玖章
1.
奏南国の旅路で見た夜明けはとても綺麗だったと、そう漠然とながら思えたあの時を、
明秦は今振り返る。
普段ならば何の変哲もない薄明の空。月の冷たさを思わせる白は陽光によって淡くなり、次第に山々の間から――あるいは虚海から――昇り差し込む陽光が全てを照らす。そんな自然の変わり様を、今は焦燥と緊張を胸に重く抱えながら一望して、
明秦は手綱を強く握りしめた。
肌を刺す冷気と、肺に取り込んだ空気の冷たさ―――そして、突然発された一報に思わず息を呑む。
「見えました―――拓峰です!」
「既に開戦しているな」
普段ならば静寂の中で迎える郷の夜明けは、遠目で分かるほど人の動きがあり騒然としているようだった。既に戦場となりただならぬ空気と化していた、その理由の一つを、桓魋は険しい表情で見つめる。
「空行師――」
「厄介な連中が出てきたな。連中が苦戦するのも当然だ」
本来民の暴動では滅多に出る事の無い兵種である。騎獣に乗り上空からの攻撃を主とする。空行師の一兵士あたり騎兵の二十五騎相当と言われているため、歩兵――それも民では素人同然――が太刀打ちするには弓矢以外に対抗する術は無い。
「州師の空行師なのが幸いと取るべきか。―――
明秦!」
「はい!」
「標槍に当たるなよ」
「標槍――」
明秦は息を詰め、桓魋の声音を耳にした瞬間余裕を削ぎ落とした。近付く度、標槍を民に向かい投げる様を…民を貫く様を嫌応無しに目にする。ともなれば、桓魋の言葉の続きの推察は難くない。――避けなければ死ぬぞ、と。
迷いなく、力強く頷いた
明秦に満足したのだろう。桓魋は
明秦の方へずらしていた視線を前方へと戻した。
「まずは空行師の制圧が最優先だ。下は部下に任せてある。それから、殊恩党の連中には増援と勘違いされないよう早々に伝える必要がある」
なるほど、と
明秦は心中で納得する。拓峰へ向かう途中、彼の指示によって祥瓊が桓魋の吉量へ移る事になった。最初から相乗りでは騎獣の足並みも遅くなるため、というところまでは容易に想像がついたのだが、説得までは考えが及ばなかった。
頼んだぞ、と。
号令代わりの言葉を合図に、其々が手綱を握り直し、或いは抜剣する。互いに距離を取りながら郷城とその箭楼の最上階を周回する空行師を捉え、突撃していく。
殆どの者が殊恩党の者達へ集中していたのだろう。後方からの急襲には大半の空行師が気付かないまま、まずは一騎、桓魋の部下が背後より駆け抜け様に斬撃を抜き切る。天馬の鞍より血を撒き散らしながら滑落していく仲間の姿を視界に捉え、彼らはようやく殊恩党以外の勢力の存在に気付いた。
一騎、また一騎と交戦して数は減っていく。それは決して空行師だけではない。だが、誰がやられたと確認する余裕も無い。
明秦もまた同様だった。箭楼から放たれる矢を避けながら、
明秦を定めて投げられた標槍を間一髪のところで体を倒して躱しながら急速に接近する。次の標槍を準備する間に距離を詰めた
りつは剣の柄を握り締め、歯を食い縛った。横一線、天馬の体躯へ深く滑らせた手が肉を断つ感覚を得る。
(まずは一騎…!!)
悲鳴と怒号が飛び交う喧騒の中、
明秦は馬首を巡らせた。箭楼の周囲を飛び交い、次々と空行師を討ち取る様は兵の手腕と士気の高さを物語る。
ふと箭楼へ視線を向ける。祥瓊が吉量の手綱を振るい、その後部で桓魋が槍を奮い見事空行師を天馬から引き薙ぎ落としていた。行く手を阻む者が失せ、箭楼に立て回されていた戦棚の一枚へ突撃していく。おそらく殊恩党へ説明の為だろう。派手に飛散する戦棚の間に突入する二人を見届けてから、残存する空行師へ方向を転換した。
天馬の後方から駆け、振り返った男の頸目掛けて勢い良く剣を振り抜く。すれ違い様に聞こえた断末魔は聞こえないふりをして。
真横から標槍を打ち込まれ、身体を倒すことで間一髪躱した。そのまま突撃して振り薙がれた兵の槍を弾き上げる。空かさず脇腹へ剣を突き入れ、体勢を崩した兵が落馬していった。主を喪った天馬が困惑したように空を彷徨う横を、鹿蜀がすり抜けていく。
残りの敵騎を見渡したところで、
明秦は思わず手綱を手前へと引いた。あれだけ殊恩党を圧し優勢だった空行師が一騎、また一騎と討ち落とされていく。それは偏に近距離での戦闘が標槍では不利、というだけではない。剣術や騎術、加えて経験と士気の高さが現状を生み出している。
(舒栄の乱で聞いていた…麦州師が加勢しただけで戦況が一変した、とはこういう事か…)
上空に響く、空行師の撤退の命。悔し気に、或いは顔を引き攣らせながら箭楼から複数の天馬が遠ざかっていく。
否が応でも納得させられる光景に息を呑む
明秦の右横を、仲間の一騎がすり抜けていく。駆け寄った先には、箭楼の打ち破られた戦棚の間から戦況を見渡す桓魋の姿があった。
「空行師が撤退しましたが、追撃は如何されますか」
「よくやった。だが深追いはするな。拓峰の外まで牽制すれば今は十分だ。後は下にいる連中の支援を頼む」
「承知しました」
「二人とも、行けるか?」
「勿論だ」
「分かったわ」
桓魋の指示に祥瓊と
明秦は其々首肯すると、すぐに下降の為に体勢を変える。下方に見えたのは、郷城の四方より雪崩れ込む群衆。空行師との戦闘で目を向ける余裕も無かったために、足元から響く喧騒の先にようやく目を向ける事ができた。その圧倒的な数に思わず息を呑む。
全員、もしくは殆どが身を潜めていた麦州師なのだろう。郷城に残る兵との圧倒的な数の差を眼前に、果たして本当に支援が必要なのだろうかと一瞬疑問が脳裏を掠める。
ふと、一度だけ上空へ視線を放った。
薄明の空に広がる白い斜光。夜明けの下では歓喜の声が波のように広がっていく。
◆ ◇ ◆
郷城に向かい構えていた少数の州師は、四門に押し寄せてきた群衆を前にして早々に投降の意を示しざるを得なかった。あっという間に兵は拘束され、空行師が撤退したことで随所から――特に敗走を覚悟していた殊恩党の者達は一入――歓声が沸き起こった。
城内の歓声が一先ず落ち着くと、標槍に射貫かれ事切れた仲間の亡骸を運び出し、負傷者の手当てを施し、残り数日間の籠城を成す為の話し合いが行われる等、再び慌ただしさを取り戻していく。
州師は遅くとも明後日には到着する。その対策を講じる為に各々が動き出し、
明秦もまた鹿蜀を厩舎へ連れていくよう玉叡に手綱を渡すと人波の中で負傷者の手当てに加わっていた。
暫く経つと包帯の数が少ない事に気付き主楼の奥へと駆け込んでいく。
不足した包帯を補う為に堂や房室に置かれていた袍や羅衫等を片っ端から引っ張り出していった。郷長が私腹を肥やしていただけに、容易に集まったそれらを両腕一杯に抱えて主楼を出る。
途中で見かけた厨房も複数人が出入りしている姿が見受けられる。郷城の中も外も未だに戦場だったが、忙しない人波に垣間見る表情や声音は明るかった。
(州師が到着するのは明後日……それまでは多少気を緩めていないと、保たないな)
州師の到着から三日間の籠城。それを乗り切れば明郭からの報告が来るだろう。その後は―――
「お兄さん」
ふと、
明秦の思考が不意に霧散する。
主楼を出て間も無く掛けられた声には聞き覚えがあった。自然と足を止め、声の方へ顔を向ける。そこには確かに見覚えのある少年が
明秦を見詰めていた。
「夕暉…?」
「見間違いじゃなかったんだね…無事で良かった。箭楼から空行師とやり合ってる姿が見えたから」
「夕暉こそ、よく無事で…。合流出来て良かった」
「うん。それ、手当て用の?持つの手伝うよ」
夕暉は
明秦の片腕から袍を受け取ると、並んで歩き出した。
「まさかここで会えるとは思わなかった。旅人だと聞いていたから、てっきり慶国から出ているんだとばかり」
「ちょっとした縁があって、彼らのところで機会を窺っていたよ」
「なるほど。…でも、鈴は知っている?」
「鈴?…ああ、そうだった」
明秦は思わず目を丸くしたが、すぐに失念していた事に気が付いた。
彼女が此処に居る。それは祥瓊から得た情報で知ってはいたが、逆に彼女は
明秦が此処に来た事を知らない。伝える機会も無かったのだけれども。
「…鈴は、殊恩党に入ったのか」
「うん。お兄さんと別れてから日はそれほど経っていなかったと思う」
「なるほど。私の忠告は聞かなかった、という事だね」
「忠告?」
「昇絋を討つなんて事は考えないように、という忠告」
これに夕暉の返答は無かったが、浮かべた微苦笑が心中を――或いは実状を物語る。
明秦もまた溜息をそっと零しながらも、彼らの力になっているのならば今は良いのかもしれない、と思い直す事にした。
一度夕暉と別れた
明秦は袍を裂いて負傷者に使用する包帯の代替を作り終えると、手当てを施す者達へ全て渡した。存外標槍による負傷者は少ない。…空行師の腕が良かったのだと、城内の隅に羅列する布包みを一瞥して、思わず下唇を噛んだ。
明後日から三日間は空行師の襲撃時よりも遥かに上回る犠牲者が出る。…否、三日間で済むならまだ良いのかもしれない。もし明郭での決起が失敗した場合、最悪は。
下りかけた思考を掻き消そうと軽く頭を振る。すぐさま鹿蜀の世話を思い出し、思考を切り替え厩舎へ足を向けようとした――その背後から。
「
明秦」
視線を送らずとも分かる、声の主。
だからこそ足を止めた
明秦の胸に、嘗ての感情が去来する。
◇ ◆ ◇
2.
背後から名を呼ばれて不意に足を止めてしまった事を、今更ながら後悔した。
一体どんな顔をして振り返るべきなのだろう。
脳裏に甦る嘗て拓峰で過ごした日々の記憶。それに伴って胸の底から湧き上がる感情。あの時彼女は拓峰には戻らないと言った。なのに結局忠告を無視してこんな危険な場所へ身を投じている。
嘘を吐かれた、という苛立ちを覚えた反面、芽生えたのは自分も嘗て鈴と同様の事をしたのだという自覚だった。東から帰ってきた
明秦を迎えた際、李偃もきっと同じ感情を覚えたに違いない。今の鈴の立場と嘗ての自分の立場。どこが違うのだろう。
自身の行動を棚に上げて鈴に怒りを向ける事もできるだろう。…だが、
明秦はそこまで狡猾な事をする気にはなれなかった。
「
明秦」
違う声の主に呼ばれて、
明秦は今度こそ徐に振り返る。彼女を見詰める者の人数が二人だけではなかった事に内心驚きはしたが、一先ず二度目に声を掛けてきた少女―――明郭から共に行動を共にしてきた者へ視線を向けた。
「何かあったのか、祥瓊」
「あなたの知り合いを連れてきたの」
そう、祥瓊が視線を転じた先。不安げな双眸で佇む黒髪の少女は、真っ直ぐに
明秦を見詰めている。流石に目を逸らす訳にもいかず、
明秦が視線を搗ち合わせると、少女は切り出す言葉に迷うかのように声なく薄い開口をしていた。
「……鈴…」
「…久しぶり。…以前は、ごめんなさい」
鈴から出た言葉を耳にして、
明秦は瞠目した。別れたあの時のままであれば、此処まで追いかけてきた事への非難の一つでもあった筈である。だが開口一番に謝罪が聞けるなど思いもせず、よくよく見れば最後に会ったあの頃の鈴と比べて雰囲気も面持ちも違っているように見える。
「あの時、私の事を考えて拓峰から出るように言ってくれたのに…忠告を無視する形になってしまって、ごめんなさい」
「…それだけ、昇絋が憎かったのか」
鈴ははっきりと頷く。以前は意志が強いとは言い難かった彼女がここまで明確に意思を表すのも驚きであったし、以前にあった意固地も見受けられない。その変化ぶりは、
明秦が以前の彼女に覚えていた印象を徐々に変化させていく。
「あの子の復讐の為に此処へ?」
「最初はそうだったわ。勿論、今だってその気持ちは消えていない」
けど、と。鈴は緩く頭を振る。
「清秀はきっと復讐なんて望まない。だけど…昇絋を何とかしないと、また同じような犠牲者が増えるから」
「…皆で何とかしたいんだね」
これにも鈴は力強い首肯を見せる。現にこの内乱に身を投じるほどの覚悟があるのだ、中途半端な意志ではない事は十分に察する事ができた。
それならば、追究など野暮というもの。
「…お願い、
明秦。あなたも力を貸して」
「もちろん。その為に来たんだから」
「ありがとう。…でも
明秦。あなたはどうして?」
「私も拓峰や明郭には、色々と思うところがあったからね」
七割一身。轢かれた少年。見て見ぬふりをする住民。豺虎に怯えた町。磔の刑。私利私欲の為に犠牲となる人々。この和州には、あまりにも問題が山積している。長く留まらずとも十分に見聞できるそれは目に余り過ぎる。……それらを、胎果の王が果たしてどこまで掬い上げる事ができるのか―――。
思考を巡らせながら、そう、と呟いた鈴の心なしか安堵した表情を見返した
明秦はしかし、ふともう一人、祥瓊と鈴の後方に佇む緋色を認めて瞠目した。
その容姿には、確かに見覚えがある。
――そう、確か明郭の閑地で。
「…後ろにいるのは…」
ああ、と祥瓊と鈴が振り返る。陽子、と二人に呼ばれた少年は喧騒に向けていた目を眼前へ戻して歩み寄る。その先に立つ黒緑の髪をした青年を認めた刹那、数度瞬いた。
「あなたは…」
「…あれ…?」
「え?もしかして、知り合い?」
「明郭で会ったんだ。…まさか、殊恩党の人だったとは」
「陽子だ。あの時は手を貸してくれて助かった。ありがとう」
「私は
明秦。無事でいて良かった」
思わぬ再会に
明秦は顔を綻ばせる。三度目の邂逅にしてようやく字を聞く事ができた。それは陽子も同様であったが、反面、以前に明郭の閑地で会った際の言葉が胸に閊える。海客――容姿からして、胎果なのだと。
「不思議ね。みんな縁があったなんて」
「本当に。…そうだ、
明秦は何処かに向かうつもりだったの?」
「ああ、自分の騎獣を見にいくつもりだったよ」
「そういえば、騎獣の事を大切にしてるわよね。騎獣が好きなの?」
「いや、そういう訳では無いのだけど…理由があってね」
へえ、と鈴は呟く。考えるように俯き、ややあって顔を上げると、三者の顔を其々に見た。
「じゃあ、厩舎に寄った後、見張りに行かない?城壁を一周して」
◆ ◇ ◆
四人が厩舎へ足を運ぶと、多くの騎獣で馬房が埋まっていた。騎獣の世話の為に往来する人があって、馬房の中にも世話をする者がいる。桓魋や祥瓊が騎乗していた吉量の前を通り過ぎ、とある一角の前で
明秦は足を止める。主の存在に気付いたのだろう、騎獣が飼葉を食むのを止めて面を上げていた。
「初めて見る騎獣だな」
「鹿蜀という。一国なら二日と少しで横断できる。頼りになる存在だよ」
明秦は馬房柵の間を跨ぎ屈んで潜り抜ける。鹿蜀の体躯に異変が見られないか目視し、最後に鼻面を擦ると双眸を僅かに細めた。次いで一度外した鞍に不具合が無いか確認したところで、鈴が馬房を覗き込んだ。
「今まで言わなかったけど…その歳で傭兵をして騎獣を買うって、もしかして
明秦、すごい傭兵なの?」
「ああ、いや…違うんだ」
「違う?」
「買ったんじゃない。貰ったんだ」
え、と馬房の外から声が上がる。その反応は無理もない、と
明秦は思う。騎獣は高価だ。容易く譲渡を決められるような代物ではない。
「貰ったって…雇い主にそんなに太っ腹な人がいたの?」
信じられない、と顔を見合わせる三者の反応に
明秦は苦笑する。明郭では多くの騎獣がいたために、騎獣を所有する事自体に違和感を抱かれなかったのかもしれなかった。
それに、と。
最後になるのなら、話すのは構わないのかもしれない。確証は無かったが、馬房前の三人に話しても大した支障にはならないだろう。
思い、点検を終えた鞍をそっと置いて立ち上がった
明秦は、鹿蜀に並び立つと鬣を指でゆっくりと梳いていく。
「舒栄の乱は三人とも知っている?」
「ええ。確か昨年に立った偽王を、新王が雁の力を借りて討ったという…」
「私はその乱に参戦していたんだ。延王の招集を受けて」
「延王…」
驚愕の滲む呟きがぽつりと聞こえて、
明秦は馬房の外へ目を向ける。驚くのも無理はないが、意外だったのは祥瓊と鈴よりもずっと驚愕を面に湛えた陽子の様子だった。
「まさか、王師の中に…」
「いいや、私は各州候の説得に回る者達の護衛を務めていた」
そこで
明秦の口が留まる。確か桓魋は未だ身分を明かしていない筈だ。であれば出会った経緯は口が裂けても言えない、と喉まで出かけた言葉を一度飲み込む。
「その報酬として賜ったのが鹿蜀だ。大事にする理由は分かっただろう?」
「待って
明秦。…という事は、景王とも面識があるんじゃないの?」
「急遽組み込まれたから、拝謁の時間が無かったんだ」
祥瓊の問いに緩く頭を振って、
明秦は馬房から潜り出る。…そういえば、あの時も猶予は一晩だった。夜にたった一人清香殿の広い客房で延麒と報酬について話をした記憶がふと脳裏に甦る。当時、景王についても話が出たが、同時に去来するのは、少しばかりの後悔。
「それと…同じ年頃の子だと聞いて、会ってみたい気持ちはあったかな」
同年代で一国の王となった胎果。その情報だけでも多大な苦労は想像に難くない。別段何かを話したい訳ではなかったけれども、乱の前に謁見が叶えば少しばかり心持ちが変わっていただろうか。
去年の夏、目まぐるしい環境の変化と共に過ぎた日々を思い出しながら、適当に放っていた視線を三者へ戻した
明秦は、しかし。
顔を見合わせてくすりと笑う鈴と祥瓊の様子に、思わず陽子と視線を合わせて首を傾げた。
「
明秦はいるか」
ふと、足音と共に呼ぶ声がして
明秦は上体を傾けて陽子の後方を確認する。突然人影から顔が出てきたためか、少しばかり瞠目した桓魋と目が合い、僅かに苦笑した。
現状、司令塔の一人である男が迎えに来た、その理由を察して
明秦は三者を見る。
「先に歩墻へ行ってて。終わったら私も行くから」
「分かったわ」
じゃあまた後で、と歩墻への途を歩き出す鈴達の後ろ姿を見送る。角を曲がり姿が見えなくなるのを確認し、改めて桓魋の方へ向き直った。
「どうしたの」
「州師の迎撃についての話だ。虎嘯達にも今話をしてきたところなんだが」
「ああ、なるほど」
この状況下で空行師が出てこない筈が無い。だが、こちらも迎撃できる騎数は限られている。いくら元麦州師の練度が高いとはいえ少数では抑えるのが関の山だった。
「…厳しいな」
「分かっていた事ではあるがな。わるいが
明秦にも州師を迎え討ってもらう事になった。情報が入り次第、東側――青龍門付近の上空から迎撃を頼む」
「分かった。他には何をすればいい?」
「とにかく州師が来るまでに備えてくれると助かる。…腕の傷の事もあるからな」
桓魋は
明秦の片腕を一瞥する。空行師との交戦後に傷が開かなかったからといって、次の戦いで開かない保証は無い。
彼の懸念は尤もだと、
明秦は苦笑を浮かべる。
「一応、気を付けるよ」
「ああ。だが――頼りにはしてるぞ」
人手が限りある今、貴重な戦力なのだから、と。
頷いた
明秦の前で、桓魋は踵を返した。その姿を追って歩き出すと、穏やかな城内を避けるようにして、敵楼の中へと足を踏み入れた。
採光の限られた敵楼内、その薄暗がりを見渡した
明秦の耳に、慎重な声が届く。
「……この状況をどう思う?」
「…どう、とは」
「州師の到着まで推定二日。それまでに動きが無いとは思えん」
無人を確認した桓魋が切り出した話に、ああ、と
明秦は納得する。人の耳が大勢ある中でこんな話を切り出せる筈も無い。…特に、先ずは一山超えた殊恩党の前では。
「攻めてくる可能性は十分ある、と思う。疲弊したところへ州師が追い討ちをかけてくる算段なら最悪だ」
「かといってこちらは籠城戦だからな…打って出るにしても限界がある」
うん、と
明秦は首肯する。…かつて唐州にいた頃、師帥から叩き込まれた知識を掘り起こしながら。当時は戦術など自身には不要な知識だと思っていただけに、深く掘り差が無かったのが惜しく思う。
「麦…いや、以前いたところで夜戦は経験ある?」
「いや、無いな。――、流石に夜に打って出るのは無理があるぞ。俺達だけならまだしも」
「いや、そちらではなくて」
「うん?」
首を僅かに傾げた桓魋へ、返答を告げる
明秦の声音が僅かに落ちた。
「州師が来るまでの間に、できるだけこちらの戦力を削るという目的であれば、夜に攻めてくるのではないかと」
告げながら気に掛かったのは、拓峰へ到着した折に目にした門闕だった。
嘗ての豺虎が見栄を張りたいが為に民の血税を用いて建てられた、九丈にも及ぶ門闕の豪奢な装飾。襲撃する者達にとっては敵の視界から逃れる為には好都合だが、籠城戦を強いられる者達にはただの障害物にしか成り得ない。
…夜の籠城戦ほど不利なものはない。
「…陽が暮れたら見張りを強化するよう伝えておく。お前も念の為備えておいてくれると助かる」
「分かった」
思案するように僅かに俯いた後、表情を僅かに硬くして、桓魋は敵楼の階段を上がっていく。薄暗い中を上がっていく姿を見送ってから、
明秦は敵楼を出た。
歩墻へ向かって城内を歩く。穏やかな空気が流れている様子を目にすれば、錯覚を受けそうになる。明日もまたこんな平穏が続くのだと。あの背中を無事に見られるのだと。
…そんな可能性は、絶対に有り得ないのだけれども。
人の間を縫うようにして歩きながら、拳を握る。
…全滅は必至。
その先に王が知るか否かは運次第。
◇ ◆ ◇
3.
「ああ、ここに居たのかい」
歩墻へ上がる手前、人混みの中から掛けられた声に
明秦は後方へ半身を捻る。人波の間を縫うようにして近付いてきた声の主は、安堵したように表情を緩めた。
「玉叡」
「用事は済んだようだね」
「ああ。祥瓊達に誘われたから、これから歩墻に上がろうかと思って」
明秦は同行に誘うも、彼女はいや、と頭を振る。この後も準備があるのだという。しかしながら歩墻の入口までは付き合ってくれるという玉叡と共に祥瓊達が待っているであろう歩墻に足を向けた。
「
明秦」
「うん?」
「逃げるなら、今夜が最後の機会だよ」
耳元で囁かれた言葉に、
明秦はぴくりと肩を揺らす。眼前には歩墻の入口。人波から外れたそこに聞き耳を立てる者は無く、真意を酌み兼ねて眉根を寄せた。
「正直、私も将軍達も生き残る事は考えちゃいない。ただでさえ拓峰の異様な広さの冢墓を三倍以上に広げる覚悟で臨んでる。成功の可能性を考えたとしても自分の命なんて初めから勘定に入れてない。全滅じゃないと王には伝わらないって考えの奴らもいるぐらいだからね。…けど、余所者のあんたは巻き込まれたようなものだから」
拓峰にさえ足を運ばなければ、此処にはいなかっただろう。その考えは
明秦にも理解できる。確かにその通りだと。
だが、と。
明秦は緩く首を横に振る。
「でも、最後まで参戦すると決めたのは私だ」
「それでもね…私としては、やっぱり生き残って欲しいと考えるし、若者が命を落とすのは忍びない。…こんなところまで来てから言うのは卑怯だって分かってる。でも、私はあんたに死んでほしくないんだよ」
それだけは分かって欲しい。
玉叡の訴えに込められた願いは切実だった。この厳しい戦局で、皆此処で命を擲つ覚悟で身を投じて、果たして一体何人が生き残るのか。…おそらく、皆にそれを問うたところで、首を横に振るだろう。
(…全滅を以てしても、王に…か)
全滅ともなれば流石に胎果の王の耳にも届くだろう。その思考を抱きながらも、城内の者達は明るく振舞っている。お陰で不穏な空気は微塵もない。…党の舵を取る者達の集う場以外は。
「…みんな、死ぬのは怖いよね」
「もちろんそうさ。だからこそ、これだけ賑わっているんだよ。…みんな、平常を装おうとしてる」
「…うん」
先が見えない不安を取り除こうとする喧噪。それが途端にひどく切ないものに聞こえた。
でもね、と玉叡の声音が僅かに落ちる。
「自分が死ぬよりも怖くて辛いのは、目の前で家族が殺されるのを見る事だ。…殊恩党の連中はそれを味わってるからこそ、今を踏ん張ろうとしてるんだろう」
「…七割一身か」
うん、と玉叡は首肯する。郷城の外に残る拓峰の民もまた七割一身を味わっている者は少なくない。だからこそ、二度と味わうことの無いよう願いながら身を潜めている者達が多いのも事実だった。
ふと、
明秦は疑問を抱いて傍らを見上げる。
「…そういえば、玉叡は麦州の人?」
いや、と玉叡は頭を振る。
「生まれは拓峰なんだよ。それが嫌で許配に頼んで、麦州に移ったんだ」
――許配。
他の州へ移住するために結婚相手を紹介してもらい、移住が住めば別れる。その仲介役の事であったと
明秦は記憶している。当時は利紹より教えてもらったが、蓬莱――日本との文化の違いに衝撃を受けたのを覚えている。
「じゃあ、若い時に移ったのか」
「いや。実は数年前まではここに居たよ。最初の旦那は七割一身で連れていかれた」
「え……」
「その後、許配に頼んで麦州に移ることが出来た…なのにすぐ後だったよ。女王が、国中の女共を国外追放したのは」
そう、淡々と話す玉叡に
明秦は絶句する。彼女は桓魋や凱之達と同様、元麦州師だと思い込んでいた。故に逃そうとする彼女の言葉に疑問を覚えていた節もあった。…だが、彼女が打ち明けてくれた事情を聞けば、道理で、と納得せざるを得ない。
「いいかい、
明秦。残るなら、これだけは忘れちゃだめだよ」
真剣な玉叡の声が耳に刺さる。
「乱が始まったら、絶対に手も足も止めちゃいけないよ。たとえ隣で仲間が死んでいってもね」
生き残るために。
そう、小さく呟いて城内に湧く賑やかな声の方へ振り返った玉叡の横顔は、険しくもどこか寂しげに見えた。
「…ごめん、玉叡」
「うん?」
「それでも私は此処に残る。今逃げ出したら、生涯後悔すると思うから」
桓魋や祥瓊達を置いて逃げ出した後悔。 彼らを見殺しにする罪悪感。そんな思いを生涯抱えて生きていけるだろうか。そう考えて、
明秦は即座に首を横に振った。とうに覚悟は出来ている。彼らと共に声を上げ、生き残るために奔走するのだと。
剣の柄頭へ乗せた手を結んで、無意識に力が篭もる。表情を引締める仲間の姿を見た玉叡は、微かな笑みと共に小さくため息をついた。
「あんたは優しすぎるんだよ。……優しすぎる奴は、長生きしない。もっと自分本位で生きていいんだよ」
◆ ◇ ◆
歩墻へ続く階段の手前で玉叡に呼び留められた
明秦は、幾分か言葉を交わして別れた。
等間隔に採光の為の窓があるとはいえ、階段の足元は薄暗い。足元に気を付けながら上り、歩墻へ出ると、吹き抜ける冷たい風にひとつ身震いする。穏やかな声の上がる城内を一瞥し、次いで城外へ目を向ければ雰囲気は一転、人の動きなどほぼ無いに等しい閑散とした拓峰の町並みが一望できた。
――これが現実だ。
拓峰の住民は動かない。
ならば、此処にいる兵力で籠城戦を行うしかない。
覚悟と共に身を引き締める。携えている剣の柄に手を置く事が癖になってしまったのはいつからだっただろうか。
些細な疑問を浮かべながら柄頭を握り締めた
明秦の耳にふと、小さな笑い声が聞こえて視線を遠くへ飛ばした。
歩墻に人影はない。……彼女達を除いては。
「遅くなってごめん」
「あ、
明秦」
鈴は襟足で括った長い黒髪を揺らして振り返る。少女の目元が心做しか赤くなっているのは気の所為だろうかと内心首を傾げながらも、
明秦は三者の元へ歩み寄った。
「桓魋と何を話していたの?」
「次の対策を少し。……拓峰の住民に動きはないのか」
「ええ、残念ながら」
祥瓊が僅かに肩を落としながら城外――拓峰の町並みへ目を向ける。拓峰の住民が殊恩党に続いて声を上げる事を期待していたが、現実は眼前の光景が全て。住民は恐れたまま、動きはごく些少。長年に渡り豺虎に虐げられてきた恐怖はそう簡単に克服など出来ないのだと思い知らされる。
城外へ向けた
明秦の表情が険しくなる。その傍らから不意に声が投げかけられた。
「ねぇ
明秦。この乱で王の耳に届くと思う?」
「ちょっと鈴、」
「届くと思う。…そう、強く願ってるよ」
祥瓊が諌める声も聞きながら、
明秦は深く頷いた。…届かなければ拓峰の住民や殊恩党、元麦州師の者達が擲つ命が無駄になる。それだけは駄目だと、瑛州が在るであろう方向へ双眸を向けて。
「――だって、陽子」
「え?」
「…そうね。
明秦には、伝えておいた方がいいわね」
鈴と祥瓊が赤髪の少年を振り返る。意味を汲み兼ねて怪訝そうに首を傾げた
明秦の視線は、翡翠を思わせる少年の双眸へ。
「
明秦。昨年の乱では私の友達を護ってくれてありがとう。お陰で楽俊が怪我をせずに済んだ」
「―――」
――昨年の乱。楽俊。
二つの単語から導き出せる答えは一つしかない。答えに行き着くことは容易であったが、現実を受け止めるまでに時間がかかった。
ゆるゆると、驚愕が訪れる。
「…景王?陽子が?」
「ああ」
同じ年頃の、胎果の王。緋色の髪。翠の双眸。拓峰でも明郭でも気付くはずが無かった。こんな所に――下界に王がいるはずがないと思い込んでいたが故に。
陽子を無言で見つめる
明秦の様子は、瞬きをひとつ。予想と異なる反応に、祥瓊は思わず彼女の顔を覗き込む。
「…驚かないのね?」
「いや、充分驚いてるよ。ただ、納得の方が強くて」
「納得?」
「陽子と明郭で会った時、見なかった事にしてほしいと頼んだあれの正体がようやく分かったから」
「……ああ、なるほど」
嘗て明郭の郊外で交わしたやりとりを思い出して、陽子は苦笑を浮かべた。そういえば、彼女には指令の姿を目撃された事への口止めをしていたのだったと。
覚悟を改めた
明秦の眼前に現れた思わぬ希望。その事実を受け止め始めた
明秦の胸にはしかし――驚愕と共にもう一つの感情が去来してくる。今まで潰し続けてきた想い。これまでに延王や延麒との謁見では浮かぶことの無かった、一つの疑問。
彼女は、今も帰りたい気持ちはあるのだろうか。
「…」
「
明秦…?」
「……いや。なんでもない」
明秦はゆるりと頭を振る。今はそんな事を考えている場合ではない。事態が好転する希望が見えたのだから。
そう、揺らいだ感情を胸の奥に押し込めると、見回りの為に彼女達と共に歩き出すのだった。
◇ ◆ ◇
日没を迎えて夜陰が満ちれば、間隔を開けて設けられた篝火が煌々と焚かれる。時折墻壁に沿って吹き上げてくる風に揺らめいて、薪の小さく爆ぜる音が微かに聞こえた。見回りの為に歩墻を歩く男達の影が風に合わせて揺れる様を、
明秦は敵楼の入口から漠然と眺めていた。
仮眠のために箭楼の片隅に横たわっていたのだが、誰かの咳で目が覚めて以降眠れなくなってしまった。それで仕方なく箭楼から抜け出し敵楼で見張りをする者と交代したのだが、生憎元郷長の虚栄によって九丈という高さにまで達した門闕の所為で灯りが地上まで届かず、動きを目視で捉えるには困難なほどに闇夜が広がっていた。故に敵楼の役目は敵が夜襲の為に梯子を掛ける動きが無いかを見張る程度だった。
歩墻や城外に目を配らせていた
明秦はしかし、ふと足音がして一度門闕の方へ向けた視線を引き戻した。歩墻を進み近付いてくるそれは通過するものだと思い込んでいたが、敵楼の前でぴたりと留まる。
「眠れないのか」
篝火に照らされる鮮やかな緋色。翡翠を思わせる穏やかな双眸。少年のような口調と声音を耳にして、
明秦は一瞬瞠目する。
「陽子……貴方も?」
「いや、
明秦の姿が見当たらなかったからどうしたのかと」
「それは、ごめん。悪い事をした」
堂から抜け出した事に気付かれていたとは思いもせず、眉尻を下げた
明秦に、陽子は軽く頭を横に振ると敵楼に足を踏み入れた。
歩墻を抜ける足音はあるが、敵楼に近付く気配は無い。城外の、薄暗い闇を見詰める
明秦と陽子の間に暫しの沈黙が落ちる。
先にぽつりと言葉を溢したのは
明秦だった。
「…実感が無くて」
「実感?」
「死ぬ覚悟を決めたのに、助かるかもしれない希望が急に現れて、実感がない」
「その希望とやらに実感はしない方が良いと思う。…全員が助かる訳じゃない」
「…確かに」
届くようにと願っていた声は既に届いていた。故に全滅する覚悟は少しばかり和らいだ。…だからこそ、これからは生き延びる為の――王を導く為の戦いをしなければならない。少なくとも王を死なせる訳にはいかないと考えたのも束の間、指令の存在を思い出せばその心配も不要なのかもしれない、とも思う。
「でも、私に畏まらないでいてくれるのはとても助かる」
「それは…隣国の王のお陰かと」
「延王か」
陽子は思わず苦笑する。その横顔を一瞥した
明秦は、景王が本当に同じ年頃の女性だったのだと今更ながら実感した。
…鈴は景王に会う為に琶山を飛び出し、遠路遥々慶国まで辿り着いた。日中言葉を交わした彼女には嘗ての弱気など微塵も感じられなかった。それは確実に慶国で出会った者達や眼前の王のお陰なのだろう。
(…結局私は、彼女に何もする事ができなかったな)
そもそも、何かしてやれると思った事自体が自惚れだったのかもしれない。他者に何かしらを施せる事による驕り。そんなものは、無駄な自尊心の塊を育てるだけだというのに。結局何の役にも立たない感情を育てていたのだろう。中途半端な事はしてほしくない、と言った利昭の言葉が今になって脳裏に甦ったところでもう遅い。
利紹の懸念が当たってしまったと、そっと肩を落とした明秦の口からは小さな溜息が零れた。
「鈴から、
明秦も胎果だと聞いた。どうして拓峰に…?」
「……最初は鈴を追って来たんだ。でも、拓峰であんな事に遭遇して、明郭で磔刑を目撃して……こんな状態の国に見て見ぬふりをして出ていくのは、できなかった」
尤も、一人で足掻いたところで何かできる訳でもなかった。凱之が声を掛けてくれていなければ未だ中途半端なままだったかもしれない。そう考えると、凱之や桓魋には感謝しかなかった。
「ありがとう」
傍から届いた言葉に
明秦は目を瞬かせる。聞き間違いなどではない感謝の意思。青鈍の双眸を向けた先には、ぶれる事の無い王の眼差しがあった。
「胎果なのに…争いの無い国で生まれたのに、こんな慶国の現状に立ち向かおうとしてくれている事には感謝しかない」
「あ…ああ」
「でも、
明秦の剣の腕前は明郭の郊外で見ているから、頼りにしている」
「ああ」
「…どうした?」
「…いや…王が、何度も感謝を口にするのが意外だなと」
困惑を露わにする
明秦を前に、陽子は怪訝そうな表情で首を傾げる。
「王であろうと無かろうと私は私だ。感謝したら礼を言うのは人として当然だと私は思っている」
「…確かに。そうだね」
明秦はややあって小さく頷いた。
驕らない心。迷いながらも芯を貫こうとする意思、その強さが、嘗て起きた乱の折に友人から聞き及んだ話と重なる。眼前の王は友人が言っていた通りの人物だった。
――そんな王の助けになるのならば、この乱に参戦する価値は十二分にあるのだろう。
「…でも陽子、一つ訂正させて」
「なんだ?」
「武力ではない争いなら、学校にも家庭にもあった。平和なんかじゃなかったよ」
蓬莱での生活。そこには一目瞭然の争いよりも、目に見えない争いの方が断然多かった。
そう、微かに苦笑を浮かべる
明秦の訂正に、陽子もまた嘗ての日々を顧みたのだろう。視線をそっと城外へ向けた翡翠の双眸に微かな憂いが滲む。
「――それは、私も同じだったな」