チーズちくわ、エリンギ、しゅうまい。しいたけ、鳥もも。肩ロース。あじにキス。
 選んだのはしゅうまいと鳥ももだ。フライヤーに入れるとじゅわっと小気味の良い音が上がる。ムサシが入れた具材の隣にはしいたけ。
 揚げているから良いと言えば良いのだが、恋人の皿を見るときつね色の衣をまとったホタテが湯気をあげている。旨そうだから自分も揚げよう。そう思ったらヒル魔がそのホタテを取った。口に運ぶのかと思ったが違った。ひょい、とムサシの皿へ。
「……だからな、ウェイトも大事だがテメーもちょっと摂動トレーニングってのを取り入れろ」
「うーん……」
 少し困ったように栗田は答える。
「うちの部はそういうのやってないし、僕みたいな1年が言ってもどうかと思うけど」
「トレーナーに聞いてみろ、知らねえわけがねえ」
「そうだね、聞いてみるよ」
「WRとかCB向きのトレーニングだが、ラインだって体幹だの敏捷性は必要だ。そのためだからな」
 ヒル魔はそう言って締めくくるようだ。
「うん、分かった」
 親友の言葉に栗田は笑顔で応じる。素直な笑顔だ。ぱく、と2串いっぺんに揚げしゅうまいを頬張る。口を動かしながら何か別のことに気を取られたらしく、それはそうとさ、と言い出した。ムサシもヒル魔も耳を傾ける。

 邪気のかけらもない顔の栗田。

「ほんとに仲いいねえ、ムサシとヒル魔」
「……?」
「ムサシはうずらが苦手でホタテが好きなんだね、僕知らなかったよ。ヒル魔ったら気が利くねえ」
 何やら雲行きが怪しい。
 栗田は相変わらずのにこにこ顔だ。
 そのにこにこ顔で爆弾発言を繰り出した。

「あ、でも付き合ってるんだから当たり前か」

「……!?」
 ムサシはれんこんを、ヒル魔はブロッコリーを口に運ぶところだった。その手が止まる。
 固まってしまったふたり。
 無邪気に栗田は続ける。

「付き合ってるでしょ、ふたり。隠さなくてもいいよ」

 どっとムサシは発汗した。
 ヒル魔は唖然と。

 どうしよう、そうムサシは思った。誤魔化すべきか否か。でもここまで言われたら否定するのも不自然だ。それにこれ以上大切な親友をあざむくことなどできない。詫びなくては。この愛すべき巨漢に隠し事をしていたことを。
「……すまん!」
「ど、どうしたのさムサシ。頭なんか下げて」
「お前の言う通りだ。俺とヒル魔は付き合ってる。隠してて済まなかった」
 頭を垂れて両手を膝に。そんな姿勢でムサシは詫びを言った。親友に済まない気持ちでいっぱいだ。
「いいんだよぉ、気にしないで!」
 明るく栗田はムサシの背中を叩く。ばんばんと勢いよく。
「僕にくらいは話してくれてもいいんじゃないかなってちょっと思ってたけどね、あはは」
「……ほんとにすまん」
「いいから顔上げて、ほられんこんが冷めちゃうよ」
「ああ」
 親友の言う通りに顔を上げる。串は手に取ったが申し訳なくて栗田の顔を見ることができない。前の席を窺うとヒル魔も呆然としているようだ。
 どう申し開きをしたらいいか分からねえな、そう思いながら串を口へ。するとまたも栗田が。

「あのさ、無理に隠さなくてもいいと思うよ。みんな知ってるから」

「……は?」

 ムサシにヒル魔。ほぼ同時に同じ音が出た。
 そのふたりにとどめを栗田が刺した。



「いや、みんな分かってるから。ふたりのこと」



 しばしの沈黙。



 はっと気づいて、やっとのことでムサシは口を動かした。何故か無駄な抵抗という言葉が脳裏をかすめた。
「な、な……、なにを」
「何って、だから」
 栗田にはしつこいようだが何の邪気もない。文字通りの無邪気さで言葉を続ける。

「だから付き合ってるって知ってるから、ふたりが。あのね卒業の時ね、一緒に暮らすらしいよって話したら、とうとうくっついたんスかってモン太くんが。だから違うよ前からだよって訂正しておいたよ」

「あ、それとね。その時だけど、あれで隠してるつもりなのかなって十文字くんがぼそって」

「セナくんも言ってたよ、良かったですねって。にこにこしてたよ。──あれ、どうしたのふたりとも」

「…………」
 大量の発汗が再びムサシを襲っている。顔も体をも濡らす汗。その向かいでヒル魔はカタカタと震える。珍しくも宙を泳ぐヒル魔の目。
 あいつが。あいつが。そればかりをヒル魔は思う。脳裏に浮かぶのは片頬にやんちゃ傷のある後輩。噂ではヒル魔の在籍する大学を志望し、しかもアメフトも続ける気だという。ということはやがてあいつもウィザーズうちに入るはずだ。それにいつも一緒だった二人の仲間。糞長男が知っているということは他の二人にも筒抜けなのか。なんで。いつ、どこで、どうやって。なんでバレた。
 ふたりの動揺を栗田は悟ったらしい。のんびりと言い放つ。
「そんな慌てることないよ、自然にしてればいいんだよ。みんな分かってて黙ってるんだから甘えたらいいんだよ」
 平和にウィンナーを頬張る巨漢。いっぺんに3串も、ぱくり。
「ふたりはデビルバッツうちのお父さんとお母さんみたいなものだったけど、別に体面なんか気にすることはないよ。今まで通りにしてたらいいんだよ」
 そ、そうなんだろうか。混乱した頭でムサシは思う。いつ、どこで、どうやって。なんでバレたんだ。
 でもここまで来たら仕方ない。ムサシはそう腹を決めた。しゃっきり頭を上げる。
「栗田」
「え?」
「繰り返すようだがお前には済まなかった。言おうかどうしようか迷ったんだけどな」
「うん、いいんだよ。大方ヒル魔が反対したんでしょ、僕に気を使わせないようにって」
 鷹揚に親友は笑う。ムサシは苦笑した。まさにその通りだからだ。
「まあ、バレてるんなら仕方ない。そういうことでよろしく頼む」
「うん、もちろんだよ!」
「……テメーは」
 それまで黙っていたヒル魔が口を開いた。ややぎこちない様子で。
「そういうテメーはどうなんだ。浮いた話の一つや二つねえのか」
「えっ、僕なんか何にもないよ」
 少々大げさに栗田は片手を振り回す。
「だって勉強も大変だし部活もさ。先輩たちにも練習にもついていくのが必死だよ」
「そうか」
「うん、それにさっきの摂動なんとかの話じゃないけど、コア練とか慣れないこともやってるからさ」
「溝六にだって習ったろ。レベルが違うか」
「うーん……。うん、やっぱり高校とは訳が違うなと思った。あのね……」
 話はそれからまた体幹、それに深層筋の話題へと変わった。栗田やヒル魔の話に相槌を打ちながらこっそりとムサシは考えた。

 ──はあ

 何だかほっとしたような。でもわけもなく舌を巻くような思い。

 ──栗田こいつには頭が上がらない

 もそもそと串揚げを頬張りつつ。
 そんな思いばかりがムサシの胸を占めていた。
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