晦冥の洞 静謐の空

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主人公設定
-設定注意-


・登場人物は後の芳極国女王(胎果)
・次の芳国麒麟が胎果の赤麒
・峯王登極前には再び戴国に泰主従が戻っている
・多少の設定矛盾
・表示できない文字は代わりの文字を使用
(PCからのUPなので、勝手に変換される文字もあり)
 など
上記を踏まえた上で閲覧をお願いします。
閲覧後の苦情はご遠慮下さいまし。


-人物設定-


■蓬莱
髪色:黒   眼色:黒
■十二国
髪色:白藤   眼色:菖蒲
■共通
性別:女
年齢:十五(※序章時)

家庭や友人などの取り巻く環境に疲れ、何の生きる目的も見出せないまま生活を送っている少女。
当時高校一年生。(高校生活は僅か一月半)
五月中旬、高波に轢き流されて、気が付けば恭州国の海岸へと漂着してしまった。
自分の生には関心がないくせに、他人の生き死にとなると何故か必死になる。
十二国へ流されてからは、とある人物の指摘により自分のために生きるという事をようやく学び始める。
■補足:高校では元弓道部。それ以前、小学中学年の頃より弓道を習っていたので趣味を越えて特技と化した。
■騎獣:赤虎。名は緋頼(ひらい)。猛獣として扱われる騎獣だが、彼女には従順。
名前
名字



- 肆章 -






「無理だったわ」

 国府前で待っていたが聞いた結果は、そのただ一言。思わず顔を顰めると、青稟は手をひらりと振り仰いだ。

「まだ雁から返答も要求も来ていないから、無理ですって。……ごめんなさい」
「青稟が謝ることじゃないよ」

 謝罪の言葉を続ける青稟に、は首を振って優しく宥める。気の強い姿を多く見てきたが、本当は人に良く気を遣う優しい性も知っていた。
 ……それが、今はありがたく思う。

 ふと、回廊からの風景へ目をやる。陽は頭上に高々として光を降り注ぐ。陽の位置がじきに昼だという事を示していた。

「もう昼だし、青稟は戻る?」
「ええ……里家に戻る道は覚えてる?」
「うん」
「そう……気を付けてね」
「青稟も仕事頑張って」

 ええ、と頷くや否や小走りで廊下を駆け去っていく。その姿を見届ける前に、は踵を返し来た道を戻り始めた。



































 連檣の街中を歩きながら、行き交う人々を眺める。十二月となれば真冬、吹き込む乾いた条風によって冬の寒さは一層増す。それによって厚い褞袍を着込む者は多い。その中で一人、は慌て出たことから大した防寒も無かった。走っている際には体が温まる。だが、歩くとなれば体感は全く異なる。今になって体中に震えが這い上がってきた。

「寒い……」

 己の腕を抱き込みながら足を進める。雲が出ていれば雪が降るだろう。そう思うほどの寒さで、足が冷たくなっていく。

 ……走れば温まるだろうか。

 考えた末に、小走りで帰る事を決めたは片足を引く。そのまま走り出そうとした少女の前を、突如店から出てきた人影が阻む。遮られた目前の視界にひやりとしながら、慌てて足を留めた。

「ん?」
「ごめんなさい!」

 軽く頭を下げると、その脇を擦り抜けようと横へ足を滑らせる。歩き出そうとしたの肩を、がっしりと掴んだのは目の前にいた人影―――男性だった。

「待ちな、こんな褞袍も着ずに……風邪を引いたらどうする」
「え―――あの」
「家は何処だ?」
「里家、です」

 の言葉を聞き入れた男性は、眉間に皺を寄せる。里家の者に対する偏見があるのだろうかと、つられて眉を上げそうになった。だが、その直後に左腕を掴み引かれて店の中へと引き込まれる。抵抗は些細なもので終わり、気が付けば店―――舎館の中に立っていた。
 中をぐるりと見渡して、思わず息を洩らす。
 拵えられた装飾といい、敷かれた布の品質といい、決して安いものには見えない。
 少なくとも、己が踏み込むべき場所ではないと内心密かに考える。早々に此処から出ていかなければ。
 そう思っていたの耳は、不意に豪快な笑い声を拾った。

「こういった場所に入るのは初めてか?」
「はい……あの、何故」
「いいから着いて来い。今、茶を淹れてやるから」

 構わず歩き出した男性の後ろを、少し離れてが追う。
 長く続く廊下を歩き、回廊を曲がると小さな園林が広がる。その合間に掛かった橋を渡り、再び曲がった回廊の先に、男性が目指す目的地はあった。
 扉の前で足を止めた人物の背を見上げると、何の前触れも無く男性が振り返る。視線は頭一つ分下の、に向けて。

「ほら、入れ」
「―――失礼、します」

 部屋へ踏み込んだその先に、一人の女性が小卓を前に榻へ腰掛けている。表にあった装飾も高級な布敷も、この客房には存在しない。
 ただあるのは、小卓と榻と棚。どれも質素な造りばかりで、は唖然として佇むばかり。

「あら、お客様?」

 客房へ踏み込んできた人物に視線を向けて、女性は頭を傾げつつ男性に問う。問われた方はああ、とだけ返事をしてもう一つの榻へゆっくりと腰掛けた。

「里家の子らしい」
「そうだったの……さ、あなたも此方においでなさいな」

 女性に促され、戸惑いながらもは女性の隣へ腰を下ろす。それに満足したかのように笑むと、の隣で茶を淹れ始めた。向かいに座る男性は、茶を淹れ終わるまでその光景をじっと眺めている。

 だが、それまでの沈黙を耐えられなくなったは思わず腰を上げた。

「あの!」
「ん?」
「何かしら」
「貴方達が誰なのか私は知りません」
「……説明はしなかったの?」
「いや、ここに来てから説明しようかと」

 女性の問いに、男性はがしがしと頭を掻きながら玻璃の向こうに広がる景色に目を向けている。……いや、実際に観望しているかは別だ。
 目前の二人の様子に、思わず溜息が零れる。ひとまずは、危険な人物ではない事が分かったのだから。
 一つ小さな咳払いをして、男性は口を開く。

「俺は尭衛という。この舎館を営んでいる者だ」
「私は榮春。元々里家に住んでいたの」
「……、です。海客で胎果で、今は里家で言語を学んでいます」

 海客で胎果。
 その言葉に、二人は瞬きを繰り返す。
 半年前に起きた蝕で海客が来たとは尭衛も榮春も聞いていた。だが、胎果だという情報までは耳に届いてくる事など無かった。
目の前の少女がそうだと言われたとしても実感が湧く事はなく、思わず二人は顔を見合わせる。は、こういった際はどうすればいいのかと思考を巡らせるが、案すらも浮かばない。

「……あの、」
「ごめんなさいね、海客は珍しいのよ」
「そうなんですか?」
「ああ。……それで、あそこで何をしていた?」

 訝しむような声音ではなく、単に問うような響き。
 その言葉に、は内心安堵する。

「用事があって、その帰りでした。慌てて出てきたから、着てなくて」
「そうか……」
「仕事も探してるんです。だから、店を見て回ってて」

 言葉については青稟から大丈夫だと言われている。日常会話程度ならば十分と。それならば店で働く事も出来るだろうと思っていた。
 ……いつまでも里家で世話になっている訳にはいかない。一人で生活できるようにしなければ、この世界では生きていけない。
 そう、は以前から思い続けてきた。
 結局は、日本でもこちらでも、生きるためにする事は同じなのだから。

 思考に浸りかけていたに、突如声が掛けられる。
 はたと我に返ると、の視界には心配そうに覗き込む榮春の顔があった。

「大丈夫?」
「ああ……はい、大丈夫です」

 笑顔で応えると、榮春はほっと胸を撫で下ろす。
 それで、と二人に視線を向けて、尭衛は話を続けようとする。

「もし働く気があるなら、此処で働くか?主に雑用だが」
「え……ですが」

 突然の提案に戸惑いながら、彷徨う視線は不意に榮春の元へ。しかし、彼女はただ微笑むのみ。

「決めるのは自分だぞ」

 尭衛の一言に、心が揺らぐ。

「ここでやっておくのも良い体験になると思うわ」

 榮春の一言に、心が傾く。

 笑む二人の姿を暫し見据えて、はゆっくりと頭を下げた。

「宜しくお願いします」
「ああ」
「これからお願いね」

 榮春は微笑み、尭衛はにこにこと笑う。どちらも笑顔で迎えてくれた事に、は感謝の意を小さく述べた。



◇ ◆ ◇



 その日、玄英宮の内殿に怒号が轟いた。

「おい、どういう事だ!!」
「ん?」

 書簡から目を離し、声の先を見上げた君主――延王尚隆は、その言葉に首を傾げる。
 今日は何もした覚えがない。珍しくも真面目に仕事をしていた事が、はてさて悪い事なのだろうかと脳裏に思い浮かべて目前の男を眺めた。

「何かあったのか、帷湍」
「知らないのか―――台輔が置手紙を残して出て行った」
「ほう?」

 帷湍から投げ寄越された紙切れには、“五日留守にする”と、一行のみが走り書きされていた。それにふ、と尚隆は笑いを零す。

「待ちきれなくなったか」
「待ちきれない?一体何のことだ」
「六太は以前からある海客を探していた。時が来るまでは待てと言ったが……どうやら、限界が来たらしい。まあ、その内帰って来るだろう」

 凭れに背を預け、肘を着く。相も変わらず平然とした主の態度に、何故こうものうのうとしていられるのかと、帷湍は溜息を吐いた。これでよく五百年王をやっているものだと呆れを越して感心する。

「何処に行ったか分かるのか?」
「恭だ。連檣に探していた者はいる」
「…そこまで分かっているのならいいが」

 ああ、と軽く頷く尚隆。この件に関して口を挟もうとは思えず、かといって行動の全てを傍観するわけにもいかない。他国の問題だと言い切ってしまえばそれで終わりになる……筈だった。
 助けたいと思うのは麒麟の慈愛か、それとも同族愛か。どちらにしても、手懸りを見つけたとなれば六太が勝手に動く事も時間の問題だということは分かっていた。


 ―――なに、会えばすぐに帰って来る。


 背後にある玻璃越しの空を振り仰ぐ。
 浅縹一色に染まりきる雲海の上、光が流れ戻り着く日はいつか。




































、誕生日おめでとう」

 一つの包みを片手に里家を訪ねたのは、通訳者としての役目を今日で終える女御だった。
 普段のように庭掃除をしていたへ声を掛けると、少女は白藤の髪を下ろしたまま声のする方角へと振り返る。青稟の姿を認めると、途端表情が晴れていく。

「青稟……うん、ありがとう」

 言葉を返して頷いたは箒を置こうとするが、それを掌で制止させて首を振る。首を傾げたの姿に苦笑して、次にしっかりと集められた木の葉や屑へと指を差した。

「それを片付けてからね。終わるまで此処に居るから」
「あ、うん。分かった」

 止んだ手を再び動かし、せっせと後片付けをしていく。縁側に腰を下ろした青稟は、じっとその姿を傍観していた。

 ―――今日で、最後。

 最近、心の片隅で浮かぶものはただそれだけ。後悔の念は持っていなかったが、少女の行方は気になるばかり。
 始めは渋々と受けた仕事。海客である少女は当時、本当に情けなく見えていた。敬語なしとは言え淑やかな言葉遣いをする事が馬鹿らしくなり、なよなよとする度に説教を入れていた事は記憶に鮮明として残っている。……最近は、その説教もあまりする必要が無くなったのだけど。
 本当に、この半年で随分と成長を遂げたものだと思う。

「終わったよ」
「……昔のはどこにいったのかしら」
「え?」

 ぽつりと呟いた言葉は、の耳に途切れ届く。訊ねようとする少女の言葉を遮って、青稟は立ち上がった。

「ほら、行くわよ」
「う、うん」



◇ ◆ ◇



「青稟、私仕事が決まったんだ」
「随分と早いじゃない。……それで、どこの店に?」
「舎館。雑用だけどね」

 茶を淹れるを眺めながら、青稟は榻に腰掛けている。
 陶器から立つ湯気は揺ら揺らと昇り消えて、香りだけを残していく。そう、と頷いた青稟に、は少しばかり苦笑を洩らした。
 こうしていると、今日で最後だとは思えない。

 青稟の前へ茶を置くと、どうぞと一つ言葉を零して自らも榻へと腰を下ろす。返ってきたのは、ひとつばかりの礼。

「これから頑張りなさい。こちらで生きていくと決めたんでしょう?」
「うん。帰れるのなら帰るけどね」
……」

 彼女には一つの思いがあった。
 戻る事が出来るのなら、一からやり直したい。嫌な事ばかり避けていた自分を砕いて、向き合おう、と。
 ……それが、出来るのなら。

 真面目な表情のまま、耽るように瞼を伏せる。その姿と半年前の海客は、まるで別人のようだった。
 思わず微笑を零せば、それに気が付いたが目を開く。

「成長したのね」
「青稟のお陰でね」
「煽てたって何も出ないわよ。記念の品ならあるけど」

 榻の隣に立て掛けていた包み――包みと言える物なのかは分からないが――を手に取った青稟に、それは何かと問う声が掛かる。その疑問を応える前に、包みを開き中身を取り出した。

「それって―――弓?」
「紫檀で作らせたのよ。以前から言ってたじゃない、弓をやりたいって」
「そうだけど……これ、私に?」
「ええ。受け取ってくれるかしら」

 差し出された弓と矢筒を呆然として見る。次に青稟の顔をまじまじと眺めて、再度交互に見やった。
 こんなものをくれるなんて。

「あ、銭はいくらだったなんて聞いたら怒るわよ」
「……うん。ありがとう、青稟」

 品を手にしたに、青稟は笑い掛ける。気に入ってくれれば良い。そう思いつつも、はたととある事に気が付いた。―――やりたいとは言っていたが、腕は如何程のものか。今更聞く事も躊躇われたが、弓を持つの僅かに緩む表情を見て、喉まで出掛かっていた疑問は自然と飲み込まれていった。

「矢は特別に冬器ものだから、気を付けてね」
「冬器って……高かっ」
「それも言わないこと」

 言葉を遮り、青稟は笑みを湛えつつ口を閉ざさせた。これでは何を言っても無駄だろうと諦めて、は素直に頷く。
 受け取った弓を背凭れに突っ掛けると、陶器に手を伸ばす。それは未だほんのりと温かい。

 刹那、そういえばと話を改めて切り出したのはだった。

「働くなら、海客の呼び名じゃ駄目なんだって」
「ああ……多分、お客の中に海客を差別したり嫌いだったりする人も居るからだと思うわ」
「へえ……」

 海客が優遇されている国とはいえ、舎館に訪れる者全てが国内の者だという事はまず有り得ない。中には差別法のある国からやってくる者も少なからずはいる。舎館の評判を損ねる可能性も少なからずある。その中での待遇ならば、名を変える事は必須となるだろう。
 手を組み合わせて、青稟はを見る。

「字」
「え?」
「海客は本姓と名しか無いんでしょう?」
「う、うん」
「それだったら、字として考えるといいかもしれない。氏を選ぶのは三、四年先の事だけど、今から決めちゃってもいいんじゃないかしら」
「そっか……でも、こっちの名前ってよく分からないんだ」
「だったら私が考えてあげる」

 それはまるで楽しそうに笑う青稟の姿に、は軽く目を見開く。まさか目前の人物がそう口にするとは思いもしなかった。

「どうしようかしら」
「どうしようって……」

 そんなことを言われても、音と訓では読みが違うのだからよく分からないと密かに思うに、青稟は耽る思考を再開させる。

「ああ、あれは合わないわね……じゃあ」
「青稟……?」
「いいわ、江寧でいきましょう」
江寧?」

 ええ、と頷いた女性はその名を何度も呟く。それが貴方の字よ――そう唐突に言われても、にとっては呆然としながらも受け入れるばかり。

「字は江寧。氏は自分で決めなさい」
「わ、分かった」

 満足したように笑う青稟。
 最後の日が安穏とした時間だけでも良いかもしれないと、――江寧もまた、笑みを零した。




 ―――別れの時間は、すぐそこに。
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