冬の片恋
「
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店を出たところにあるベンチに並んで腰掛けた。鞄を脇に置いて。
ぺろりと舐めるアイスクリーム。コーンからはみ出そうだ。
おいしいね、と親友が言った。
「うん」
「甘いね」
「ん、これはちょっと甘酸っぱい」
「ほんと?」
「うん。食べてみる?」
「うん」
レモン味のシャーベット。差し出すと親友はありがとうと言って受け取った。
控えめに舌を出して舐める。
「ほんとだ、甘酸っぱい」
「でしょ」
「でもおいしい」
女生徒に顔を向けて、親友はにっこり笑った。
学校帰り。アイスを食べに行こうと誘われた。駅近くのいつも人で賑わうアイスクリーム店。ベンチが空いていて良かったと女生徒は思った。
ぽかぽかと暖かな日差し。学校指定のコートを着ているし、天気が良いから寒さはあまり気にならない。
──こんなにいい天気なのに
どこか悲しく女生徒は思う。
「ね、しぃちゃん」
親友に呼ばれた。
「なに?」
「ありがとうね」
「…………」
「なんか、スッキリした」
親友の微笑。
目の奥が熱くなる。いけない、こんなとこで。
懸命に微笑んでみせた。
「……うん」
返事をするのがやっとだった。
隣の親友は横顔を見せてアイスを口にする。
穏やかな横顔。
女生徒も同じようにする。口の中に溶けていくシャーベット。
ふと胸に浮かんだことを言ってみた。
「ねえ、マナ」
「なあに?」
「レモネード飲みたいな。マナの」
「いいよ、今度作ってきてあげる」
「わ、嬉しい。ありがと」
「今はホットにしてもおいしいんだよね」
「あったかいレモネード? 飲んだことない」
「じゃあシロップも持ってきてあげるね。おうちでやってみて」
「うん、分かった」
顔を見合わせて微笑みあう。
ふふ、とどちらからともなく。
暖かな陽だまりのベンチ。
親友と二人きりの静かな時間。
──この子は、と女生徒は思う。きっとこの子は家に帰ってからひっそりと泣くのだろう。一人きりで。
胸が痛む。
締めつけられるように胸が痛む。でも自分には何もできない。
甘酸っぱいシャーベット。
口の中で溶けていくシャーベット。
何もかも溶けていってしまえばいいのに。
このシャーベットみたいに。
高校に進学して知り合った、いまの"親友"。名字が同じで下の名前も少し似ている。だから初めて見た時から不思議な親近感があった。番号順に並ぶと親友が先、女生徒があと。手持ち無沙汰な待ち時間に何となく話すようになった。
女生徒はまだ覚えている。入学してまもなく、クラスの女子たちでお花見をしようということになった。それぞれ、作ったものを持ち寄って。
その日はよく晴れた。待ち合わせ場所は駅。春風が暖かく心地よく吹く中、皆で大きな公園に入った。
お花見広場にはもうだいぶ先客がいた。運良く空いていた場所にレジャーシートを広げて、手料理を並べる。何だかわくわくと胸を躍らせながら。
女生徒が持ってきたのはたくさんのお握りだ。色々な具材は使ったものの、見た目は何の変哲もない三角形のお握り。他の女の子たちはサンドイッチ、唐揚げや小ぶりのハンバーグ。だし巻き卵、鶏の照り焼きに香ばしい生姜焼き。おいなりさんにフライドポテト。飲み物はお茶や烏龍茶、オレンジジュース。そんな中で親友が持ってきたのは色とりどりの野菜とシーフードのマリネ、そしてこれも手製のレモネードだった。
何だか女生徒はびっくりした。とても洒落ているなあと思ったのだ。マリネもレモネードも、自分など思いつきもしなかった。それに勧められて口にしてみると本当においしい。
──マナちゃん、すごいねえ!
思ったことを素直に口にして感嘆した。目の前の当人は少し顔を赤くして、それでも嬉しそうに微笑む。ありがとう、でも椎名さんのお握りもおいしいよ。
女生徒は思わず笑ってしまった。
──さん付けなんかしなくていいよ。それに名前同じだし
──ええと……じゃあなんて呼べばいい?
──しぃちゃんでいいよ。中学からそうだし
──うん、分かった
少しはにかむように笑った親友。可愛いな、と思った。
それから少しずつ女生徒と親友は仲が良くなった。性格はまるで違うはずなのにどうしてかうまが合う。いや違うからこそ相性が良かったのかもしれない。
親友は男子とはあまり話さない。男子の方も、親友を敬遠──いや、少し違う。敬遠というより、遠慮がちに扱っているようだ。どちらかと言えば無口でおとなしい親友。艶やかな長い髪、透き通るように色白の頬。自分とはぜんぜん違う。男子と大口を開けて笑いあう自分とは。そう女生徒は感じた。
物静かに座る親友の姿。ひそかに、わけも意味もない反感を持つ女子もいたようだ。それに気づいた女生徒はさりげなくそういうクラスメートと距離を置いた。そしてむしろ親友についてもっと知りたいと考えた。
先生の話、授業の話。お互いのこと。話せば話すほど、付き合えば付き合うほど女生徒は親友に惹きつけられた。雨の日には目の覚めるような綺麗な傘で登校する親友。古い教会のステンドグラスのように美しい柄の。味も素っ気もない自分のビニール傘が少し恥ずかしくなった。
二人でトイレに行って、手を洗う。スカートのポケットに手をやろうとしてはっとした。
──あ、ハンカチ忘れちゃった
ぱたぱたすればいいや、と思ったら親友が言ってくれた。
──使う?
差し出されたのは白いハンドタオル。一目で上質なものだと分かる。礼を言って受け取ったそれはとても柔らかくて、かすかに良い香りがした。
親友は小さな子供の頃から肌が弱いのだという。だからハンカチやタオルやシーツにも気を使わなければならない。洗顔料や化粧水は小学生の頃から専用のものを買ってもらっている。そう言って少し困ったように微笑む親友。気の毒といえば気の毒、でもやっぱりこの子はとても繊細なんだな。そう思って女生徒は感心した。自分など気が向いた時に母の化粧水を拝借する程度だ。
小さなスーパーを営む自分の家。両親はいつも忙しそうだし家の中は店を閉める時刻までどこか慌ただしい。でも誘われて遊びに行った親友の家は違った。
住宅街の角の、大きな白い家。門の前と庭にはあふれんばかりの花と緑。綺麗なお庭だねえと言うと親友は笑って答えた。お母さんが手入れしてるの。
共働きだという親友の父母は不在だった。でも落ち着いた、良い家だなと女生徒は入ってみて思った。何か、この子と付き合ってると感心することばかりだ。新鮮──そう、何もかもが新鮮だ。
階段を上がって二階にある親友の部屋でずいぶんと話し込んだ。お花見の時と同じ、手製のレモネードをご馳走になりながら。大小さまざまのぬいぐるみ。何となくそれを抱えて、小さなテーブルのこちら側と向こう側で。
いつもどこかはにかむような微笑みを浮かべている親友。でも、と女生徒はやがて気づいた。少し臆病、引っ込み思案なのが玉に瑕。大勢でわいわいと賑やかに過ごすのは苦手らしい。クラスメートたちと過ごす時間ですらそうなのだ。微笑みながら、それでもどこか肩を小さくして。まるで女生徒の陰に隠れたいとでも思っているような佇まい。
本人がそんな様子だから自然と女生徒がかばう形になる。それを女生徒は嬉しく、好ましく感じた。
ぱっと笑うと本当に可愛いのに。いい子なのにちょっとじれったい、でも可愛い。何だか──。
何だか、放っておけない。
──マナ
思い切ってそう呼んだ時のことを女生徒は鮮やかに覚えている。マナちゃんとそれまでは呼んでいたのだ、他の級友たちのように。自分は違う、この子ともっと近しい存在でありたい。ただのクラスメートではなく、もっと親密な存在。そう親友に思って欲しかった。どんな顔をするだろう。勇気を出して、思い切って呼んでみた。
親友は少し驚いたようだった。でもすぐに、満面の笑みを浮かべて答えてくれた。
──なあに。しぃちゃん
喜びに胸がふくらむ。心と心が通いあったような気がした。
あたしのことも名前で呼んで。本当はそう言いたかった、でもその気持ちを女生徒はこらえた。可愛くて少し気の弱い"親友"。そこまで求めてはいけないような気がした。
いつか、呼んでくれたらいいな。
誕生日に親友がくれたのはミニサイズのリップクリームの詰め合わせだった。可愛らしい箱におさめられたそれは無色と、ほんのりピンク、赤い色がつくもの。唇が荒れやすいので、いつもこっそり塗っていた。見ていてくれたんだなと嬉しくなった。
その親友へのバースデープレゼント。悩んだすえに、パスケースにした。優しいひなげしの花が浮かぶそれを、親友はとても喜んでくれた。ありがとう、大事に使うね、と。
進級してもクラスは同じ。そう分かった時には手を取り合って喜んだ。良かったねと周りのクラスメートたちも言ってくれた。親友だもんね。
そう言われて、何だか二人して一瞬固まってしまった。そして顔を見合わせて微笑みあったのだ。うん、あたしたち親友だもんね。ね、と。
ほんのり頬を染めた"親友"。
恥じらうような笑顔を女生徒は心から嬉しく眺めた。
新しいクラスで女生徒は国語科の委員になった。もともと好きな科目だったし担当教諭の授業も楽しい。ただその教諭は毎回の授業にかなりな量のプリントを使う。それを教室に運ぶのが女生徒の大切な役目になった。
いつも手伝ってくれる親友と分け合って、職員室から教室へとプリントを持っていく。両手がふさがっているし教室の引き戸は閉まっている。自然に足が出た。
ぴしゃり。
強めな音を立てて戸が開く。入り口近くに男子生徒。
──あ、びっくりした
呆れたようにその男子は言った。
──言えば開けてやるのに。がさつな奴だな
あはは、ごめんと答えようとしたら親友の声。きっとした。
──しぃちゃんはがさつなんかじゃないよ
少し
──…………
その場では女生徒は何も言えなかった。言えなかったがすぐにじわりと胸に押し寄せたもの。温かな喜び。
授業のあと。ちゃんとお礼を言おうと思った。
──ありがとね。さっき
そう微笑むと親友は分かってくれたようだ。黙って、同じように微笑んだ。
その日は学校が終わって、家に帰ってからもいつまでもほわほわと温かな気持ちだったのを覚えている。
──椎名、これ教えて
親友と二人でいるところに、男子がノートを広げて持ってきた。覗き込むと古文の文法。得意分野だ。
──いいよ、ここ座って
──うん
ノートの各所を示しながら解法を説明する。先日、教師から教わった内容だがやや自己流に、分かりやすいように話してやる。何とか理解できたようで、男子は助かったと笑顔を浮かべた。
──サンキュー。また分かんなかったら教えて
──いいよー
あっけらかんと笑う。男子が去った後にそれまで黙っていた親友が口を開いた。
──しぃちゃんは素敵だねえ
──……は?
思わず声が出た。何を言い出すんだろうこの子は。
──だって、いつも明るくて元気だし
──え、そ、そう?
──うん
──そうかな
──うん。とっても素敵だよ
花のように微笑む親友。
なに言ってんの、あんたの方がよっぽど素敵だよ。大真面目にそう言いたかったけれど我慢した。そんなことを口にしたらまたこの子ははにかんでしまうから。
いつも自分がかばってやらなければならないと思っていた。自分とは似ても似つかない、穏やかで少し臆病な親友。とても優しくて可愛い子。
そんな親友に、好きな人ができたと告白された時はだから心底驚いた。いつの間に。
どこか、置いて行かれたような少しの寂しさ。でもすぐにわくわくと弾むような気持ちがやってきた。目の前の親友は赤い顔で何か言い淀むようだ。二人きりの帰り道、邪魔者は誰もいない。せきたてるように女生徒は口にする。
──誰よ、だれ? 教えて!
──あのね……
──うん、うん!
──……武蔵くん
──……え?
──…………
──武蔵……って、あの武蔵? クラスの?
──……うん
消え入りたいような風情の親友。うつむいて、真っ赤に頬に血をのぼらせて。それでもしっかりと頷いたその顔。笑顔で見てあげなければ、でも。
──…………
すぐには言葉が出てこない。どうしよう、と思った。いけない、気づかれてしまう。
暗澹たるもの。胸に押し寄せる暗いものに気づかれてはならない。無理矢理に女生徒は口を開いた。
──ええと……、どんなところ?
──…………
──ね、マナ。武蔵のどんなところがいいと思ったの?
──…………
親友はためらうようだった。それでもおずおずと、少しずつ話してくれた。
──あのね
──うん
──プリントをね、運んでたら手伝ってくれたの。ひょいって持ち上げて
──……それだけ?
──う、ううん。それにね
──…………
──優しいしかっこいいよ。最初はちょっと怖かったけど
──…………
──みんなが掃除をさぼってても一人でやってるし。真面目でてきぱきしてるの
──…………
──この前、男子が椅子を作ってたでしょ。あれもみんなの手伝ってあげてたよ
──…………
──すごく親切に教えてあげてたよ。優しいんだなって思った
──…………
いつの間にそんなに見てたんだろう。
確か、まだ2ヶ月も経っていない。休学していたというその男子生徒──"武蔵厳"が同じクラスにやって来て。
知り合ってまだ間もないはずなのに。
そう女生徒は口にした。
──うん。何だかね
親友はおずおずと言葉を続ける。
──最初怖いなと思ってたけど、なんか目が離せなくて
──…………
──なんかね。……一目惚れ、しちゃってたみたい
照れたように。気恥ずかしそうに微笑む親友。
──……そっか
やっとの思いで女生徒は答えた。
重い心を必死に押し隠しながら。
3人揃って"親友"だと噂に聞いた。でもその揃っているところを見てもあまり武蔵は喋らない。ケケケと笑う金髪頭、それに栗田が喋るのを黙って聞いている場面が多い。
所属しているのはアメフト部。ポジションはキッカーであるらしい。チーム名は泥門デビルバッツ、ヒル魔がキャプテンを務めている。最初は3人だけで始めた部活だが、2年になって部員が増えた。秋の大会を勝ち進み、つい最近は同じ東京の強豪校を破ったのだとか。
どういうわけだか武蔵は復学して間もなく派手なモヒカン頭になった。ただでさえ迫力があるのに、ますます威圧感を漂わせる風貌。どう見ても、優しい風情の自分の親友とは似つかわしくない。
──そんなことよりも
親友と別れて、一人になった帰り道。
鉛を飲んだような重い気持ち。
──
そう思う。でもそれをどう親友に伝えたらいいのか。
──どうしよう
幾度も、繰り返し思う。いったい、どうしたらいいんだろう。あれはだめだ、そうとしか思えない。でもどうしたら。
見なければ良かった。そんな光景が苦く目の前によみがえる。
つい先日だ。体育の授業の時だった。陸上部の使う白線が一部消えているのを見つけた。引いておいてあげよう、そう考えて体育倉庫に走った。ラインカーを取りに。
グラウンドから体育倉庫へ。駆け寄っていくと少し扉が開いているのが見えた。
細めに開いた扉。その前に立って、女生徒の足は止まってしまった。
中には同じクラスのモヒカン頭。武蔵だ。一人ではない、いつもそばにいる金髪頭が一緒だ。その金髪頭に武蔵が──
──キスをした。
身が凍りついた。
三角コーンと、ラインカー。後者はまさに自分が運んでこようとしたものだ。それぞれ片手に持っている体操服姿。そんなことを理解したのは後になってからだ。自分の目が信じられなかった、でも確かに見た。武蔵から、ヒル魔へのキス。
唇を離して武蔵はヒル魔を見る。どこか悪戯な横顔。
ヒル魔は不意を突かれたようだった、でもすぐににやりと笑った。片手を伸ばして武蔵の顔を引き寄せて、今度はヒル魔からのキス。
抱きあう二人。
ヒル魔の腰を抱く武蔵。
にやにやと共犯者のような笑みを浮かべて、誰も──そう、誰も割り込めないような風の。
女生徒はごくりと息を飲んだ。それから我に帰って、逃げ出したのだ。
──どうしたらいいんだろう
親友の気持ちを思うと心が痛む。胸が押しつぶされるようだ。
教室の窓際。自分の席でぼうっと考える。どう過ごしたのか分からないがもう放課後だ。親友とは毎日一緒に帰る。何か教師に呼ばれて職員室に行った親友を待っている。
外からはさまざまな運動部の活動している気配。野球部もサッカー部もバスケ部ももう練習を始めているのだろう。──アメフト部も。
窓の外へ視線をやって、はっとした。
グラウンドの奥、アメフト部の拠点。そこに向かって、いままさに自分の胸を占めている二人が駆けていく。
体を寄せ合い、じゃれあうようにしながら駆けていく二人。チームメイトたちのもとへ。その姿はまるで生命力のかたまりだ。あふれる活気、あふれる喜び。向こうでまんまる顔の巨漢が大きく手を振っているのが見えた。
疾走する二人。
力強く、晴れやかに。
女生徒の胸に暗然とした気持ちが押し寄せる。
──あれはだめだ
──多分。いや、きっと
絶望的なまでに思う。親友には告げるしかない、そう女生徒は考えた。武蔵にはどうやら好きな相手がいるらしいと。言わなければならない、うまく言えるかどうか自信はない。でも伝えなければ。
それでも、もし。
もし親友が──告白したい、自分の気持ちを伝えたいと思うなら。
気の弱い子だからそんなことはないかもしれない。けれど、でも万が一そう願うなら。
あたしがあの子を支えよう。
友達だから。
大好きな、友達だから。
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