異変
何かが聞こえて来ることには気付いていた。
ただそれが、人の声だと分かるまでは時間を要した。
幾つもの人の声が飛び交うように放たれている。
罵声、恫喝、それらの殆どは女性の金切り声のようだ。
向けられているのは鳳凰ではないらしい。
彼女らの声は一方向に集まっている、どうやらその先に非難すべき相手がいるようだ。
誰なのか、鳳凰にも興味はあった。
けれども、その威嚇にも似た憎悪と憤怒の渦中へ混ざっていく度胸はなかった。
しかし、何故だろうか。
声はするのにその声の持ち主らしい「姿」はどこにもない。
こんなに大勢の声が飛び交っているのに、人ひとり見られない。
けれど反対に、非難を受けているであろうその相手は今鳳凰がいる場所から何となく把握出来た。
人のようではあるが恐らく人間ではないだろう。
土砂降りのようなこの怒号を、黙って頭上から浴び続けている。
誰だ?
どうして何も返さない?
その相手の正体をもう少し知る事は出来ないかと鳳凰は目を凝らし、意識を向ける。
途端、その相手が顔を上げた。
笑みが見えた。
笑っていたのだ、それは。
その笑みはこちらに警戒心を抱かせるに充分なほど狂気に満ちていた。
いや、満ちている、は不適切だろうか。
それは恐らく「狂気」そのものだ。
狂気という欲に塗れた、純然たる歪みだ――
目を覚ましたのはその直後だった。
頭の中から金槌で殴られているかのような痛みを覚える。
これは以前なったことのある二日酔いというやつに似ているなと思いながら、鳳凰はゆっくりと起き上がった。
同時に襖の向こうから声が掛かる。
お盆を持った魅耶が顔を見せた。
「調子は如何です?」
自分のその声に鳳凰がこちらを向くと、魅耶はまだ不服そうな表情で入ってくる。
何も返さない鳳凰から視線を外し、良いわけではなさそうですねと続けた。