三つ首犬(いぬ)と九尾の化け猫
「えーっと来月の頭だったかな。映画化凄いなぁって思ってるけど舞台挨拶がな~、嫌だな~」
自分の作品なのに大した興味がないのか、公開初日もうろ覚えである。
しかも初日の夜、舞台挨拶でトークショーの予定があるのだと。
「浅岡さんだったら大丈夫そうですが」
「そうでもないですよ逢坂さーん。僕は対少人数向けなんですよぉ」
不特定多数相手に話す機会は出来れば避けたいらしい。
確かに作品と作者本人のギャップ激しいもんなぁ。
そもそも今回の映像化には、出版社側も相当悩んだと聞く。
「都さんのファンの中には、映像化反対の意見も多いですもんね。あの『文章』だからこそストーリーが成り立つとかで」
平潟さんがそう、企画会議を思い出した様子で頷いている。
ああ、それはありますね、と僕もそれには同意した。
浅岡さんの書く『文章』だからこそ彼の作品は空間を形成し、確立されたその中で感情が縦横無尽に錯綜する。
『それ』を何人もの他者の意思を介入させ変換してしまうのは……かなりの博打になるだろう。
「浅岡さんのファンは皆さん真面目なんですね」
「真面目っていう表現をされたのは初めてです」
僕の解釈に、浅岡さんが予想外に驚いていた。
本人としては「真面目と言うより独特だと思ってた」とのこと。
そうか。
「逢坂さんの新シリーズもじわじわ売れて来てますよ。そう言えばサイン会しませんかってお誘いくれてる書店さんがあるんですけど」
平潟さんがすかさず手帳を広げて教えてくれた。
サイン会か……実はまだやったことがないので、ちょっと躊躇ってしまう。
どんな人が来るのか……いやそれ以前に、来てくれるのか……?
うーんと考えながらも、どーですかーと訊いてくる平潟さんには、話を進めてみてくださいと答えた。
手帳にメモする平潟さんを見ながら、浅岡さんに訊ねてみた。
「サイン会って具体的に如何でした?」
浅岡さんは過去に2度、サイン会を開いている。
なかなかの盛況っぷりだったらしい。
そうですねぇとのほほんと反応する浅岡さん。
そのテンションのまま、一言告げた。
「取り敢えず利き手が死にます」
……その覚悟だけはしていないと駄目か。
コピーってわけにいかないもんな。
いや、そもそも利き手が死んだのは浅岡さんのファンの方々がそれだけ大勢集まったからでは、とも脳内の片隅でチラッと考えた。
でもまぁ、1回くらいはやってみてもいいだろうか。
なんて、まだ怖気づきながらも予定を組んでもらう方向に話をまとめた。
14時半を回った定食屋は、そろそろランチ営業を終えて一旦店を閉めたい頃だ。
平潟さんは伝票を持ってレジへ向かう。
店員さんに会釈をして、僕と浅岡さんは先に店外へ出た。
「あっ、そうだ逢坂さん。最近鳳凰さん元気ですか?」
突然そんな話をふられて、えっ、と険しい顔をしてしまった。
ああそうか、浅岡さんとあの鳥、仲良いんだった。
「連絡してないんですか?」