短編
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「降りるぞ」
突発的に何を言い出すのかこの方は。
- 動揺 -
昼を過ぎ、陽が高々と昇り容赦なく陽射しが降り注ぐ。無と言える程の風にげんなりとして、手団扇で仰ぐ人々の光景が多々見られる。それは、地でも雲海上でも変わらなかった。
清香殿へ滞在中の江寧もまた、その暑さに倦怠感を持ちつつ露台へ繋がる窓を開く。微弱ながら入る風が、少しばかり有難い。
「夏―――」
嫌な季節になってきた、と江寧は何気なく思う。夏にはあまり良い記憶が無い所為もあるのだろう。
窓に腰掛け露台の向こうに広がる海を眺め――――それをもう少しだけ見ていようと身を乗り出す彼女の思考は玉砕された。
迎えの女官によって、清香殿より出ざるを得なくなってしまったのである。
向かうは禁門。
迎えを寄越したのは国王であるはずの男。
江寧がいざ禁門へ辿り着くと、延は身を翻し、彼女に着いてくるよう促す。半ば呆れを含めて後を追うと、その先にある厩舎へ指を差した。
「何ですか?」
「下へ降りる。お前も赤虎を取って来い」
「……後で、私も延王君と共ににどやされろと仰るのですか」
じろりと横目で睨めつけるようにして延を見やる。それを差して気にもせず、江寧より頭一つ分ほど上の頭が傾いた。
「誰にだ」
「秋官長大司寇様に」
「お前は客人だ、何も言われまい」
「―――では、もしどやされた時には何かして下さいますか?」
「ああ……次の旅立ちに、たっぷりと路銀を持たせてやる」
「男に二言は御座いませんね?」
「ああ。行くぞ」
溜息は盛大に。
厩舎から赤虎を引き連れて来た江寧は、同じく騶虞の手綱を持つ延を眺める。よくもこれで五百年も王朝が続くものだと内心で呆れを越して感心を抱く。そんな江寧の思いを余所に、騶虞に騎乗した男は彼女を振り返り、用意を軽く促した。
凌雲山の麓に広がる関弓の街へ下りた二者は、騶虞と赤虎を引き連れたまま大途を歩く。人通りの少ない場所を選び通っているとはいえ流石は大国、活気は十分に見て取れた。
そんな中、延――風漢は目的地を目指すように慣れた足取りで歩み行く。五百年の間に何度脱走したのか……朱衡らの苦労が見えるようだと、江寧は目を細める。
「江寧、弓はどの物でもすぐに扱えるか」
「え?」
前を行く風漢の唐突な質問に、置いた一間で戸惑いを見せる。次いで意味を理解すると、頭を軽く縦へと振った。
「ええ、はい」
「ならば、楽俊に会いに行くとしよう」
楽俊―――挙げられた名は景王の友。何故と問う前に、はたと目前を見上げた先にあるのは……大学。
この付近で弓射が行える場所はないと江寧は思っていた。だが、武官を志す者達には無ければならない場所である。……尤も、江寧にとってこちらの大学とは縁が皆無であるのだが。
◇ ◆ ◇
入口で待っていろと、騶虞の手綱を渡され駆け去る風漢の背を見送り、大凡五分ほど経過した頃だろうか。
江寧がまじまじと建物を仰ぎ見ていると、かつかつと足音が聞こえてくる。戻ってきたのだと思い、それが二つの足音であると理解した際にようやく首を下ろした。
風漢と、その背後の男性。外見の年齢は風漢よりやや高い。仙籍に入ると外見で年が判別出来なくなると、以前秋官長を見た際に江寧は思っていた。そして今もやはり、二人を見やって複雑な気分に陥る。
「江寧、良いそうだ」
「え……本当ですか?」
一体どんな説得をしたのかと気にはなったが、今は聞く所ではない。
「ああ。ただ、条件が一つ―――清張の弓射を指導してほしいそうだが」
「清張……楽俊の?構いませんが」
思わぬ条件に目を瞬かせながらも、江寧は頷く。風漢の背後へ立つ男は彼女の承諾を見るなり踵を返した。二者は追って、最中に立つ警備の兵に騎獣の手綱を渡す。江寧は己の騎獣が暴れやしないかと心配をしたが、杞憂に終わりそうだった。
弓射場の広さは日本と変わらず、的との距離も大差はない。然程違和感を覚えることもなく、江寧は足を踏み入れた。
歩行に合わせ軋む床音。壁側へ立て掛けられた弓を端から一望する少女。その背を、風漢が見守っている。既に選んだ弓に弦を張り始め、途端ふらりと動き出した江寧の姿を目で追う。
その先にあるのは、最奥に立て掛けられた弓。それは一見、和弓に酷似していた。
「それで良いのか?」
「……ええ、これにします」
左手に収めた弓を取ると、そそくさと調整を始める。手慣れた動作を遠くより眺める男は、次いで風漢を見やる。どう見たところで年下であるのは少女だ。だが、風漢に劣らずの手慣れには感心を抱く。
先に手を止めたのは、少女の方だった。
「数本、先に宜しいですか?」
「ああ」
軽く風漢に向け一礼すると、江寧は的の一直線上に立ち、構えをとる。日本ではないとはいえ、久方振りに立つ高揚感を懐かしむ。そうして僅かの間、瞼を落とした。
構えは慣れれば自然と身に着くもの。足踏みも、胴造りも、弓構えも。
開かれた目は、遥か遠景の円を捕らえる。
―――両腕は既に、引分けへ。
「……―――――」
……指先が離れた途端、感じるものは懐かしさだった。すぱん、と小気味良い音が射位より響く。彼女の手元には直後の感触が未だ残留している。
だが……心は此処に在らず。
見射るべきは的のその先、遥か遠くの何処かへ。
残心を終えた江寧が目にしたものは、的の中心へ射られた矢。的へ視線を向けた風漢は軽く目を見開くと、途端口角を上げる。
―――腕が良いことは、知っていたが。
「やはり正確だな」
風漢の言葉に、江寧はただええ、と頷くばかりだった。面白いとばかりに笑む王の姿は、どこか腹に企みを抱えている少年を思い起こさせる。
そうして口に出された風漢の言葉は、やはりと江寧に苦笑を誘った。
「どれだけ正確か、試してみるか」
◇ ◆ ◇
「それで一体、どうやって試すと?」
「俺がお前へ言葉を掛ける。少しでも動揺すれば、矢は外れるだろう」
「それって確率と関係ないと思」
「揺らぐ情のままでは狙いがぶれる。矢は弓者の心を表すからな」
「……どれだけ集中して、射れるか」
「まあ、そういう事だ」
笑みを浮かべたままの風漢に、苦笑気味の江寧。諦めたように緩く首を振る江寧は、一度退いた射位へ再び臨む。矢を数本足元へ置くと、改めて遠景の的へ目を据えた。
「あの矢を打ち裂いてみせる」
「よく言った―――気を抜くなよ」
江寧は弓を下ろし、矢を番えて弦を引く。目指すはただ一点のみ。
そうして狙いを定め弦を放つ直前、低音が彼女の耳へと届く。
ただ一言、
「―――巴」
と。
小気味良い音と共に濁音が響く。右手は後方へそのまま、残心と共に尾を引く音を聞き届けていた。
風漢は的を見やる。
彼女の宣言通り、矢を裂き新たに的の中心を打ち抜いていた。その正確さに感嘆すると同時に、名だけでは動揺しない事に眉を寄せる。……次は、どうするか。
「二射目はどうする」
「今と変わらない。打ち裂く」
はっきりとした宣言を告げる江寧の手には、次の矢が携えられている。確たる自信を持つ彼女の様子を、胡座を掻いたまま見上げる尚隆は胸内で次の言葉を選別していた。
……双方の様子を見学する男は、目を見開いたまま動く事はなく。硬直の状態で次の一矢までをまじまじと眺めている。
そうして引分までを辿る江寧は再び、的の位置を自身の双眸で定めた。右手は今にも離れようとして、刹那脇より上がる言葉。
「倭国」
二射目。それもまた、遥か遠景の的を見事に射抜き、一射目の矢を裂き割っていた。
唖然と口を開ける男と、ほう、と感嘆の息を洩らす風漢。双方を横目で見やり、江寧は口角を引き上げる。
「これも駄目か」
「それぐらいでは動揺しませんよ」
三射目に使用する矢を手に取って、江寧は自身有り気に笑みを浮かべる。―――その表情で、風漢ははたと記憶を思い返した。
……まさか、と彼の思考は巡る。
三射目を放つ間際になって、風漢は思い出すや否や彼の者の名を放つ。
「―――朱衡」
……それで、彼女は思わぬ反応を示した。
肩が上がり、そのまま手を離れた矢は―――二射目の元を辿る事はなかった。的の中心よりやや上へと、突き刺さっていたのである。それにはたと気が付いた江寧は、思わず風漢へと視線を下げ睨めつけた。
「何故秋官長大司寇の名を……!!」
「まさかお前がそれで動揺するとはな」
「当たり前じゃないですか!見つかったら王共々どやされるんですよ!!」
「客人にどやす事など無いと先程も言っただろう」
「いえ、ですから―――」
「あ、あの―――!!」
口論の最中、口を閉ざしていた男が突如伏礼をとる。男の突発的な行動に呆然とした風漢と江寧は、次に声を張り上げ告げた言葉に目を見開く。
「そちらのお方が主上と存ぜず、大変無礼を申しました事、どうかお許し下さい!」
「……風漢」
「はは―――いや、今のはお前が悪い」
引き攣り笑いを貼り付ける尚隆と江寧。
その後慌しくも楽俊が呼ばれ、さらに事柄が国府に伝わり大事となってしまった。
結局、二者は日没過ぎの後に玄英宮へと戻り、待ち構えていた朱衡より説教を喰らう破目になったという。
その後、江寧が日を改めて楽俊の元を訪れ弓射を指導した事は、また別の話。
1/11ページ