外より聞こえる喧騒。物騒な言葉が飛び交い始める大通り。部下の手も借りたのか、ただ一人を捜索する蒼を基とした集団。徘徊する不良のような者達を土壁の影よりこそりと覗き見る
涼はそっと溜息を吐き、次いで後方より聞こえた訝しげな声にぱっと振り返る。
「お前さん……何かやらかしたんじゃあなかろうね」
「少なくとも、人が怒り狂うような事は何も」
ふーん、と軽く頷きながらも店の者の双眸は不審気に細められ、しかしそれ以上の追及もなく放置の形を取られた
涼は一刻も早い退出を決めるのだった。
啼-上
程なくして、表の喧騒は止んだ。この店の一帯に
涼は居ないと判断したのだろう―――遠ざかる複数の足音を聞きながら、茶屋の裏にて身を潜めていた
涼はゆっくりと立ち上がる。城へ同行し確認だけに留まる筈がない。聴取を終えてすんなりと城から出してくれるとは到底思えず、素直に断った結果がこれである。
これでは任意同行ではなく強制連行と化すに違いないと深い溜息を吐き出した
涼は、恐る恐るながら大通りの様子を窺う。うろついていた者達の姿は既に無く、これを好機と見做せば次に移す行動への判断は早かった。
(……さっさと出て行った方が身の為か)
警戒心を抱きながらも大通りへ身を投じるべく数歩を踏み出した
涼の足が、不意にぴたりと止まる。
それまで特定人物を探し回っていたらしき兵の姿は既に無い。だが……何故、通行人までもが居らず大通りが無人となっているのだろう。
異様な光景に目を見張り佇む
涼は、途端後方より聞こえた声に身を振り返らせた。先程彼女に不審な眼差しを向けていた者が店の裏より慌てて駆け出してきたのである。
「お前さん、何処へ行くんだい!」
「町を出ていこうかと」
「出て行くって……さっきの声を聞いただろうに!」
「?」
先程の声、とは果たしてどの声だったか。
首を捻る
涼は問いを投げかけようと開口し、それは対面する者へ向けられる事は無かった。後方より聞こえてきた喧騒に、眉を顰め振り返るまま呟きを発して。
「……何の音だ」
「ちょ、ちょっと!!」
制止を無視し喧騒の方角へと小走りで駆けていく。無意識に脇差へ手を掛けたまま、次第に大きくなる叫び声と金属音を聞きつつもなお足を止めようとしない
涼は、鼻を掠める鉄錆にも似た臭いに思わず顔を顰めた。聴覚と臭覚が捉えたものから安易に予想が着くそれは―――交戦。
(血臭と剣戟―――)
緩み始める箍。次第に引き攣る口端。脇差の柄を握る手に力を篭めつつ人の姿無き大通りを走りきる。やがて町の端へ辿り着き……遠方へ広がる光景に、思わず踏鞴を踏んだ。
町の外は交戦真っ只中。突如現れた戦場の光景に思わず息を呑んだ
涼は遠景を見据え、ふとこちらへ向かい来る数騎の存在に眉根を寄せた。距離を縮めるそれらに、鮮やかな蒼の色彩は一切として無く。
それを奇襲と判断した
涼の右手が脇差を引き抜き、低く構えを取る。刀を携えた騎兵……その数は三。
―――来る。
刀身を下段へ傾け、刹那躊躇無く地を蹴り上げる。左端より一体ずつ狩る事を決めた
涼は弧を描きながら疾走を始め、その速さは地を踏み込む度に加算されていく。一見では魔術による加速に見えず、さらに地を蹴ると同時に左の瞼を落とし、接近する存在へ右眼のみを向けた。
歪なる色彩は、浅葱。そのまま断ち切るべく左端の一騎に狙いを定めた
涼は一気に間合いを詰める。……どうあっても不利な状況を覆すには手早く方を付けるしか無かった。
手綱を引かれ一つ嘶きを上げた馬が体躯の方向を変え、騎乗する兵は懐へ入り込もうとした者へ目掛け刀身を真直ぐに振り下ろした。兵の行動は予測済みであった
涼は一太刀を脇差で器用に受け流すや否や馬の体躯に滲む色彩へ切っ先を奔らせる。翻る鈍色の刀身は、瞬く間に紅を帯びていく。
転倒する馬から慌てて飛び降りた兵の喉元へ脇差を迷い無く振り薙げば、吹き上がる鮮やかな飛沫。それを被らないよう身を反転させ、次いで真横より来たる白刃の煌きを紙一重で躱す。脇差に付着した露を掃う
涼の右眼は次の獲物の色彩を捉え続けていた。
(甲冑が厄介だ―――断ち切るか)
舌打ちと共に二騎目の馬へ向け弧を描く鈍色の切っ先。斬り付ける事は容易いが、一人と二騎の血を吸った脇差は既に切れ味を鈍らせている。それでも落馬した兵の首を掻き、崩れ落ちる音を聞く暇も無く三騎目へと向き直った
涼は血濡れの脇差を男へ向け翳した。
「敵は私じゃなくあっちだろう」
「刃を向けておる時点で貴様も既に敵と同様!伊達に組する者は此処で散れ!」
「―――」
男の叫びと共に、振り下ろされる刃。それを敢えて受け止めた
涼の双眸に灯されるは冷徹。勘違いも甚だしいと、若干怒りを含みつつ刀を打ち払えば一瞬の隙が生じ――――途端、投じられた
涼の一刀は兵の顔面へ。
悲鳴には決して耳を貸さず、彼女が懐より取り出した刀の身は漆黒。切れ味が衰える事の無い得物を大きく振り薙げば二騎同様に馬は呆気なく転倒し、顔面を押さえ地に転がる兵に最後の一太刀をくれた。
「あっちで戦っていれば良かったのに」
彼女の呟きを最期に、男は息絶え動かなくなった。
唐突なる奇襲に急ぎ迎撃の態勢を整えた伊達軍は、見事に劣勢を巻き返し町の防衛に成功した。無論、快勝である。
散り散りとなっていく敵兵を追わず、刀を収めた政宗は己の馬を兵に預けて戦場と化してしまった地を一望しつつ歩き出す。兵数の差による勝利を確信しての奇襲であったが、兵の多くはあえなく散った。大将は政宗が早々に討ち取ったため実に早い終結であった。
統率者さえ落ちてしまえば化すのは烏合の衆。それをつくづく感じる政宗はふと、街の入口付近に落ちている塊を視界の隅に入れる。そこで何気なく足を向け歩み寄った青年の隻眼に、塊の詳細が映り込んだ。
「……小十郎」
呟いた名に即応える者がある。政宗の後方にて控えていた小十郎は主の隣へ並び立ち、彼が見下ろす視線の先を辿り足元へ転がるものを見やった。三体と三騎、その内の一人の顔へ突き立てられた脇差に、小十郎の眉根がぐっと寄せられる。
「これは―――確か、」
「ああ。応戦しやがったな」
見覚えのある脇差は間違いなく町へ潜伏しているであろう者の所持品だった。それを右手で抜き取り露を掃えば、所々刃毀れした刀身が鈍い光を帯びる。刀身に彫られた桜に目を細める政宗の傍らでは、関心にも似た声がぼそりと上げられていた。
「脇差一つでよくもここまで……」
「Little figureだからな。小回りが利くんだろ」
小十郎の呟きに応えつつ近場に落ちていた鞘を拾い上げて脇差の刀身を収めると、一つ溜息を吐き出した。こうも簡単に己の刀を捨て去る事への不満を覚え、同時に違和感を覚える。妙な感覚に頭を僅かに傾げた政宗は、突如遠方より響く部下からの呼び声に半身を振り返らせた。
「筆頭!」
「今行く」
素っ気無く答えつつも部下に招かれた方角へと足早に向かう政宗とその後を追う小十郎はしかし、歩みを進める毎に聞こえてきた金属音と木々の間で散る微かな火花に眉を顰め、足は次第に小走りとなる。遂には疾走となり部下の元へ辿り着いたその先には、思わぬ光景が広がっていた。
◇ ◆ ◇
それは、突如として襲来した。
短刀を片手に持つまま男の顔から脇差を抜き取ろうと身を屈めた
涼はふと、視界の端に映るきらりとしたものへ意識が移る。脇差へ伸ばした手を留め顔を上げた先、遥か遠方にて密集する森林の中で時折尾を引く光があった。
(……なんだ)
戦場はあくまでも町の前に広がる地だけに留められている。では一体何だというのか。
疑問を抱きつつ立ち上がった
涼の顔は今だ険しく、短刀を鞘へ収めるにはまだ早いと判断するや否や軽く地を蹴った。
戦の喧騒を聞きつつ戦場を大きく迂回して森林内へと足を踏み入れた
涼は、次第に近付く光の元を視界へ入れるや否やその場に足を留める。地を踏み締める足元からはじゃり、と小さく鳴った筈の音が反響したような気がして、足を一歩でも前後させる事に酷く躊躇う。鎌の切っ先に吊るされた血塗れの伊達軍兵士を目の当たりにすれば、少なくとも前進する気など誰が起きよう。
ぼたりと地を叩く鮮血の雨。それは止むどころか数を増し、ついには源がどしゃりと鈍い音を立てて血溜まりの中へ落下した。同時、
涼は惨劇を目前に思わず退き下がる。再び砂利を踏み締める音が響くと、獲物に関心を失くした獣が次の目標を捉えるまでに時間はそう掛からなかった。
のろのろと上がる面。垂らしたままの深い銀髪の間から覗く眼がぎょろりと動き、目前に佇む者を視界に入れる。……刹那、薄く血色の悪い唇がにぃと持ち上げられて。
「おや……美味しくなさそうな者が一人」
「私は食糧じゃないんだが」
至極愉快気な声にむっとした
涼は反駁の声を上げ、しかし然程の間もなくゆるりと左右に振られた頭が再び目前に佇む目撃者をしっかりと見据えた。
「いいえ、供物です。信長公への献上物として、ね」
言葉を区切ると同時、足元に伏臥する兵士の首を容易く掻き斬った男の貌が狂喜に満ちゆく。次第に高笑いを響かせ始めるその姿に顔を顰めた
涼は警戒心を一気に跳ね上げると、短刀を携えた右手にぐっと力を籠めた。
「……悪趣味すぎる」
「ええ、素敵でしょう?」
「―――」
張り詰めた緊張感に反し気味の悪い笑みを湛え続ける男との会話は、見事に噛み合わず。ゆっくりと傾けられた鎌は鮮血を滴らせ、一拍の間の後に大きく翻される。切っ先が届く前に身を退かせた
涼は短刀を握り直しながら身を構えると、右眼を見開かせた。……逃走を許す筈の無い人物との対峙に、隙と誤判は決して許されない。
「さぁ、存分に躍っていただきましょう!」
「!」
狂喜する男の声に眉根を寄せた
涼は刹那、頬へ付着する飛沫に顔を歪めながらも振り翳された鎌の露を捉える。あれが散ったのだと、木漏れ陽に滲む紅を認め―――直後、悪寒が背筋を這い登った。
あれに切り裂かれようものならば容易く死に至るに違いない、と。
頭上より風を切り振り下ろされた鎌を躱し、足元を掬いに薙がれるもう一刀を後方へと下がる事で回避する。血を撒き散らし来たる凶器を避け或いは受け流す事が精一杯の
涼に勝算は非ず、それでも場凌ぎを続け致命傷に至っていないこの現状は奇跡に近かった。
次第に増えつつある掠り傷の痛みは然程無く、しかし痺れ始めた腕に力を篭め続ける事が困難になりつつある。距離を置こうにも迂闊に間を空けるような動作を窺わせようものならば確実に隙を見出され、彼女の身体は鎌に分断させる事となるだろう。
息を切らせながらも身を守り続けていた
涼はしかし、不意に後方より荒げられた声を耳へ入れ思わず眉根を寄せる。
「明智……!!」
「おや、」
駆けつけ来る足音は二。後方を窺わずとも声の主が誰であるのかを察した
涼は顔を歪め、明智と呼ばれた男は眉尻を下げた。……尤も、口元は未だ持ち上げられているのだが。
「邪魔が入ってしまった……実に残念だ」
「さっさと失せろ」
「ええ、他は美味しく戴きましたので。今日のところは退きましょう」
鎌を下ろした明智は
涼の荒い口調にも動じず、鎌をゆっくりと下ろすや否や身を翻すと木々の間を縫い後退していく。木漏れ陽に濡れる銀髪が靡く様を最後に見送り、危険人物が完全に姿を眩ませた事を認めた
涼はしかし―――途端、緊張と膝の力を喪失した。
「生き延―――」
生き延びた、と。
呟き終える直前に地へ広がる紅の中へ倒れ込んだ
涼は、昂揚していた全てのものを放棄し血溜りの中へと意識を落下させていく。目が覚めた時には現ではない何処かへ意識が飛ばされる事を切に願いながら。
木々の間で交戦する二者の姿を捉えた政宗は、幾許の間も無く退散する光秀の姿を目で追い掛けながらも場へ駆けつけた。既に木々の間をすり抜けていった男の姿は微塵も見えず、舌打ちをすると同時に地へ崩れ落ちる
涼の姿を捉えるや否や慌てて手を伸ばす。が、ほんの僅かな距離が足りず、血濡れた地へ身を落下させた少女に政宗は思わず叫ぶようにして偽りの名を呼びかけた。
「
明!」
地へ滲み込み始めた紅が伏臥する者の着物へと付着する。あたかも大怪我を負ったような風と化した少女の様に顔を顰めた政宗は、突如傍らより伸びる腕に驚き隻眼を左隣へと向けた。小十郎が意識の無い
涼を血溜りの中よりずるりと引き上げ、傷を手早く確認していく。
「……精々が擦り傷かと」
「―――そうか」
此処で命を落とせば証言を得られず、聞くべき問いも単なる肉塊と化せば応える口など無い。鎌の餌食とならなかった事が幸いだと一息を吐きかけた政宗は、それをすぐに飲み込んだ。……先に伏すは、数名の伊達軍兵士。執拗に切刻まれた身体に目を細め、無意識に篭る力が堅い拳を作る。下唇を噛み締め、やり場の無い怒りを霧散させるべく身を反転させた。
「弔いを終え次第帰還する」
「は、」
普段と変わらない小十郎の歯切れ良い返答を聞き拾いながら、戦跡にて待機する兵へ指示を下すために陽の射す地へ足を向ける。動きある他国に今後の対策を思案しつつも、途端開けた視界に映る複数の蒼へ向け声を張り上げた政宗は濁音交じりで返される部下の声を聞き入れるのだった。