愛し、背の君。

 ふーむ、と浅岡がそう、何気なく、独り言のように呟いたその言葉。
 数年前、川で見た怪しい石と葉のオブジェについての話をしていたときだった。

 呪術、と鳳凰が繰り返して呟く。
 ふと、先ほど、ここへ来る前の浅岡との会話を思い出す。

『いつか呪われても』

 急に黙り込む鳳凰に、浅岡が気付いた。

「どうしたの鳳凰さん? 気分でも悪い?」

 お酒進んだし、と浅岡が鳳凰の顔を覗く。
 鳳凰は口元に手を当てていたが、いや、と答え、その可能性には否定を示す。

 ただ、先ほどから抱いていた、懐かしい感覚の正体に気付いてしまったのだ。

『俺は呪われていたんだろうな』

 そう、自分の肩にもたれ、寂し気に呟いたその男。
 細い首筋には、誰が残したかも分からない、愛撫の跡。

 生まれてすぐ捨てられ、拾われた先は女郎屋。
 何をどう恨んでいいのかも分からず、死にたくても躊躇いが邪魔をした、と男は小さな声で続けた。

『俺が、ただ死んでも、この呪いは続くし……そんなの無駄死にだから』

 人気のない場所で、お互いの声を遮る雑音は何もなく。
 相手に集中出来る程度の闇の中、知れば知るほど。

「……そうして我も、呪いに掛かったのだろうな」
「えっ、何いきなり!?」

 唐突に鳳凰がそう発言したので、浅岡が珍しく真顔で驚いている。
 本当にどうしたの、慌てる浅岡に気付き、鳳凰も我に返った。
 済まない、と一言断りを入れてから、ゆっくりと、今考えていたことを説明した。

「……今も忘れ難い相手がいる。もうその姿で見(まみ)えることは叶わぬが……事あるごとに思い出してしまう」

 何気ない言葉の中に、何気ない日常の端に、その男の息遣いが隠れている。
 それはきっと、自分もまた、その男と共に幾つもの「何気ない」を共有していたから。

「本当に愛していた。話を聞けば聞くほど、不憫さと愛しさとが募った。初めは物珍しさだけだったと思う。だから余計に、囚われていったのだろうな」

 やるせなく笑って、鳳凰は静かに語った。
 その男に、自分が惹かれるなど想像もしていなかった。

 初めて男として生まれて来てしまった「憂巫女」は、糾弾され、迫害され、その上命まで狙われ続けた。
 優越感から、庇護欲が生まれ、それが愛しさに移ったとき、呪いとしてこの身に降り掛かったのだろう。

「そう考えれば、その相手と一緒に生きていくこと自体が呪術だったのだ。一生、この身が朽ちるまでは、相手の息遣いは存続する」
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