鬼を喰う病


綾彦あやひこ、鬼の肉がどんな味か聞きたくない?」

 白足袋を履き終えたと同時に、背後から隼人さんの声がした。
 静かに何か読んでるなと思ったから敢えて声を掛けずにいたのに。

 しかも何その話題。
 俺今から法事に出るんですけど。

「今必要ですかそれ?」

 げんなりした顔をして、でも隼人さんの方を見るわけでもなく俺は着替えの手を止めない。
 立ち上がってTシャツを脱ぐと、今度は襦袢を手に取る。

 隼人さんは特に声の様子なんかを変えることもなく、いいじゃん、と続ける。

「着替えの間は暇でしょ?」

 隼人さんはそう言って来るけど、暇かどうかで問われたら、恐らく暇ではない。
 直綴じきとつまでならまだ許せるかも知れないけど。

「袈裟はそういうわけにはいかないんですよ。隼人さんも知ってるでしょ」

 大学を出て数年。
 一応小学生の頃から衣体えたいは続けているとは言え、だからこそ疎かには出来ない。
 法衣の着方ひとつとっても、俺の今後に関わることだ。

 それは隼人さんも充分理解しているだろうに。

「袈裟までには終わらせるけど?」
「だとしても嫌です」

 襦袢が済んだら次は白衣。
 最近は改良衣ばっかり着てたから何かまどろっこしいな。

 地味に着物の丈調整を繰り返す俺に構わず、結局隼人さんは勝手に話を始めていた。

「……肉質は引き締まっていて、歯応えはあるけど硬すぎない」

 本当に話し出したよこの人。

 俺は聞きたくないと答えたから、聞こえてはいたけど反応することはしなかった。
 あくまで耳に入って来るだけ、そう無意識に自分に言い聞かせていた。

「臭みもクセもなくあっさりした歯切れのいい食感だ。脂は上品で甘味がある」

 正直、鬼の肉なんて本当に喰っているのか。
 俺は今でも半信半疑だった。

 この人の家系では代々、鬼――そう、あの昔話とかに出て来る妖怪の鬼を、食用として狩猟しているらしい。

 俺は見えないものが見えてしまう所謂霊感持ちではあるんだけど、幸い鬼とは遭遇したことがない。
 だから、親父の話もあまりに突飛に思えてしまって。

 でもうちの寺は代々この鬼喰いの一族のために僧侶という生業を受け継いでいる。
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