短編
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「―――下りようか」
それは、朝議を終えたばかりの午のこと。
唐突に放たれた主の言葉は、疲労していた峯麒の心に光を差し込ませた。
芳国国都、紲州蒲蘇。
春を迎えて賑う蒲蘇山麓。街並みに吹き通る風は未だ若干冷たくはあるものの、頭上より注がれる陽射しは眩しく、暖かい。広途にて行き交う人波には喧噪が犇き合い、その間を縫い進む二者は時折その光景を薙ぎ見やっては笑みを浮かべた。
白藤の少女の背後にて歩く少年は、おずおずと顔を上げる。
「本当に良かったの?江寧」
「うん?」
しっかりと繋がれた手。そこから辿り上がる視線は振り返る少女の姿。猩々緋の髪を一つに纏め上げた少年を不思議そうに見下ろして、問われた言葉の意をようやく理解した。
「ああ、うん。一応冢宰には行き先を言ってあるし、夕刻には帰るよう言ってあるから」
「ふうん……よく許可したね」
納得し頷いた少年に、江寧は苦笑で受け流す。
―――治世三年。復興の最中にあるこの国は暗澹とした過去から脱却を始めている。朝が整い、動き出し、国はようやく廻ろうとしている。ここまで来るのに、どれだけの苦労があった事だろう。
過去を思い起こしていた峯麒は、ふと朗らかな主の声を頭上より聞き受けて首を擡げる。
「今は朝が落ち着いて、一区切りを終えているから許可したんだろうね」
「そんなものなのかな」
峯麒は少女の軽い言葉に頭を傾げる。あの冢宰が、そう意図も容易く許すだろうか。何かしらの切欠などがあったのでは無いのか。
三年という長いようで短い時の中、よくよく洞察していた峯麒にとっては、それが不思議でならない。疑問を抱きつつ足を進め、ふと人波の中に垣間見たものを認めて足を止めた。繋いでいた手をぐいと引き留められた江寧は驚き振り返り、次いで釘付けられた少年の視線を辿る。その先にあるのはとある一画に立てられた露店。小さな手を引き店の前へと向かえば、深緋色の瞳が店頭にある一点をじっと見詰めていた。
「水飴、食べたいの?」
「―――うん」
おずおずと頷く少年に、江寧は笑む。懐から取り出した銭嚢より路銀を取り出し、店の者と幾らかの会話を交わして飴を受け取った。次いで傍らにて目を輝かせる少年の下へと差し出せば、峯麒は喜んでそれを手に取る。すぐに口内へ運び、再び江寧と手を繋いで足を進めた。
「峯……和真は、果物よりも水飴の方が好き?」
「うん。向こうの方では果物しか出ないから」
江寧の問いに軽く頷き答えた峯麒は僅かに俯く。向こう、と指すのは恐らく鷹隼宮の事なのだろう。少年の食事は大抵が野菜と果物で構成され、菓子は江寧が差し入れない限り一切として出る事はない。少年が蓬莱にて飴類を好んでいた事を思い出した江寧は、紡がれる峯麒の言葉に耳を傾けた。
「いつも空腹の民だって居るのに、食べて良いのかなって思う時がある。だから、僕は二つだけで満腹だから困っている人に果物を分けてあげてって言うと官の人達は困った顔をする。困らせるつもりは無いんだけどね」
「……気持ちは分かるよ」
―――芳は今もなお、財政難にある。別段前王が浪費した訳ではないのだが、土地の整備や建物の修繕諸々によりなかなか余裕が生まれる事はなく。宝庫にあった装飾は半分ほどを売り払ってしまった。それでも、冬が来れば困る民は未だに大勢いる事を二人は知っている。
小さな手に力が篭る。それを感じ取り笑みを浮かべた江寧は、その手を握り返した。
「それなら、官を言い包められるように街を見回って勉強しようか、紲の州候さん」
「―――はい、主上」
主の朗らかな声音と言葉に、峯麒もまた顔を明るくして頷く。
人波に乗じて進みながら、二人は会話を交わしつつ広途を歩いていった。
◇ ◆ ◇
程なくして、二人は露店の並ぶ途にて物を見、後に社を訪れて里木を見やる。峯麒は捨身木と路木以外に初見となる木の姿に目を釘付けられ、江寧に諭された後里祠を離れ広途へと戻った。治世一年目と三年目の違いを話し合いつつ、様々な物に目を引かれながらも歩を進める。
「―――明日の朝議の話題にする?」
「いや、それはちょっとどうかな」
峯麒の問いに苦笑を零しつつ歩く江寧は、最中少年の視線が急速に遠景へ移った事を察して首を傾げた。一体どうしたのだろうかと前方の人波を見やり、そして見つけた物……否、その者。
「あ」
陽に反射し時折黒緑に靡く黒髪、桜色の髪留めの巾、薄水色の袍。今は見えないが、恐らく腰に佩刀しているであろう剣。見覚えあるその姿に驚き手を振ろうとした峯麒に、江寧ははたと我に返ると咄嗟に少年の挙げかけた手を受け止めた。
「延お、」
「行くよ和真。……今見つかったら面倒だから」
「面倒?」
江寧の言葉に振り返り、訝しげに見上げた峯麒は何故、と小さな声で問う。失笑を落としながらも途の片隅に隠れ、視線を合わせる為に膝へ手を着くと中腰になる。片手を少年の頭部にそっと置き、ゆっくりと撫でてやった。
「説明が長くなれば街を見回る時間だって少なくなる。和真はそっちの方が良い?」
「……良くないね。行こう」
急激に顔色を変えた峯麒は、江寧の手を引き見つけた男とは反対方向の途へと歩き出す。足早になるその姿に苦笑を零し、男が人波の中に消えていった事を一瞥で確認した江寧は再度前方へ向き直ると、流れに身を任せた。
一休憩の為に丑門と寅門の間、郭壁の一角にて腰を下ろしていた二人は街並みと行き交う人々の姿をぼんやりと眺める。二人の周囲に休む者達の姿は無く、故に会話に気を遣う事無く話していた江寧はふと思い直したようにぽつりと呟いた。
「三年」
―――それは、治世の年月。人の生としては長く、しかし朝としては短い。どちらも瞬く間に過ぎていくものではあるが、やはりこれまでの行いを振り返り、その結果が街へ影響を及ぼす事に嬉しさを感じる。……尤も、まだこれからではあるのだが。
「三年だよ。ここまで復興するのに」
「……そうだね」
江寧の言葉に頷いた峯麒もまた遠景を見やる。長い年月をかけて再興を終えると、やがて繁栄へと移り変わるのだろう。その時、蒲蘇の風景がどのように変わっているのかが楽しみであり、そしてその為の努力を考えれば気が遠くなる。それでも、道に悖らない限り前進は出来るのだから。
「ねえ、目指すは奏?」
唐突な問いに、江寧は軽く目を見開き、考える。……芳もまた、治世六百年の大国になれば良い。だが、と蒲蘇の街を眺め改めて目指す年月―――その果てを思う。
「世界の終焉を見るまで」
「うわ、ずっと長いね」
「永くて遠いよ」
かつて天帝が世を革め創世した時のように。世の終わりと相見えるその日まで。
少女の目標に驚く峯麒はしかし、主らしいと顔を綻ばせる。彼女ならば困難を乗り越え本当に実現させてしまいそうだから、ある意味恐ろしい。思いつつ見上げた少女の髪は、陽に反射して銀を彩る。王気も彼女の姿も、酷く眩しかった。
「それでも和真、付き合ってくれるでしょう?」
「もちろん」
主の問いにはっきりとした口調で答え、力強く頷く少年は立ち上がる。裾を手で軽く払い、ふと何事かを思い起こしたように手槌を打つと少女を振り仰いだ。
「でも、覿面の罪だけは気を付けてね。江寧はやらかしそうだから」
「……麒麟なのにずばっと言うんだね」
「まあ半身だから、大目に見てよ」
「三年で口も達者になった―――」
言って、江寧は苦笑を零しあからさまに肩を竦めて見せた。……八歳となれば、口も達者になるだろう。外見の成長はいつ止まるのだろうかと何気なく思いつつ、言葉を綴る。
「大目に見るよ。許す」
「ありがとう」
顔を見合わせ笑い合い、ふと空を仰臥する。……蒼穹は滲み始め、帰還の刻限が迫りつつある事を知る。うん、と一つ頷いた江寧は少年へ向け手を差し出し、微笑した。伸ばされた少年の小さな手を包み込むと、薙いだ視線が丑門の方角へと向けられる。
「さてと……三人で帰ろうか」
「三人?」
余分な数が無いか、と―――そう問おうとした峯麒は、主が指した街の一角を見やって、思わず言葉を洩らしぽかんと口を開けた。
「あ」
待ち伏せている男の姿を認めて、唖然とする。何故この国に居るのかは放浪癖あるが故に別として、二人の元へ歩き来る男の姿に、客が一人増えた事を確認して思わず苦笑を洩らした。今日明日、鷹隼宮は少しばかり賑やかになりそうだ。
それは、朝議を終えたばかりの午のこと。
唐突に放たれた主の言葉は、疲労していた峯麒の心に光を差し込ませた。
- 移りゆく刻 -
芳国国都、紲州蒲蘇。
春を迎えて賑う蒲蘇山麓。街並みに吹き通る風は未だ若干冷たくはあるものの、頭上より注がれる陽射しは眩しく、暖かい。広途にて行き交う人波には喧噪が犇き合い、その間を縫い進む二者は時折その光景を薙ぎ見やっては笑みを浮かべた。
白藤の少女の背後にて歩く少年は、おずおずと顔を上げる。
「本当に良かったの?江寧」
「うん?」
しっかりと繋がれた手。そこから辿り上がる視線は振り返る少女の姿。猩々緋の髪を一つに纏め上げた少年を不思議そうに見下ろして、問われた言葉の意をようやく理解した。
「ああ、うん。一応冢宰には行き先を言ってあるし、夕刻には帰るよう言ってあるから」
「ふうん……よく許可したね」
納得し頷いた少年に、江寧は苦笑で受け流す。
―――治世三年。復興の最中にあるこの国は暗澹とした過去から脱却を始めている。朝が整い、動き出し、国はようやく廻ろうとしている。ここまで来るのに、どれだけの苦労があった事だろう。
過去を思い起こしていた峯麒は、ふと朗らかな主の声を頭上より聞き受けて首を擡げる。
「今は朝が落ち着いて、一区切りを終えているから許可したんだろうね」
「そんなものなのかな」
峯麒は少女の軽い言葉に頭を傾げる。あの冢宰が、そう意図も容易く許すだろうか。何かしらの切欠などがあったのでは無いのか。
三年という長いようで短い時の中、よくよく洞察していた峯麒にとっては、それが不思議でならない。疑問を抱きつつ足を進め、ふと人波の中に垣間見たものを認めて足を止めた。繋いでいた手をぐいと引き留められた江寧は驚き振り返り、次いで釘付けられた少年の視線を辿る。その先にあるのはとある一画に立てられた露店。小さな手を引き店の前へと向かえば、深緋色の瞳が店頭にある一点をじっと見詰めていた。
「水飴、食べたいの?」
「―――うん」
おずおずと頷く少年に、江寧は笑む。懐から取り出した銭嚢より路銀を取り出し、店の者と幾らかの会話を交わして飴を受け取った。次いで傍らにて目を輝かせる少年の下へと差し出せば、峯麒は喜んでそれを手に取る。すぐに口内へ運び、再び江寧と手を繋いで足を進めた。
「峯……和真は、果物よりも水飴の方が好き?」
「うん。向こうの方では果物しか出ないから」
江寧の問いに軽く頷き答えた峯麒は僅かに俯く。向こう、と指すのは恐らく鷹隼宮の事なのだろう。少年の食事は大抵が野菜と果物で構成され、菓子は江寧が差し入れない限り一切として出る事はない。少年が蓬莱にて飴類を好んでいた事を思い出した江寧は、紡がれる峯麒の言葉に耳を傾けた。
「いつも空腹の民だって居るのに、食べて良いのかなって思う時がある。だから、僕は二つだけで満腹だから困っている人に果物を分けてあげてって言うと官の人達は困った顔をする。困らせるつもりは無いんだけどね」
「……気持ちは分かるよ」
―――芳は今もなお、財政難にある。別段前王が浪費した訳ではないのだが、土地の整備や建物の修繕諸々によりなかなか余裕が生まれる事はなく。宝庫にあった装飾は半分ほどを売り払ってしまった。それでも、冬が来れば困る民は未だに大勢いる事を二人は知っている。
小さな手に力が篭る。それを感じ取り笑みを浮かべた江寧は、その手を握り返した。
「それなら、官を言い包められるように街を見回って勉強しようか、紲の州候さん」
「―――はい、主上」
主の朗らかな声音と言葉に、峯麒もまた顔を明るくして頷く。
人波に乗じて進みながら、二人は会話を交わしつつ広途を歩いていった。
◇ ◆ ◇
程なくして、二人は露店の並ぶ途にて物を見、後に社を訪れて里木を見やる。峯麒は捨身木と路木以外に初見となる木の姿に目を釘付けられ、江寧に諭された後里祠を離れ広途へと戻った。治世一年目と三年目の違いを話し合いつつ、様々な物に目を引かれながらも歩を進める。
「―――明日の朝議の話題にする?」
「いや、それはちょっとどうかな」
峯麒の問いに苦笑を零しつつ歩く江寧は、最中少年の視線が急速に遠景へ移った事を察して首を傾げた。一体どうしたのだろうかと前方の人波を見やり、そして見つけた物……否、その者。
「あ」
陽に反射し時折黒緑に靡く黒髪、桜色の髪留めの巾、薄水色の袍。今は見えないが、恐らく腰に佩刀しているであろう剣。見覚えあるその姿に驚き手を振ろうとした峯麒に、江寧ははたと我に返ると咄嗟に少年の挙げかけた手を受け止めた。
「延お、」
「行くよ和真。……今見つかったら面倒だから」
「面倒?」
江寧の言葉に振り返り、訝しげに見上げた峯麒は何故、と小さな声で問う。失笑を落としながらも途の片隅に隠れ、視線を合わせる為に膝へ手を着くと中腰になる。片手を少年の頭部にそっと置き、ゆっくりと撫でてやった。
「説明が長くなれば街を見回る時間だって少なくなる。和真はそっちの方が良い?」
「……良くないね。行こう」
急激に顔色を変えた峯麒は、江寧の手を引き見つけた男とは反対方向の途へと歩き出す。足早になるその姿に苦笑を零し、男が人波の中に消えていった事を一瞥で確認した江寧は再度前方へ向き直ると、流れに身を任せた。
一休憩の為に丑門と寅門の間、郭壁の一角にて腰を下ろしていた二人は街並みと行き交う人々の姿をぼんやりと眺める。二人の周囲に休む者達の姿は無く、故に会話に気を遣う事無く話していた江寧はふと思い直したようにぽつりと呟いた。
「三年」
―――それは、治世の年月。人の生としては長く、しかし朝としては短い。どちらも瞬く間に過ぎていくものではあるが、やはりこれまでの行いを振り返り、その結果が街へ影響を及ぼす事に嬉しさを感じる。……尤も、まだこれからではあるのだが。
「三年だよ。ここまで復興するのに」
「……そうだね」
江寧の言葉に頷いた峯麒もまた遠景を見やる。長い年月をかけて再興を終えると、やがて繁栄へと移り変わるのだろう。その時、蒲蘇の風景がどのように変わっているのかが楽しみであり、そしてその為の努力を考えれば気が遠くなる。それでも、道に悖らない限り前進は出来るのだから。
「ねえ、目指すは奏?」
唐突な問いに、江寧は軽く目を見開き、考える。……芳もまた、治世六百年の大国になれば良い。だが、と蒲蘇の街を眺め改めて目指す年月―――その果てを思う。
「世界の終焉を見るまで」
「うわ、ずっと長いね」
「永くて遠いよ」
かつて天帝が世を革め創世した時のように。世の終わりと相見えるその日まで。
少女の目標に驚く峯麒はしかし、主らしいと顔を綻ばせる。彼女ならば困難を乗り越え本当に実現させてしまいそうだから、ある意味恐ろしい。思いつつ見上げた少女の髪は、陽に反射して銀を彩る。王気も彼女の姿も、酷く眩しかった。
「それでも和真、付き合ってくれるでしょう?」
「もちろん」
主の問いにはっきりとした口調で答え、力強く頷く少年は立ち上がる。裾を手で軽く払い、ふと何事かを思い起こしたように手槌を打つと少女を振り仰いだ。
「でも、覿面の罪だけは気を付けてね。江寧はやらかしそうだから」
「……麒麟なのにずばっと言うんだね」
「まあ半身だから、大目に見てよ」
「三年で口も達者になった―――」
言って、江寧は苦笑を零しあからさまに肩を竦めて見せた。……八歳となれば、口も達者になるだろう。外見の成長はいつ止まるのだろうかと何気なく思いつつ、言葉を綴る。
「大目に見るよ。許す」
「ありがとう」
顔を見合わせ笑い合い、ふと空を仰臥する。……蒼穹は滲み始め、帰還の刻限が迫りつつある事を知る。うん、と一つ頷いた江寧は少年へ向け手を差し出し、微笑した。伸ばされた少年の小さな手を包み込むと、薙いだ視線が丑門の方角へと向けられる。
「さてと……三人で帰ろうか」
「三人?」
余分な数が無いか、と―――そう問おうとした峯麒は、主が指した街の一角を見やって、思わず言葉を洩らしぽかんと口を開けた。
「あ」
待ち伏せている男の姿を認めて、唖然とする。何故この国に居るのかは放浪癖あるが故に別として、二人の元へ歩き来る男の姿に、客が一人増えた事を確認して思わず苦笑を洩らした。今日明日、鷹隼宮は少しばかり賑やかになりそうだ。