短編
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尭天山の頂へ壮大に聳え建つは金波宮。その主である慶主景王は宮中にて午前の日課―――朝議を開く。冢宰、六官の長は勿論のこと、各官府の者達が外殿に足を運び出席していた。その日は禁軍左将軍もまた朝議の場に赴き、朝議は午を迎える前に解散となった。
一時休もうと自身の邸宅へ戻った禁軍左将軍は、起居へ足を踏み入れた途端に思わず目を丸くする。
―――何だ、これは。
誰かが立ち入った形跡を目前にして、驚きの表情は瞬く間に強張りゆく。次いで起居の奥より微かに聞こえた物音を聴覚が拾い、桓姙の足が自然と音のした方が苦へと進む。部屋を仕切る衝立からそっと顔を覗かせて、立ち入った者の姿を認めるや否や緊張を消失させた。見知った顔を最度確認すると、背を向けて座り込む少女に声を掛ける。
「江寧―――俺の邸宅で何を、」
している―――そう言いかけて、先程の起居内の様子と少女の行動を見れば聞くまでも無かった。苦笑を零す江寧の様子は、悪戯が明かされた後の子供のよう。
「ごめん、勝手に掃除させてもらった」
「お前な、」
桓魋は呆れ混じりの溜息を吐き出し、咎めかけた言葉を途端に言い差す。彼女は別段、悪事を働いた訳ではない。ただ部屋の有様を改善しようとしてくれたのだ。……そう、思い込みながら。
「かなり前から気になってて……つい」
言い訳染みた言を綴りつつ、頬を掻く江寧。
……以前に一度、彼女は桓魋の邸宅を覗いたことがあった。散らかった――という表現では生温い――部屋の状況を一望して愕然とし、留守を確認した今日早朝、ついに整理整頓の目的で踏み込んだのだが。
「―――……まあ、良いか」
正装を解きながら、桓魋は顔を綻ばせる。座り込む少女の傍らへと膝を着き、目前に散らばる所有物を片手に取った。
「俺もやろう」
- とある午の日に -
「取っておく物なら棚の上。必要ない物なら部屋の隅に」
「ああ」
指示に従い片付けを始める桓魋を見やり、江寧は僅かな苦笑を零しつつ手元を動かす。物を手に取り一つ一つ確認する動作は普段の左将軍の姿を比べると随分かけ離れているように思われる。……少なくとも、初見の印象は既に消え去ってしまったのだが。
暫しぼんやりと男の姿を眺め、ふと物の山から雪崩れた物が足元へ衝突した事に気付く。ぶつかる感覚に思わず視線を下げた江寧は、一つの箱を拾い上げる。四方をまじまじと眺め、次いで前方にて作業を続ける桓魋の背に声を掛けた。
「桓魋、これは?」
表を手で軽く払い、男へ箱を差し向ける。桓魋はその中身に気付いたのか目を丸くして、途端破顔した。ゆっくりと近付く朗らかな面持ち。それを崩すこと無く、ひょいと箱を取り上げた桓魋が蓋を無雑作に開ける。中にあったのは、小さな包みの、箱内に綺麗に並べられた物。
「ああ、そこにあったか」
「これは……何?」
「菓子だ」
笑みを浮かべ告げる男の言葉を聞き、江寧はすぐに視線を足元へと向けた。まさか、と脳裏で好からぬ事を想像する。
―――瓦礫の中の、
……思えば、一歩後退をせざるを得ない。そろそろと数歩を後退り、恐る恐ると箱の中身ついての問いを投げかけた。
「期限は、」
「腐ってない腐ってない」
言葉を遮断して告げた桓魋の言葉に、しかし未だ江寧は疑惑の眼を向ける。その様子に困ったような顔をして、桓魋は箱を棚の上へと置く。此処で止まっていては片付かないだろう―――そう思いつつ、片づけを再開させた。
結局、整理整頓を終えたのは斜陽の始まった頃であった。
ついでに、と男に茶の淹れ方を教えていた江寧は付近の椅子を引き寄せ腰掛ける。目前で行われている作業を眺め、思わず笑みを落とす。……こういった時を過ごすのも、良いかもしれない。
「……慶を出る前に、祥瓊と鈴に頼んでおかないと」
椅子の背に凭れて呟く江寧の言葉を、桓魋が拾う。一旦手を止め、何をと問うその前に他の疑問が喉元へ競りあがる。躊躇う事無く、その問いを口にした。
「……もう行くのか?」
「うん」
首肯を見せる江寧に、そうかと相槌を打ちつつも桓魋は僅かに面を下げる。こうして共に居ると、彼女もまた慶に居続けるような気がしていた―――だが、それは所詮錯覚だったのだ。彼女は慶の民ではないのだから、何処へ行こうと引き止める権限など無い。
「寂しくなるな……」
何気なくも呟きが口から零れ落ちる。しかし、その呟きに江寧は思わず首を捻る。男の言葉を不思議に感じながら、少女は眉を僅かに顰めて応えた。
「桓魋には浩瀚様や虎嘯が居るから、寂しくはならないと思うけど……」
ましてや祥瓊や鈴も居るだろうし、彼が孤高となる可能性もないはずである―――思案する少女を余所に、言葉を聞き受けた桓魋が目を丸くする。次いでようやく意を汲み取ったところでああ、と頷き破顔した。
「お前の代わりは誰にもなれんだろう?」
「ああ、そういうこと―――」
穏やかな笑顔で事の訳を話せば、幾度か相槌を打ち江寧もまた笑む。ようやく理解してくれたのだと安堵したその刹那―――予想外の解釈に、桓魋は身を硬直させる。
「大丈夫、お土産に他国の名産品でも買ってくるから」
笑顔で返された言葉に、目前の男は呆然とせざるを得ない。途端に力の入っていた肩ががくりと落ち、これまで張っていた気が一瞬にして抜け出たような気がした。
「……江寧。お前、俺の言った事をちゃんと理解しているか?」
「うん?」
「……いや、もういい」
桓魋は諦めて頭を横に振り、自身が初めて淹れた茶を口にする。湯を使用した筈のそれは、熱が逃げ始めていた。
◇ ◆ ◇
話は進むにつれ、やがて拓峰の乱以前の話題となった。元麦州候の元に居たと告げる桓魋に対し、江寧は頷くと同時に質疑を過ぎらせて、躊躇の間もなく問うた。
「前の邸宅は麦州に?」
「ああ―――麦州師にいた」
今更ながらの応えを聞き、しかし江寧は改め関心を抱く。既に空となった茶杯を手元に置き、僅かに下げていた面を上げる。桓魋と視線を合わせると、さらに問いを投げかけた。
「となると、此処の荷は全て以前の住まいから……?」
「ああ」
桓魋は頷く。今現在の邸宅へ移る為に荷の移動を行った際の苦労を思い起こして、自然と困ったような笑みとなる。その様子を眺めていた江寧。……脳裏に浮かぶは、良からぬ光景。
しかし、江寧の神妙な面持ちからそれを素早く読み取ったのか、誤解を受けぬようにと男の説明が挟み込まれる。
「片付ける暇が無かっただけだ」
「そうですか」
「……最近、態度が祥瓊に似てきたな」
一欠の冗談を含み洩らした男の言葉に、江寧は頭を傾げる。似ているだろうかと自身の行動を顧みるも、やはり解する事は難しい。思案を暫し続けていたところで、桓魋は己に投げ掛けられた疑問をそのまま目前の少女へと返した。
「お前の家はどうなんだ?」
果たして人の事を言えるか―――胸内で呟くその矢先、少女の引き上げられていた口元が下がりゆく。複雑な心境を抱いているのか、先程の貌を保つ事も儘ならずに顔を俯かせる。どうしたのかと問うその前に、江寧の呟く声が聞こえた。
「―――私の家は、無いから」
寂しげに聞こえるそれに、桓魋ははたと紡ごうとした言葉を飲み込む。余計な事を聞いてしまった。そう思わずにはいられず、しかし言い訳を一つも考え出すことは出来なかった。押し寄せかけた沈黙を遮るように、桓魋は短い謝罪を口にする。
「……すまん」
「桓魋が謝る事じゃない」
自身の一言によって空気を沈ませてしまった事を意識し、江寧は慌てて頭を横に振る。次いで他の理由を取り繕おうと必死に頭を働かせ、視線は部屋内を一回りする。宮中の堂室には及ばないが、それでも禁軍の左将軍ともなればそれなりに良い邸宅であった。
「折角こんなに立派な邸宅があるんだから、散らかしておくのは勿体無いと思ってたし」
「そうだな」
桓魋は相槌を打つ。彼の様子にほっと安堵したその刹那―――片隅に追いやった筈の思考が脳裏を掠め、するりと口から滑り落ちた。
「それに、もしも冢宰が足をお運びになられたらこの有様に驚くんじゃないかな」
……洩れた言葉は、引き戻すことなど出来はしない。
思わず目を瞬かせて江寧の言葉を胸中にて復唱し、途端に理解した。察した、という方が正しいだろうか。兎にも角にも、桓魋を気遣ったとはいえ彼女の言葉はあまりにも可能性のあるものに思えた。
「……そっちが本音か、江寧」
「え?」
考えに耽っていた江寧に呟かれる、苦笑交じりの言葉。意識を目前に引き戻された少女は言葉の意味を理解出来ずに首を捻り、男は笑みを浮かべて茶杯に視線を落とした。
―――こんな午後も、悪くはないだろう。