瀧崎家菩提寺
その人を初めて見たのは、俺が10歳になったばかりの頃だった。
実家の寺で毎年行われるよく分からない供養祭に初めて参加させられた時のこと。
その人は供養祭の主催で、それは同時に家長であることを意味していた。
俺とは18歳離れているという。
その人は全身に廻った猛毒を、薄い笑み1枚の下に実に巧妙に隠していた。
物心つく前から色んなものを見てきた。
人ならざるもの、居てはいけないもの、影、気配。
そんなものを何回も何回も見てしまって、親父に泣いて助けを求めた。
実家としては都合のいい能力だったのかも知れないけれど、まだ幼かった俺にとって人ならざるものは恐怖でしかない。
親父に宥められ説得され、その流れで制御する術を教えられるようになるまで時間は掛からなかった。
その甲斐もあってか、大きくなるにつれ俺自身慣れたのか、次第に「見える」ことを何とも思わなくなり、ただたまに『今日もいるな』と思う程度になっていた。
そんな自分の事情もあってだろう、初めて見たその人から感じ得た底無しの邪気に、俺は一瞬気絶しそうになった。
腹の底から拒絶反応が出た。
怖くてどうしようもなくて、その人は笑顔で、18歳も年下のまだ小学生だった俺にまでとても丁寧な態度と言葉で挨拶をしてくれたのに、終始親父の背中に隠れていた。
とにかく顔が見られなかった。
その人自身が恐ろしかったんじゃない。
その人の抱く、背負う「業」のような禍々しさに、俺は呑み込まれてしまいそうで嫌だったのだ。
その人は刀を持っていた。
供養祭に必要だと言うその刀は、うちの本尊が携えている刀とそっくりだった。
2つある本尊のうち1つは不動明王で、不動明王は宝剣を携えているから気にしてなかったが、どうやらうちの不動明王の剣は、その人の持っているものと同じ。
日本刀だ。
そういう小さな差異に1つ、また1つ気付けるようになった俺は、うちの寺は何かが違うと感じ出した。
本尊は閻魔大王と不動明王。
どうしてこの2つなのか親父に訊いたことがあったが、その時は細かい説明はしてもらえなかった。