短編
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「江寧、ちょっと手伝ってくれない?」
「うん?」
白面の路を駆け来る足音が耳に届き、江寧は半身を振り返らせる。それが面識ある女御―――鈴である事を知って、足は自然と立ち留まる。少女を視界に捉えたまま、何事かと頭を傾げた。
官は朝議の最中、静寂の中の事だった。
鈴に先導され江寧が向かった先は、内殿の最奥に位置する書房―――積翠台だった。
しんと静まり返る廊下に二つの足音だけが木霊する。それを気まずく思ったのか、鈴は振り返り背後の慶国飛仙を見やった。江寧は沈黙を別段気にすることもなく、送られた視線を受けて目を合わせる。
「休んでる時にごめんね」
「ううん、いいよ」
頭を横に振り軽く笑む江寧は、そういえばと何気なくも細かな疑問を抱く。人手は少人数で可能な依頼だが、任されたのは彼女だけだろうか……?
「私以外には?」
「祥瓊が居るわ。……なにしろ、内密な事だから」
「そうだよね―――」
江寧は一人頷きつつ、先程密やかに告げられた手伝いの内容を思い起こす。―――景麒に見つからぬよう宮中の事柄を書き留めた紙は、いつの間にか棚の隅に隠し置けないほどの数となっていた。覚える事は山程あるに違いない。それを教わる度に書き留めれば、遅かれ早かれこのような時が来るのは確実である。
二者は内殿を進み、やがて最奥に行き着く。ぴったりと閉ざされた戸を慎重に押し開き、何度か立ち入った覚えのある空間を一望しつつ、積翠台へと足を踏み入れた。
「失礼致します」
礼儀に従い、一声を掛けて進む。そこにある筈の女史の姿はなく、二人は顔を見合わせる。静寂漂う部屋の中で恐る恐ると少女の名を呼ぶと、書卓の影からひょっこりと顔を覗かせる者があった。
「鈴、江寧、こっちよ」
祥瓊に手招かれるまま、江寧と鈴は書卓の前へ歩み寄る。回り込み、屈んだままの少女を挟んで腰を下ろす。装飾の施された椅子を退けた、その足元に詰め並べられた紙の束。
「結構溜めたね」
「ええ……」
紙束を引き出し、綴られた内容に一通り目を通す。大半は日本語で書かれている為に鈴と江寧は理解出来たが、祥瓊は文字を眺め首を捻るばかりであった。その度に二人が読みを教え、紙を次々と重ねゆく。
「それで、これは何処に隠す予定?」
「一応正寝の長楽殿に、」
「台輔も立ち入るのに?」
「―――そう言えばそうよね」
「良い所だと思ったんだけどなぁ」
正殿ならば他官が容易く立ち入りする事もない。さらに長楽殿と言えば正寝、その領域に踏み込む事を許される者は極僅かであったが、残念ながら慶国麒麟は長楽殿への立ち入りを許されていた。
提案をしたのは鈴らしく、惜しみながらも次の場所を思索する。二者もまた宮中の部屋を思い出し、途端江寧が言葉を零した。
「少なくとも、台輔が立ち入る場所は駄目かな」
「だとしたら、相当限られてくるわよ」
江寧の言葉を聞き、祥瓊が反応を示した。―――だとすれば、景麒が普段足を踏み入れる可能性のない場所を探す外に無い。事を広げて考えると、宮中に隠す事が困難であるような気にさえなってしまう。なかなか場所が決らずに思わず苦笑を零した江寧は、途端にふと思い付いた事を言葉にする。
「許可を取らないといけないけど……太師の邸宅はどう?」
「あ、それ良いかも」
少女の提案にすぐさま賛同の声を挙げたのは鈴だった。彼女は時折太師の邸宅へ赴いている。それは、嘗ての仲間―――現夏官虎賁氏が居候しているが故だった。
「今は虎嘯と桂桂が居るけど、他人にばらすような事はしないと思うし」
「そうね」
提案者以外の二者が相槌を打ち、諒承の意を示す。江寧もまた一つ頷き、持参した行李の中に紙束を詰め始めた。鈴と祥瓊もまたそれを手伝い、瞬く間に紙束が行李の中に纏め収められていく。一通りの作業を終えて、三者は顔を見合わせた後にくすりと笑い合う。
―――その時だった。
戸越しに、響く足音が聞こえたのは。
◇ ◆ ◇
三者は慌てて書卓の影へ隠れると、身をじっと潜める。戸の開く音と共にゆっくりと足音が路面を踏み締め、それは次第に大きくなり、途端に音が消失した。
途絶えた音に緊張を走らせ、身を強張らせる。内密にと言われているのだから、今此処で事がばれる訳にもいかない。王に対する官の評価が落ちる事も可能性に含めると、呼吸は浅く密やかとなる。だが、今の状況ではこれ以上訪問者が部屋の奥にまで踏み込まぬようにと祈るしかなかった。
「誰か居るのか」
聞き覚えのある男の声に江寧はぴくりと反応し、内心首を傾げた。此処に居るという事はつまり、今日の朝議に出席をしていない官である。そんな者の知り合いが居ただろうかと考え―――そして、ふと思う。
主上より頼まれた仕事をこなしているのに、何故こうしてこそこそと隠れなければならないのだろう……?
そう思えば身を潜める事に無意味さを感じて、溜息の後に書卓の影より姿を現した。江寧と男の視線が搗ち合って、次いで正体を知り安堵の息を吐く。
「ちょっと、江寧……!」
突如立ち上がった少女の後を追うようにして、慌てて祥瓊と鈴が立ち上がる。江寧へ視線を向け、すぐに訪問客の姿を視界に捉えた。二人もまた面識ある顔を認め、強張っていた顔が緩む。
「桓魋―――脅かさないでよ、もう」
「何だ?……何かあったのか」
「別に何も無いわよ」
頭を傾げ問いかける桓魋に、祥瓊は肩を竦めつつ否と応える。普段とは若干異なる反応にさらなる疑問を抱いたところで、江寧が話題を逸らそうとすぐに話を切り替えた。
「それよりどうしたの?主上ならまだ朝議に出席している筈だけど」
「通り掛かりに人の気配がしたから、少しばかり覗きに来たんだが―――お前さん達は此処で何をしている」
「主上に頼まれた仕事をしに来ただけよ。ねえ、鈴」
「ええ」
祥瓊の言葉に鈴と江寧もまた賛同の意を示し、桓魋はふと鈴の傍らに立つ少女を見やる。彼女は女史でも女御でもない。飛仙の立場上、国政には関わらない筈であるのだが―――。
「江寧、お前もか」
「うん。私が居てはいけない?」
「そんな事は無いが……」
ただ、珍しくも懐かしい光景だと桓魋は思う。嘗て拓峰の乱にて戦った顔ぶれは今、其々にそれなりの地位を与えられ各々で景王の支えとなっている。あとは陽子が揃えばと思うも、流石にそれは望めまい。
三者の顔を一望して苦笑を零し、次いで書卓の傍らに置かれた物がふと視界に留まった。何処かで見覚えのある、古びた行李。
「その行李は?」
指差すそれに桓魋は首を捻り、江寧らは背後を振り返るや否や目を軽く見開かせる。決して問われはしまいと思っていた物が今、疑問と共に視線を向けられている。決して開けられぬようにと、視線を戻した江寧が問いを返した。
「私の行李。見たことあると思うけど」
「ああ―――」
少女の答えによって、納得を落とした桓魋が思わず声を出し肯定を告げた。拓峰の乱にて江寧が抱え持っていた行李である。当時は手当ての用品が詰め込まれていた筈だが、今の行李の中身が当時と同様の物ではない事は中を確かめずとも明らかだった。
男の視線を行李から遮断させようと僅かに移動した江寧は、真直ぐに桓魋を見上げる。桓魋もまた見下ろすと、少女達の行動を不審に感じ低声にてさらに問う。
「何が入っている?」
「私物」
「誰のだ?」
「私の」
「どうして積翠台に持ち込んでいる」
「主上に頼まれた仕事に使うから」
明確に、淡々と答える江寧は微笑するでもなく、睨めつける訳でもなく。無表情に近いそれが逆に、男の胸内に不審感を招き込む。次いで僅かに目が細められた。
「主上より直々に仕事を?一体どんな―――」
「桓魋、」
桓魋の言葉を遮るかのように、咎めにも似た声を挙げたのは祥瓊だった。半ば対立の空気を作り始めた江寧に助け舟を出さねばと思い口に出した言葉はするすると洩れる。
「主上は私達に信頼を置いているからこそ頼んだのよ。だから余計な詮索は禁止」
「ああ、わかったわかった」
半ば言い寄られるようにして問いを止された桓魋は、苦笑を浮かべたまま諒承の意を告げひらりと手を横に振る。祥瓊の他に江寧や鈴もまた視線を男に釘付け、その視線に耐え兼ねたが故の諒承であった。それに安堵の息を吐いた三者は、目前の人物の突如とした行動に即対応することが敵わず。
「……と、見せかけて」
江寧と祥瓊の間をするりと抜けた桓魋は行李の目前へ数歩で寄り、未だ封をされてはいない蓋をひょいと上げ開いた。その行動は瞬く間と言った方が適切なのだろう。
『あ、』
「うん?」
行李の中身を覗き込む桓魋に、驚き慌てて振り返った三者は思わず硬直する。遂にばれたかと深い溜息を吐き、江寧は男の真後ろから行李を覗き込む。不幸中の幸いにも、最上に乗せられていた紙に書かれた文字は日本のものであった。
一間の沈黙を置いて、途端に微かな笑いが零れ落ちる。―――しかしそれは、少女達からではなく。
「なんだ、主上はこれを隠したがっていたのか」
「え―――桓魋、知っていたの?」
予想外の応えに目を瞬かせ、呆然とする中で祥瓊が恐る恐ると問う。屈むまま背後を振り仰いだ桓魋ははにかんで、力強い首肯を見せた。
「ああ」
「なんだ……」
肩を竦めた江寧は、思わず安堵の息を吐き出す。張り詰めた空気が一瞬にして解れ、祥瓊と鈴もまた顔を綻ばせる。男が知っていたのならば、隠す必要も無かっただろう。
少女達の和らいだ表情を見やって、桓魋はふと思う。とある提案を僅かな間に思索すると、俯きかけた面を上げた。
「もしも隠す場所が無いなら、俺の邸宅に置いておけば良い」
「え……本当?」
ああ、と首肯する男の姿が少女達にはどこか眩しく思える。目前にあった問題が解消されて、ようやく仕事の終わりが見えた。
「助かるね」
「良かった……」
「ありがとう桓魋!」
笑顔で礼を告げる江寧に対し、桓魋はやんわりとした笑みを浮かべ頭を横に振る。自身の邸宅までの道程を案内する為に身を翻し歩き始めた桓魋に、江寧は行李を胸に抱き後を追う。祥瓊と鈴もまた彼女の傍らに並び歩いて、積翠台を後にした。
―――後に、禁軍左将軍の邸宅を訪れた三者は起居の有様を目前にして呆然とする事となるのだが。
「うん?」
白面の路を駆け来る足音が耳に届き、江寧は半身を振り返らせる。それが面識ある女御―――鈴である事を知って、足は自然と立ち留まる。少女を視界に捉えたまま、何事かと頭を傾げた。
官は朝議の最中、静寂の中の事だった。
- 内任 -
鈴に先導され江寧が向かった先は、内殿の最奥に位置する書房―――積翠台だった。
しんと静まり返る廊下に二つの足音だけが木霊する。それを気まずく思ったのか、鈴は振り返り背後の慶国飛仙を見やった。江寧は沈黙を別段気にすることもなく、送られた視線を受けて目を合わせる。
「休んでる時にごめんね」
「ううん、いいよ」
頭を横に振り軽く笑む江寧は、そういえばと何気なくも細かな疑問を抱く。人手は少人数で可能な依頼だが、任されたのは彼女だけだろうか……?
「私以外には?」
「祥瓊が居るわ。……なにしろ、内密な事だから」
「そうだよね―――」
江寧は一人頷きつつ、先程密やかに告げられた手伝いの内容を思い起こす。―――景麒に見つからぬよう宮中の事柄を書き留めた紙は、いつの間にか棚の隅に隠し置けないほどの数となっていた。覚える事は山程あるに違いない。それを教わる度に書き留めれば、遅かれ早かれこのような時が来るのは確実である。
二者は内殿を進み、やがて最奥に行き着く。ぴったりと閉ざされた戸を慎重に押し開き、何度か立ち入った覚えのある空間を一望しつつ、積翠台へと足を踏み入れた。
「失礼致します」
礼儀に従い、一声を掛けて進む。そこにある筈の女史の姿はなく、二人は顔を見合わせる。静寂漂う部屋の中で恐る恐ると少女の名を呼ぶと、書卓の影からひょっこりと顔を覗かせる者があった。
「鈴、江寧、こっちよ」
祥瓊に手招かれるまま、江寧と鈴は書卓の前へ歩み寄る。回り込み、屈んだままの少女を挟んで腰を下ろす。装飾の施された椅子を退けた、その足元に詰め並べられた紙の束。
「結構溜めたね」
「ええ……」
紙束を引き出し、綴られた内容に一通り目を通す。大半は日本語で書かれている為に鈴と江寧は理解出来たが、祥瓊は文字を眺め首を捻るばかりであった。その度に二人が読みを教え、紙を次々と重ねゆく。
「それで、これは何処に隠す予定?」
「一応正寝の長楽殿に、」
「台輔も立ち入るのに?」
「―――そう言えばそうよね」
「良い所だと思ったんだけどなぁ」
正殿ならば他官が容易く立ち入りする事もない。さらに長楽殿と言えば正寝、その領域に踏み込む事を許される者は極僅かであったが、残念ながら慶国麒麟は長楽殿への立ち入りを許されていた。
提案をしたのは鈴らしく、惜しみながらも次の場所を思索する。二者もまた宮中の部屋を思い出し、途端江寧が言葉を零した。
「少なくとも、台輔が立ち入る場所は駄目かな」
「だとしたら、相当限られてくるわよ」
江寧の言葉を聞き、祥瓊が反応を示した。―――だとすれば、景麒が普段足を踏み入れる可能性のない場所を探す外に無い。事を広げて考えると、宮中に隠す事が困難であるような気にさえなってしまう。なかなか場所が決らずに思わず苦笑を零した江寧は、途端にふと思い付いた事を言葉にする。
「許可を取らないといけないけど……太師の邸宅はどう?」
「あ、それ良いかも」
少女の提案にすぐさま賛同の声を挙げたのは鈴だった。彼女は時折太師の邸宅へ赴いている。それは、嘗ての仲間―――現夏官虎賁氏が居候しているが故だった。
「今は虎嘯と桂桂が居るけど、他人にばらすような事はしないと思うし」
「そうね」
提案者以外の二者が相槌を打ち、諒承の意を示す。江寧もまた一つ頷き、持参した行李の中に紙束を詰め始めた。鈴と祥瓊もまたそれを手伝い、瞬く間に紙束が行李の中に纏め収められていく。一通りの作業を終えて、三者は顔を見合わせた後にくすりと笑い合う。
―――その時だった。
戸越しに、響く足音が聞こえたのは。
◇ ◆ ◇
三者は慌てて書卓の影へ隠れると、身をじっと潜める。戸の開く音と共にゆっくりと足音が路面を踏み締め、それは次第に大きくなり、途端に音が消失した。
途絶えた音に緊張を走らせ、身を強張らせる。内密にと言われているのだから、今此処で事がばれる訳にもいかない。王に対する官の評価が落ちる事も可能性に含めると、呼吸は浅く密やかとなる。だが、今の状況ではこれ以上訪問者が部屋の奥にまで踏み込まぬようにと祈るしかなかった。
「誰か居るのか」
聞き覚えのある男の声に江寧はぴくりと反応し、内心首を傾げた。此処に居るという事はつまり、今日の朝議に出席をしていない官である。そんな者の知り合いが居ただろうかと考え―――そして、ふと思う。
主上より頼まれた仕事をこなしているのに、何故こうしてこそこそと隠れなければならないのだろう……?
そう思えば身を潜める事に無意味さを感じて、溜息の後に書卓の影より姿を現した。江寧と男の視線が搗ち合って、次いで正体を知り安堵の息を吐く。
「ちょっと、江寧……!」
突如立ち上がった少女の後を追うようにして、慌てて祥瓊と鈴が立ち上がる。江寧へ視線を向け、すぐに訪問客の姿を視界に捉えた。二人もまた面識ある顔を認め、強張っていた顔が緩む。
「桓魋―――脅かさないでよ、もう」
「何だ?……何かあったのか」
「別に何も無いわよ」
頭を傾げ問いかける桓魋に、祥瓊は肩を竦めつつ否と応える。普段とは若干異なる反応にさらなる疑問を抱いたところで、江寧が話題を逸らそうとすぐに話を切り替えた。
「それよりどうしたの?主上ならまだ朝議に出席している筈だけど」
「通り掛かりに人の気配がしたから、少しばかり覗きに来たんだが―――お前さん達は此処で何をしている」
「主上に頼まれた仕事をしに来ただけよ。ねえ、鈴」
「ええ」
祥瓊の言葉に鈴と江寧もまた賛同の意を示し、桓魋はふと鈴の傍らに立つ少女を見やる。彼女は女史でも女御でもない。飛仙の立場上、国政には関わらない筈であるのだが―――。
「江寧、お前もか」
「うん。私が居てはいけない?」
「そんな事は無いが……」
ただ、珍しくも懐かしい光景だと桓魋は思う。嘗て拓峰の乱にて戦った顔ぶれは今、其々にそれなりの地位を与えられ各々で景王の支えとなっている。あとは陽子が揃えばと思うも、流石にそれは望めまい。
三者の顔を一望して苦笑を零し、次いで書卓の傍らに置かれた物がふと視界に留まった。何処かで見覚えのある、古びた行李。
「その行李は?」
指差すそれに桓魋は首を捻り、江寧らは背後を振り返るや否や目を軽く見開かせる。決して問われはしまいと思っていた物が今、疑問と共に視線を向けられている。決して開けられぬようにと、視線を戻した江寧が問いを返した。
「私の行李。見たことあると思うけど」
「ああ―――」
少女の答えによって、納得を落とした桓魋が思わず声を出し肯定を告げた。拓峰の乱にて江寧が抱え持っていた行李である。当時は手当ての用品が詰め込まれていた筈だが、今の行李の中身が当時と同様の物ではない事は中を確かめずとも明らかだった。
男の視線を行李から遮断させようと僅かに移動した江寧は、真直ぐに桓魋を見上げる。桓魋もまた見下ろすと、少女達の行動を不審に感じ低声にてさらに問う。
「何が入っている?」
「私物」
「誰のだ?」
「私の」
「どうして積翠台に持ち込んでいる」
「主上に頼まれた仕事に使うから」
明確に、淡々と答える江寧は微笑するでもなく、睨めつける訳でもなく。無表情に近いそれが逆に、男の胸内に不審感を招き込む。次いで僅かに目が細められた。
「主上より直々に仕事を?一体どんな―――」
「桓魋、」
桓魋の言葉を遮るかのように、咎めにも似た声を挙げたのは祥瓊だった。半ば対立の空気を作り始めた江寧に助け舟を出さねばと思い口に出した言葉はするすると洩れる。
「主上は私達に信頼を置いているからこそ頼んだのよ。だから余計な詮索は禁止」
「ああ、わかったわかった」
半ば言い寄られるようにして問いを止された桓魋は、苦笑を浮かべたまま諒承の意を告げひらりと手を横に振る。祥瓊の他に江寧や鈴もまた視線を男に釘付け、その視線に耐え兼ねたが故の諒承であった。それに安堵の息を吐いた三者は、目前の人物の突如とした行動に即対応することが敵わず。
「……と、見せかけて」
江寧と祥瓊の間をするりと抜けた桓魋は行李の目前へ数歩で寄り、未だ封をされてはいない蓋をひょいと上げ開いた。その行動は瞬く間と言った方が適切なのだろう。
『あ、』
「うん?」
行李の中身を覗き込む桓魋に、驚き慌てて振り返った三者は思わず硬直する。遂にばれたかと深い溜息を吐き、江寧は男の真後ろから行李を覗き込む。不幸中の幸いにも、最上に乗せられていた紙に書かれた文字は日本のものであった。
一間の沈黙を置いて、途端に微かな笑いが零れ落ちる。―――しかしそれは、少女達からではなく。
「なんだ、主上はこれを隠したがっていたのか」
「え―――桓魋、知っていたの?」
予想外の応えに目を瞬かせ、呆然とする中で祥瓊が恐る恐ると問う。屈むまま背後を振り仰いだ桓魋ははにかんで、力強い首肯を見せた。
「ああ」
「なんだ……」
肩を竦めた江寧は、思わず安堵の息を吐き出す。張り詰めた空気が一瞬にして解れ、祥瓊と鈴もまた顔を綻ばせる。男が知っていたのならば、隠す必要も無かっただろう。
少女達の和らいだ表情を見やって、桓魋はふと思う。とある提案を僅かな間に思索すると、俯きかけた面を上げた。
「もしも隠す場所が無いなら、俺の邸宅に置いておけば良い」
「え……本当?」
ああ、と首肯する男の姿が少女達にはどこか眩しく思える。目前にあった問題が解消されて、ようやく仕事の終わりが見えた。
「助かるね」
「良かった……」
「ありがとう桓魋!」
笑顔で礼を告げる江寧に対し、桓魋はやんわりとした笑みを浮かべ頭を横に振る。自身の邸宅までの道程を案内する為に身を翻し歩き始めた桓魋に、江寧は行李を胸に抱き後を追う。祥瓊と鈴もまた彼女の傍らに並び歩いて、積翠台を後にした。
―――後に、禁軍左将軍の邸宅を訪れた三者は起居の有様を目前にして呆然とする事となるのだが。