ハート&ソウル
口元から膨らむいつものガム。着崩したネクタイ。両手はポケットだ。ざわめく廊下をヒル魔は歩く。
泥門高校二学期の始業式。短いその式が終わり、ぞろぞろと歩く生徒たちに混じってヒル魔も教室に戻った。これからホームルーム、そしてそのあとは。
「ヒル魔」
このあとのことを考えていたら声をかけられた。見ると同じクラスの石丸だ。おう、と返事をする。石丸は広げた問題集を差し出した。
「ここ、教えてくれないか」
指で指し示された箇所にはびっしりと英文。
受け取ってざっと目を通す。エッセイのようだが一つ一つの文が長く、構造が複雑だ。だが読み解くことができないわけではない。少なくともヒル魔には。
「もうこんなのやってるのか」
同じ進学科のクラスに属しているとはいえ、石丸の成績はヒル魔より少し劣る。大丈夫か、とちらと思った。
「基礎編が終わったからこれに手をつけたんだけど、なんか難しくてさ。ちょっと苦労してる」
友人は苦笑する。
まあ座れ、とヒル魔は自分の前の席に石丸を促した。シャーペンを取って英文を句節ごとに分解していく。分かり難い文章、もっと言えば悪文だ。これじゃ苦労するだろうと思いながら。
分解した句節と、いくつかの構文を組み合わせて説明する。ついでに問題の意図も。熱心に聞き入っていた石丸は納得ができたのか、ああ、と声を上げた。
「そうか、そうやればいいのか。ありがとうな」
「いや」
「助かった。またなんかあったら教えてくれ」
「おう」
ありがとな、とまた口にしながら椅子を引く友人。ふとヒル魔は言ってみようと思った。
「おい、石丸」
「え?」
「テメー大学でも陸上やるんだろ」
「ああ、そのつもりだよ」
「まさかとは思うが一応言っとく」
付き合いの長い友人ににやりと笑ってみせた。
「アメフト。やる気はねえか」
「アメフト……って、大学で?」
「そうだ」
いや、と石丸は笑った。
「悪いけどやめておくよ。やっぱり俺は陸上がやりたいからさ」
「……そうか」
「まあでもその前に受からなくちゃいけないけど」
苦笑いして頭を掻く友人。
「そんな悪くねえだろ。模試とか」
「うん、まあ普通……かなあ」
「分かんなかったらまた教えてやるよ」
「お、サンキュー」
斜め前のクラスメートがちらと目に入った。ヒル魔を敬遠している男子だ。ぽかんと口を開けてこちらを見ている。石丸の鷹揚な態度が意外なのだろう。脅迫手帳で恐れらているヒル魔。こんな風に対等に口を聞く者はそう多くはない。
また頼むな、と言いながら石丸は自分の席に戻ろうとする。その背に呼びかけた。
「石丸」
「?」
「今日の試合。テメーも出ンだぞ」
分かってる、と頼もしい答えが返ってきた。
泥門高校の3年生はみな夏に部活を引退する。二学期の始業式の後、引退した3年を中心とする親善試合がこれからグラウンドで行われるところだ。リーグ戦開幕直前のこの時期、経験の浅い1年などに怪我をさせるわけにはいかない。だからこの試合も石丸やその他の助っ人を使うとヒル魔は宣言した。レギュラーにとっては小手調べになる。そうなるようにヒル魔は新キャプテンのセナと話し合ってメンバーを決めた。
対戦相手は近隣の高校チーム。新設されたばかりでデータは少ない。バスでやってきたそのチームには先にグラウンドを使わせ、体を温めさせている。
ロッカールームは慌ただしい。ぎっしりと詰まった部員たちが賑やかに着替えの最中だ。顔を覗かせた溝六が、お前たち早くなと急かして行った。
「はーい」
「俺マウピどこやったっけ」
「セナー、あれ取ってくれー」
「栗田さん、マネージャーが呼んでます」
「久しぶりだな試合」
「あちーな、エアコン効いてねえみてぇ」
「これでしょ、モン太くん」
「あっすんません雪光さん」
「やべ、ユニフォームがきちぃ」
「メットがねえ〜」
「テーピング、テーピング」
引退した3年の分のロッカーはすでにない。それでも下級生に混じってヒル魔たちも同様に着替え中だ。隣には愛すべき巨漢、そしてムサシ。雪光も石丸もいる。
白いシャツを脱ぎ捨てながらヒル魔はムサシに声をかけた。
「テメーさぼってねえだろうな。トレーニング」
「馬鹿」
ムサシはまるで取り合わない。
「例の件は進んでンのか」
「ああ、まあな」
「チーム名は」
「こないだ話した通りだ。多分な」
「メンツは」
「考えてる。お前に心配されなくてもちゃんとやってるから安心しろ」
「心配なんかするか阿呆。カネは」
「まあカネは足りねえな」
「なんだ、そんなら何とかしてやってもいいぞ」
「そうか、じゃあ頼む。で?」
「あ?」
ユニフォームの下、ムサシはパッド付きのスパッツに足を通す所だ。上半身はまだ裸。
「見返りだ。カネ出してくれるんなら礼をする」
「決まってンだろ、ライスボウルだ」
「それじゃ見返りにはならねえな。うちが勝ったらどうする」
「ケケケ、減らず口叩きやがって」
ストレッチの効いたスパッツを広げ上げながらふとムサシの胸に悪戯心が湧いた。
「思いついたぞ」
「何をだ」
「見返り」
赤いデビルバッツのユニフォーム。首のところからずぼっと金髪頭。
ムサシは少し声をひそめた。
「お前のな」
「なんだよ」
「お前の面倒。一生見てやる」
「……は?」
不意を突かれたのか、ヒル魔はらしくない素っ頓狂な声を出した。
「いい案だろ」
にやにやとムサシは笑う。
呆れたような顔のヒル魔。まじまじとムサシを見つめたあと、吹き出した。
「バーカ」
ムサシも笑い出した。
弾かれたように笑うふたり。
ざわめくロッカールームに響く笑い声。
小結が何事かと不思議そうに見ていた。
「Set, Hut!」
おのれ自身の腹にも響く合図。巨体の手から放たれたボールが飛ぶ。それを脇に抱えこむようにしてヒル魔は軽く膝を地面につけた。ニーダウン、プレー終了のサインだ。
「ケケケ」
周りに集まる仲間たち。ヘルメットの下はみな笑顔だ。残り20秒をハドルの態で消化する。
青空にレフェリーの笛が響き渡った。ゲームセット。35点をあげて親善試合はデビルバッツの勝利に終わった。仕掛けておいた花火がどっと盛大にあがる。爆竹の音も。わあっと歓声、ギャラリーから。
泥門高校の校舎は高台に位置する。東の昇降口を出て階段を下ったところにグラウンドが広がる。その階段も、草に覆われた斜面もぎっしりと観客。相手チームの関係者はもちろん多くの生徒たち、そして報道関係者。近隣の複数の高校チーム、特に王城ホワイトナイツはわざわざバスで揃って見学に来た。でも一番多いのは泥門高校の生徒たちだ。拍手、口笛、カメラや携帯電話を構える者。
向かい合っての一礼を終えて、ムサシはヒル魔に駆け寄った。何だと言わせる隙も与えず担ぎ上げる。ギャラリーに一声。
「おーい、みんな。今日のMVPだ、前キャプテン。ヒル魔妖一!」
意表を突かれたがヒル魔も合わせた。
「YAーHAー!」
雄叫びと呼応するギャラリーの歓呼。
「いいぞー泥門!」
「デビルバッツ!」
「デビルバッツ!」
「泥門デビルバッツ!」
歓声の中。ヒル魔を担ぎ上げたままムサシはサイドラインを練り歩き始めた。手をあげて観客に応える、無論ヒル魔も。
そうしながらヒル魔がささやいた。ムサシにしか聞こえない声。
(テメー何のつもりだ。下ろせ)
ムサシもささやき返す。
(お前が返事したらな)
(何を)
(さっきの話)
(何のことだ)
(俺に面倒見させることだ)
(…………)
ふ、とまたヒル魔は吹き出した。
(しつこい奴だなテメーは)
(いいから返事しろ)
息を吸い込む気配。だが次の瞬間ヒル魔は声を張り上げた。ムサシではなく観客たちに。
「ケケケ、良く聞きやがれ糞観客共!」
威嚇的な金髪頭の声。一瞬、ギャラリーが静まる。
ここぞとばかりにヒル魔は続ける。
「俺を担いでるこいつ、キッカーだ。ガッコ出たらチーム作る」
「その名は──」
「武蔵工バベルズ!」
ムサシは慌てた。以前ちらりと話したことを公表されてしまったからだ。肩の上の金髪悪魔は大笑だ。
「ケケケ、せいぜい応援しやがれ!」
客たちの目はムサシにも向いた。視線と拍手、賑々しい口笛。
「いいぞーお前らー!」
「応援するぞー!」
「ムサシくんあとで取材させてー!」
「YAーーHAーー!」
肩の上で呵々大笑するヒル魔。何だか吹き出すような気持ちがムサシにもやって来る。たまらなく弾む気持ち。
──駄目だ
我慢できなくなった。愉快になってしまってムサシも笑った。ぐるぐるとふたりでその場を回る。フィールドと青空に響く笑い声。
「おーい! 撮るからこっち!」
客席の端から声。携帯電話を掲げた生徒が手を振っている。
「あっちだ、それ行け糞ジジイ!」
バンと痛いほど背中を叩かれた。おう、と答えてムサシは駆け出す。肩と腕にかかる金髪頭の重み、なんと心地良い。
地面を蹴って走るキッカー、その上の悪魔のQB。
晴れやかな笑い声を響かせて。
「なんかはしゃいでますね、あのふたり」
「うん、いいんだよ。勝って嬉しいんだよきっと」
セナに言われて栗田は笑う。ギャラリーの歓声は止まない、大盛り上がりだ。手を振って応えながら何事か話している親友たちの姿が目に映る。ムサシはヒル魔を担ぎっぱなしだ。
一段落ついたらそろそろ声をかけなくちゃ。そう栗田は思う。あのままでは試合後のミーティングができないし。お邪魔虫になるかもだけどそんなの僕にしかできないし。
「おおい栗田。あいつらそのうち呼び戻してくれ」
溝六にまで言われて栗田は吹き出した。はあい、と明るく返事をする。
みなで資材の後片付けをしていると、だがふたりが戻ってきた。のっしのっしとムサシが歩く。ヒル魔はその肩の上にすっかり腰を据えてしまったようだ。片手にはいつの間にやらマシンガン。
「野郎共、ミーティングするぞ。部室に集まりやがれ!」
空に向けた空撃ちの音。
栗田は笑った。意気揚々とした親友たちの顔、何だか自分まで笑顔になってしまう。
「ムサシー、ヒル魔ー!」
思い切り。
両腕を思い切り大きく振った。不思議な力がみなぎるようだ、試合のあとだというのに。
賑やかな花火がまた上がった。どん、と大きな音を響かせて。
青空に華、地にはフットボーラーたち。
誰も彼もが晴れやかに前を向く。
この先へ。もっとこの先へ。
足が止まることはない。
走り続けるフットボーラーたち。
まっすぐに、前を見つめる瞳 。
また雄叫びが上がる。
「YAーーHAーー!!」
泥門高校二学期の始業式。短いその式が終わり、ぞろぞろと歩く生徒たちに混じってヒル魔も教室に戻った。これからホームルーム、そしてそのあとは。
「ヒル魔」
このあとのことを考えていたら声をかけられた。見ると同じクラスの石丸だ。おう、と返事をする。石丸は広げた問題集を差し出した。
「ここ、教えてくれないか」
指で指し示された箇所にはびっしりと英文。
受け取ってざっと目を通す。エッセイのようだが一つ一つの文が長く、構造が複雑だ。だが読み解くことができないわけではない。少なくともヒル魔には。
「もうこんなのやってるのか」
同じ進学科のクラスに属しているとはいえ、石丸の成績はヒル魔より少し劣る。大丈夫か、とちらと思った。
「基礎編が終わったからこれに手をつけたんだけど、なんか難しくてさ。ちょっと苦労してる」
友人は苦笑する。
まあ座れ、とヒル魔は自分の前の席に石丸を促した。シャーペンを取って英文を句節ごとに分解していく。分かり難い文章、もっと言えば悪文だ。これじゃ苦労するだろうと思いながら。
分解した句節と、いくつかの構文を組み合わせて説明する。ついでに問題の意図も。熱心に聞き入っていた石丸は納得ができたのか、ああ、と声を上げた。
「そうか、そうやればいいのか。ありがとうな」
「いや」
「助かった。またなんかあったら教えてくれ」
「おう」
ありがとな、とまた口にしながら椅子を引く友人。ふとヒル魔は言ってみようと思った。
「おい、石丸」
「え?」
「テメー大学でも陸上やるんだろ」
「ああ、そのつもりだよ」
「まさかとは思うが一応言っとく」
付き合いの長い友人ににやりと笑ってみせた。
「アメフト。やる気はねえか」
「アメフト……って、大学で?」
「そうだ」
いや、と石丸は笑った。
「悪いけどやめておくよ。やっぱり俺は陸上がやりたいからさ」
「……そうか」
「まあでもその前に受からなくちゃいけないけど」
苦笑いして頭を掻く友人。
「そんな悪くねえだろ。模試とか」
「うん、まあ普通……かなあ」
「分かんなかったらまた教えてやるよ」
「お、サンキュー」
斜め前のクラスメートがちらと目に入った。ヒル魔を敬遠している男子だ。ぽかんと口を開けてこちらを見ている。石丸の鷹揚な態度が意外なのだろう。脅迫手帳で恐れらているヒル魔。こんな風に対等に口を聞く者はそう多くはない。
また頼むな、と言いながら石丸は自分の席に戻ろうとする。その背に呼びかけた。
「石丸」
「?」
「今日の試合。テメーも出ンだぞ」
分かってる、と頼もしい答えが返ってきた。
泥門高校の3年生はみな夏に部活を引退する。二学期の始業式の後、引退した3年を中心とする親善試合がこれからグラウンドで行われるところだ。リーグ戦開幕直前のこの時期、経験の浅い1年などに怪我をさせるわけにはいかない。だからこの試合も石丸やその他の助っ人を使うとヒル魔は宣言した。レギュラーにとっては小手調べになる。そうなるようにヒル魔は新キャプテンのセナと話し合ってメンバーを決めた。
対戦相手は近隣の高校チーム。新設されたばかりでデータは少ない。バスでやってきたそのチームには先にグラウンドを使わせ、体を温めさせている。
ロッカールームは慌ただしい。ぎっしりと詰まった部員たちが賑やかに着替えの最中だ。顔を覗かせた溝六が、お前たち早くなと急かして行った。
「はーい」
「俺マウピどこやったっけ」
「セナー、あれ取ってくれー」
「栗田さん、マネージャーが呼んでます」
「久しぶりだな試合」
「あちーな、エアコン効いてねえみてぇ」
「これでしょ、モン太くん」
「あっすんません雪光さん」
「やべ、ユニフォームがきちぃ」
「メットがねえ〜」
「テーピング、テーピング」
引退した3年の分のロッカーはすでにない。それでも下級生に混じってヒル魔たちも同様に着替え中だ。隣には愛すべき巨漢、そしてムサシ。雪光も石丸もいる。
白いシャツを脱ぎ捨てながらヒル魔はムサシに声をかけた。
「テメーさぼってねえだろうな。トレーニング」
「馬鹿」
ムサシはまるで取り合わない。
「例の件は進んでンのか」
「ああ、まあな」
「チーム名は」
「こないだ話した通りだ。多分な」
「メンツは」
「考えてる。お前に心配されなくてもちゃんとやってるから安心しろ」
「心配なんかするか阿呆。カネは」
「まあカネは足りねえな」
「なんだ、そんなら何とかしてやってもいいぞ」
「そうか、じゃあ頼む。で?」
「あ?」
ユニフォームの下、ムサシはパッド付きのスパッツに足を通す所だ。上半身はまだ裸。
「見返りだ。カネ出してくれるんなら礼をする」
「決まってンだろ、ライスボウルだ」
「それじゃ見返りにはならねえな。うちが勝ったらどうする」
「ケケケ、減らず口叩きやがって」
ストレッチの効いたスパッツを広げ上げながらふとムサシの胸に悪戯心が湧いた。
「思いついたぞ」
「何をだ」
「見返り」
赤いデビルバッツのユニフォーム。首のところからずぼっと金髪頭。
ムサシは少し声をひそめた。
「お前のな」
「なんだよ」
「お前の面倒。一生見てやる」
「……は?」
不意を突かれたのか、ヒル魔はらしくない素っ頓狂な声を出した。
「いい案だろ」
にやにやとムサシは笑う。
呆れたような顔のヒル魔。まじまじとムサシを見つめたあと、吹き出した。
「バーカ」
ムサシも笑い出した。
弾かれたように笑うふたり。
ざわめくロッカールームに響く笑い声。
小結が何事かと不思議そうに見ていた。
「Set, Hut!」
おのれ自身の腹にも響く合図。巨体の手から放たれたボールが飛ぶ。それを脇に抱えこむようにしてヒル魔は軽く膝を地面につけた。ニーダウン、プレー終了のサインだ。
「ケケケ」
周りに集まる仲間たち。ヘルメットの下はみな笑顔だ。残り20秒をハドルの態で消化する。
青空にレフェリーの笛が響き渡った。ゲームセット。35点をあげて親善試合はデビルバッツの勝利に終わった。仕掛けておいた花火がどっと盛大にあがる。爆竹の音も。わあっと歓声、ギャラリーから。
泥門高校の校舎は高台に位置する。東の昇降口を出て階段を下ったところにグラウンドが広がる。その階段も、草に覆われた斜面もぎっしりと観客。相手チームの関係者はもちろん多くの生徒たち、そして報道関係者。近隣の複数の高校チーム、特に王城ホワイトナイツはわざわざバスで揃って見学に来た。でも一番多いのは泥門高校の生徒たちだ。拍手、口笛、カメラや携帯電話を構える者。
向かい合っての一礼を終えて、ムサシはヒル魔に駆け寄った。何だと言わせる隙も与えず担ぎ上げる。ギャラリーに一声。
「おーい、みんな。今日のMVPだ、前キャプテン。ヒル魔妖一!」
意表を突かれたがヒル魔も合わせた。
「YAーHAー!」
雄叫びと呼応するギャラリーの歓呼。
「いいぞー泥門!」
「デビルバッツ!」
「デビルバッツ!」
「泥門デビルバッツ!」
歓声の中。ヒル魔を担ぎ上げたままムサシはサイドラインを練り歩き始めた。手をあげて観客に応える、無論ヒル魔も。
そうしながらヒル魔がささやいた。ムサシにしか聞こえない声。
(テメー何のつもりだ。下ろせ)
ムサシもささやき返す。
(お前が返事したらな)
(何を)
(さっきの話)
(何のことだ)
(俺に面倒見させることだ)
(…………)
ふ、とまたヒル魔は吹き出した。
(しつこい奴だなテメーは)
(いいから返事しろ)
息を吸い込む気配。だが次の瞬間ヒル魔は声を張り上げた。ムサシではなく観客たちに。
「ケケケ、良く聞きやがれ糞観客共!」
威嚇的な金髪頭の声。一瞬、ギャラリーが静まる。
ここぞとばかりにヒル魔は続ける。
「俺を担いでるこいつ、キッカーだ。ガッコ出たらチーム作る」
「その名は──」
「武蔵工バベルズ!」
ムサシは慌てた。以前ちらりと話したことを公表されてしまったからだ。肩の上の金髪悪魔は大笑だ。
「ケケケ、せいぜい応援しやがれ!」
客たちの目はムサシにも向いた。視線と拍手、賑々しい口笛。
「いいぞーお前らー!」
「応援するぞー!」
「ムサシくんあとで取材させてー!」
「YAーーHAーー!」
肩の上で呵々大笑するヒル魔。何だか吹き出すような気持ちがムサシにもやって来る。たまらなく弾む気持ち。
──駄目だ
我慢できなくなった。愉快になってしまってムサシも笑った。ぐるぐるとふたりでその場を回る。フィールドと青空に響く笑い声。
「おーい! 撮るからこっち!」
客席の端から声。携帯電話を掲げた生徒が手を振っている。
「あっちだ、それ行け糞ジジイ!」
バンと痛いほど背中を叩かれた。おう、と答えてムサシは駆け出す。肩と腕にかかる金髪頭の重み、なんと心地良い。
地面を蹴って走るキッカー、その上の悪魔のQB。
晴れやかな笑い声を響かせて。
「なんかはしゃいでますね、あのふたり」
「うん、いいんだよ。勝って嬉しいんだよきっと」
セナに言われて栗田は笑う。ギャラリーの歓声は止まない、大盛り上がりだ。手を振って応えながら何事か話している親友たちの姿が目に映る。ムサシはヒル魔を担ぎっぱなしだ。
一段落ついたらそろそろ声をかけなくちゃ。そう栗田は思う。あのままでは試合後のミーティングができないし。お邪魔虫になるかもだけどそんなの僕にしかできないし。
「おおい栗田。あいつらそのうち呼び戻してくれ」
溝六にまで言われて栗田は吹き出した。はあい、と明るく返事をする。
みなで資材の後片付けをしていると、だがふたりが戻ってきた。のっしのっしとムサシが歩く。ヒル魔はその肩の上にすっかり腰を据えてしまったようだ。片手にはいつの間にやらマシンガン。
「野郎共、ミーティングするぞ。部室に集まりやがれ!」
空に向けた空撃ちの音。
栗田は笑った。意気揚々とした親友たちの顔、何だか自分まで笑顔になってしまう。
「ムサシー、ヒル魔ー!」
思い切り。
両腕を思い切り大きく振った。不思議な力がみなぎるようだ、試合のあとだというのに。
賑やかな花火がまた上がった。どん、と大きな音を響かせて。
青空に華、地にはフットボーラーたち。
誰も彼もが晴れやかに前を向く。
この先へ。もっとこの先へ。
足が止まることはない。
走り続けるフットボーラーたち。
まっすぐに、前を見つめる
また雄叫びが上がる。
「YAーーHAーー!!」
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