終われなかった「始まり」
人の気配があった。
それは昼間でも薄暗い山奥、猟師でも滅多に来ないような深い森の中。
そんな場所で老女はその日、人の気配に気付いた。
こんな所に好んで来るのは自分のような変わり者くらいだと考えていた老女だが、黙って気配の方へと歩いていく。
後ろ姿が見えた。
どうやら若い娘のようだ。
「何してんだい?」
老女が普段通りのはきはきした声で娘の背中に呼び掛ける。
娘は全身を震わせて驚いてみせ、それからゆっくりと振り向いた。
酷い顔だった。
満足に食べていないだろう痩せこけた頬に、くっきりと目立つ目の下のクマ。
手入れもされていない髪が、振り乱したのかボサボサのまま顔を半分ほど隠していた。
娘は男物の着物を大雑把に着た上で裸足であった。
こんな山奥までその格好で走ってきたのかい、と続けようとした老女だが、ふと娘以外の存在に気付く。
娘の腕には赤子が抱かれていた。
「要らないのかい?」
もう死んでいるのではと疑いたくなるくらい赤子は静かに眠っていた。
包まれたおくるみは決して綺麗とは言えず、言ってしまえばそれはボロ切れ同然であった。
娘は老女の問い掛けに、一度は止まったのだろう涙を再度零し、ううう、と低い声で泣いた。
やむにやまれぬ事情があることは老女も既に分かっていた。
ぎゅうと、産まれたばかりだろう我が子を強く抱き締めて娘は泣くばかり。
捨てられない、捨てたくない、と、その細い両肩が物語る。
しかし、このままただ待っていては赤子のみならず娘の命も危険だった。
森の中は陽が届かず肌寒いくらいだ。
気温もだが、ここは野生動物の生息域でもある。
こんな血の匂いをさせた女と赤子を、いつまでも
老女は一つ息を吐くと、仕方ないねと言いながら娘の隣へ膝を着く。
見せてごらん、と赤子を指差した。
娘は涙でぐちゃぐちゃの顔でしゃくりあげながら老女を見る。
それからおずおずと我が子をその胸から離してみせた。
老女は赤子の寝顔を暫し眺めた後、どれ、と話を切り出す。