緒戦


 襖の向こうで動く人影を確認した。
 でも、すぐに声を掛ける勇気がなかなか出なかった。
 自分から話を切り出すことの意味を、俺は充分承知していたから。

 でも、この機を逃せば、もう次はない。
 ここで、全部話をしておかなきゃいけない。

 そう、自分に必死に言い聞かせて、俺は自分を突き落とす気持ちで、自分の背を押した。

「兄貴」

 動く人影に向かって呼び掛ける。
 するとその人影は動きを止めて、暫く静かになった。
 それからその人影は襖に近付くにつれ、大きくなり、実物が姿を見せた。

「隼人?」

 兄貴は本当に驚いた様子だった。
 無理もない、こうして顔を合わせて話をするのは、正月以来なんだ。

 俺はそんなことを思い出し、兄貴への罪悪感から伏せ目がちに俯く。

 どうして、と訊ねる兄貴に、俺は説明する。

「10分......だけなら、って許可出た」

 情けない話だった。

 でも兄貴も同じような、憂いを浮かべた瞳で、そうか、と応じた。
 でも心なしか、ちょっと安堵しているようにも見えた。

 入れよ、と兄貴に誘われる。

 兄貴の部屋に入るなんて、本当に記憶がないほど昔のことだ。
 記憶にないから比較の仕様もない、それにしても、22歳の男の部屋にしては、異様なまでに殺風景だった。

 殆ど何も置かれていない。
 いや、撤去された、と言った方が適切なんだ。

 兄貴は明日、この家を出ていく。

 持っていく荷物も最小限らしい、ボストンバッグが2つ、足元に置かれている。
 俺はそれを見てから、一瞬だけ顔を上げた。

 兄貴は本棚から最後の3冊を取り出していた。

「まさか本当にこうなるとはな」

 本を1冊ずつ確認し、兄貴はそう呟く。
 2冊は鞄の横へ置き、1冊は段ボールの中へ。
 それは処分ということだろう。

 そんな兄貴の手元を眺めながら、俺は何と答えていいのか考えていた。

 俺もまだ理解が出来ずにいた。
 何故弟の俺ではなくて、兄貴がこの家から追い出されるのだろうか。

「ごめん」

 無意識に、そんな言葉が口から出ていた。
 でも多分本音だった。
 だからつい、出て来てしまったんだ。
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