お帰り


「ただ~いまーぁ」

 覇気のない声で帰って来たことを告げる。
 ちょっと離れた場所から魅耶の返答が聞こえた。

 この時間からすると、台所かな。
 そう推測すると俺は靴を脱ぐのをやめて、そのまま踵を返し玄関を出る。

 建屋の壁に沿って裏手へ回ると、灯りと湯気が零れてくる戸が見えた。

「ただ今」

 そこから台所へ入って行く。
 所謂勝手口である。

 魅耶がちょっと驚いたように顔を上げ、お帰りなさい、と告げた。
 俺はそのまま魅耶に近付き、背中からぎゅっとくっ付いた。

「ちょっと魅耶聞いてよー」
「珍しいですね、帰宅早々愚痴とは」

 ほんとは正面からくっ付きたかったんだけど、夕飯の支度の最中だったので、邪魔にならないように。
 魅耶は淡々とそう答えて来た。

 そうかな、と考える余裕もなく、それがさぁ、と続ける。

「今度の担当さん、ほんと困るんだよ。3日前に自分で言って来た修正案に難癖付けてきたんですけど!?」

 そもそもこの案件だって、この後に業者との打ち合わせも入ってるし、そっちへ渡す資料に役所の担当の印鑑が必要なのにさ。
 今年度から関わることになったその担当さんの仕事っぷりがまぁ酷い。

 今回の修正そのものもだいぶ無茶ブリだったけど、それをお前素知らぬ顔で難癖。

「それって昨日の、何とかまとめ上げた案件ですか?」

 煮物の味を確認しながら魅耶が訊いてきた。
 それだよ、と魅耶の肩に顔を埋めて俺は答える。

 魅耶にも幾つかアドバイス貰って仕上げた案件。
 それをまぁーあのオッサンと来たら。

「自分がケチつけて来たことをさっぱり忘れているかのように、話も聞かずダメの一点張り……何なの?」

 今までにも変な人はいたけど、基本的に大体のことはスルー出来てた。
 何とか帳尻合わせられる程度の変さだったし……。

 でも今回のオッサンはヤバい。
 何て言うか関わりたくない。

「何て言うの、何か気紛れなんだよなぁ……意見が。今回が初めてじゃないけどさ、初回の顔合わせの時から違和感あったんだよ」

 ふー、と深く溜め息を吐く。
 それから自然に吸い込む空気に混じって来る、煮詰められてる醤油と出汁の香りと、魅耶のにおい。
 それに気付いただけで、ちょっとささくれ立ってた神経が落ち着く。

 そうですか、と柔らかい魅耶の相槌。

 役所の人事異動は一種の博打みたいな部分もある。
 そういやそんなこと、政春さんも言ってたっけ。

「……愚痴ったら一気に疲労感が」

 今まで何とか自力で流してきたけど、今日は帰宅直後の開口一番での愚痴だ。
 そのせいかこれまでの蓄積分がどさっと出て来た感じ。
 肩凝りとか頭痛とかも起きそう。
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