恩人


「お久し振りです暢洋さん! お待たせしてしまい申し訳ないです」

 パタパタと急ぐ足音を立たせながらやって来たその人は、弾ける笑顔で暢洋さんに挨拶した。
 暢洋さんはのんびりと出されたお茶を啜っていた手を止めて、お構いなく~、と応えている。

 先客との商談が長引いてしまいまして、と話を続けながら、その人は暢洋さんに近寄る。
 数回言葉を交わし、それから自分もソファーに腰を下ろそうかというタイミングで、ようやく隣の俺に気付く。

「その子は? 新入りですか?」
「うん、そう。陸くん。今舜くんが面倒見てくれてる子」

 今日和、と挨拶をされた俺は、小さく畏まったまま会釈をした。
 そんな俺の会釈に被せるように暢洋さんがざっくり説明してくれる。

 その内容に図らずも、相手は「えっ」と驚いた様子だった。

「あの舜くんが? へぇぇ」

 本当に意外だったらしい、俺の顔をまじまじと眺めながら、その人は感心したように反応した。
 勿論俺にはその理由などさっぱり分からないが。

 そもそも、何故今、自分がこんな格好でこんな場所にいるのかすらよく分かっていなかった。

 本日朝一番で暢洋さんが姿を見せた。
 アポ自体は舜さんから聞いていたけれど、何の用事なのかまでは知らされていなかった。
 だから俺には関係のないことだと思い込んでいたのだ。

 気にせずお茶だけ出して、自分の作業を続けようと思っていた俺に暢洋さんは声を掛けた。
 新調されたらしいスーツを一式渡され、今から出掛けるよ、とその場で言われる。
 状況が呑み込めないまま俺はスーツに着替えると、そのまま暢洋さんに連れられて、停まっていた車に乗せられたのだった。

 そして着いたのは、忙しないオフィス街のとあるビル。
 何となく見聞きしたことのある名前がずらりと並ぶ看板の前を、暢洋さんに誘われるまま通り過ぎる。

 そして案内された応接間で、今に至る。

 俺の前にも暢洋さんと同じくお茶が出されていたけれど、こんな綺麗で広い応接間に、小綺麗なスーツ姿で自分がいることが不思議で仕方なく。
 有り体に言えば全く落ち着かなかったため、俺のお茶は手付かずのままだった。

 暢洋さんは自分の湯飲みをテーブルに戻して、次は緊張で固まったままの俺に紹介してくれた。

「陸くん。彼が西崎鋼業CEOの西崎由兎よしとくんだよ。覚えておいてね」
「初めまして」

 暢洋さんからの紹介を受けて、西崎さんは穏やかな笑みで改めて俺に挨拶をした。
 俺もまた会釈を返すが、覚えておいてねって何だ? という疑問が恐らく顔に出ていた。

 あはは、と暢洋さんが笑って、手短に理由を付け加える。
1/4ページ
スキ