「で、何処へ向かうんだ」
「今さっき話したばかりだぜおい」
軍議に耳を傾けていなかった事実を自白してしまった者は暫し硬直の後、あ、と一つ声を上げるのだった。
く-上
「明智?」
見渡す限りに広がる雪景色の中、馬の手綱を手繰りつつ頭部へ巻いていた風避けの布を被り直しながら、小十郎と並走する
涼は先日対峙した銀髪の鎌男を脳裏に過ぎらせた。陸奥へ赴く理由を問うた矢先に挙げられた名と姿を一致させた
涼は軽く頷き、続けられる小十郎の返答に耳を傾ける。
「動向が気になってな。奴の襲撃から然程の間も経たずにこの暴動だ。関連性も無く杞憂で終われば幸いだが……」
「そんな時に城を空けるのか」
それは些か不用心ではないのか。そう問いかけようとしたところで、先頭を走る政宗の馬が速度を落とし始めた様子に気付いた
涼が馬を僅かに小十郎側へ寄せた。それに合わせて減速し後退する政宗の馬は
涼の隣へ並ぶと速度を保ち始める。どうやら、彼の後方で交わしていた会話は聞こえていたらしかった。
「明智の口車に乗せられたとしても、それで民が立ち上がるのなら元々不満があったという事になる」
「ああ、」
「民の声を聞く事は国主として当然の事だが、不満ってのは間接的に聞いたところでどうしても伝えきれねぇ部分があるからな。俺が直接出向いて聞いてやるのが一番早いんだよ」
小十郎の推測に
涼が相槌を一つ打てば、腹心の言葉を継ぐように主が淡々と説明を紡ぐ。彼の手間省きに感心した
涼はしかし、国主とは安直な考えでも案外務まるものなのだと感じ……刹那、否とすぐに感想を胸中から掻き消した。そうして自身の反対側を走る男へと目を向け、彼こそが伊達を支える頭脳である事を察する。……国主を務めるにあたって十九ではどうしても人生経験の不足が浮き彫りとなってしまうのだから、と。
「力で捻じ伏せるのは解決策にならないからな」
「そんなモンは言語道断だ。……明智か、テメェは」
半ば喧嘩腰で返答をする政宗であったが、双龍に挟まれている者は言葉を受け取り何を思ったのか物言いたげな視線を龍ではなく右目へと向ける。彼女の不満渦巻く心中を察した小十郎は思わず苦笑を零し、話の上重ねによって不満を掻き消させる事を試みた。
「城への奇襲は留守を頼んだ奴等が何とか踏ん張ってくれるだろう。俺達も長居するつもりは無いからな」
「……そうか」
簡単に落城はしまい。そう考えつつ雪景色を一望した小十郎であったが、今現在目指している村は一向に姿を現す気配がなかった。地と空の景色が同化してしまいそうなほどに地平線が薄く、実際遠方が霞んでいるのかはっきりとしているのかも解らずにいる。
悪天候に眉を潜めたのは小十郎だけではなく、再度政宗へ顔を向けた
涼がその名を口にする。
「伊達」
「今は敬称を付けろ。You see?」
「―――」
「Shit!嫌そうな顔をするんじゃねぇ!」
あからさまに怪訝の色を窺わせた
涼は無返答。白眼視するその様に思わず文句を叫ぶ政宗は一気に機嫌を急降下させていった。
それから暫らくの間続けられた妙な会話はやがて天候の悪化により数が減少し、遂には途絶えた。曇天は厚く暗くなり、頭上よりはらはらと降り出した白綿も次第に大きさを増していく。さらには向かい風が吹く始末に、風避けの布は用をなさなくなってしまった。
陽は曇天越しに刻一刻と傾斜の様を窺わせる。頭上を振り仰いだ政宗の口元は怪訝気に歪められていた。
「吹雪いてきたな……急ぐぜ」
主の催促に短いながらも返答を告げる小十郎と、軽い首肯を見せる
涼。一軍は緩やかな坂を駆け上がり、その最中に
涼の双眸が遠景を捉えて、垣間見たその光景に自然と声が低く潜められた。面を向けた先には、風除けの布をマフラーのように首へ巻き付けた奥州筆頭へと。
「奥州国主、」
「長ぇな。伊達“様”に縮めろ」
「同い年に様なんぞ付けるか。……話がややこしくなる前に見てみろ、あれ」
政宗の言葉を完全に受け流した
涼が指を差し示した方角にあるのはただの雪景色。降り積もった白綿が敷き詰められた地に一体何があるというのか……。
そこで示された一点へよくよく目を凝らしていた政宗と小十郎の面持ちが、途端に険しくなった。
「―――お前等は此処に残れ。行くぜ小十郎!」
「はっ!」
それは瞬く間よりも短い、ただの一瞬。風の勢いが緩むと同時に一面の雪景色の中で彼らが目にしたものは、門に程近い櫓前に集う群衆の姿であった。
事は既に始められ、政宗の胸中に焦燥が走る。小十郎と複数の兵を引き連れ、尚且つ少女と二名の兵を残し目的地へと急ぐ青年は馬を留めた者との距離をあっという間に開かせた。その背を馬上で見送る事となった
涼は一旦鞍を降りると、そこで初めて雪の地を踏む。足裏に伝わるざくりという感覚が妙に心地好い。
もう一度前方を見やった
涼は、次いで未だ騎乗したままの伊達軍兵士の姿を振り仰いだ。如何にも不良の様相をしたリーゼント頭の兵は政宗に“良直”と呼ばれていた。それからもう一人の恰幅の良い男は“孫”と―――先程脳内に残されたばかりの鮮明な記憶を振り返った
涼は二者を見比べてから、再び村が在るであろう方角を指し示す。
「追わなくて良いのか」
「筆頭に残れと言われちゃあ残るしかねぇだろ」
忠義は厚く、それでも現況に少しばかりの不満を混ぜた声音で返答を零した良直の顔が渋面を作る。“孫”――孫兵衛は示された村の方角と
涼を交互に見比べ、若干落ち着きが無い。どちらもやはり主が気になるのだと二者の意を察した
涼はそっと溜息を落としながら、近場の程よい岩の上へと腰を下ろした。
「追ってくれ。人手は多い方が良いだろうから」
「う……」
「早く。私は帰って来るまで休んでいる」
早々交戦が開始されたのだろう、遠方の喧騒が風に乗じ彼らの耳へと滑り込んできた。一揆の阻止を目的として足を運んだ者達にとっては疎外感を抱かざるを得ず、しかしながら一押しがあり、命を背く事への後ろめたさを覚えながらも休息を取り始めた者へしっかりと断りを入れてから良直と孫兵衛は再び手綱をしたたか振るう。そうして村の方角へ馬を走らせていった二者の姿を
涼は横目で見届けていた。
「―――さて、」
ようやく一人きりとなり、熟考の好機を得た
涼は腕を組むままそっと瞼を落とす。時折風に運ばれてくる喧騒を聞きながら、中途半端となっていた帰還への法則を再度じっくりと思案し始めるのであった。
◇ ◆ ◇
(帰るかどうかは別として、一応帰還への法則は半分書き上げた。もう半分はもう暫く後になりそうだが……)
白綿が肩や膝の上へうっすらと降り積もり、深々と冷える手足も気にせず思案を続けていた
涼は、先日にようやく半分ほど組み上げたばかりの法式を脳内で再生する。喧騒の中で考えるには気が散じどうしようもなく、組み上げるには今後も一人きりの時間を捻出させなければならなかった。
ややこしいと思いつつ吐き出した深い溜息は白い塊となり、すぐに霧散する。緩やかな冷気が足元を通り抜け、頭部へ掛け直したばかりの布は風に解かれはらりと落ちゆく。そこで咄嗟に伸ばした
涼の手は地へ落ちる直前に布を何とか掴み上げ……ふと、視界の端に白ではない物体を捉える。
下げかけた面を元に戻した
涼は双眸を一つ瞬かせ、岩の裏へ張り付くようにして隠れる忍の姿に瞠目した。
(あれは―――かすがか)
時折流れ込む風が彼女の長い金髪を揺らす。目立つ髪色から仕事への支障を考え首を捻りつつ、刹那右眼が白と金以外のさらなる色彩を捉えた。
橙―――それは歪を表す色彩であり、否応なく視界の端に入るそれが熟考の妨げとなる事は明白。……ともなれば、除かねばなるまい。
すっと立ち上がった
涼は風除けの布を先程の政宗に倣い首へ巻きつけながら、ざくりざくりと雪を踏み締めていく。風向きにより届けられる喧騒を聞きつつも、遠慮なく声を張り上げた。
「おい、そこの腕!」
「!?」
まともな声の掛けられ方ではなかったが、それでも隠れていた岩の間からそっと顔を出したかすがはぎょっとする。まっすぐに歩み来る者は帯刀こそ無いものの伊達軍兵士の纏う陣羽織を肩に掛けていた。張り上げられた声に苛立ちは有ろうとも殺気は無く、苦無を片手に携えるまま様子を見る事にしたかすがの目前で、
涼がぴたりと立ち止まった。そうして真直ぐに指を指し示した先は、彼女の右の二の腕へ。
「痛くないのか、それ」
「お前には関係ない」
眉根を寄せるまま歪みある二の腕を注視し続ける
涼に対し、素っ気無い返答をするかすがはさらに警戒心と疑問を強めた。……何故それを知っているのか。外部から察する事の出来る何かが果たしてあっただろうか、と―――。
構え始めたかすがを目前にして、痺れを切らせた
涼の腕がすっと上がる。そのまま伸ばされた手ががっちりと掴んだのは、色彩の元であった。
「な……何だ、」
「下手に動くと捩れるからじっとしてろ」
「―――」
左瞼を落としたまま、右眼の異能を開く。現を映す世から歪の広がる世へと切り替え、その歪みに存在する流れをゆっくりとなぞりゆく。辿り終えた後に色彩は無く、最後にぐり、と音を立てて指を離し、滲む色彩が完全に失せた事を確認し捻転部の補正を終えた。
かすがの腕を解放した
涼は一息を吐き、再度二の腕を指し示す。
「よし、消えた―――じゃあな。仕事も大概にしろよ」
「ま……待てお前!私に何をした!!」
謎の行動を終えるなりくるりと身を反転させた伊達軍兵士らしき人物を慌てて追いかけるかすがが彼女の肩を掴む。ぐいと引き寄せるように振り返らせ、しかし力を籠めていた手が途端に軽くなった。自ら身を反転させた
涼が人差し指を口元へ添え、閉口の催促を言外に告げたのである。
唐突な指示に慌てて言葉を飲み込んだかすがは、次いで潜められた声で述べられた説明に軽く目を見開く。
「独眼龍とその右眼が一揆の鎮圧に来てるから、下手に騒げば聞き付けて来るぞ」
「……!」
知ってはいたものの、その事実を念頭に置き忘れていた者にとっては実に不覚であり、岩の向こうに在るであろう村の方角を覗き見やってから顔を引っ込めたかすがはそっと溜息を落とした。
嘗て画面越しに見ていた露出度の多いくのいちの顔をまじまじと注視していた
涼は、今現在自身が立つこの地がかのゲーム内の日ノ本である事を再認する。同時、忍が居るという事実は安眠を貪れるような世でない事を明白とさせ、“安眠が許されない世の中”というだけで頭を抱えたくなった。
「……ああ、駄目だ。やっぱり帰らないと安心して眠れやしない」
「?一体何の事だ……」
「こっちの話―――だ!」
急に跳ね上がった語尾の発音は無意識に腹へ力を篭めた所為である。そして腹へ力を篭めた理由は彼女の手中にあった。懐より抜いた短刀を大きく振り薙いだのだ。
響く金属音と微かに散る火花。そして雪に覆われた地へ落ちるは苦無。少なくとも目前のくのいちが放ったものではない。来たる方角を察した
涼は、然程の間も経たずに発された犯人の呟きを聞き拾う事となる。
「当てるつもりは無かったんだけど」
「戯言を聞く耳などない」
軽口染みた者の発言をばっさりと斬り捨てた
涼は、短刀を構えると迎撃の体勢を取る。そこで彼女の目前へ降り立ち姿を現した男は自身の身に逆巻いていた風を得物で断ち切りながら、少女の後方に立つ者へと顔を向けた。
「かすが、知り合い?」
「こいつとは今会ったばかりだ。お前こそ何しに来たんだ、佐助」
「いや、ちょっと。……そっちの方は村の者じゃあないだろ、あんた」
「村の者だと言った覚えは無い」
少女を挟んで交わされる忍同士の会話。飛び交うそれを聞き取る
涼は、視界を侵食する迷彩色の忍をじっと見据える。
―――彼の名はかすがが言わずとも知っている。ゲームを強制的にプレイさせた張本人が迷彩忍を溺愛し悶えていたのだから。
「どうでも良いから、早く立ち去れ」
「ちょっと訊ねてから立ち去るよ」
とんとん、と労わるように自身の首を叩いた佐助の双眸が急に細められた。怪訝気に歪められた顔はようやく手前へと落とされ、己が放った苦無を容易く落とした少女に猜疑を掛け、ぽつりと問う。
「あんた、何者?」
たとえ目前の少女が伊達軍の陣羽織を肩へ掛けていようとも、佐助の眼には伊達軍兵士として映る事は無かった。どの国でも女兵士の存在は極稀であり、少なくとも伊達軍に女武士が所属しているという情報を佐助は耳にした事が無い。だが、先程苦無を弾くために短刀を振り薙いだあの腕は確実に素人のものではなかった。
彼女の正体に関心を持ち直接問うた者はしかし、正反対の方角より聞こえた答えにぎょっとする。
「鬼娘だ」
「!伊達……!」
「あらー……来ちまったか、旦那」
雪を蹴る蹄の音が止んだかと思えば、冷徹な声音が三者の耳へ突き刺さる。各々が振り返った先には馬の鞍を降りた蒼穹の姿が在り、今にも抜刀し兼ねない程の警戒心を剥き出しにした奥州国主は侵入者を隻眼に映すや否や眼光を強くした。柄に掛けられた手が刀身をゆっくりと抜きに掛かっている。
「越後と武田の忍が陸奥に何の用だ」
「単なる視察だ。猿飛佐助とは今遭ったばかりで」
「視察を終えたらさっさと立ち去れ」
「あー、はいはい」
気怠そうに頷き適当な返答を口にした佐助と無言のまま辛うじて首肯のように見える頭の縦振りを示したかすが。二者の反応を見比べた
涼は最後に歩み来る政宗の姿を凝視し、そうして青年の動かした人差し指が少女の誘導を開始する。
「
涼、Come on」
機嫌急降下中である奥州筆頭の招きに渋々とながら応じるべく忍二人の間を通り抜けた
涼であったが、政宗の目前へ立ち止まったところで次の指示を受けた。指が次に示した―――彼専用の馬へと。
馬を凝視、それからあからさまに嫌な顔を政宗へ向けた
涼が呟くは、一言。
「乗れと」
「Yes」
「……」
ハーレーの如くハンドルのような棒状の取っ手が着いただけの、手綱無き馬。落馬の予感を拭えないまま政宗によって馬の方角へ引き摺られていく
涼が最後に見たものは、佐助とかすがの苦い顔だった。