手離せない
『ごめんなさい佐倉井(さくらい)さん、いつも面倒見てもらっちゃって』
自分の部屋へ戻ろうとしたところを、そう背後から声を掛けられた。
俺はドアノブを触ったまま顔だけ振り向いて、いいえ、と笑う。
確かに同じアパートに住んでいるだけの他人ではあるけれど、俺は好きであの子の面倒を引き受けているわけだから。
『穂波(ほなみ)さんも仕事に集中出来るでしょうし、俺の手で良ければ使ってください』
そう、穂波さんを安心させられるように返した。
穂波さんは初めは微笑んでいたけれど、その瞳の奥には、やはり戸惑いの色が浮かんでいた。
「ねぇにーちゃん」
重たそうな目蓋を何とか落とし切らないように、睡魔に抗う晶(しょう)。
俺は晶と添い寝する体勢で、んー、と返事をする。
別に起きてても構わないんだけど、晶がもううつらうつらしていたので、寝かし付けることにした。
とんとん、とお腹の辺りを優しく、規則的に叩く。
そんな俺の方を向いて、晶はぼんやりした視線で俺に続ける。
「にーちゃんは、おれのほんとのにーちゃん?」
なんて、唐突な質問。
ほんとって、と予想外過ぎたその単語に、ちょっと吹き出しながら返した。
どういうことだ、と訊き返す俺に、晶は続ける。
「かぞくっていっしょのうちに住んでるじゃん? でもにーちゃんとおれは、別々のうちに住んでる。だけどにーちゃんは……おれのにーちゃん?」
多分、友達か誰かと話していて、気付いたんだろう。
俺との関係が「何か違う」ことに。
俺は変わらず晶のお腹を叩いてやって、たまに撫でてやって、暫く黙っていた。
こうしていれば俺が答える前に晶が寝落ちるんじゃないかと、ちょっと期待していた。
でも晶はギリギリのところで目を開けたまま。
もう諦めた方がラクなんだろうけど、自分の疑問もそのままにしたくないみたいだ。