【曦澄未満】寛解
「……江(ジャン)宗主」
思いがけない顔が見えたせいで、藍曦臣(ランシーチェン)はやや間抜けな声を出していた。
自分が閉関している小屋に顔を見せる人物はほぼ決まっていたからだ。
勿論江澄(ジャンチョン)はその中には該当しない。
今も、きっと叔父か弟が訪ねてきたものだと藍曦臣は思い込んでいた。
けれど自分から開けた戸の向こうにいたのは、江家宗主だった。
どうして、と藍曦臣は疑問を抱いたものの、暫く満足に使っていない頭はどうにも動かない。
江澄も江澄で、特に一言も挨拶もなく、ただ気まずそうにその場に突っ立ったままだ。
沈黙が続いていたが、先に切り出したのは藍曦臣だ。
「こんな所で立ち話も悪いので、どうぞ」
半分だった戸をもう少し開けて、藍曦臣は江澄を小屋の中へ招いた。
江澄はすぐには返さず、どうすべきか考えている様子だった。
それでも一度目を伏せ、お邪魔します、と足を踏み入れた。
勿論客人をもてなすような場所ではなかった。
布団と、文机と数冊の書物、茶を淹れるための食器。
あとは何もなかった。
「今日はどうしてこちらへ?」
藍曦臣は2人分の茶の用意をしながら、自分の後方で大人しく坐している江澄に訊ねた。
また仕事の関係で叔父か弟に会いに来たのだろう、藍曦臣はそう予想していた。
直接仕事に関われるほどの余裕はないが、藍曦臣も世間で起きていることなどの話だけは耳に入れていた。
教えてくれるのは、主に弟の道侶ではあったが。
「……貴方の様子を見てきて欲しいと、貴方の弟に頼まれた」
最後の一滴が湯飲みに落ちたと同時に、藍曦臣は顔を上げた。
驚きを隠せない表情のまま、江澄を振り向く。
江澄は胡座の上に軽く組んだ両手を置き、やや俯いた姿勢を取っていた。
勿論仕事のついでだ、と加えて。
藍曦臣はそれを聞き、ああ、と力なく笑った。
何故弟がそんなことを江宗主に頼んだのかは、藍曦臣には分からない。
けれど、律儀に顔を見せに来てくれた江宗主に、感謝の念を抱いたのは事実だった。
ご迷惑を、と軽く頭を下げてから、藍曦臣は茶を出した。
盆の上から自分で湯飲みを取り、江澄は小さく、一口啜った。