短編
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「ああ、ちょっと左。あと少しだけ上。……背筋を伸ばして」
「江寧―――注文が多すぎだ」
傍らより突き上げられた少女の視線に、彼は思わず苦笑した。
それは大凡数日前の事である。禁軍左軍将軍の急な申し出をたじたじながらも受けた江寧は弓射場へ足を運んでいた。
先日に大学へ赴き弓射を教えたものの名を口にした矢先の依頼。とある言葉に男が一瞬眉を顰めたのを、江寧は見逃していなかった。故に猜疑の眼で桓魋の様子を窺い、一矢を放ち終えたところで背後よりそっと問いを投げかけた。
「楽俊と対抗してるの?」
「そういう訳じゃない」
「否定するのは構わないけど、説得力は皆無だよ」
くすりと笑う江寧が桓魋の背中を払うように軽く叩く。叩かれた者は然したる痛みは無いものの、構えの僅かなぶれにそっと溜息を落とす。―――集中が僅かに逸れた。
「大体……将軍職に就いているのなら、当然弓もそれなりの腕があるはず。なのに」
「正直な話―――それが無いから困ってるんだ」
「え」
説教染みた彼女の言葉はしかし、呆気なく否と返される。眼差しに含む真摯さに押されて、江寧は後方へ一歩を戻した。……試験が弓射と聞き及んでいるだけあって、その驚きは大きい。
もう一矢を的へ向け放った桓魋は、小気味よい響きに耳を傾けつつ弓を片手に振り返る。その軽装姿は嘗て蓬莱にあった流鏑馬の衣装を連想させた。幼き日に見た記憶を掘り起こした江寧は吐き出しかけた息を飲み込む。
「江寧は、俺が将軍職に就くまでの経緯を知っているだろう」
「以前に話を聞いたから、忘れていなければ」
少女が返したのは曖昧な返答、随分と日数が経過している為に、一字一句までは覚えていない。しかし、粗方の内容を思い起こすや否や顔を上げて、ああ、と納得の意を示す。当時、冢宰が麦州候の任に就いていた頃、目掛けで抜擢を受けたのだったか―――そう、記憶を漠然とながら思い出し、江寧は適当な言葉を選ぶ。
「……飛び級だからか」
「まあ、そんなところだ」
片手をひらりと薙いだ桓魋は苦笑を零す。意味こそ分かるものの、飛び級という言葉自体を桓魋は知らない。初耳であり、新鮮な音調が好ましい。微かに微笑み、再度静寂が訪れるその前に桓魋が言を紡ぐ。
「そこで密かに上達を試みようとこうして師を招いた訳だが」
「私はそんなに巧くないよ」
「天馬を射ち落とした事のある奴がよく言う」
「あれは、」
まぐれだ、と。
そう告げようと開いた江寧の口は形を描くのみに至った。射落とした事は事実―――それ以上の言葉を返す事を止め、余計な口論は時間の無駄である事を察し潔く諦めた。大きく溜息を吐き出して、目前の男を改め見上げる。
「……とりあえず基礎だけ教えるから」
「ああ、頼む」
笑みを浮かべる桓魋から弓を手渡された江寧は、立ち位置を入れ替わる。射場に佇むと構えを整え、逸れることの無い視線が的を射る。見定めの間は短く、番えた矢と弦を自身の手前へと引いた。瞬く間に撓る弓が弧を描き―――刹那、それは放たれた。
響き渡るのは的を穿つ小気味良い音。微かに木霊した後、再度押し寄せる静寂。それを打ち破ったのは、少女の背後に立つ男の軽い拍手だった。
「どう?」
「まるで中心へ吸い込まれていくようだったな」
「ありが―――そうじゃなくて……姿勢の見本」
礼を告げようとした江寧はしかし、些か趣旨の異なる感想を聞き受けて首を振った。半ば呆れを交えた表情のまま弓を押し付けるように桓魋へと突き戻し、再び立ち位置を交代する。
「―――どうやら、集中力も鍛えないといけないらしい」
そう呟いて、弦を引く桓魋は笑う。
手を放れた弦は乾いた音を立て、矢は緩やかな弧を描き爆ぜていった。
◇ ◆ ◇
二者はさらに暫しの時を指導と練習に費やした。
いくら時間を取ったとは言えど、左将軍ともなれば幾分かは忙しいはず―――思いつつ、男の背を眺めていた江寧は凭れていた墻壁から背を離す。軽い足音を立てて近付き、桓魋の傍らで足を留めた。覗き込むように上目遣いで男を見上げるその姿はしかし、集中する桓魋の視界へ立ち入る事が出来ない。
「そろそろ終わろう」
「ああ、そうだな」
少女が口にした切り上げの催促にも、今は生返事ばかりである。呆れたように溜息を吐き出し肩を大袈裟に竦めた江寧は腰に手を当てる。不快感を敢えて顔に露呈させ、双眸には僅かな不満を浮かべて彼を直視した。
「……さっきからその言葉しか聞いていないよ」
「そうか?」
一区切りを終えた桓魋は首を傾げ、ようやく視線を下げる。―――男は別段、腕が悪い訳ではなかった。筋は良く、指導を施せば瞬く間に成長を遂げている。だが、集中にも程があるのだ。
桓魋と江寧の目線はすぐさま搗ち合う。双方異なる情を顔に滲ませ、すぐにふいと目を逸らしたのは少女の方だった。
「知り合いに弓射が得意な人は居なかったの?」
「少なくとも、事実を打ち明けた上で頼める奴は居なかったからな」
「将軍職は辛いね」
「―――お前さんからそんな台詞が聞けるとは思わなかった」
「はいはい」
桓魋のからかうような言葉に、江寧もまた負けじと適当な返答と相槌を打つ。さらりと流すようなその態度に桓魋は首を傾げ、ふと改め直線状に存在する的を見やる。既に十本以上は突き刺さっているだろうか。流石にこれで一旦切り上げようと最後の矢を番え、あと一矢で弓射の練習を終えようとしていた。
ふと射場から身を一歩引き、軽く弦を整える桓魋が床に腰を下ろす。その傍らで屈み込みぼんやりと眺めていた江寧は、ふと男の事情を再度思い起こし、何気ない疑問に差し掛かった。
「冢宰には、」
「とっくの昔にばれている。なに、それを重視して人選する方ではなかったからな」
男はそう言って、からからと笑う。開き直りにも似た言動は彼女に大雑把という印象を与えたが、同時に冢宰―――浩瀚の印象が和らいだ。……詰まるところ、江寧にとって浩瀚はあまり接し難い部分があったという事なのだが。
構える桓魋の腕を少しばかり補正した江寧は、僅かに目を細め何かしらの確信を持って口を開いた。
「私に白羽の矢を立てたのは?」
「うん?」
思わぬ問いに、意識が逸れた。咄嗟に手を引いた桓魋の手元から弦が弾ける。先程撃ち放ったものよりも幾らか鈍い音を立てて飛んだ矢は、軌道が大幅に逸れてしまった。地に虚しく突き刺さるそれを見詰め、僅かに肩を落とした桓魋は少女を振り返る。
「……なんだ、気付いていたのか」
痛ましくなりつつある空気を霧散させるように苦笑を零すと、射場から身を数歩引かせた。そのまま立てた弓を支えに屈み込んだ桓魋を、江寧は見下ろす。男の視線は遠景―――的へ据えられているようだった。
「主上ととある女史がな」
「ああ、祥瓊か」
なんだ、と納得したように数回頷いた江寧もまた遠景を見やる。早々に矢の片付けをしてしまおうかと思いつつ、一歩を踏み出した刹那―――何事かを考え付いたらしき少女は軽く笑う。
「さしずめ、被害者は私か」
「おい」
半ば茶化すような少女へすぐさま挟まれる制止の言葉。それ以上の言を掛けるその前に、的の元へ駆け出した江寧。その背を見送り、頬を一つ掻いた桓姙は僅かに肩を竦めてみせる。
「……まあ、良いか」
男の呟きは少女に届かず。
穏やかな一時に肩の力をさらに抜いた桓魋は、動き回る少女の姿を暫し眺めていた。
「江寧―――注文が多すぎだ」
傍らより突き上げられた少女の視線に、彼は思わず苦笑した。
- 一矢の仰 -
それは大凡数日前の事である。禁軍左軍将軍の急な申し出をたじたじながらも受けた江寧は弓射場へ足を運んでいた。
先日に大学へ赴き弓射を教えたものの名を口にした矢先の依頼。とある言葉に男が一瞬眉を顰めたのを、江寧は見逃していなかった。故に猜疑の眼で桓魋の様子を窺い、一矢を放ち終えたところで背後よりそっと問いを投げかけた。
「楽俊と対抗してるの?」
「そういう訳じゃない」
「否定するのは構わないけど、説得力は皆無だよ」
くすりと笑う江寧が桓魋の背中を払うように軽く叩く。叩かれた者は然したる痛みは無いものの、構えの僅かなぶれにそっと溜息を落とす。―――集中が僅かに逸れた。
「大体……将軍職に就いているのなら、当然弓もそれなりの腕があるはず。なのに」
「正直な話―――それが無いから困ってるんだ」
「え」
説教染みた彼女の言葉はしかし、呆気なく否と返される。眼差しに含む真摯さに押されて、江寧は後方へ一歩を戻した。……試験が弓射と聞き及んでいるだけあって、その驚きは大きい。
もう一矢を的へ向け放った桓魋は、小気味よい響きに耳を傾けつつ弓を片手に振り返る。その軽装姿は嘗て蓬莱にあった流鏑馬の衣装を連想させた。幼き日に見た記憶を掘り起こした江寧は吐き出しかけた息を飲み込む。
「江寧は、俺が将軍職に就くまでの経緯を知っているだろう」
「以前に話を聞いたから、忘れていなければ」
少女が返したのは曖昧な返答、随分と日数が経過している為に、一字一句までは覚えていない。しかし、粗方の内容を思い起こすや否や顔を上げて、ああ、と納得の意を示す。当時、冢宰が麦州候の任に就いていた頃、目掛けで抜擢を受けたのだったか―――そう、記憶を漠然とながら思い出し、江寧は適当な言葉を選ぶ。
「……飛び級だからか」
「まあ、そんなところだ」
片手をひらりと薙いだ桓魋は苦笑を零す。意味こそ分かるものの、飛び級という言葉自体を桓魋は知らない。初耳であり、新鮮な音調が好ましい。微かに微笑み、再度静寂が訪れるその前に桓魋が言を紡ぐ。
「そこで密かに上達を試みようとこうして師を招いた訳だが」
「私はそんなに巧くないよ」
「天馬を射ち落とした事のある奴がよく言う」
「あれは、」
まぐれだ、と。
そう告げようと開いた江寧の口は形を描くのみに至った。射落とした事は事実―――それ以上の言葉を返す事を止め、余計な口論は時間の無駄である事を察し潔く諦めた。大きく溜息を吐き出して、目前の男を改め見上げる。
「……とりあえず基礎だけ教えるから」
「ああ、頼む」
笑みを浮かべる桓魋から弓を手渡された江寧は、立ち位置を入れ替わる。射場に佇むと構えを整え、逸れることの無い視線が的を射る。見定めの間は短く、番えた矢と弦を自身の手前へと引いた。瞬く間に撓る弓が弧を描き―――刹那、それは放たれた。
響き渡るのは的を穿つ小気味良い音。微かに木霊した後、再度押し寄せる静寂。それを打ち破ったのは、少女の背後に立つ男の軽い拍手だった。
「どう?」
「まるで中心へ吸い込まれていくようだったな」
「ありが―――そうじゃなくて……姿勢の見本」
礼を告げようとした江寧はしかし、些か趣旨の異なる感想を聞き受けて首を振った。半ば呆れを交えた表情のまま弓を押し付けるように桓魋へと突き戻し、再び立ち位置を交代する。
「―――どうやら、集中力も鍛えないといけないらしい」
そう呟いて、弦を引く桓魋は笑う。
手を放れた弦は乾いた音を立て、矢は緩やかな弧を描き爆ぜていった。
◇ ◆ ◇
二者はさらに暫しの時を指導と練習に費やした。
いくら時間を取ったとは言えど、左将軍ともなれば幾分かは忙しいはず―――思いつつ、男の背を眺めていた江寧は凭れていた墻壁から背を離す。軽い足音を立てて近付き、桓魋の傍らで足を留めた。覗き込むように上目遣いで男を見上げるその姿はしかし、集中する桓魋の視界へ立ち入る事が出来ない。
「そろそろ終わろう」
「ああ、そうだな」
少女が口にした切り上げの催促にも、今は生返事ばかりである。呆れたように溜息を吐き出し肩を大袈裟に竦めた江寧は腰に手を当てる。不快感を敢えて顔に露呈させ、双眸には僅かな不満を浮かべて彼を直視した。
「……さっきからその言葉しか聞いていないよ」
「そうか?」
一区切りを終えた桓魋は首を傾げ、ようやく視線を下げる。―――男は別段、腕が悪い訳ではなかった。筋は良く、指導を施せば瞬く間に成長を遂げている。だが、集中にも程があるのだ。
桓魋と江寧の目線はすぐさま搗ち合う。双方異なる情を顔に滲ませ、すぐにふいと目を逸らしたのは少女の方だった。
「知り合いに弓射が得意な人は居なかったの?」
「少なくとも、事実を打ち明けた上で頼める奴は居なかったからな」
「将軍職は辛いね」
「―――お前さんからそんな台詞が聞けるとは思わなかった」
「はいはい」
桓魋のからかうような言葉に、江寧もまた負けじと適当な返答と相槌を打つ。さらりと流すようなその態度に桓魋は首を傾げ、ふと改め直線状に存在する的を見やる。既に十本以上は突き刺さっているだろうか。流石にこれで一旦切り上げようと最後の矢を番え、あと一矢で弓射の練習を終えようとしていた。
ふと射場から身を一歩引き、軽く弦を整える桓魋が床に腰を下ろす。その傍らで屈み込みぼんやりと眺めていた江寧は、ふと男の事情を再度思い起こし、何気ない疑問に差し掛かった。
「冢宰には、」
「とっくの昔にばれている。なに、それを重視して人選する方ではなかったからな」
男はそう言って、からからと笑う。開き直りにも似た言動は彼女に大雑把という印象を与えたが、同時に冢宰―――浩瀚の印象が和らいだ。……詰まるところ、江寧にとって浩瀚はあまり接し難い部分があったという事なのだが。
構える桓魋の腕を少しばかり補正した江寧は、僅かに目を細め何かしらの確信を持って口を開いた。
「私に白羽の矢を立てたのは?」
「うん?」
思わぬ問いに、意識が逸れた。咄嗟に手を引いた桓魋の手元から弦が弾ける。先程撃ち放ったものよりも幾らか鈍い音を立てて飛んだ矢は、軌道が大幅に逸れてしまった。地に虚しく突き刺さるそれを見詰め、僅かに肩を落とした桓魋は少女を振り返る。
「……なんだ、気付いていたのか」
痛ましくなりつつある空気を霧散させるように苦笑を零すと、射場から身を数歩引かせた。そのまま立てた弓を支えに屈み込んだ桓魋を、江寧は見下ろす。男の視線は遠景―――的へ据えられているようだった。
「主上ととある女史がな」
「ああ、祥瓊か」
なんだ、と納得したように数回頷いた江寧もまた遠景を見やる。早々に矢の片付けをしてしまおうかと思いつつ、一歩を踏み出した刹那―――何事かを考え付いたらしき少女は軽く笑う。
「さしずめ、被害者は私か」
「おい」
半ば茶化すような少女へすぐさま挟まれる制止の言葉。それ以上の言を掛けるその前に、的の元へ駆け出した江寧。その背を見送り、頬を一つ掻いた桓姙は僅かに肩を竦めてみせる。
「……まあ、良いか」
男の呟きは少女に届かず。
穏やかな一時に肩の力をさらに抜いた桓魋は、動き回る少女の姿を暫し眺めていた。