アラート


「鍾海」の他は一切の異状はなく、それでも華倉は周囲を警戒したまま、静かに「鍾海」の側まで近寄る。
 しゃがんで、拾い上げようとした。
 しかし。

「鍾海」に手が触れるよりも早く、見えない空気の圧に押し戻されるかのような感覚を覚えた。
 それは「鍾海」を中心に、球体状に拝殿いっぱいに脈打つように拡がった。

「――っ!?」

 突風のようでもあり、空気を固めて作られた壁のようなものをぶつけられたようでもある、そんな衝撃が全身を襲う。
 華倉は咄嗟に身構え、顔を守るように左腕で眼前を覆う。

 それでも右手で「鍾海」を掴もうと試みた。

「華倉さん!!」

 しかし、その手は引っ込めるべきだと思い直す。
 魅耶の悲鳴にも似た声に呼ばれたためだった。

 気付いた時には、既に「鍾海」は暴れ始めていた。

 華倉は腕をややずらして何とか視界を確保すると、魅耶の悲鳴の意味を知る。
「鍾海」から立ち上る黒煙は、物理的な炎ではないことは分かっていた。

 けれどそのように形容可能であろう「怨念」が、今まさに溢れ返っているのだった。
「鍾海」を包み込むように立ち上り、その黒煙にも似た「怨念」は渦を巻き、周囲を呑み込もうとしていた。

「……声?」

 そんな不穏な光景の中に、華倉は幾つもの「声」を聞き取ったように感じた。
 実際には声かどうかは分からない。
 言葉として認識出来るものもあれば、全くのノイズにしか思えない音もある。

 けれど、それは無視してはいけないもののように、華倉にはそう聞こえてならなかった。
 まともに聞いてはいけないという警戒心と同時に、このひりついた「救済を願う」叫びに、何とか耳を貸そうとした。

「鍾海」はいつしか毒ガスのような黒煙を吐き出しながら、小さく、小刻みにその刀身を震わせ始める。
 何かを、鞘の中に収め切れずに暴発してしまいたそうに。

 このまま静観を続けていい状況ではないことは火を見るより明らかだった。
 華倉はしゃがんだまま「鍾海」から視線を外さずに、一旦魅耶のいる戸口の辺りまで戻る。

 それから視線は前を向いたまま、魅耶に白布を持って来て貰うように頼んだ。
 以前「鍾海」を封印していたときに巻き付けていた、あの布である。

 魅耶が小さく返事をして、しまってある居間まで急いで取りに戻って行く。
 その間にも「鍾海」は震え、哭き、今にも発狂しそうな「声」で求める。
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