快晴

 ダン ダッ ダダッ
 ダン ダッ ダダッ

 (……!?)

 けたたましいドラムの音で安寧が破られた。
 二階の寝室、ベッドにムサシは居る。恋人と建てた家。マンションからここに居を移してもうだいぶ経つ。
 階下から聞こえるのは実に騒々しい音楽だ。何という曲なのかムサシには分からない。ちっと朝には似合わないんじゃねえかとは思う。ボーカルの絶叫が始まっている。
 賑やかだな。そう思いながら大きく伸びをして、起き上がった。

 階段をおりて洗面所へ入った。曲は居間から聞こえている。きっとヒル魔がまた特大のスピーカーでも使っているのだろう。歌詞は英語だ。それに何だか喉も張り裂けよとシャウトするような歌い方で、よく聞き取れない。サビの部分だけはかろうじて分かる。来いよ、ノイズを感じろ、と言っているようだ。何ていう分野なんだと髭を剃りながらムサシは思った。力強く刻まれる8ビート。ボーカルの歌い方や声音からしてヘヴィメタと言うのか、ハードロックと言うのか。グラムロックなんてのも確かあったな、どう違うんだ。
 大音声の曲は流れ続ける。リピート設定されているらしく、それにハイレゾでやたら音質がいい。聴きながら身支度を終えてキッチンへ向かった。
「おはよう」
「おう」
 恋人は卵を溶いている。軽快な音が聞こえて来そうな箸さばき。その音はだが激しいビートにかき消されている。
「朝からなんつうもんを聴いてんだ」
「テメーが悪い」
「なんで」
「起きてこねえからだ。鼻から茶ァ流し込んでやるかと思ったがめんどくせェし」
「起きたからめてもいいか」
「まあいいぞ」
 調理台には白いボウル。流しにはやまいもの皮。あれ・・を作るんだなとムサシは思った。
 恋人の許可を得たので居間に行った。PCと繋がる禍々しい黒いスピーカー。大音量の音楽はギターソロを終える所だ。これからサビで大いに"盛り上がる"のだろう。が、もう十分だ。景気のいい曲を止めた。
「もうすぐできるぞ」
 台所から恋人の声。曲がやんだので良く通る。ダイニングテーブルにはすでに朝食の支度が始まっている。
「ああ、分かった」
 もう一度台所に行って尋ねる。
「なんか手伝うか?」
「メシ運んでくれ」
「分かった」

 ムサシは験を担ぐということは滅多にしない。春季最後の試合日である今日もそうだ。ただ食事には気をつけている。恋人もアスリートであったからその辺はよくわきまえており、今朝も試合を意識したメニューがテーブルには並ぶ。食事は交代で作ることになっていて、たまたま今日は恋人の番だった。それでも寝腐れていて悪かったなという気持ちは少しある。
 いただきます、と挨拶して、汁椀から手に取った。
 あっさりとした豆腐ととろろ昆布の吸い物。他にムサシの好物、刻んだ梅と紫蘇の混ぜご飯。それと卵焼き。すりおろしたやまいもが入っていて食感が良く、滋養もある。消化を助ける大根おろし。甘めのつゆを添えた温泉卵。鰆の照り焼き。少しだけごま油のかけられたしらすは飯に乗せると食事が進む。果物は定番のバナナ、キウイ、半分にカットされたグレープフルーツ。
「なんかすげえ歌だったな」
 歌詞を思い出しながらムサシは言った。
「何が」
「さっきの。あんなんで放送禁止とかにならねえのか。ファ◯クとか言ってたぞ」
「ファ◯ク?」
 恋人は怪訝そうな顔をする。
「サビのとこで。ガールズ・ファ◯ク・ボーイズとか何とか」
「アホ、んなこと言ったら放送できねえだろが。ありゃロックっつってんだ、Girls rock boys」
 流暢な発音がヒル魔の口から出る。ああ、とムサシは合点した。ただそれでも疑問はある。
「あんな歌い方して喉が潰れねえのか」
「テメーの言い方には情緒ってもんがねえな」
 ムサシは素直に疑問を呈しただけだが、ヒル魔は吹き出した。卵焼きをつまみながら。ノリで音楽を楽しむってことはこのトーヘンボクにはねえのか、面白ェやつ。
「あんな歌に情緒とかあるのか」
「勢いだ、勢い。ノリで聴くもんだ、ああいうのァ」
「そういうもんか」
 何となくムサシも笑った。時刻が正午を回ったら試合だ。恋人が賑やかに送り出そうとしてくれているのは分かっている。
「荷物は」
「ああ、もう積んである」
 防具やその他の資材は昨日全てを実家の3トントラックに積み終えた。あとは手荷物とともに家を出て、実家の駐車場でそのトラックに乗り込むだけだ。
 ヒル魔が少し口調を変えた。
「あっちのチームだけどな」
「?」
 今日の相手のことだろう。
「多分立ち上がりは遅い。でも探りを入れるのがやたら上手ェ。引っかからねえように気をつけろ」
「ああ、こないだもビデオ見たしな」
「うん」
前衛ラインがうまく動けば何とかなるだろ」
「まあな」
 バベルズのラインは創設当時から有名だ。だがメンバーが入れ替わり立ち替わりして、現在は鬼兵も峨王もいない。黒木や戸叶など古参のベテランが引っ張ってくれて、かつての鉄壁を取り戻そうと努力している。
「怪我しねえようにな」
「うん」
 ヒル魔の言葉。短いが思いのこめられた。ムサシの言葉もまた短い。他に言いようがないからだ。でも胸の中はあたたかい。
「キッドいつ使うんだ」
「初手から行く」
「そうか」
「隆史使うかとも思ったけどな、でもまあ今日は」
「うん」
 ムサシは泥門高校を卒業して有志を募り、武蔵工バベルズというチームを創った。そのバベルズを長いこと支えてくれたQB──もと西部高校の名だたる投手──キッドの、今日は現役最後の試合なのだ。
 今までどれだけ貢献してくれたか分からない。キッドはそういう大切な団員だ。ただムサシもヒル魔もだがキッドも今年で四十路。あのさ、武蔵氏。そろそろ俺、退団やめてもいいかな、と切り出されたのは去年のことだった。
 バベルズにはキッドに続く二番手QBがいる。隆史と言い、もともとキッドやヒル魔に憧れて入団した若者だ。経験を積んで歳も重ねて、もはや若手などと呼ぶことが似つかわしくないほど成長した。その隆史の薫陶を受けているメンバーも居る。
 そういう、いわば後継者もある。だからこそ勝って、キッドを送り出してやりたい。安心してフィールドを去ることができるように。心からそうムサシは思った。あいつには本当に世話になった。
 何年か前、ムサシは父母と話し合って店をリフォームした。その完成祝いにバベルズの仲間から贈られたのは堂々たる備前焼の壺。今でも数日おきに母が嬉々として花を入れ替えている。率先して選んでくれたのはキッドだという。チームのことばかりでなく、そんなところでもムサシはキッドに感謝しているのだ。
 試合前の食事はゆっくり、消化の良いものをよく噛んで。フットボーラーの基本中の基本だ。ムサシもそうしながらゲームへの思いを新たにした。

「じゃ行ってくる」
「おう」
「お前いつ来るんだ」
「わかんね。適当に行く」
「わかった」
 重みのする黒のキャリーバッグ。玄関の三和土で肩から下げて、会話を交わす。
「あのな、ヒル魔」
「あ?」
「…………」
 ムサシは口をつぐんだ。物欲しそうな顔を作る。
 恋人は悟ったようだ。にやりと笑った。しょうがねえな、とでも言いたげな目。
 一段高いところにいる恋人がムサシの顎に指をかけた。持ち上げる。
 ちゅ。
 軽いキス。
「ほれ、行ってこい」
「うん」
 何だか満足だ。そんな気持ちが胸に生まれる。勇気がみなぎるような心持ち。
 ドアを開けるとまぶしい日差し。今日は夏日であるらしい。
 晴れでも雨でも日々は続く。ムサシとヒル魔の暮らしも。試合の日にはこんなふうに玄関先でいちゃついたりもする。それが言ってみればムサシの験担ぎなのかもしれない。恋人と交わすキス。そうするとまるで勝利の女神がどこかで微笑んでくれるような気がするのだ。白い翼の女神が。
 ムサシに力をもたらすもの。
 大切なもろもろのもの。
 何よりも大切な恋人。

 力強くムサシは足を踏み出した。
 夏空の下。

 その胸にあるのは勇気と希望。
 あふれんばかりのこころざし。



 ──Jump!




 
【END】


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