- 玖章 -
「
江寧は、これからどうする?」
烏号へ到着するまでの時間はあと僅か。帆柱は折れ、出航前の帆も襤褸となり、風体はさながら幽霊船のよう。
その中で、甲板に赤虎を連れて佇む
江寧の姿は酷く浮いていた。
昨日の一件から陽子は
江寧を気遣っていたが、彼女はただ苦笑を零すのみ。その様子が更に不安を掻き立てるが、その事は敢えて触れないことにした。
甲板に戻ってきた陽子は、赤虎の額を撫でる
江寧に問いかける。うん、と頭を振って、周囲を見回すと囁くような声で言葉を紡ぐ。
「怪我人だけじゃなく病人が出て来てる。先に烏号へ行って、港に医者を呼んでくれるよう頼んでみるよ」
「そっか……」
「……陽子?」
ふいと視線を逸らした陽子に、
江寧がその名を呼ぶ。なに、と短く返答する彼女に疲れが溜まっているのだろうかと何気なく思う。折角雁へ着くのに、暗い顔をしていては喜びが半減だ。内心だけでもいい、陽子には笑顔で雁の地を踏んでもらいたい。
そう考えつつも、励ましの言葉が全く出てこない。気が利かないと己を呆れて、
江寧は赤虎の背に騎乗した。
「せめて烏号に着くまで休んでいた方がいい」
「うん……そうだね。ありがとう」
苦笑しながら礼を告げる。それに対し軽く首を振った
江寧は、手綱を強く引く。
床を一蹴りすると、赤虎は一気に上昇を始める。船との距離はあっと言う間に遠ざかり、甲板から見上げた騎獣の姿は既に点となって空を滑っていく。それを暫し見送って、陽子は客房への階段を降りていった。
その日、青年は港での仕事を終えると船着場へ足を運んでいた。
彼は巧から客船が来る度覗きに行ったが探している者が港に現れることは無く、じき一月が経過しようとしている。それでも、青年は待ち続けた。海客である少女が来る事を―――。
港に辿り着くと、船はまだ到着していない。多少の前後はあったが、もうじき来る筈だと港を歩いて回る。烏号の港は緩やかな弧を描き突き出しているため、青海の水平線を一望できる。船が来ればその線は途切れた。故に、これまでやってきた巧からの客船もすぐに肉眼で捉えることが出来た。
―――だがそれは、水平線の上を駆けてやってくる。
「ん……?」
目を凝らすと、それは虎の姿をした赤い獣だった。
人を乗せていると分かったのはその姿が鮮明となる程に近付いた時。急に高度を下げる騎獣を目にして、港に着地するのだと察知する。
慌てて場所を空ける人の間に、赤虎は無事に降り立つ。次いで勢い良く降りた少女は、騎獣の手綱から手を離して衛士の元へと駆け出す―――が、それを追って、赤虎もまた走る。それは異様な光景とも言えた。
「すみません、巧から来た客船が妖魔に襲われて……怪我人と病人がいるので港に医者を手配していただけませんか!」
「わ……分かった、今すぐ手配する。だからせめてその赤虎をどうにかしろ……」
一見、衛士を半ば脅しているようにも見える。背後で威嚇する赤虎の威圧には敵うまいと、衛士はそそくさと門を潜り街へと入って行く。その様に、周囲は目を瞬かせた。青年―――半獣である楽俊もまた、驚いたその一人である。
「巧の船―――」
はた、と少女が大声で叫んでいた言葉を思い出す。妖魔に襲われたと言っていた―――それならば。
慌てて少女に駆け寄る楽俊に、振り返った少女――
江寧は、その姿を認めるなり目を白黒させる。
「あんた、巧の船から?」
「ええ……」
「……その中に、赤い髪の女性はいなかったか?」
赤い髪の女性。
江寧には、その特徴で思い出される人物が一人しかいない。深い紅色の、少女しか。
「―――陽子のことか」
「やっぱり陽子が乗ってたんだな……」
ほっと胸を撫で下ろす楽俊に、
江寧は再度目を瞬かせる。彼女を知っているとなれば知り合いだろうかと、内心考えその姿を改めて見下ろす。
江寧が半獣を見るのは初めてのことだった。
「陽子の、知り合い?」
「ああ。おいらは楽俊。お前は?」
「
江寧という。陽子とは船内で知り合ったんだ」
そうか、と呟く楽俊の表情を窺うことは出来ない。ただ、声はどこか嬉々とした感情を含んでいたような気がする。その様子を見やって、彼女もまた笑みを浮かべた。
良かった、陽子には心配してくれる友達がちゃんといるのだ、と―――。
そういえばと、楽俊は唐突に話を切り出す。
「
江寧は何処に行くつもりだ?」
「一応関弓に用事があって」
「そうか……実はおいらと陽子も関弓を目指してる。良ければ一緒に行くか?」
それは少女にとって嬉しい申し出だった。巧までは一人旅だった影響もあるのか、出来れば頭を縦に振りたかった。……だが、と
江寧は隣に大人しく控える赤虎を一瞥する。しっかりとした厩舎のある舎館ともなれば、銭は高くつく。歩きでは旅の日数がかかると共に宿を取る回数も増える。二人の金銭事情を
江寧は知らない。だが、迷惑をかける事は確かだった。
「有難いけど、陽子はうんと言うか……」
「陽子なら頷くさ」
自信在り気に応えるのは楽俊。はっきりと断言をした言葉に、呆れを越して感心する。彼が明らかに陽子を信頼しきっている事を少しばかり羨ましく思いながら、再度首を横へ振る。
「私が迷惑を掛けてしまうから」
「そんなこと」
「あるよ」
楽俊の言葉を遮り、今度は
江寧が断言をする。強気の態度に、楽俊は頭を捻った。彼には、それが強がりに見えていたのだ。
どうしたものかと髭をそよがせていると、途端少女の声音が豹変する。
振り返り見た視線の先、水平線が半ば途切れた。それを見つけた港の者も、楽俊も、
江寧でさえ―――眉を顰める。
遠景でさえ分かる襤褸の帆が、惨事の有様を語る。苦虫を潰したような顔をしたまま、
江寧は船が着くであろう位置へと赴く。その後を楽俊が追って、船はようやく鮮明に見えてきた。
「ありゃあ……」
「改めて見ると派手にやられたね……」
瞼を伏せると、不意に蒼の雷鳴が記憶から掘り起こされる。あの妖魔のお陰で、船が壊されながらも生き残ることが出来た。大いに感謝するべきかもしれない。そう胸内で思う。
ゆっくりと船着場に止まる客船を見上げていると、背後から複数の忙しない足音が響く。振り返った先に、医者と数人の衛士が船着場へ駆けつけて来る。間に合ったと、
江寧は口角を僅かに上げた。
「私は治療の手伝いをしてくるけど、楽俊はここで待ってる?」
「ああ。陽子はおいらがここに来てる事を知らないからな」
「そっか―――分かった」
じゃあ、と軽く手を振って別れを告げると、楽俊は頷くまま彼女の後姿を見守る。
江寧は赤虎を引き連れて、下ろされた渡し板を医者や衛士達と上って行った。
◇ ◆ ◇
「これで終わりだ。色々と手伝ってもらってすまなかったな」
「いえ……では、これで」
深く頭を下げた
江寧は、怪我人や病人の並び伏せる客房を後にする。ようやく全ての治療を終えると、赤虎を連れて船の下へ降りようとしていた。
矢筒の蓋を取り、少なくなってしまった矢の数を数える。半数とはいかないが、大凡三割は使った。そもそも青稟から受け取った矢の数は然程多くない。それでも矢と人の命、双方どちらが重いかなど理解している。そう言い聞かせて、
江寧は渡し板を降りた。
行き交う喧騒の中、赤虎を連れてようやく門を潜る。烏号の街へ入り次第架戟を探そうとしたものの、目印である官許の札と戟はなかなか見つからない。仕方なく大途へ出たところで、人波の中から名を呼ぶ声が聞こえてきた。それは、先程出会った半獣の声に酷似している。
周囲を見渡すが、姿は見当たらず。
「こっちだ」
ふと背後で声がしたかと思えば、急に腕を引っ張られた。振り返るとそこに人の姿はない。
江寧は少しばかり視線を下げて、灰色の毛並みを視界に捉える。―――楽俊。
「陽子は!?」
「先に郷庁の建物の前で待ってる。海客だって事を何で先に言わなかったんだ?」
「言って、何かあるの……?」
「あるさ、そりゃあ。いいから着いてきな」
尻尾を揺らし先を歩く楽俊の後姿を追いながら、
江寧は赤虎の手綱を引く。赤虎へ向けられる視線は多いが、他国の者の見方とは全く異なる。この差は一体何なのだろうかと、半ば戸惑いが駆け巡る。
進む度に人混みが少なくなる様を不思議に思いながら、
江寧は楽俊の後を着いて行く。やがて突然開けた大途に、巨大な煉瓦造りの建物が姿を現した。
「ここが郷庁だ」
「郷庁?」
一体何の用があるのかと首を捻る。海客としての届出をする事は分かるが、生憎と身分を証明するものは持っている。詳しい理由を尋ねようとしたところで、陽子の声がする。
「
江寧―――あれから姿が見えなかったから、何処に行ったのかと……」
「船で医者の手伝いしてたけど……擦れ違いだったみたいだね」
「ああ。それで、楽俊から話は聞いた」
陽子の言葉に
江寧は頷く。
目的地が同じく関弓であり、どうせなら共に行くという楽俊の提案。
江寧が迷惑をかけると断りを入れた筈の話は、楽俊を通して陽子の耳へ入っていた。勿論、この話を出すのなら楽俊の断言通りとなるのだが。
次に説明を始めたのは、提案の主だった。
「海客と届出をすれば、三年身分の保証をしてくれる旌券が貰える。界身に持ってけば生活費が支給されるから、旅だってうんと楽になるぞ」
「楽俊―――まさか」
青年の考えに気付いた
江寧は、思わず目を見開いた。彼は迷惑だと断ったその理由を悟ったのだ。驚かない方がおかしいと、
江寧は楽俊の顔を凝視する。
「宿代はそれで十分足りる」
「―――陽子、」
「私は楽俊の案に賛成だ」
「―――分かった分かった、行くから」
葛藤は長く保たず、ようやく諦めた
江寧に、陽子と楽俊は笑いかける。手をひらひらと振ると、自然と苦笑が零れ落ちた。最後に見て回る国ぐらい、一人でなくとも良いだろう。
―――だが。
「私が先の街で宿を取っておくよ。夕方には着けるだろうし」
「
江寧……それは」
共に旅をするとは言わないのではないかと、陽子は思う。楽俊と顔を見合わせ、それでも彼女はそれを譲らなかった。
「色々と見て回るから、連れ回すと二人に迷惑が掛かるからね」
「だけど……」
「これは譲らない。良い?」
つまりは同行条件。それで偉そうだと文句一つでも言えば、
江寧は今すぐにでも立ち去るつもりだった。我儘にも聞こえるが実際のところ、街道の徒歩に一日を費やしては満足に街を巡る事が出来なかったからだ。それが出来なければ、国を見るために来た意味がない。
暫くの間を置いて、頷いたのは陽子だった。
「それでいい」
「うん。楽俊は?」
「
江寧なりに事情があるんなら、そっちを優先しないとな」
―――これで、決まった。
宜しく、と改めて挨拶を済ませると、煉瓦造りの建物へ視線を投げる。その外観からして入る事は躊躇われたが、陽子と楽俊は入るようにと促す。
江寧は相槌を打って、じゃあ、と提案を投げ寄越す。
「手続きして、寄る場所もあるから先に街を出ていて。赤虎で追いつくから」
「分かった。おいら達は丑門から出る」
「ええ」
手を振り一旦別れを告げる。それは、先程の港での光景に酷似していた。だが、再会を約束した
江寧の足取りは僅かに軽いものだった。
届けの手続きは意外にも早く、本来の名が墨で書かれた木札を受け取り外へと出る。門前で待機させていた赤虎は、
江寧が出てくるなり擦り寄ってきた。それはさながら猫のようで、僅かに頬が緩む。次に架戟へ行こうと役人にその場所を尋ねようとしたが、彼等は教えようとはしない。架戟へは潔く諦め、赤虎の背へと騎乗した。
「行くよ」
赤虎に声を掛けると共に、鐙を強く踏む。
慣れた手付きで手綱を手元に引き寄せると、地を蹴って大きく飛翔する。加速する感覚さえ、今では慣れてしまっている。
「―――そろそろ、お前にも名前を付けてやらないとね」
空を駆ける赤虎へ語りかけるように言葉は紡がれる。何が良いかと思考に浸りながら、丑門の方角へ向けて赤虎は駆けていった。
◇ ◆ ◇
それから、奇妙な旅は始まった。
先回りをした
江寧は三人分の宿を取り、赤虎を厩舎に預けて街中へ繰り出す。その間に陽子と楽俊は街へと向かい、夕刻の閉門前には街へと入る。見計らったかのように門を潜りやって来た二人を
江寧が案内をして、夜は三人で過ごす。発つ時刻はほぼ同じだが、徒歩と騎獣の差は当然の事ながら見事な差だった。
烏号を発った十日目の夜。
陽子が盥と湯を使いたいと舎館の者に告げると、半獣と少年を目にした青年は何を思ったのか、特別に個室を貸すと言い出した。案内を受けて出て行く陽子を見送って、
江寧は榻の上へ横になる。その様子を見ていた楽俊は、思わず彼女を呼びかけた。
「
江寧も陽子も、いつまで袍でいるつもりだ?」
「動きやすいからね……この際だから、襦裙に着替えようかな」
着替えはあるのだと告げると、楽俊はほっと安堵の息を吐く。陽子よりは女性らしいかもしれないと胸内の隅に思う。
起き上がり、楽俊と対面するように榻へ座り直すと、
江寧は口角を僅かに上げた。
「楽俊は服要らずでいいね」
「まぁな。けど、夏は暑いぞ」
「うん、見れば大体想像はつく……」
真夏の快晴、焼かれるような陽の下にて褞袍を着込んでいる、そんな感覚。
確かに大変そうだと、
江寧は幾度も頷いた。今の時期が初夏前だけあって、思ったよりも簡単に想像がつく。げんなりとした
江寧の表情は鮮明とした想像を物語る。その様子に笑って、楽俊は話題を変えた。
「そういや弓を持ってたけど、腕前はどうなんだ?」
「どうって……それなりに」
「一矢で妖魔を射ち落としたとか」
「あー……」
陽子から聞いたのかと訊ねて、楽俊は首を縦に振る。あの時、がむしゃらに剣を振るっていながらも見ていたのかと感心する。木造の小卓を引き寄せ肘を置くと、一つ頷いた。
「自分の為に、はそれぐらいかな」
「ん?」
意味を解りかねて、楽俊は訊ねようとする。だが、それを遮ったのは
江寧の言葉。
「あのさ、楽俊。悪いんだけど二日間いなくなって良いかな」
「二日?何かあったのか?」
目前の彼女の顔に浮かぶ色は暗い。だが、決してそれを口に出そうとはしなかった。何も言い出そうとしない
江寧に、楽俊は自分が聞いてはならない事なのだろうと悟る。敢えて詮索する事無く、その希望に頷いた。
「次に会うのは、二つ先の街だな」
「うん」
追求のない楽俊の様子に、
江寧は後ろめたさを感じる。その反面では酷く嬉しかった。
「楽俊、」
「なんだ?」
「――――ありがとう」
江寧は丁寧に頭を下げる。その姿にいんや、と楽俊は首を振って、途端戸が開かれた。振り返り、二人はその姿を確認する。
「おかえり、陽子」
「ああ。
江寧も洗う?」
「有難くそうさせてもらうよ」
頷いた
江寧は榻から腰を上げ、陽子と擦れ違う。入り口手前に置かれた荷から換えの襦裙を取り出すと、そそくさと出て行った。
代わりに榻へ落ち着く陽子は、少しばかり気落ちしている楽俊の様子に首を傾げる。……何かあったのだろうかと。
「楽俊……?」
「陽子、明日から二日間はおいら達で宿を探すからな」
「
江寧は何かあったのか?」
「ちょっとした急用らしい。二つ先の街で合流するそうだ」
「そうか―――」
陽子は彼女が出て行った戸の先を何気なく見やる。
客船の件から早十日。
江寧が意気消沈としている姿は見ていない。大丈夫かと問えば、苦笑で返される。ありがとう、大丈夫の一言で済まされるのだから、余計心配を掻き立てた。更には陽子や楽俊の心配をするばかりで、自分の事に関わる事は一切話そうとしない。
「大丈夫だろうか」
「心配すんなって、あいつならきっと大丈夫だ」
「……そうだね」
きっと―――大丈夫。
楽俊の言葉に頷きながら、陽子は不安になる心を落ち着かせる。
行く前に、行き先を聞けば良いのだと。
……だが、それは明朝。
陽子が目を覚ました時、既に彼女の姿は何処にも無かった。
◇ ◆ ◇
明朝、舎館を抜け出した
江寧は赤虎を急ぎ駆けさせていた。
薄藍の空を眺めつつ、引き戻すは烏号の港街。青海の岸辺に戻り、用を済ませて戻るには大凡一日の暇を要する。更にその一日は落ち合う予定の街を巡る為だった。
……その道中、妖魔らしきものが赤虎の横を通り過ぎる。数度擦れ違ったそれらは、全て同じ方角へ向けて飛行を続けている。赤虎と
江寧を標的として捉える妖魔は居らず、次第に疑心が浮かぶ。そして思った。彼等は、何かを目指し動いているのだと。
「……まさかね……」
脳裏に陽子の言葉が過ぎり、ぽつりと呟く。小さな点がまたひとつ頭上を通り過ぎて、江寧は鐙を踏み締めながら空を仰ぐ―――その影に、目を細めた。
妖魔ではない。銀に輝く何かは、上空を大きく旋回して方角を変える。
江寧が分かったのは、白い虎の姿。次いで背に人がいる事を認めて、白の虎は騎獣であると判断した。思わずその場に留まった
江寧の視界に、元州の方角へ飛び遠ざかる銀の点。それはあっと言う間に見えなくなり、消えていった。
「何だったんだろう……」
旅人だろうかと目を瞬かせて、はたと目的地を思い出した
江寧は、再び赤虎の手綱を引く。
綺麗な騎獣であった事は、鮮明として記憶に残っている。間近で見られたら良いのに―――風を切る赤虎の上で、何気なくそう思う。
烏号の街に到着すると、真っ先に目的地から近場の閑地を上空から探す。赤虎で降りられる場所―――それをようやく見つけて、
江寧は赤虎に降りるよう指示を出した。
騎獣が足を着けるなり、
江寧は此処で待つようにと告げて、その出入り口へ真直ぐに駆けて行く。
―――その、墓所へと。
烏号へ旅立ってから、彼女はずっと気に掛けていた。
守れなかった者に手を合わせる事ぐらいはするべきでは無いだろうか。そう思うのは、蓬莱の風習あっての事だろう。
……だが、手を合わせに此処まで戻ろうとしたのは風習だけではない。
守れなかった事への謝罪がしたかった。どうしても後ろめたさを拭えなかった。ただの自己満足だと言われてもいい、それでも――― 一言、言葉を伝えたい。
「守れなくて、ごめんなさい―――」
手をゆっくりと合わせる。
人を守りたい。
その思いは一層強くなるばかり。
何故と問われても、
江寧は答えを持ってはいない。
……それが、日本で十五年間他人の為に生きようとした者の考えなのだから。