僕のものです
僕の記憶の中にある、一番古い華倉さんの表情は、自信に満ち溢れた笑顔だ。
当時僕はいつも何かに怯えていて、自分に危害が及ばないように、ずっと周囲を警戒していた。
だからその不安と恐怖心がずっと顔に出ていた。
そんな僕の様子を、華倉さんはいつも可笑しそうに見ては笑っていた。
あの頃の華倉さんにとって「自信がない」なんていう気持ちは、理解出来ないことだったんだろう。
中学に上がると、そんな華倉さんの表情も大きく変わった。
僕がすぐには信じられないほど、その顔には覇気がなくて。
いつも心此処に在らずと言った、ぼんやりした表情で、その瞳はいつもこの世界ではない、別の場所を見ていたように思う。
幼少期の僕ともまた違った、恐れを抱いた表情だった。
高校に上がって、一緒に過ごす時間が増えて。
僕はそこでもまた、華倉さんの違う表情と出会う。
例えば生徒会の仕事をしているときなんかは、とても優しい顔をしていた。
決して気を抜いているわけじゃない、ただ、余計な力みや圧力なんかを見せないように、という、そんな気遣いからの柔らかい笑みだ。
先輩とも、後輩とも仕事をすることが多かったせいか、当たりは柔らかく、でも指示は的確に、事に当たっていた。
そのために、華倉さんは親しみやすさを醸す必要があったんだろう。
それは今、一緒に暮らす中で、華倉さんが地元の人たちや仕事相手と接する様子を見ていて感じられた。
生徒会の仕事も、華倉さんにとっては既に社交の場だったんだな。
僕なりに、華倉さんの功績を盤石なものにしようと、サポートもフォローもしてきたつもりだったけれど、結局僕は、華倉さんの心の内をきちんと見ていたわけではなかった。
それに気付いたとき、当時の自分の振る舞いをちょっと恥じた。
年齢を重ねるにつれて、華倉さんが僕の隣で見せてくれる表情も変わっていった。
勝ち気で無鉄砲だった幼少期の笑顔は、別に僕のことなんか気にも留めていないものだった。
中学の頃の、恐れに呑み込まれていた表情は、思い返すと今でも胸が痛くなる。
どうにかあの当時に、救うことは出来なかったのだろうか、と。
華倉さんが僕の隣で油断するようになったのは、高校を卒業してからだったと思う。
今でなら、カープがサヨナラ負けしてテレビに向かってブチ切れてるところとか、庭先に遊びに来た野良猫にデレデレで戯れてるところとか、ちょっと呑み過ぎて扇さんへの愛を延々語るところとか、もったいないくらい惜しげもなく見せてくれるけど。