氷雨
扉を開けて部屋に入り、鍵を閉める。ほっと一息つく瞬間だ。どさりとバッグを投げ出す。ベッドに近づいて腰掛けた。
「…………」
肘を膝につけてうつむく。シャワーを浴びて練習後の汗を流したい、それに明日の準備もしなければ。そう思うが体が動かない。先ほどから頭を占めている思い、それを追うので精一杯だ。
西部戦で親友がチームに復帰した。ヒル魔はそれを嬉しく思ったし、親友のためにもチームのためにも喜んだ。あとはひたすらクリスマスボウルという目標に向けて──高みを目指して駆け上るだけだ。そのはずだった、でも。
栗田とヒル魔の親友。武蔵厳、通称ムサシ。一年半の歳月を経て戻ってきた男。その男への想いに、今日ヒル魔は気づいた。なんということもない瞬間に。
放課後のチーム練習。グラウンドに出るとムサシはもう先に着替えて自主練を始めていた。足元に転がってきたボール。それを手に取りヒル魔はムサシに投げた。帰ってきたんだな、と思いながら。例えようもない幸福感、充実感、そういうものを感じながら。悪いな、とムサシがボールを受け取りつつヒル魔を見た。
瞬間、ムサシの目に射抜かれるような感覚に襲われた。どきりと胸に突き上げるもの。懐かしいこのまなざし、このまなざしが自分は好きだ。そして──できることなら永遠にこの目がおのれだけを見つめているように。
独占したい。ムサシを、この男の全てを知りたい、手に入れたい。
そう思っているおのれを初めてヒル魔は自覚した。
──…………
外は夕闇に包まれ、部屋の中も暗い。灯りもつけずにヒル魔はただ物思いにふける。この先、どうしたらいいのか。
親友への想い。思慕。自覚してしまったそれはこうしているうちにも膨れあがっていくようだ。胸が熱い。恋い焦がれる、なんていうことは自分には無縁のことだと思っていた。そのはずだったのに。
頭を垂れてうつむく。燃えるような胸、そしてそれと相反する重い気持ち。こんな想いは誰にも悟られてはならない。そうとしかヒル魔には考えられない。何よりも、誰よりも──ムサシには。気づかれてはならない。
とっぷりと日が暮れていく。暗く沈んだ部屋。一人で考えに沈むほど部屋の中も重く闇に閉ざされてくるようだ。
明日をどうしたらいいだろう、と考えた。明日も明後日も、これからの毎日を。毎日顔を合わせなければならない。好きだ、愛しい。そんな気持ちを抑え込むことができるんだろうか。
──やらなくちゃならねえ
顔を上げた。目に映るのは部屋の白い壁。ぐっとその壁をヒル魔は見つめた。
いまの自分にとって、チームにとって。そして──親友にとって。何より大切なのはチームの勝利なのだ。おのれの内の想いに惑わされてはならない。こんなものはおのれの内だけに閉じ込めておかなければならない。
ため息を一つした。それからヒル魔は立ち上がった。想いを振り切るかのように。
灯りをつけて服を脱いだ。シャワーを浴びようと思ったのだ。裸で浴室に入る。ふと鏡が目に入った。
そこに映る自分。いつもと何も変わらない、金髪頭。少し頬がそげているようにも感じる。芒洋とした顔。
俺は変わらない、と自分に言い聞かせた。そうだ、俺は変わらねえ。明日も明後日も、その後も。泥門デビルバッツの悪魔のQB、チームの司令塔。脅迫手帳と奴隷を駆使し、学内と学外の誰からも恐れられる悪魔こと蛭魔妖一。そんな自分を守らなくてはならない。誰にも、何にも悟られてはならない──この想いは。
ふいとヒル魔は目をそらせた。バスタブに入りシャワーのコックを強くひねった。
頭から冷水を浴びる。目を閉じて。降り注ぐ水はやがて温度を上げて温かい湯になった。浴室に立ち込める湯気。
体を撫で、足元に流れていく湯水。この湯水と共に何もかも流れてしまえばいい。
ひたすらそう願った。
──何もかも、流れてしまえばいい
外は雨。
冷たい雨が降り出していた。
「…………」
肘を膝につけてうつむく。シャワーを浴びて練習後の汗を流したい、それに明日の準備もしなければ。そう思うが体が動かない。先ほどから頭を占めている思い、それを追うので精一杯だ。
西部戦で親友がチームに復帰した。ヒル魔はそれを嬉しく思ったし、親友のためにもチームのためにも喜んだ。あとはひたすらクリスマスボウルという目標に向けて──高みを目指して駆け上るだけだ。そのはずだった、でも。
栗田とヒル魔の親友。武蔵厳、通称ムサシ。一年半の歳月を経て戻ってきた男。その男への想いに、今日ヒル魔は気づいた。なんということもない瞬間に。
放課後のチーム練習。グラウンドに出るとムサシはもう先に着替えて自主練を始めていた。足元に転がってきたボール。それを手に取りヒル魔はムサシに投げた。帰ってきたんだな、と思いながら。例えようもない幸福感、充実感、そういうものを感じながら。悪いな、とムサシがボールを受け取りつつヒル魔を見た。
瞬間、ムサシの目に射抜かれるような感覚に襲われた。どきりと胸に突き上げるもの。懐かしいこのまなざし、このまなざしが自分は好きだ。そして──できることなら永遠にこの目がおのれだけを見つめているように。
独占したい。ムサシを、この男の全てを知りたい、手に入れたい。
そう思っているおのれを初めてヒル魔は自覚した。
──…………
外は夕闇に包まれ、部屋の中も暗い。灯りもつけずにヒル魔はただ物思いにふける。この先、どうしたらいいのか。
親友への想い。思慕。自覚してしまったそれはこうしているうちにも膨れあがっていくようだ。胸が熱い。恋い焦がれる、なんていうことは自分には無縁のことだと思っていた。そのはずだったのに。
頭を垂れてうつむく。燃えるような胸、そしてそれと相反する重い気持ち。こんな想いは誰にも悟られてはならない。そうとしかヒル魔には考えられない。何よりも、誰よりも──ムサシには。気づかれてはならない。
とっぷりと日が暮れていく。暗く沈んだ部屋。一人で考えに沈むほど部屋の中も重く闇に閉ざされてくるようだ。
明日をどうしたらいいだろう、と考えた。明日も明後日も、これからの毎日を。毎日顔を合わせなければならない。好きだ、愛しい。そんな気持ちを抑え込むことができるんだろうか。
──やらなくちゃならねえ
顔を上げた。目に映るのは部屋の白い壁。ぐっとその壁をヒル魔は見つめた。
いまの自分にとって、チームにとって。そして──親友にとって。何より大切なのはチームの勝利なのだ。おのれの内の想いに惑わされてはならない。こんなものはおのれの内だけに閉じ込めておかなければならない。
ため息を一つした。それからヒル魔は立ち上がった。想いを振り切るかのように。
灯りをつけて服を脱いだ。シャワーを浴びようと思ったのだ。裸で浴室に入る。ふと鏡が目に入った。
そこに映る自分。いつもと何も変わらない、金髪頭。少し頬がそげているようにも感じる。芒洋とした顔。
俺は変わらない、と自分に言い聞かせた。そうだ、俺は変わらねえ。明日も明後日も、その後も。泥門デビルバッツの悪魔のQB、チームの司令塔。脅迫手帳と奴隷を駆使し、学内と学外の誰からも恐れられる悪魔こと蛭魔妖一。そんな自分を守らなくてはならない。誰にも、何にも悟られてはならない──この想いは。
ふいとヒル魔は目をそらせた。バスタブに入りシャワーのコックを強くひねった。
頭から冷水を浴びる。目を閉じて。降り注ぐ水はやがて温度を上げて温かい湯になった。浴室に立ち込める湯気。
体を撫で、足元に流れていく湯水。この湯水と共に何もかも流れてしまえばいい。
ひたすらそう願った。
──何もかも、流れてしまえばいい
外は雨。
冷たい雨が降り出していた。
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