短編
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
―――蓬山。
それは五山の中でも唯一人の気配があり、期限ある立ち入りを許される地。普段に見受けられるのは女仙の姿のみであるが、今日ばかりは異なっていた。
何しろ蓬山にて育った者の半数以上が一時の帰還を果たすのだから、女仙が浮き足立つのは仕方無い。久方ぶりに現れた玄君もまた、彼女達の姿を眺めながらも彼ら――麒麟の帰還を心待ちにしていた。
蓬山の一廓にある四阿、その付近に存在する園林では二人の少年が石案と揃えで備えられた椅子へ腰を落ち着かせている。片方は金、もう片方は鋼の髪色をした少年らはしかし、実の所どちらもまごう事無き神獣――麒麟である。
石案上に軽く組んでいた腕を乗せた延麒は、傍らの青年へ視線を向けると外見の年相応に微笑んでみせた。
「こうして集まるのは二度目になるな」
「そうですね……楽しみです」
延麒の言葉に頷いた泰麒もまた、笑みを湛えて応えた。嘗て八年前にあった同様の招きが懐かしい。伏せた瞼の裏に甦るのは、以前に顔を合わせた兄弟の面々。だが―――その内二人が既に倒れている事実もまた浮上して、泰麒の面持ちに微かな翳りが差し込む。僅かな哀愁に浸りかけた青年はしかし、突如耳に入る足音と明朗な声によって俯きかけた顔を上げ振り返った。延麒もまた背後を見やり、久方ぶりの再会に嬉々とした情が跳ね上がる。
「まだ全然来ていないのね」
「お、氾麟」
集うは未だ、三者のみ。
三者の間にて話は弾む。
麒麟同士の会話は大凡和やかなものであったが、浮沈する話題に時折見兼ねた延麒は方向性を変えようとして、刹那それを止めた。やってきた数者の姿を視界の端に捉えたのである。
片手を挙げ軽く振る六太と来たる者達を見るなり小さく声を上げる氾麟―――梨雪。黄昏色の三者が誰であるのか、認めることは酷く容易い。
「お久しぶりです」
「元気そうで何よりだ采麟。……と、供麒と景麒か」
「ついでのような言い草をなさらないで頂きたい」
「景台輔、そのつもりで言った訳ではないのですから―――」
ようやく園林へ姿を現した者の姿は三つ。彼らを延麒が迎えるも、その言い草に気を悪くしたのか、景麒が眉を顰めて不満を洩らした。傍らで宥める供麒により場は一先ず終息し、其々が椅子へと腰を下ろす。途絶えていた会話は次第に増え、穏やかな空気が戻りつつある刹那―――さらに園林へ踏み込む二人の姿が集う彼らの視界に映り込んだ。
赤毛の少年と、少年の手を引く金髪の女性。其々西の南北に位置する極国の麒麟。
「皆様、お久しゅう御座います」
「廉台輔!」
嬉々として声を挙げた泰麒が思わず腰を浮かせる。彼にとっては久方ぶりの再会に胸を高鳴らせ、次第に近付きつつある二者を視界から捉えて離さない。
鋼色の髪をした青年の姿を見やった少年は一頻り目を瞬かせた後に大きく見開き、女性はその姿に微笑みを湛えた。軽く会釈をして、空いた席へゆっくりと移動する。
「途中で峯台輔とお会いしたので、ご一緒させていただきました」
「なんだ、そうだったのか―――」
「初めまして、お久しぶりです皆さん」
廉麟の言葉に頷いた延麒の傍らで、峯麒もまた集う者達へ会釈をする。大半の者達と初対面である少年にとっては緊張で身が硬直するばかりであったが、飛び交う会話に耳を傾ける内に解れていくようだった。
―――あと来ていないのは。
石案を囲む面々を一望した延麒は、ふと大国の麟の姿を思い起こして首を捻る。……やはり、来ないのだろうか。
思いは束の間。
ふと視線を薙がせた先、遠景より来たる者の姿を捉えるなり微かに笑みを浮かべた。
「ほんに微笑ましいこと」
「玄君―――」
穏やかな口調を聞き入れた者達はぴたりと会話を区切らせて振り返る。久方ぶりに見 えたその姿に顔を綻ばせ立ち上がった。
麒麟であれば誰もが顔を合わせる女仙の長。字を玉葉といったが、彼らは専ら玄君と呼ぶ。既に定着しているために、彼女は違和感なく応え、頷いた。生国に下った麒麟が一堂に会する事は過去に一度。あれから早十年―――変わらぬ者と、新しき者の姿が園林にて揃う。
「みな、恙無くお暮らしか」
「はい」
玉葉の問いに、其々に首肯を示す者達。恙無くと応える声もあり、安堵に胸を撫で下ろすと背後を振り仰ぐ。その方角にあるのは、彼らが生を授かった地。風に揺らがぬ、枝垂れた樹木へと。
「蓬山には劉麟と塙麒の蓬山公が居られる。舜と奏からは来られぬとの知らせがあったゆえ、これで全員となろう」
全員、と告げた玉葉の視線は集う神獣の中でも若き赤麒。反応を示した峯麒の鬣が揺れる。軽く目を見開いた少年はしかし、すぐに肩を落として悄然とした。共に下ろした視線は石案の卓上へ。
「徇麒……来ないんだね」
「そういや、峯麒は徇麒と面識があるんだよな」
「うん」
落胆する峯麒の呟きに、延麒が問う。問われた者は軽く頷きを見せると、対面側に腰を掛けた采麟が柔らかく微笑みかけた。少年の姿を目前に心配したのだろう、気遣うように優しく言葉を述べる。
「でも、これだけの麒麟が一堂に集まる事ができるのはとても貴重な事よ」
「―――そうだった」
思い出したかのように再び呟いた峯麒は面を上げる。今はとても貴重な時間なのだ、それを落胆で無駄に使う訳にはいかない。
気を取り直し始めた少年は微かに笑む。その様子に安堵した者達もまた微笑み、再開した会話は次第に和やかなものへと変わっていった。
◇ ◆ ◇
女仙らが用意した茶を口にしつつ、園林の石案を囲む彼らの話は弾み、笑う。台輔や州候としての顔はなく、役職を一時離れた者達の談笑は風に乗じて響き渡っていた。
「宮中に畑があるの?」
「ええ。主上が毎日手入れをなさっているの」
「ぼくも行った事がありますけど、果実が綺麗でしたよ」
「へぇ……」
漣では王宮―――雨潦宮内に位置する一部の庭院が畑であるという。その珍しい情報に耳を傾けていた峯麒は目を瞬かせ、廉麟と泰麒の言葉に関心を抱く。少年が興味を惹かれかけていた矢先、傍から聞こえ来るのは“綺麗”に反応を示した延麒だった。何事かを思い出したように手槌を打ち、すぐに向けられた視線は慶の麒の元へと。
「慶の玻璃宮も綺麗だよな」
「玻璃宮?」
「玻璃で作られた洞形の四阿です」
小首を少々傾げる采麟に、景麒が説明を述べる。仏頂面であった青年の顔が、少しばかり和らいだような気がした。
この場に玻璃宮を目にした者―――景麒を除いて―――が多数である事に気付いた氾麟はしかし、嘗て崑崙行きであった二者を見比べる。彼らは恐らく知らないだろう。
「供麒と采麟は見たことないわよね?」
「ええ」
「泰麒捜索の折は崑崙でしたから―――」
「え?」
言って、笑う供麒の発言に泰麒はきょとんと目を瞬かせる。言葉の中に前触れも無く自身の名が紛れ込んでいた事に驚き、その心中を察したらしき延麒は供麒を垣間見る。此処で別段言わずとも良い事であったが、口を滑らせたなと、少年は見上げつつ思う。再度泰麒を見やると、困惑の色を滲ませていた。
仕方無いと溜息を吐き出して、延麒は詳細を告げる。
「俺と景麒と氾麟と廉麟が蓬莱、宗麟と采麟と供麒が崑崙へ捜索に行ったんだ」
「一部の地域ではこちらと酷似している文化がありました」
「字もどことなく似ていたわ」
過去の報告に便乗する二者。だが、二者の言葉に驚きの色を窺わせたのは周囲の者。崑崙の文化が少しばかりこちらに似ているとなれば、驚かずにはいられない。勿論、頻繁に蓬莱へ足を運ぶ延麒にとってはそれが常識であったのだが。
報告を受けた泰麒はしかし、僅かに顔を俯かせる。深くなるばかりの困惑と共に、自然と言葉が零れ落ちた。
「……皆さんにご迷惑をお掛けしてすみません」
「謝らずとも良いのですよ」
「玉座に帰還できたのだから、それで良いじゃない」
「―――はい」
その謝罪に間を置く事無く言葉を送るのは、廉麟と氾麟だった。特に廉麟は少年に対する情が深く、今では帰還への嬉々とした情が心底に存在する。それだけに、謝罪を告げられる事は多少なりとも哀しいものがあった。
二人の励ましに面を上げた泰麒は微かに笑う。一つ頷き、刹那傍らよりぼそりと聞こえるのは最年少の者の声。
「……なんだか」
「はい?」
廉麟が首を傾げる他の者達もまた時を待って次の言葉を待つ。その雰囲気に緊張し、肩に力が篭った少年はさっと卓上に存在する者達を確認する。視線をぐるりと一回りして、それから再び放った言葉を彼らはどれだけ理解する事が出来たのだろうか。
「西洋の人に囲まれてる気分です」
刹那―――茶を噴出したのは、たったの二人。胎果である延麒と泰麒のみ。他者は理解し兼ねて首を捻るも、彼らの笑いは暫し続いていた。
「あちらは弾んでいるようだね」
言って、扇子を閉じた藍滌が口角を緩やかに上げてみせた。
一堂に集う麒麟、その園林から少しばかり離れた場所に彼らの姿はある。程良い広さの堂室に置かれた円卓を囲み坐る者の姿は五つ。集う面々は尊き存在。極みに登った者ばかりであるが故に、女仙から見てもそれは貴重であり、異様な光景であった。
肘掛に凭れ掛かっていた男は改め腰を落ち着かせる者の顔を順に見やる。右手前には玉座へ帰還して数年が経過する戴極国の王、彼の隣に面するは治世三百年を誇る範西国の王。左手前にはようやく治世十年目を迎えた慶東国の女王があり、正面に対するは未だ治世十年に満たない芳極国の女王の姿。そうして、大国の王である自身―――よくもこれだけの面々が揃ったものだと、尚隆は頬杖を着きつつ思う。
「しかし……これだけ王が集う事は、もう無いのだろうな」
「恐らくはそうですね……」
惜しむ風を装う尚隆に、陽子もまた同意を告げて苦笑を零す。嘗て故国にあった国際交流を思い起こしていた彼女にとっては、それがまさに今行われているのだと考えていた。重ね合わせるものの、こちらの交流は大変貴重なものである為に沈黙で済ませる訳にはいかないと、四阿の方角から視線を手前へ戻した陽子は何事かを告げようと口を開く。……開きかけて、突如挙がる男の声に喉元まで競り上がっていた言葉を急速に飲み込んだ。
「景王―――赤子殿だったか」
「はい」
彼女に声を掛けたのは、対面側に腰を掛けていた驍宗だった。赤子殿―――その聞きなれない呼ばれ方に、自身の字とは言えども妙な違和感を若干感じる。咄嗟に二文字の言葉を返すと、それまで表情を崩す事の無かった男の顔が僅かに和らぐのが分かった。じっと見詰める陽子に対し、驍宗は口元に微かな笑みを浮かべて再び口を開く。
「国情が不安定にも拘らず泰麒の帰還に全力を注して頂けた事、感謝痛み入る」
「いえ……延王や氾王にもご助力を願い叶って実現したものですから」
「しかし、李斎の願いを良く聞き入れてくれたのは景王だと聞き及んでいるが」
自身の功績ではない。それを伝えようと慌てて頭を左右に振るものの、男は余程陽子に礼を告げたいのだろう。少女の否定を挟むようにして続けられた言葉、その最後にはしかし、聞き受けた途端に陽子の目が見開かれた。
「それは……李斎殿本人から?」
「李斎と泰麒と―――」
す、と目を細め視線を薙がせた驍宗は、景王の隣に腰を掛ける者へと。紅玉の如き双眸が向けられた先、その視線を辿る陽子は、自身の隣に坐る白藤の少女を見るなり思わず声を上げる。
「江寧?」
「話の流れで、ついね」
集う視線を受けて困ったように笑う江寧に、陽子もまたつられて笑う。仕方ないかと諦めを感じつつ僅かに肩を竦めると、それを眺めていた藍滌が笑みを湛え言葉を挟み込んだ。
「感謝は素直に取っておくものだよ」
「―――そうですね」
感謝を受けて悪い気はしなかったが、幾分かはその後中途半端に手を引いてしまった事に申し訳なく思う部分もあった。藍滌の助言を受けた陽子は一つ頷き、有り難くその意を受け取る。……本当に、助力など僅かなものであったが、それでも行動を起こした事で戴が救われたのだから、良かったのだと思う。
笑みを浮かべる陽子を眺めていた藍滌は口元に扇子を添えつつ、視線を傍らへと戻す。今現在は軽装であるが、その姿を見るなり嘗て範より贈った品を思い起こした。数年前のあの時、李斎の手に渡った切端は確かに冬官に彫らせたものであった。
「さて―――私が贈ったものは壊れてしまったようだが」
「斬りかかられた折、共に裂けてしまった……氾王には大変申し訳なく思う」
「気にする事はない。また贈らせて頂けば良い事なのだから」
弧を描く口元を開いた扇子で覆う藍滌に、驍宗は再度謝罪の言を入れた。ゆるりと頭を振る範国の王を傍らより眺めていた延王はしかし、片眉を上げつつ敢えて言葉を挟み込んだ。
「随分と太っ腹だな」
「―――猿王が詰め過ぎているだけだと思うがね」
「おい」
ぐ、と男の眉間に皺が寄る。言葉は同様であるものの、発音で氾王独特の呼び名を察し、怪訝さを露呈させた。だが、それをするりと躱した藍滌はさらに、目を細めつつ言葉を複数へと差し向ける。
「それと、峯王と景王にも近々」
『え』
陽子と江寧の声が思わず重なる。重奏となった一文字に二者は顔を見合わせ、すぐに苦笑を零しつつ頷いた。
―――同時、柔らかな風に乗じて複数の笑声が届けられる。遠方にて集う者達もまた、穏やかな時を過ごしているのだろう。
ゆるりとした安穏――春の宴は、今暫く。
それは五山の中でも唯一人の気配があり、期限ある立ち入りを許される地。普段に見受けられるのは女仙の姿のみであるが、今日ばかりは異なっていた。
何しろ蓬山にて育った者の半数以上が一時の帰還を果たすのだから、女仙が浮き足立つのは仕方無い。久方ぶりに現れた玄君もまた、彼女達の姿を眺めながらも彼ら――麒麟の帰還を心待ちにしていた。
蓬山の一廓にある四阿、その付近に存在する園林では二人の少年が石案と揃えで備えられた椅子へ腰を落ち着かせている。片方は金、もう片方は鋼の髪色をした少年らはしかし、実の所どちらもまごう事無き神獣――麒麟である。
石案上に軽く組んでいた腕を乗せた延麒は、傍らの青年へ視線を向けると外見の年相応に微笑んでみせた。
「こうして集まるのは二度目になるな」
「そうですね……楽しみです」
延麒の言葉に頷いた泰麒もまた、笑みを湛えて応えた。嘗て八年前にあった同様の招きが懐かしい。伏せた瞼の裏に甦るのは、以前に顔を合わせた兄弟の面々。だが―――その内二人が既に倒れている事実もまた浮上して、泰麒の面持ちに微かな翳りが差し込む。僅かな哀愁に浸りかけた青年はしかし、突如耳に入る足音と明朗な声によって俯きかけた顔を上げ振り返った。延麒もまた背後を見やり、久方ぶりの再会に嬉々とした情が跳ね上がる。
「まだ全然来ていないのね」
「お、氾麟」
集うは未だ、三者のみ。
- 春の宴 -
三者の間にて話は弾む。
麒麟同士の会話は大凡和やかなものであったが、浮沈する話題に時折見兼ねた延麒は方向性を変えようとして、刹那それを止めた。やってきた数者の姿を視界の端に捉えたのである。
片手を挙げ軽く振る六太と来たる者達を見るなり小さく声を上げる氾麟―――梨雪。黄昏色の三者が誰であるのか、認めることは酷く容易い。
「お久しぶりです」
「元気そうで何よりだ采麟。……と、供麒と景麒か」
「ついでのような言い草をなさらないで頂きたい」
「景台輔、そのつもりで言った訳ではないのですから―――」
ようやく園林へ姿を現した者の姿は三つ。彼らを延麒が迎えるも、その言い草に気を悪くしたのか、景麒が眉を顰めて不満を洩らした。傍らで宥める供麒により場は一先ず終息し、其々が椅子へと腰を下ろす。途絶えていた会話は次第に増え、穏やかな空気が戻りつつある刹那―――さらに園林へ踏み込む二人の姿が集う彼らの視界に映り込んだ。
赤毛の少年と、少年の手を引く金髪の女性。其々西の南北に位置する極国の麒麟。
「皆様、お久しゅう御座います」
「廉台輔!」
嬉々として声を挙げた泰麒が思わず腰を浮かせる。彼にとっては久方ぶりの再会に胸を高鳴らせ、次第に近付きつつある二者を視界から捉えて離さない。
鋼色の髪をした青年の姿を見やった少年は一頻り目を瞬かせた後に大きく見開き、女性はその姿に微笑みを湛えた。軽く会釈をして、空いた席へゆっくりと移動する。
「途中で峯台輔とお会いしたので、ご一緒させていただきました」
「なんだ、そうだったのか―――」
「初めまして、お久しぶりです皆さん」
廉麟の言葉に頷いた延麒の傍らで、峯麒もまた集う者達へ会釈をする。大半の者達と初対面である少年にとっては緊張で身が硬直するばかりであったが、飛び交う会話に耳を傾ける内に解れていくようだった。
―――あと来ていないのは。
石案を囲む面々を一望した延麒は、ふと大国の麟の姿を思い起こして首を捻る。……やはり、来ないのだろうか。
思いは束の間。
ふと視線を薙がせた先、遠景より来たる者の姿を捉えるなり微かに笑みを浮かべた。
「ほんに微笑ましいこと」
「玄君―――」
穏やかな口調を聞き入れた者達はぴたりと会話を区切らせて振り返る。久方ぶりに
麒麟であれば誰もが顔を合わせる女仙の長。字を玉葉といったが、彼らは専ら玄君と呼ぶ。既に定着しているために、彼女は違和感なく応え、頷いた。生国に下った麒麟が一堂に会する事は過去に一度。あれから早十年―――変わらぬ者と、新しき者の姿が園林にて揃う。
「みな、恙無くお暮らしか」
「はい」
玉葉の問いに、其々に首肯を示す者達。恙無くと応える声もあり、安堵に胸を撫で下ろすと背後を振り仰ぐ。その方角にあるのは、彼らが生を授かった地。風に揺らがぬ、枝垂れた樹木へと。
「蓬山には劉麟と塙麒の蓬山公が居られる。舜と奏からは来られぬとの知らせがあったゆえ、これで全員となろう」
全員、と告げた玉葉の視線は集う神獣の中でも若き赤麒。反応を示した峯麒の鬣が揺れる。軽く目を見開いた少年はしかし、すぐに肩を落として悄然とした。共に下ろした視線は石案の卓上へ。
「徇麒……来ないんだね」
「そういや、峯麒は徇麒と面識があるんだよな」
「うん」
落胆する峯麒の呟きに、延麒が問う。問われた者は軽く頷きを見せると、対面側に腰を掛けた采麟が柔らかく微笑みかけた。少年の姿を目前に心配したのだろう、気遣うように優しく言葉を述べる。
「でも、これだけの麒麟が一堂に集まる事ができるのはとても貴重な事よ」
「―――そうだった」
思い出したかのように再び呟いた峯麒は面を上げる。今はとても貴重な時間なのだ、それを落胆で無駄に使う訳にはいかない。
気を取り直し始めた少年は微かに笑む。その様子に安堵した者達もまた微笑み、再開した会話は次第に和やかなものへと変わっていった。
◇ ◆ ◇
女仙らが用意した茶を口にしつつ、園林の石案を囲む彼らの話は弾み、笑う。台輔や州候としての顔はなく、役職を一時離れた者達の談笑は風に乗じて響き渡っていた。
「宮中に畑があるの?」
「ええ。主上が毎日手入れをなさっているの」
「ぼくも行った事がありますけど、果実が綺麗でしたよ」
「へぇ……」
漣では王宮―――雨潦宮内に位置する一部の庭院が畑であるという。その珍しい情報に耳を傾けていた峯麒は目を瞬かせ、廉麟と泰麒の言葉に関心を抱く。少年が興味を惹かれかけていた矢先、傍から聞こえ来るのは“綺麗”に反応を示した延麒だった。何事かを思い出したように手槌を打ち、すぐに向けられた視線は慶の麒の元へと。
「慶の玻璃宮も綺麗だよな」
「玻璃宮?」
「玻璃で作られた洞形の四阿です」
小首を少々傾げる采麟に、景麒が説明を述べる。仏頂面であった青年の顔が、少しばかり和らいだような気がした。
この場に玻璃宮を目にした者―――景麒を除いて―――が多数である事に気付いた氾麟はしかし、嘗て崑崙行きであった二者を見比べる。彼らは恐らく知らないだろう。
「供麒と采麟は見たことないわよね?」
「ええ」
「泰麒捜索の折は崑崙でしたから―――」
「え?」
言って、笑う供麒の発言に泰麒はきょとんと目を瞬かせる。言葉の中に前触れも無く自身の名が紛れ込んでいた事に驚き、その心中を察したらしき延麒は供麒を垣間見る。此処で別段言わずとも良い事であったが、口を滑らせたなと、少年は見上げつつ思う。再度泰麒を見やると、困惑の色を滲ませていた。
仕方無いと溜息を吐き出して、延麒は詳細を告げる。
「俺と景麒と氾麟と廉麟が蓬莱、宗麟と采麟と供麒が崑崙へ捜索に行ったんだ」
「一部の地域ではこちらと酷似している文化がありました」
「字もどことなく似ていたわ」
過去の報告に便乗する二者。だが、二者の言葉に驚きの色を窺わせたのは周囲の者。崑崙の文化が少しばかりこちらに似ているとなれば、驚かずにはいられない。勿論、頻繁に蓬莱へ足を運ぶ延麒にとってはそれが常識であったのだが。
報告を受けた泰麒はしかし、僅かに顔を俯かせる。深くなるばかりの困惑と共に、自然と言葉が零れ落ちた。
「……皆さんにご迷惑をお掛けしてすみません」
「謝らずとも良いのですよ」
「玉座に帰還できたのだから、それで良いじゃない」
「―――はい」
その謝罪に間を置く事無く言葉を送るのは、廉麟と氾麟だった。特に廉麟は少年に対する情が深く、今では帰還への嬉々とした情が心底に存在する。それだけに、謝罪を告げられる事は多少なりとも哀しいものがあった。
二人の励ましに面を上げた泰麒は微かに笑う。一つ頷き、刹那傍らよりぼそりと聞こえるのは最年少の者の声。
「……なんだか」
「はい?」
廉麟が首を傾げる他の者達もまた時を待って次の言葉を待つ。その雰囲気に緊張し、肩に力が篭った少年はさっと卓上に存在する者達を確認する。視線をぐるりと一回りして、それから再び放った言葉を彼らはどれだけ理解する事が出来たのだろうか。
「西洋の人に囲まれてる気分です」
刹那―――茶を噴出したのは、たったの二人。胎果である延麒と泰麒のみ。他者は理解し兼ねて首を捻るも、彼らの笑いは暫し続いていた。
「あちらは弾んでいるようだね」
言って、扇子を閉じた藍滌が口角を緩やかに上げてみせた。
一堂に集う麒麟、その園林から少しばかり離れた場所に彼らの姿はある。程良い広さの堂室に置かれた円卓を囲み坐る者の姿は五つ。集う面々は尊き存在。極みに登った者ばかりであるが故に、女仙から見てもそれは貴重であり、異様な光景であった。
肘掛に凭れ掛かっていた男は改め腰を落ち着かせる者の顔を順に見やる。右手前には玉座へ帰還して数年が経過する戴極国の王、彼の隣に面するは治世三百年を誇る範西国の王。左手前にはようやく治世十年目を迎えた慶東国の女王があり、正面に対するは未だ治世十年に満たない芳極国の女王の姿。そうして、大国の王である自身―――よくもこれだけの面々が揃ったものだと、尚隆は頬杖を着きつつ思う。
「しかし……これだけ王が集う事は、もう無いのだろうな」
「恐らくはそうですね……」
惜しむ風を装う尚隆に、陽子もまた同意を告げて苦笑を零す。嘗て故国にあった国際交流を思い起こしていた彼女にとっては、それがまさに今行われているのだと考えていた。重ね合わせるものの、こちらの交流は大変貴重なものである為に沈黙で済ませる訳にはいかないと、四阿の方角から視線を手前へ戻した陽子は何事かを告げようと口を開く。……開きかけて、突如挙がる男の声に喉元まで競り上がっていた言葉を急速に飲み込んだ。
「景王―――赤子殿だったか」
「はい」
彼女に声を掛けたのは、対面側に腰を掛けていた驍宗だった。赤子殿―――その聞きなれない呼ばれ方に、自身の字とは言えども妙な違和感を若干感じる。咄嗟に二文字の言葉を返すと、それまで表情を崩す事の無かった男の顔が僅かに和らぐのが分かった。じっと見詰める陽子に対し、驍宗は口元に微かな笑みを浮かべて再び口を開く。
「国情が不安定にも拘らず泰麒の帰還に全力を注して頂けた事、感謝痛み入る」
「いえ……延王や氾王にもご助力を願い叶って実現したものですから」
「しかし、李斎の願いを良く聞き入れてくれたのは景王だと聞き及んでいるが」
自身の功績ではない。それを伝えようと慌てて頭を左右に振るものの、男は余程陽子に礼を告げたいのだろう。少女の否定を挟むようにして続けられた言葉、その最後にはしかし、聞き受けた途端に陽子の目が見開かれた。
「それは……李斎殿本人から?」
「李斎と泰麒と―――」
す、と目を細め視線を薙がせた驍宗は、景王の隣に腰を掛ける者へと。紅玉の如き双眸が向けられた先、その視線を辿る陽子は、自身の隣に坐る白藤の少女を見るなり思わず声を上げる。
「江寧?」
「話の流れで、ついね」
集う視線を受けて困ったように笑う江寧に、陽子もまたつられて笑う。仕方ないかと諦めを感じつつ僅かに肩を竦めると、それを眺めていた藍滌が笑みを湛え言葉を挟み込んだ。
「感謝は素直に取っておくものだよ」
「―――そうですね」
感謝を受けて悪い気はしなかったが、幾分かはその後中途半端に手を引いてしまった事に申し訳なく思う部分もあった。藍滌の助言を受けた陽子は一つ頷き、有り難くその意を受け取る。……本当に、助力など僅かなものであったが、それでも行動を起こした事で戴が救われたのだから、良かったのだと思う。
笑みを浮かべる陽子を眺めていた藍滌は口元に扇子を添えつつ、視線を傍らへと戻す。今現在は軽装であるが、その姿を見るなり嘗て範より贈った品を思い起こした。数年前のあの時、李斎の手に渡った切端は確かに冬官に彫らせたものであった。
「さて―――私が贈ったものは壊れてしまったようだが」
「斬りかかられた折、共に裂けてしまった……氾王には大変申し訳なく思う」
「気にする事はない。また贈らせて頂けば良い事なのだから」
弧を描く口元を開いた扇子で覆う藍滌に、驍宗は再度謝罪の言を入れた。ゆるりと頭を振る範国の王を傍らより眺めていた延王はしかし、片眉を上げつつ敢えて言葉を挟み込んだ。
「随分と太っ腹だな」
「―――猿王が詰め過ぎているだけだと思うがね」
「おい」
ぐ、と男の眉間に皺が寄る。言葉は同様であるものの、発音で氾王独特の呼び名を察し、怪訝さを露呈させた。だが、それをするりと躱した藍滌はさらに、目を細めつつ言葉を複数へと差し向ける。
「それと、峯王と景王にも近々」
『え』
陽子と江寧の声が思わず重なる。重奏となった一文字に二者は顔を見合わせ、すぐに苦笑を零しつつ頷いた。
―――同時、柔らかな風に乗じて複数の笑声が届けられる。遠方にて集う者達もまた、穏やかな時を過ごしているのだろう。
ゆるりとした安穏――春の宴は、今暫く。