そんなはずは
良かったらこれ読んで、と手渡されたのは、日に焼けて黄ばんだ古い本だった。
え、と驚いて本を見詰め、広政はそれから視線を上げて相手の顔を見た。
彼女は変わらず綺麗な口許に笑みを浮かべている。
「話聞いてて思い出したの。もしかしたらこういうの好きかなって」
だいぶ昔のだけど、と彼女は付け加えた。
それは広政の興味を引くに充分な内容だった。
うわぁ、と目を輝かせて、広政は「いいんですか?」と女性に確認を取る。
相手は頷いて、あたしは最近読んでなかったから、と言う。
「本ももっと読まれた方が嬉しいだろうし」
さらりとそんなことを言うその人が、広政にはとても可愛らしく見えた。
丁寧にお礼を述べて、広政はその本を受け取る。
辞書のように分厚い、ハードカバーの本。
中には文字とともに古めかしい絵柄のイラストが豊富に載せられている。
「あたしが勉強に使ってたやつだから、ちょっと難しいかもなーとも思うけど……分かんないところはまたこうして会ったときに聞いてくれてもいいしね」
「有り難うお姉さん!」
広政はその本を大事にトートバッグにしまった。
栞が挟まっていたことに気付いたのは、帰宅後に本を改めて開いたときだった。
千代紙風の折り紙を三つ折りにしただけの、シンプルな栞。
栞と呼ぶにも満たない、紙切れ程度の目印。
見覚えのある柄だということを除けば、こんなに気掛かりな事柄ではなかったはずだ。
「――真鬼、」
突然、菱人の呼ぶ声が意識に割り込んで来た。
真鬼は顔を上げ、普段通りに応答する。
しかし菱人の表情はどこか険しいものだった。
そんな表情をされる覚えがなく、真鬼は逆に菱人に声を掛ける。
菱人は一呼吸置いてから真鬼に訊ねる。
「もしかして疲れているのか? 何度か呼んだんだが」
菱人から続けられた言葉は予想外のものだった。
真鬼は1度しか呼ばれた覚えがない。
眉を顰めながらも、そうかと返すに留め、用件を催促する。
しかし菱人は手にした書類を一度引っ込めてしまい、別の話題を真鬼に振った。
「……特に、体調に変わりはないんだな?」
菱人の質問に、初め真鬼は淡々と頷く。
調子が悪いわけではない、先程はぼんやりしていただけだろうと。
真鬼はまだその時の菱人の言わんとしている内容を捉えられていなかった。