短編
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- 願い -
濡羽色の夜陰が雲海に満ちる。
水平線をも塗り潰す闇夜は一帯に蔓延する。夜ともなれば別段珍しい光景ではなく、しかし露台の手摺に体を凭れ首を擡げている峯麒にとっては珍しい光景であった。
岸壁に打ち寄せ砕ける波の音に耳を傾けていた少年は、ふと微かな足音を聞き拾うと音のした方角へ視線を転ずる。仄かな光の漏れる堂室が眩しく目を細めると、光を背に浮かび上がる主の姿。逆光によって未だ顔ははっきりと見受けられない。
「和真、どうしたの?」
不思議そうに問い、少年の下へ駆け寄る芳国の女王。財政難故に纏う物は大凡質素で、官吏と然程変わらない。簪は一つ。唯一目に留められる珠帯だけが高価を装わせ、しかし実際は売り払った品々に比べれば然程値の張る物ではない。
「江寧―――」
傍らに歩み寄る少女の名を呟き、次いで再び頭上を仰臥する。片手で空を指し示すと、江寧もまた頭上を振り仰ごうと視線を上らせた。
「上?」
振り仰ぐ先、あるのは闇夜の中に浮かぶ点々とした小さな光。闇に慣れ始めた眼は次第に弱々しい光までもを鮮明に捉えて、空に群集を飾る。頭上一杯の煌きは、人工の光が満ちる都会で生活していた峯麒にとって初めて目にした光景であった。
「ああ、星か」
「綺麗だからずっと見ていたんだけど……こっちに七夕は無いんだ?」
「あれは日本の行事だからね」
今現在は七月初旬。蓬莱では、あと数日で至る場所に笹が飾られるのだろう。多くの願いを括り吊るしたまま、街中で風に揺れるのだ。
日本の行事を思い起こしているのだろう、峯麒は未だ夜空から視線を逸らそうとはしない。……毎年恒例のものが唐突に無くなってしまうのだから、少しばかり違和感があるのやもしれない。
気遣いは多方面に広がる。暫し思いあぐねていた江寧は、手摺に両肘を乗せ手を組みながら、首を小さく傾げてみせた。
「……やりたい?」
「え?」
「七夕。笹と短冊だったらすぐに用意出来るだろうから」
思わぬ提案に驚いた峯麒は目を一杯に見開かせた。予想外の言葉によって嬉々とした情がゆるゆるとやってくる。視線を合わせた主に向き直り、上目遣いでおずおずと確認の言を問う。
「良いの?」
「たまには良いんじゃないかな」
言って、屈託無く笑う江寧。少女の諒承に思わず破顔した峯麒は、一間を置いて紡がれた主の言葉に驚きを隠せなかった。
「それに、国の行き先を官がどう思っているのかも知りたいから」
「!」
―――宮中全体で行うつもりなのか。
少年の脳裏に過ぎる予感。それを主に向け口にすれば、少女は苦笑を浮かべつつ首肯を見せる。彼女はこの異国の行事を機に諸官の願い――たとえそれが表面上のものであろうとも――を確かめようとしていた。
うん、と力強く頷いた峯麒は、ふと官の数を思い起こしながら再び仰臥する。……行事とは、事前の苦労あっての楽しみなのだと改め思う。
「短冊、一杯作らないと」
「そうだね」
軽く頷いた江寧に、峯麒もまたつられて苦笑を浮かべるまま頷く。
―――七夕まではあと数日。
二人の提案が、宮中にて行われようとしていた。
◇ ◆ ◇
翌早朝、王の口から七夕の件が切り出されたのは、朝議の終刻間近の事だった。
事を説明し、六官からの願いとその他に願う用件があれば配布した短冊に書き込み提出するようにとの事を告げ、突如切り出された王の提案に諸官は困惑ながらも諒承する。朝議を終えた直後、冢宰より詳細を聞かれた江寧は積翠台までの道程を歩きつつ説明すると、複雑な面持ちを浮かべながらも頷いた。……諸官が抱く困惑の深さを改め感じた少女はただ苦笑を浮かべるばかりであった。
その翌午、朝議を終えた江寧は峯麒と共に積翠台へ戻ると、書卓上に置かれた紙の束に眼を丸くする。積み重なる紙の一つ一つを手に取り、綴られた願いを黙読する。読み終えた短冊を右掌へ数枚乗せ、次いで溜息をそっと吐き出した。
「随分と一杯になったね……」
「うん、」
呟かれた言葉に、峯麒もまた頷き真剣な表情のまま短冊と睨み合う。―――少年は未だ、こちらの言葉を読み取る事が出来ないでいる。それ故にいくら眉を潜め文字と格闘したところで読めるのは二、三文字程度だった。唸りを上げつつ短冊を睨め据える少年の脇からそっと覗き見やった江寧は、国の安寧を願う言葉に笑みを浮かべる。
江寧と峯麒が夜通し作り上げた短冊に書き込まれた多数の願い。六官の中で幾らかの差はあるものの、その大半は国の安寧、発展を願うものであった。夏官では昇格の希望が多く存在し、江寧はそれを傍らの少年へ告げ、困ったように笑った。
「……こういう場合、天帝が願いを聞き届けるものなのか」
「堯帝かもしれないよ?」
「―――確かに」
ふと取り出された別案に思わず納得するように頷いた江寧は、暫し思いあぐねる。
……堯帝に願うは豊作、即ち繁栄にも繋がるのだが、やはり総てを見守るのは天帝であるからして、やはり神となればそちらだろうか。
椅子に腰を掛け短冊を綺麗に重ねる。重ねたものを卓上で軽く落とし角を揃えると、不意に滑り落ちた短冊へ視線が釘付けられる。片隅に拙い蓬莱の字で書かれた名前。
「和真は……」
ひょいと少女が片手に取った紙を目前に、峯麒は瞬きを一つするなり慌てて取り上げた。するりと手から擦り抜けた紙、そこに書かれていた字を既に読み取っていた江寧は、柔らかな笑みを浮かべる。
“また要と会えますように”
少年らしい願いだと、江寧は思う。裏に書かれた国の安寧という願いは彼が麒麟である事を改め再認識させてくれるものだった。纏め終えた短冊を書卓の端に置くと、そのまま手を組み少年と視線を合わせる。
「国が落ち着いたら会えるよ」
「そうなんだけどね」
視線を泳がせ言い惑う少年。余程彼を気にかけているのだろう。―――そう思うも、ふと自身を顧みた江寧はああ、と気付き頷いた。彼の様子を気にしているのは、自身もまた同様であった。
少年の意に賛同した江寧はしかし、突如返された言葉にきょとんと軽く目を見開く。
「江寧は?」
「うん?」
刹那、少年の手がひょいと取り上げたのは未だ積み崩されたままの短冊。その中の一枚を手に取ると、燈篭の光に透かせてみせる。見覚えあるそれにしてやられたと苦笑を零した江寧は、咄嗟に浮かせていた腰をゆっくりと下ろした。
紙に丁寧な日本語で書かれた字をゆっくりと読み進めていた峯麒はしかし、すぐに首を捻り困ったような顔をする。感想に窮した面持ちが、江寧にとっては面白い。
“どの王朝も続きますように”
個々を指し示すものではない言葉。それをよくよく咀嚼したらしき峯麒は思わず呆れたような眼差しを主に向けた。
「……江寧、これは大まか過ぎない?」
「良いじゃない。“世界が平和になりますように”、と似たような意味を篭めてるんだから」
「随分と壮大だよ、それ」
覿面の罪がある限り、他国の干渉は決して許されない。だというのに、目前の主は自国だけではなく他国の安寧までもを願う。他国が傾いたとて、今の芳では別段協力出来るものなどありはしないのに。
思い、峯麒はすぐに諦め肩を大袈裟に竦めてみせる。溜息を吐き出した後、すぐに破顔した。
「まあ、いっか」
七夕の願いを、天帝は聞きはするも受け入れてはくれないだろう。それが“見守る”者の務めであるのだから。
書卓上に散らばる願いを目に留めたまま、峯麒は顔を綻ばせ笑みを湛える。
数日後に立ち上るは願い渦巻く白煙。天まで届けと、江寧と峯麒は仰臥し思いを馳せていた。
―――その七夕から数月後。
「とりっくおあとりーと!」
突如少年より不可解な言葉を告げられた冢宰――月渓の困り果てた姿があったとか無かったとか。
↓おまけ。
陽光差し込む午後の積翠台は少女の睡魔を引き出す。筆を置き、虚ろ虚ろと船を漕ぎそうになっては首を振り、それを数度繰り返した後に突如やってきたのは、若干苦々しい顔をした冢宰だった。
月渓の姿を見るなり急速に覚醒した少女の意識はすっきりとして、次いで何かと小さく呟き首を捻ったところで目前にまで進み来るその姿を可笑しく思う。眉を顰めたその顔が変わる事はない。
「主上」
「うん?」
右手に持っていた御璽を静かに置き、冢宰へと視線を向ける。何か、と再度問うたところで、男の口から漏れた疑問は少女にとって予想外のものであった。
「“とりっくおあとりーと”とは、蓬莱の言語でしょうか」
「……ええ」
―――言語発信者は、ただ一人。
脳裏に過ぎる半身の顔。猩々緋の髪色をした珍しい色の麒麟。冢宰が態々足を運んだとなれば大方問題を抱えてきたのだろうと小さく溜息を吐く。……近頃は州候としての責務をしっかりとこなしていたのに、何か心境の変化でもあったのだろうか。胸中に渦を巻く疑問を抑えつつ、江寧は言葉の意味を述べる。
「十月末の行事だね。お菓子をくれないと悪戯するぞ、という意味だから……悪戯された?」
「いえ、女官が慌てて引き留めておりましたが」
「―――ごめん、少し席を外すよ」
椅子から立ち上がり、積翠台をそそくさと後にする。向かうべきは仁重殿へと。……恐らく、数月前の七夕によって少年の胸に火が点いたのだろう。後々女官に言わなければと思いつつ、こめかみを押さえた。
「……まさか、クリスマスも言い出すのかな」
苦笑を伴い呟かれた江寧の言葉は、後々当たる事になるのだが。
それはまた、別の話。