- 拾章 -
遣者が戴への滞在を許されてから、早三日が経過した。
雁の者らは戴の官との話し合いもあり各々に行動をしていたが、
江寧は然してやる事も無く清香殿にて暇を持て余す。時折舎館へ赴き緋頼と戯れるも、やはり多少の時間は空いてしまう。泰麒と話そうにも、廊下を行き交う官の様子を遠巻きに眺めていれば王と台輔もまた暇が無い事も明らかだった。
そうして一人清香殿の起居にて弓の手入れを行っていた
江寧は、午を過ぎた頃にやってきた二つの訪問客の姿に気付き慌てて腰を浮かせた。白と黒の主従は軽装――王と麒麟にしては――のまま立ち入り、手前の椅子に腰を掛ける。
「朝議は如何でしたか」
「はい、恙無く」
穏やかに言葉を返したのは泰麒だった。嘗て痛々しいほど短髪だった鋼色の鬣は、肩へ掛かるか否かにまで伸びている。起居へ差し込む光が頷く度に揺れる泰麒の鬣を照らす。それに見とれていた
江寧は、次いで泰麒の傍らに腰を下ろす王の声を聞き入れて視線を向けた。
「蒿里が午後の公務の前に此処へ来ると言うので、私も同行させてもらった」
「それは……態々足をお運び頂き、有り難う存じます」
拱手は軽く。
江寧の礼に一つ頷いた驍宗の口元はゆるりと弧を描く。王の横顔を見上げた泰麒もまた朗らかな笑顔を浮かべて、二者の様子を眺めていた
江寧は戴に再び希望が戻ってきた事に顔を綻ばせていた。
「峯麒は赤麒か……まさか、北の二極国が稀な麒麟とは」
話題はいつの間にか昇山の事柄に移り変わり、峯麒が赤麒である旨を
江寧が伝えると、驍宗が若干関心を抱きつつ呟く。偶然とはいえ、同じ北に位置する麒が黄昏の色を一切として持たないのは奇跡に等しい。王が変われば、今後一切として有り得ない事となるだろう。
「その上、どちらも胎果ですから」
僅かに苦味を含ませて、
江寧は微笑を浮かべる。蓬莱にて二人の尊き神獣と誼があったなど、今思い返せば畏れ多く感じた。
ああ、と相槌を打つ驍宗の顔は当初
江寧が見た時よりも幾らか柔らかい。それが彼女の心を落ち着かせて、僅かに硬い敬語を崩す。厳格な態度はやはり表での貌なのだろうかと思考を巡らせかけたところで、驍宗が再び口を開いた。
「それで―――選定は」
「私が蓬山に滞在していた時にはありませんでした。……剛氏は、確実に鵬翼に乗っていると言っておりましたが」
「……もしや、蒿里と同じく王気を勘違いしているのかもしれん」
「勘違い……ですか?」
江寧は頭を傾げつつ問う。対し返答を口にしたのは驍宗ではなく、その傍らに腰を落ち着かせた泰麒だった。
「ぼくは初めて主上とお会いした時、怖いと思いました―――けれどそれは恐怖ではなく畏怖なのだと景台輔が仰られて」
「ああ……そういえば、景台輔とはお知り合いでしたね」
泰麒はゆるりと首肯する。それは嘗て戴国の麒麟が鳴蝕を起こし蓬莱へ帰る半年前のこと。景麒が幼い少年に対し告げた言葉は、少年が抱えていた罪悪感を払拭させた。鮮明に甦る当時の記憶が酷く懐かしい。
「何かが来る―――そんな感じはありましたけど、それが王気なのだという事を知ったのは戴へ下って、景台輔がお訪ね下さった時でしたから、」
「契約のかなり後ですね」
これにも泰麒は頷いてみせる。次いでやや俯きかけた顔には微かな翳りが滲み、組み合わせた手に僅かな力が篭る。
「天啓は、形があるものではないんです。目に見えるものと思い込んでいたぼくは、主上と偽りの契約をしてしまったのだと勘違いをしていました」
「何故……?」
「主上が下山するとお聞きして、離れたくなかったから―――」
離れたくなかった―――その感情は、麒麟として当然のものだった。王の傍を離れる事を淋しく思わない麒麟など居ないと、景麒に言われた際の安堵を泰麒自身よく覚えている。去来する感情を胸中に収めて、途端泰麒の頭上より降る主の声を聞く。
「峯麒にも同じ勘違いがあるとしたら、鵬雛が居たとて契約を交わせるかどうか」
「そう、ですね……」
驍宗の言葉に対し、少女は僅かな躊躇を見せた後に頷く。内心、即座に首を縦に振る自身を一蹴りして情を否定する。きっとそんな事はない―――要も王を選べたのだから、和真とて幼くとも天帝の意を受け取る事が出来よう。そう案じのように繰り返し、
江寧は渦巻きかけた不安を掻き消した。
「
江寧は胎果だったな」
「はい」
唐突な質問に応じる
江寧を見やって、驍宗は暫し無言のまま少女と向かい合う。落とされる沈黙に戸惑いつつ返答を待つと、刹那男はそっと瞼を落として言葉を紡いだ。
「十二も国があるのだから、出生は未だ分かるまい」
その言葉に
江寧は思わず目を瞬かせた。本当に唐突な質疑だと思いながらも首肯を見せると、再び瞼を押し上げた王は僅かに目尻を落とす。
「……故国が判明しないのは、淋しいか」
「いえ、そのような事は―――」
「延王より事は窺っている。一所に留まる事が出来ないそうだが、それは何故に」
否定を最中に遮られ、
江寧は一瞬息を詰める。恐らくは延の書簡に書かれていたのだろう。そう思えば、表情は若干強張り自然と閉口する。一拍の間を躊躇に置いて、次いで小さな溜息を落とした後に少女が言葉を紡いだ。
「……旅立つ時に、居座った場所が恋しくなる。他国を巡りたいと思う私にとってはそれが苦しい。だから、一年以上居座った場所はただの一箇所しかないんです」
声音こそ朗らかを装うものの、表情にはどこか哀愁を漂わせる。手元へと下ろされた視線は僅かに揺らぎ、その様子を目前に眺めていた驍宗の眉が微かに顰められる。はたと面を上げた
江寧の視界が二者の表情を捉えると、咄嗟に笑みを浮かべてみせた。
「可笑しく思いましょうか」
「―――国に居座る私が言うのも難だが、その気持ちは分かる」
「……有り難う存じます」
江寧は遠慮がちに頭を下げ、短くも一礼をする。王に同情の言を賜えるだけでも有難い事―――そう思いつつ再び言葉を紡ぐ為に口を開きかけ、それは途端衝立の向こうより響く声に遮断された。
「失礼致します」
衝立から少しばかり身体を出すや否や一度叩頭礼をとる。何か、と短くも問いを投げかける驍宗の声を聞き身体を起こした男―――官は、そろそろと王の傍らに寄ると耳の傍にて言を密やかに伝える。一体何事かと、泰麒と
江寧が目を見張る中で、官はそそくさと離れ行く。すぐに場を後にした官を追うように驍宗が立ち上がると、少女を見下ろした。その貌には、つい今しがたにあった穏やかさがない。
「そろそろ席を外させてもらおう」
「はい―――多忙の中暇をお割き下さり、有り難う御座いました」
江寧が拱手をし頭を下げる中、驍宗はその姿を一瞥し頷きつつ踵を返す。台輔は残しておくべきかと判断をした王は、先導する官の後をそのまま追う。衣擦れを立てて下がる男の背を見送って、
江寧はようやく安堵の息を吐き出した。言葉を崩せたとは言えども、流石に王ともなれば些かの緊張は仕方あるまい。
そう思うも傍らの黒麒を見やる。昔から縁があれば、彼の身分の高さが理解できない―――それだけが悩みだと考えながら、
江寧は青年に視線を向けて笑いかけた。
「要」
はい、と泰麒の返答は穏やかに。来たる静寂の中で胸中に安堵を覚えるまま、
江寧は少しばかり気に掛けていた事柄を思い起こして口を開く。
「李斎殿とお会いしたいのだけど、」
「そうですね―――邸宅へ行きますか?」
「ええ」
青年の顔色が次第に明るくなる。嬉しそうに頷いた泰麒は、椅子からゆっくりと腰を上げる。
江寧もまたそれに続くように立ち上がると、身形を一通り整えてそそくさと掌客殿を後にした。
◇ ◆ ◇
その日の午過ぎ、彼女は順調に回復へ向かいつつある身体を起こして、玻璃越しの遠景を眺めていた。
穏やかに過ぎる時は二月前の出来事をまるで嘘のように思わせる。惨劇の記憶が色褪せる事は無かったが、それでも警戒心を抱く事のない日々がこうも早く来ようとは予想だにしなかった。
利腕を失い、そこに存在していた筈の肩口を抱く。深い溜息を吐いた李斎の耳に刹那、若い声が届けられる。
「失礼致します」
衝立の間を抜け、臥室へ入る者の姿は二つ。一人は近頃頻繁に見舞へ来る青年――泰麒。もう一つは、と視線を僅かに逸らしたところで、以前に見覚えのある白藤を視界に入れて思わず目を丸くする。まさか、と数度瞬きをした後に目を細め、それがようやく半年前に会った少女である事を認識した。
「公と―――
江寧殿?」
はい、と明朗な返答を聞き入れ、李斎は驚愕の中に嬉々とした感情を生む。顔は自然と綻び、態々此処まで足を運んでくれた事を嬉しく思う。臥牀の傍に歩み寄る
江寧は拱手の後に、柔らかな笑みを浮かべた。
「お久しぶりです。療養中とお聞きしたものですから―――宜しいですか?」
「ええ。そちらの榻をお使い下さいませ」
「有り難う御座います」
臥牀に沿うように置かれた榻へ若者達はゆっくりと腰を下ろす。そうして並び座っていると二人はまるで兄弟のようだ。そう思いくすりと笑う李斎に、泰麒は穏やかな声で問いかける。
「李斎、身体の具合はどう?」
「全快とは参りませんが、普段の生活に然したる支障は御座いません。尤も、利腕を作るというのは、時間を掛けなければどうにもならない事ではありますが」
苦笑する李斎に、
江寧は思わず女性の右肩を見やる。袍を着込んでいる為に当初はよく分からなかったが、李斎の肩は左よりも肩幅が若干短い。失くしたものを思い出し、少女の顔色が僅かに曇った。その様子を察し、逸らすように李斎が話題を変える。
「しかし―――まさか
江寧殿がいらっしゃるとは存じ上げませんでした。……いつから白圭宮へ?」
「ほんの数日前に。それまでは芳の昇山者と共に蓬山に居りましたので」
ああ、と李斎は思う。歳末に黄旗が揚がったとは噂で聞き及んでいたが、まさか最初の昇山者らと共に蓬山へ居たなどとは。貴重な体験をよくするものだと感心しつつ、次いで昇山において一番重要な事柄―――選定の結果にふと興味を抱き、恐る恐ると問いかけた。
「鵬は、居りましたか?」
「いえ、未だ。王気を持つ者は居なかったのかもしれませんね」
「そうですか……」
―――飄風の王は出なかったか。
李斎はそれを微かに惜しく思う。仮王が国を支えたとしても、その速さが遅いとはいえ確実に傾き行く。王無き国を五年も支え続けるのはさぞや難しいだろう。
嘗て戴国は仮朝が十年続いた。必死に支えてきたけれども、やはり出没する妖魔をどうする事もできなかった。苦労を経験した者ならば惜しく思う筈だ。思い、李斎が僅かに目を細めたところで、衣擦れの音に気付き衝立付近に視線を向ける。
江寧と泰麒もまた振り返ると、着込まれた位袍が目に留まる。
「台輔、こちらにおいででしたか」
男性の用は少女の傍らに座る泰麒へ。ほっと息を吐き、駆け寄ってきた官の顔は僅かに硬い。泰麒が榻から腰を浮かせたところで、官は李斎と
江寧を一瞥した後に声を潜めて用件を告げた。
「主上がお呼びです。至急、仁重殿へお戻りになるようにと」
「―――分かりました」
一間で言葉を呑み込み、泰麒はそそくさと身を翻した官の後を追う。二人の元を離れ邸宅の外へ向かい始めた青年の後姿に、優しく掛けられる見送りの言葉。
「行ってらっしゃい、泰麒」
「はい、行って来ます」
振り返った泰麒は照れを隠すように笑い、再び出口へと向き直り小走りで駆け行く。彼も忙しいのだと二人は苦笑を落とし、一頻り笑みを零した後にふと静寂が生まれた。鳥の囀りさえもない静かな時を、李斎は視線を落としたまま守る。
江寧は李斎を見詰め、何処と無く落ち込んだように見えるその姿に首を傾げた。一体どうしたのかと言葉を喉まで出しかけたところで、李斎がぽつりと言葉を呟く。
「……戴は、随分と荒廃してしまった」
先程よりも幾分か落とされた声音に、
江寧は顔を顰める。泰麒と李斎が慶より旅立ってからの半年間の出来事―――泰王が玉座へ帰還するまでの事を、少女は良く知らない。ただ、景王の景麒奪還ような戦があった事は確かであると、白圭宮に来るまでの街並みから察する事ができる。
「あれから一体何が……」
おずおずと問う
江寧を見やり、李斎はそっと瞼を伏せる。瞼の裏で走馬燈のように駆け抜ける半年間の記憶。その間を掻い摘み言葉を探し、自身の中で記憶を整理しながら言葉を紡ぎ始めた。
「兵の目を掻い潜り、時には命懸けで丘を越え……文州のとある洞にてようやく、台輔が主上をお見つけになられたのです」
江寧は相槌を打つ。李斎は瞼を落としたまま顔を俯かせ、慎重に事を話す。―――この少女に話すべきではないと思う事は、決して口にしてはならない。彼女へ全てを話すには、あまりにも複雑であるが故に。
「阿選への対抗が少しずつ始められ、次第に身を潜めていた者達も集い、いよいよ偽王を討つ為白圭宮へ雪崩れ込みました」
「……偽王は討たれたのですか?」
「……多くの命と引き代えに」
李斎は瞼を押し開け、一つ首肯を見せる。最中に幾度も裏切りがあった事は、話を複雑にする為に敢えて伏せた。代わりとして内乱の大きさを物語る言葉は重く、
江寧の胸中に罪悪感を与える。自然と項垂れ、呟くように謝罪を述べた。
「すみません……辛い事を思い出させてしまったようで」
「
江寧殿がお謝りになる事ではない」
悄然としてしまった
江寧に、ゆるゆると頭を横に振った李斎は苦笑を浮かべる。もう過ぎた事だと割り切る事はまだ出来なかったが、それでも戴国は前に進み始めた。軌道に乗り始めるのも、そう遠い年月ではないだろう。そう思えば、目前の少女は戴にとって大きな希望を齎した者に違いない。
「貴殿が泰台輔を蓬莱から無事に連れて来なければ、私が今頃こうして安穏と療養出来る事も無かったでしょうから」
朗らかに告げる言葉を聞き入れ予想外だったのだろう、
江寧は一時目を見開かせる。次いで苦笑を湛え、それは違うと慌てて頭を振った。
「失礼ながら―――それは延王君に礼を言うべきかと」
実際、泰麒を連れて来たのは延王であって、
江寧ではない。それは知ってか知らずかの李斎の台詞に困惑しつつも告げた
江寧の言葉は、逆に李斎を当惑させる。困ったような貌を少女に向けて、否と紡ぐ。
「延王君にお会いできるほど、私の身分は高いものではありますまい」
苦笑を交えつつ告げられた李斎の言葉はしかし、
江寧の表情を一瞬にして硬直させるに値するものだった。延王と対面する事に慣れてしまった己に気付き、自身への衝撃は大きい。悪かっただろうかと慰めの言葉を掛ける李斎に、硬直を終えて暫し悄然とする少女は小さくながらも相槌を打っていた。
◇ ◆ ◇
- 疾駆 -
蒼穹の空を睨め据えて、峯麒はそっと息を吐き出す。女仙の説得を無事に終えた少年は正装のまま甫渡宮前に佇み、旅立ちへの緊張を落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。初めて蓬山以外の場所へ出ることへの期待と、盟約への先案じ。混濁する感情。焦燥に駆られ気は昂揚する。次第に冷汗が額に滲んで、小さな掌が拳を作った。背後に佇む男へいよいよ声を掛けようとして、不意に聞こえた別の男の声に峯麒は身を振り返らせた。
「公」
普段は仄暗い橙色の髪が、陽に濡れて明るい印象を受ける。綻凌――禁軍将軍である男は峯麒の目前に片膝を着き拱手をとると、少年の眼を直視したまま表情を硬くして問いを投げかけた。
「公は月渓殿と共に王を迎えに行くのですか」
少年の返答は短く、ただ一つ頷くのみ。それで、本当に彼女と盟約を交わしに行くのだと信じて膝を地より浮かせ立ち上がる。大役を担う者の責任は大きい。それが、こんな幼い少年の肩へ圧し掛かっているのだ。契約を終えるなり州候となるのだから、麒麟の苦労は絶えないものなのだと思いつつ、綻凌は硬くしていた貌を僅かに解すと口角を微かに引き上げた。
「ならば是非、私にも同行の許可を受け賜りたく」
「輯将軍―――」
驚きに目を見開かせたのは、峯麒の傍らに立つ月渓だった。綻凌とは面識があり、予想外の申し出に驚かずにはいられない。峯麒はただ男をじっと見上げ、次いで呟くように問うた。
「……騎獣は?」
「騶虞です」
「それなら、早く用意を」
峯麒の言葉に、綻凌は頷くや否や踵を返しそそくさと天幕へ戻り行く。路を辿る男の後姿は次第に小さくなり、その光景をぼんやりとして眺めていた峯麒に、月渓が配慮を含む言葉を掛ける。
「宜しいのですか?」
「うん。綻凌殿の事は知ってるから」
表情は未だ緊張を滲ませるも少年の声は軽い。軽さを装っているかは定かではなかったが、それでも先程より幾分か落ち着いているように見えた。月渓は内心安堵の息を吐きつつ、少年の姿を視界から外す事はなく。
意を決し固めた峯麒は、蒼穹を再び振り仰ぐ。自身に言い聞かせるように紡がれた言葉は、柔らかに頬を撫ぜる風に巻かれた。
「―――僕も、覚悟を決めないと」
女仙らの心配事を十二分に聞き終えて、白亀宮より蓬山を出た三騎は雲海上を駆け抜ける。疾走を続けること二日半―――何処までも広がる雲海の上、ようやく見えてきた孤島に峯麒は目を釘付けた。
馬蹄形の白い小島。紺の屋根が白壁に引き立てられ、陽に反射して藍を彩る。各国で違うとはいえ初めて目にした王宮を、峯麒は美しく思う。
三騎――内二騎は指令だが――は白圭宮の禁門へ向かい緩やかな降下を始める。螺旋を二つほど描いて峯麒の騎乗する檮兀を先頭に、平坦に削られた足場へと着地した。それと同時に響くは、駆けつける複数の足音。武装を纏う者が十人ほど、騎獣と指令の背より降り立った三者を取り囲む。
「待て!」
峯麒の目前に立ち冬器を構えるは、一両の長――両司馬だった。完全に前方の視界を遮断された峯麒の視線は自然と男を仰ぎ見、向けられた怪訝な眼差しを気迫で押し返そうとする。
「此処は戴国鴻基山白圭宮の禁門。只者が降り立てる場ではない事を承知の上か」
男の態度に眉を潜めたのは峯麒の背後に佇む男で、自国の麒麟に突き立てられた冬器を一瞥すると、峯麒の前に立ち塞がろうとする。少年を後ろ手で制し、男を半ば睨め据えた。
「公、お下がり下さいませ」
「……ううん、いい。僕が説明する」
しかし、制止を掻い潜った少年がさらに前へと一歩を踏み出す。改め視線を上げ両司馬を見上げると、一つの深呼吸の後に意を決した言葉をはっきりとした口調で紡ぎ出す。
「芳国は宰輔、峯麒と申す。こちらに王気を感じ、新王と盟約を交わすため馳せ参じた次第に、非礼は重々承知の上、泰王並びに泰台輔に謁見を願いたい」
少年の言葉は、包囲していた者達を驚愕に陥れる。ざわめきが立つその中で、次第にまさかと疑る者が一人二人と現れた。その疑惑が周囲に感染するや否や、両司馬が否と叫びを上げる。
「麒麟がそのような色であるものか!」
男の叫びを聞き入れた途端、峯麒の顔色が豹変する。侮辱とも受け取れる言葉に口を引き結んだ少年は眼を目一杯に見開き見やると、刹那背後より明らかな怒りを含ませた声が周囲に響き渡った。
「それは泰台輔の事を含まれての発言か」
言葉を詰まらせたのは両司馬だけではない。其々がはたと両司馬の発言を思い返し、自国の麒麟の鬣を記憶より思い起こす。明らかな失言は周囲を閉口させ、綻凌の視線に耐え兼ねた男は視線を逸らし踵を返した。翻る身を三者は見やり、次いで低く落とされた両司馬の声を聞く。
「―――今暫し待たれよ」
禁門の脇にある閨門の向こうへと消え行く両司馬を見送り、峯麒は背後を振り返る。怒りが鎮まる様子のない綻凌の姿に、何故かほっと胸を撫で下ろす。次いで小さく礼を告げると、峯麒の言葉に気付いた綻凌は目を瞬かせて何事かと問う。いいえ、と頭を横に振った少年の顔からは、既に緊張が消えていた。
それから官の対応を待つこと暫し。
途端ゆっくりと開かれた禁門を目にして、峯麒は思わず目を見張った。あのような壮大な門は峯麒にとって初見であり、他国の王宮にもあると教わればさらに驚きを増す。見上げた深緋の瞳は驚き門を眺めるまま、その向こうより現れた複数の官に気付くと視線を下ろす。月渓と綻凌が何事かを話し合い、その光景を始終無言のまま観望していた峯麒は、やがて官が背を向け歩き出した姿を認めてそれを追う為にその場から一歩を踏み出した。
「行こう」
言葉に含むは希望。近付きつつある時に鼓動は高鳴り、胸を押さえつつ歩を進めて、峯麒は禁門を潜り抜けた。