疑義
「こんなものが残っていたとは」
一通り、全ての手記に目を通した菱人が、静かにそんな感想を零した。
そんな菱人を、安堵の色を極力表情に出さないように華倉は見ていた。
幸いにも菱人は既に手記そのものへの興味に気を取られているらしく、手記が見付かった経緯への言及はなかったが。
菱人に連絡を入れたのが昨日の朝。
すると菱人もこちらに話があったようで、翌日(つまり本日)総本山まで赴くがいいかとのことだった。
華倉はその申し出を受けて、本日分の自分の用事に都合をつけた。
というのも、訪れるのが菱人のみでなく真鬼もいたからである。
真鬼の名が菱人の口から出たということは、恐らく何か急を要する話だろうと思い当たった。
もしかしたら歴代当主の手記など眺めている場合ではないのかも知れない、華倉は魅耶にもそれを話してみたが、魅耶からは取り敢えず渡すだけは渡しておこうと返されていた。
手記に関しては、魅耶の意見は外れではなかった。
元々菱人は、憂巫女や篠宮の家系に関する調査に長いこと取り組んでいる。
菱人自身の関心で言えば、手記の存在は歓迎すべきものだったのだろう。
しかし菱人は手記の確認もそこそこに段ボールにしまう。
ではこれは預かる、と視線を伏せたまま告げた。
段ボールの蓋を簡単に閉じると、菱人の斜め背後に座っていた真鬼の方へ雑に移動させる。
「で、あの……話って」
菱人に落ち着きがないことは、華倉も気が付いていた。
けれどその理由がいまいち絞り切れない。
持ってきた話の内容のせいか、それとも手記が気になっているせいか。
こちらから催促して、更に菱人を焦(あせ)らすのもどうかとも悩んだが。
ほんの僅かな時間、その場が静まり返る。
それから菱人が視線を上げないまま簡単に訊ねて来た。
「……最近、変わったことはなかったか?」
変わったこと、と華倉は言葉を繰り返す。
山の裏手のフェンスの件は既に修理も済んでいる。
それとは別に、という意味のようだ。
華倉は隣にいる魅耶と一旦顔を見合わせる。
魅耶も小さく横に首を振って見せた。
「別段特には……」
何も、と華倉は答える。
その返答に菱人は、そうか、と応答し、心なしかその表情には安堵の色も見えた。